第6話 国□新美□館にて

「何だろう?」

 娘がこわごわという調子で言った。

「わからん」わたしは自分も緊張していることを自覚して、できるだけ落ち着いた声を出すように気をつけた。「どうも自然にできたものじゃなさそうだな」


 くにを出てから一週間、何もかもが驚くことばかりだった。当初はもっと気軽な野外体験のつもりだった。文字を習い始めてから、かじりつくようにして読むことに夢中になっている娘を見て心配になり、たまには外に連れ出さなくてはと思って、この探検に連れ出したのだ。けれども、どうもこの「外」はわたしが想像していたものとはずいぶん様子が違っていた。


 山を下りたあたりから遺跡は姿を現し始め、そのどれもが想像を超えた巨大なものばかりだった。噂には聞いていたが、昔の人間がこんなにも巨大な建造物をつくっていたというのは、実際に目で見てもなかなか信じられる物ではなかった。建物というよりも地形と呼びたいような規模のものが続々と登場した。絶壁の崖を利用して営巣する鳥がいるが、昔の人間はあんな風に暮らしていたのだろうか。


 いまは何もかもが森に飲み込まれてしまっているが、きっとこれらの建造物がつくられたころには、森はなく、それぞれの建造物が独立して聳え立っていたに違いない。にわかには信じられない話だが、地面もわざわざ何かで固めて平らにしていたらしい。どうして元々平らな地面をわざわざ固めなければならないのか想像することもできないが、今わたしたちが目にする残骸を見ると、どうやらそれは事実らしい。


 最近になって完全に海の水が引いて、新たに陸地となった部分にも昔の人びとの遺跡はあった。塩水に浸かっていたせいで植物が生えない分、全貌がよくわかり、その偉容にわたしも娘も言葉を失った。森で見たときには全体の様子が分からなかったが、ここでは腐食こそ進んでいるが、それぞれの規模感や造形をはっきりと見ることができた。大きさも形もあまりに多種多様で、しかもその数が凄まじく多いことは想像を絶していて、どんなに言葉を尽くしても見たことがない者には信じてもらえないに違いない。


 そして今この建造物にたどりついた。最初わたしたちはそれが丘だと思っていたのだが、近づくと側面にぽっかりと洞窟のような穴があいていて、そこから中に入れることがわかった。丘だと思ったものの中はそっくり空洞になっていて、天井ははるか頭上だ。しかも全体が丸みを帯びていて、すべてが透明なガラスになっているらしく、外から見たときはツタや木々の葉に覆われた緑の丘に見えたが、その葉越しにもれる光が、巨大な空間をうっすらと明るく染めていた。


「何だろう?」再び娘が言う。傍らに文字らしきものを見つけ読み上げる。「国。それから新しい。あと美しい。それに館って書いてある」

「新しい国の誕生を祝ってつくった立派なやかたってことかな」

 わたしたちはぽっかり開いた穴から中に入り、何か柱のような物が道を塞いでいるのをまたいで越え、中に入っていった。目が慣れてくるとすぐかたわらに巨人が立っていたので、心臓が止まるかと思ったが、それは巨大な彫像だった。見るとその空間のあちこちにそのような像が立っているようだった。


 奥の方にさらに空間が広がっている。そこに踏み込んだ瞬間、突然ぶーんというかすかな音が空間全体に響き始め、不意にあたりが明るくなった。わたしも娘も同時に悲鳴を上げた。それは信じられないようなできごとだった。誰かがいて、わたしたちを照らしているのかと思ったが、そうではなかった。ここには人工の明かりがあって、誰かが入ってくるとそこを照らすようにつくられているのだ。


 柔らかな明かりに照らされた空間は、そこがつくられたときのままのようにきれいに見えた。雨や風や植物による浸食をまぬがれたらしい。壁面には絵が飾られていた。ごちゃごちゃ描き込まれたものが何か、最初はわからなかったが、どうやら人びとがたくさん集まって住む世界を表しているらしかった。ここまでの一週間、わたしたち親子が見てきた世界を思わせるところもあったが、どうやらそれは空想の産物らしかった。


