第4話 褒め言葉

 えー。

 世の中、気むずかしいっていうんでしょうか、素直じゃない人間がおりますな。

 へそ曲がりなんて呼んだりもする。


「あのう、このたびはとんだ不始末で、お詫びの申し上げようもございません」

「何をっ? 『申し上げようもございません』だ? お詫びを言いに来たのかそうじゃないのか、どっちだッ。はっきりしやがれッ」

 なんて。そんなところでいちいちからまれても困っちまう。何かってえと揚げ足を取る。茶々を入れる。素直に聞いてくれません。


 こういうのはあれですな、芸術家ってんですか、そういう手合いに多い。斜(ハス)に構えるのが商売ってなところもありましてな。洋風に言うとロックンロールなんてことも申します。あれですよ。ライブなんか見た後、どんなに良くてもうっかり素直な感想を言っちゃいけませんよ。「いやあ、最高よかったです」なんて言うと「なんか文句あんのかおらあ」なんてすごまれます。「ファッキング・クレイジーなステージだったぜ」なんて言うと目を細めて喜びます。「そうか、良かったか」なんてね。だから良かったんだってば。まったく素直じゃない。「文句あんのか」なんてすごんでるのも照れ隠しなんじゃないかって話もありますな。


 こいつぁ別にロックンローラーに限った話じゃない。こういうのは、いろんなところに、へそ曲がりはいます。たまたま声をかけた女がこういう手合いだと大変面倒くさいことになります。ちょいと見かけて「いい女だな」と思っても、「いい女ですね」みたいなことを、間違っても言っちゃあいけない。へそを曲げちゃうから。じゃあ、どう言えばいいのかっていうと、それはその場でいろいろと創意工夫しなきゃならない。だから面倒くさいんですな。


 新聞記者の男がおりまして、文化欄かなんかを担当している。せっせと出かけてはお芝居を見たり、展覧会を鑑賞したり、コンサートやらライブやらに足を運んだりしては記事を書く。その日は出張に出かけた先で偶然見つけた写真展かなんか見まして、ホテルの部屋で原稿を書き上げて、近頃は便利ですな、メールなんぞを使ってぽーんとこの原稿を送ってからホテルのバーに顔を出す。


 するとあなた、いるじゃないですか、めっぽういい女が。顔も好み。スタイルも好み。ファッションセンスもいい感じ。ドライマティーニかなんかをひとりでやっているさまも絵になっている。ああいうときは何ですな。景色がカメラみたいになりますな。もういきなりズームイン。そこらのへちゃむくれた老若男女なんかはフレームアウト、視界に入らなくなりますな。


「最初が肝心ですよ。このタイプはひょっとするとロックンロールな手合いかもしれませんからね。褒め言葉ってのはむずかしいんだ。素直に褒めちゃいけない。褒めたいところをわざとぐるっとひっくり返して悪口にしなくちゃいけない」なんてことを考えながら声をかけます。


「最悪?」

「もう最悪」

「ひどい店だね」

「おはなしにならない」


 なんて調子で。どうしてそれがうまくいくのかさっぱりわかりませんが、これがいい感じになっちまいまして、気がついたら男の部屋でしっぽりと夜を明かすことになります。不思議な縁で、この女がまさしく、あの写真展を開いていた張本人だなんてこともわかってきまして「あのおぞましい写真のシャッターを切ったのはこの指か」なんて指をからめたり、「あのいやらしいアングルを決めたのはこの目か」なんてベロでなめたりして盛り上がるわけです。


 朝ンなって目を覚まして、やっぱり横に女が寝ていて、ああ夢じゃなかったんだ、こんないい女となあ、人間生きてりゃいいこともあるもんだ、なんてしみじみしていると、向こうも気配を感じてか、目を開く。これがまた絵になる。ミスユニバース寝起き部門なんてのがあったら間違いなくグランプリだ。ところが、その瞳を覗き込んで「きれいだ」なんて言ったが最後、相手はカンカンになって怒り出す。やあ、しまった、素直に言っちゃいけなかったんだと気づいても、もう後の祭り。


 頭を冷やそうってんで街に出て、新聞を買って店に入り、コーヒーなんぞ頼んで、タバコをすぱすぱやりながら読んでいると、自分が書いた記事がちゃんと出ている。夕べ書いた写真展の記事ですな。一夜を共にした女写真家の批評です。斬新な視点で切り取られた都市の肖像、彗星のごとく現れた俊英、今季最高の収穫、なんてなことが書いてある。こむずかしいことをごちゃごちゃ言っててよくわかりませんが、まあ要するにいいことずくめに絶賛しているわけですな。


 そうだ、こいつを読ませて機嫌を取ってやろうってんで、さっそくコーヒーを切り上げてホテルの部屋に戻る。女はまだベッドから出ていない。


「写真展の批評が出てるよ」

「サイアク」

「おれが書いたんだ」

「サイテー」


 なんてことを言いながらも女は新聞を手に取って批評を読み始める。あれだけ絶賛してるんだから機嫌を直してくれるだろうと考えてから、女がへそ曲がりなことを思い出す。手渡して女が読み始めた後になって、しまった褒め言葉を読ませちゃいけなかったんだと気づくがもう遅い。後の祭りだ。案の定、読み終わるなり第一声はこうきた。


「何これ! 斬新な視点?」

「い、いやね」

「彗星のごとく現れた俊英?」

「だからね」

「今季最高の収穫ですって?」

「つまりそれはね」

「全部ひどい悪口じゃない!」

「その通りだ。じゃあ何で顔は笑ってるんだい?」

「だあいすき!」


 まあ、勝手にやってなさいと言う……。そこで男がひとこと。

「ああ、ひどい悪口を書いておいてよかった」

 褒め言葉は難しいというお話でございます。


(「悪口」ordered by くー--san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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