第5話 一寸法師

 目を覚ますと一寸法師がいた。

 もちろん幻覚に決まっている。

 そこは病院のベッドで、おれは体中にいろんな管を刺されていて、スパゲッティにつかまった蠅よろしく身動きもままならず横たわっていた。


「調子はどう?」一寸法師がおれに尋ねる。「どこか痛む?」

 おれは思わず吹き出しそうになったが、その瞬間、全身にものすごい衝撃が走った。喉の奥で声にならない妙な音が出る。返事をしたくても声にならない。

「全身痛いんだね」

 なれなれしい調子で一寸法師が言う。その通り。「どこか痛む」なんて生易しいものじゃない。全身が痛い、それもひどく。まさにそれが言いたかったことだ。考えてみればおれの幻覚なのだ。いちいちおれがしゃべらなくてもおれの考えていることなどお見通しというわけだ。

「ぼくのこと、幻覚だと思っているでしょう」

 ほらやっぱり。そんなことを不満そうな口調で言いながら、その実はただおれの考えていることをトレースしているだけだ。おれにはわかっている。どうして一寸法師の幻覚を見るのかが。なぜなら、一寸法師とはおれがおれ自身につけたあだ名だからだ。


 例えばおれはゴルフでホールインワンを出したことがない。限りなく惜しいときは何度かあった。そういうときに耳にするおなじみのフレーズ。それが「あと3cm」だ。例えばおれは射撃の選手権でオリンピックまで後一歩というところまで登り詰めた。選考試合で最後の最後にミスをした。それさえいつも通りに撃っていればおれはオリンピックに出ることができたのだ。その時にも回りのみんなに言われた。「オリンピックまであと3cmだったのに」と。


 犯人グループを追いつめて銃撃戦になり、名誉の負傷を負った時にも医者は言った。「あと3cm左にずれていたら大腿動脈を撃ち抜かれて大量出血で即死だったでしょう。不幸中の幸いです」。冗談じゃない。おかげでおれはペニスときんたまを失ったのだ。いっそ大腿動脈を撃ち抜かれて即死していれば良かった。


 警察官になる前、短い期間だったが石油の掘削に携わったことがある。あるはずの石油を掘り当てられない。担当者が変わるとすぐに出る。そして言われる。「惜しかったですね。すぐそばまで掘ってたんですよ。あと3cmずれていれば、ドッカーン、ビンゴ!だったのにね」


 思い返せば子どものころからいつもそうだった。あと3cmああだったら、あと3cmこうだったら。クラスの好きな女の子と同じグループになりたかったのに、あと3cmのところで線を引かれ分かれてしまった。一度だけ連れていってもらった遊園地で、どうしても乗りたかったジェットコースターに身長があと3cm足りなかった。学生の頃ありえないくらいいい女とキス寸前まで行ったときもあと3cmで邪魔が入った。


 それでおれは自分のことを一寸法師と呼ぶようになった。あと3cm、あと一寸でおいしいところを逃し続ける、修行僧みたいな人生だからだ。そう思い定めれば意外に諦めもつく。うまくいかなければ「一寸法師らしくていいじゃないか」と思えばいいのだ。怪我も挫折も失恋もみんなそうやって乗り越えてきた。今回のことを除けば。


「思い出はたっぷり楽しんだかい?」

 目の前の一寸法師が言った。

「ああ、おかげさまで。一寸法師の人生をね」

「一寸法師の人生?」一寸法師は目をクルクルさせながら言った。「冗談だろ? 一寸法師抜きの人生だろ?」

 何を言っているんだこいつは。

「いつもいつもあと3cm足りない人生ってことさ」

「それはぼくの分じゃないか!」一寸法師は小さな目を真剣にキラキラ光らせながら言った。「ぼくがいない分、足りないんじゃないか」

 何を言い出したのかわからず返事に窮していると一寸法師はカンカンになって怒り出した。

「まさか君、ぼくのこと、忘れたんじゃないだろうね!」そういうと一寸法師は自分の身長ほどもある、つまり3cmほどの刀をすらりと抜いて叫んだ。「一緒にてのひらを切って約束したじゃないか!」


 言われて思わず左手を広げ、おれは自分のてのひらの3cmほどの傷痕を眺め、そして━━そして何もかも思い出す。「この子はいつもぼんやりして、昼間っから夢を見ているようだ」と心配された子どものころのことを。一寸法師は泣きながら叫んでいる。


「もう子どもじゃないから、ごっこ遊びはよしなさいって、ぼくのことを忘れろって親に言われたからって、君がそう言ったときに、約束しただろ。それでもぼくはそばにいるから、本当に必要な時にはまた出てくるからって」

「そうだったな」

「だから君がこんなになって、奥さんもお子さんも死んじゃって、君まで自分で死のうとなんかするからぼくは」

「助けてくれたんだ」

「だってぼくは君に死んでほしくないから」

「あと3cmって言われたんだ」

 おれもボロボロ泣き出していた。

「あと3cmずれていたらあなたもあの作業現場で落ちてきた鉄骨に当たって命はなかったでしょうって。ずれててくれりゃ良かったんだよ! いっそ死んでいればって。あいつらと一緒に死んでいればって。だから」

「だから君は猛スピードで崖から車を転落させた」

「あいつらのところに行きたかったんだ」

「そんなことしても奥さんもお子さんも喜ばないよ」

「そうかもしれん。だが」おれは一寸法師に言った。「もう生きていたくないんだ」


 一寸法師ははっとした顔つきをしておれを見つめた。おれも一寸法師を見つめた。そうだった。こいつだ。おれが小さいころ、四六時中話をしていた相手はこいつだった。どうして忘れていたんだろう? あんなにいつも一緒だったのに。


「じゃあ、ぼくが殺してあげる」

「なんだって?」

「ぼくが君を殺してあげる。この剣で君の心臓を刺してあげる」

「そうか」おれは笑った。「3cmずれて死ねないなんてなしだぜ」

「ぼくがここにいるから」一寸法師は言った。「あと3cmの人生はもう終わりだよ」

「そうか。じゃあ頼む」

「ぼくのこと、忘れないでね」

「それ、逆だろう」おれはまた笑って言った。「でもまあ、わかった。忘れない」


 おれは胸を張った。一寸法師は抜き放った刀を水平に構えると、鋭い裂帛の気合いを放ち、おれの左の胸に飛び込んできた。胸に痛みが走ったと思ったが、おれの胸に当たっているのは刀の柄(つか)の方で、刀身は一寸法師の身体を貫いていた。そして一寸法師はそのまま勢いをつけておれの胸の中に吸い込まれて行った。最後の声は「さよなら、そしてただいま」だった。


     *     *     *


 いまおれはリハビリに取り組んでいる。あの日見たのが幻想だったのか何なのかはわからない。ただおれはいま、いなくなったあいつらのことを忘れないでいようと思っている。そのためにはおれが死んでしまったらいけないと思っている。一寸法師よ、おれの中のどこかにいる一寸法師よ。あと3cmを埋めてくれてありがとう。けど、あと3cmの人生もそんなに悪いもんじゃなかったぞ。だからおれはこうしてその思い出を大事に生きている。おかえり、一寸法師。おかえり、おれ。


(「あと3cm」ordered by エルスケン-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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