 乗物が空を飛び、あるいは透明な管の中を走り、まわりには奇妙な形をした建造物がにょきにょきとはえている。それを自慢げに指し示している裸の少年の絵。髪の毛が2本の角のようにとがっている。となりに笑顔の少女がいて、奥に鼻が異常に大きなはげ頭の老人がいる。


 かたわらの白い四角い板に書かれた文字を娘が読み上げる。

「鉄腕アトムに描かれた21世紀の都市 想像図」

 娘は先生について教わっていて、すらすらと文字を読むことができる。見ればその部屋には同様な想像図がたくさん貼られている。絵の中に文字が書かれている物もあるが、中には娘に読めない文字もあるらしい。鉄腕アトム? 21世紀? いまとなってはそれらの単語が何を指し示しているのか知る術もない。


 次の部屋に入ると、巨大な壁面に巨大な絵が貼られていた。絵と言うにはあまりに精緻なものだったが。わたしたちが目撃してきた建造物よりもさらに壮麗な建造物が表現されている。目の覚めるような紺碧の海辺に建つ建造物。はるか上空から鳥の視点で見たような、ずらりと並ぶ建造物の群れ。信じられないほど細長い、そしてどうやら異常なまでに背が高いらしい建造物。いったいそれらが何を意味しているのか、わたしたちには想像することができない。


 しばらくして娘が言う。

「これは写真だね」

「写真? こんなに大きなのが?」

 わたしと娘は天井の高いがらんとした空間を二人並んで歩く。

「なるほど」わたしは納得してつぶやく。「ここはきっと、こういう立派な写真や、さっきの像みたいなものを大事にしまっておく場所なんだな」

「それか、こうやって並べておいて、人に見せるための場所かもしれない」

「確かにな。しまっているにしてはムダが多いものな。この部屋なんかガラガラだ」

「ガラガラなんじゃなくて、たくさんの人が眺めるための場所なんだよ」

「そうかもしれん」

「そういうの、展示っていうんだよ」

「おまえは何でもよく知っているな」

 次の空間は天井が低く、狭い通路のようになっていたが、それでも壁面には小さな写真がたくさん貼られていた。


 最後の部屋は、再び巨大な空間で、そこには空間に負けないくらい巨大な絵が飾られていた。ここは写真ではなく、巨大な絵だった。最初は何が描かれているのかさっぱりわからなかった。なぜならそこには建造物も乗物も立体的な道も、要するに人工的なものが何も描かれていなかったからだ。けれども目を凝らすうち、ところどころに人工物らしき物が顔をのぞかせていることに気づいた。それらは色あせ、錆び付き、崩れかけていた。そしてそれを飲み込むようにして、画面いっぱいに広がっているのは森の姿だった。


「似ているね」

「ああ。お父さんもそう思った」

「私たちの世界に」

「ああ、似ている。けど」わたしは言葉を探した。「この絵は、さびしすぎる。本当の世界はこんなにさびしくはない」

「うん」娘は何度も細かく首を縦に振った。「そうだよね」


 部屋を出ると、そこは最初に入ってきた広大な空間だった。わたしたちは無言で外の明かりが見える方をめざした。出口の前にはさっきまたいだ柱のような物が相変わらず通路をふさいでいる。そこに何かが書かれているのに気がついた。娘は屈んで読み取ろうとした。

「ふところ……『懐かしい』……なんだろう。よく見えないよ。『来る』っていう字が2つ並んでるみたい。あっ違う。『未来』、かな。あと展示の『展』って文字がある。『懐かしい未来展』」

「なつかしいみらい」そこに書かれた文字を、わたしも声に出して復唱してみた。「どういう意味だ?」

「わからない」


 洞窟を、いまは人工物だとわかったその建造物を出ると、そこにはまだ柔らかな午後の日差しが溢れていた。

「驚いたな」

「うん」

「このことをみんなに伝えないとな」

「書き留めてみれば?」

「言葉を覚えなくちゃならない」

「教えてあげるよ」

「おまえがか?」わたしは目を細めて娘を見た。「うん。それもいいかもしれんな」


 「帰ろうか」どちらからともなくそう言うと、わたしたちはうなずき合って、森へ帰ることにした。懐かしい未来を後にして。


(「懐かしい未来」ordered by けい-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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