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 エクセルシオールのクルーが地球帰還ミッションを開始して、すでに二十四時間経過していた。

 船は最初に側面のスラスターにより、進行方向を仰角で五度、水平方向で右七度に変更し、太陽をおよそ八十度スイングバイする経路で航行していた。

「ダニエル。状況はどうだ?」

オニールは電子たばこを咥えながら、操舵責に座るカーター少佐の座席に手をおいて、彼に尋ねた。

「特に、問題ありません。あと、二十四時間ほどで、ヴァルカン帯の上部をかすめてます。最接近するのはそのときが最後ですから、観測するのはラストチャンスです」

カーターは、そう言うとコーヒーのキャップを取りゆっくりと啜った。

取り敢ず一段落ついたことで、オニールは少し安心した。

「そうか、わかった。ジャック、落ち着いたら、操縦はダニエルに任せて、ナカムラ博士と観測に回ってくれ」

「了解です。船長」

 オニールは操舵室を出て、観測室に入ると、ナカムラ博士はモニターとにらめっこをしている。

「どうだい? ナカムラ博士」

ナカムラ博士ははっとして振り返ると、

「なんだ、船長でしたか。びっくりしましたわ」と胸をなでおろして、ほっと一息を着いた。

「すまんね。驚かせてしまって」

「いいんですよ。すこし集中してしまって」

「ところで、何か状況に変化は?」

「だんだん、はっきりしてきましたわ。やはり、あれはただの小惑星では無いようですわ。理由は、このレーザー光分析の結果です」とナカムラ博士はオニールに分析結果をみせる。と言っても、数字と記号の羅列、グラフのみで、こういう分析データに関してど素人のオニールには何を意味しているのかは全く不明であった。

「ごめん、ナカムラ博士。私はこういうのは門外漢でね。分析結果が何を意味しているか教えてくれないか?」

「ああ、そうでしたか。申し訳ございません。ここの数値は、成分の含有量を表していますの。あと、グラフは表面の状態。これを見ると成分は、チタンと鉄と未知の何かのようですわね。それとこの数値は、原子の結合状態を表していますの」と、表の一部を指差した。

「これを見ると構成している物質はアモルファスでなく結晶、金属結合で有ることを示してますの。これは構成物質が、自然のものでは無く人間、あるいは知的生命による手が入っていることを示唆していますわ。つまりは、精錬、加工などが施されていると言うことですの。それと表面は、一定周期の凹凸となめらかな面が交互現れていますの。これはどう考えても自然に得られる物ではないですわ」

博士は説明を終えるとほっと一息ついて、イスに寄り掛かった。

 オニールは正直話の内容にちんぷんかんぷんだったが、とにかくこれらが地球外生命のものだと言うことは明らかと言うことだけは理解できた。彼は博士に、

「なるほど。これはビッグニュースだな。至急観測データとレポートを地球に送ってくれ。きっと人類史上の大発見になり得る」

オニールは感激してナカムラ博士を抱きしめたした。

「た、た、大佐。まずいですわよ! こんなところで…」

ナカムラ博士は思わず、顔を赤らめオニールから体を離した。

「ああ、ゴメン。つい感激してしまってね」

オニールはハハハと笑いながら謝った。

 しかし、これでカウフマン博士の犠牲も報われるというものだ。彼は異星人の遺物を発見できたのに何も証拠を残せずに事故で命を絶たれてしまったのだから。

 あと二十四時間でヴァルカン帯に最接近する。そうしたら、鮮明な写真も得られ、異星人の遺物かどうかはっきりする。本来なら探索が出来たはずなのだが、全く間が悪いとしか言い様がない。それでも写真と水星で拾ったサンプルが得られたのだから、大きな収穫だ。

「博士、これは大きな発見だ。こんなところに異星人の宇宙船があるなんて誰が思う? 我々は英雄扱いされるよ。きっと後世に名を残すような大発見だ」

 オニールは再びナカムラ博士を優しくハグをする。今度ばかりは博士も抵抗をしなかった。

「大佐、私、特に名を残そうなんて考えていませんでしたわ。それになんか見てはいけない物を見てしまったようで少し怖いんですの。こんな物を発見したら、実は何か悪い方にでも変わるんじゃ無いかって」

博士は事の重大さに少し怯えているようだった。

「大丈夫さ、良い方にしか変わらないさ」

とオニールが言いかけた時、バタン! と入り口のドアが開いた。

「ナカムラ博士、今から観測の方をお手伝いしま…。 あ、失礼しました」

ハモンド少佐だ。しかし、ハグをしているオニールとナカムラ博士を一瞬見て、何が起こっているか一瞬にして理解したようで、すぐさま扉を閉めて出て行ったしまった。

彼は扉の外で、

「あ、ナカムラ博士。決して口外しませんので、ごゆっくり用事を済ませてください。終わったら直ぐお呼びください」と言い、足早に去っていった。

 博士はすっとオニールから身を離し、

「あ、あのこれは違うんですの。その…」と言いかけたが、オニールが手で遮った。

「博士、あまり必死に否定すると怪しまれますよ。ここはおとなしく何事も無かったように。それにジャックは人にべらべら言うような奴じゃ無い。それは保証します」

オニールにそう説得され、博士も少し落ち着いた。

「もお、大佐ったら。なにか有ったら、責任とってくださいよ!」

 おっと、これはどういう意味だろうか? オニールはナカムラ博士の言葉に少しびっくりした。日本人はこういうことを普段から言うのだろうか? それとも何かのサインか?

 オニールはナカムラ博士に言われた言葉が少し気になっていた。


 エクセルシオール観測室で、クルー全員がモニターを見つめていた。

「これが一時間ほど前に撮った写真。そして、これが先ほどの写真です」

ハモンド少佐が目の前のモニター二つで写真をフルサイズで表示している。

 それはどう見ても、宇宙船としか言い様がなかった。長旅をした後なのだろうか、艦のあちこちにダメージの痕跡が見られた。

 その船は大きなワニのように頭部、胴体、そし大きなしっぽのようなエンジン噴射口と両脇に足のように見える構造物で構成されていた。

「大きさはどのくらいだ?」

オニールはハモンド少佐に尋ねた。あまりにもその船が巨大に見えたのだ。

「全長は二千メートル、全幅は四百メートル、高さは百メートルと言ったところでしょうか?」と、少佐は測定結果を指さして言った。

 大きい。あまりにも大きい。ミューズ宇宙ステーションよりでかいじゃ無いか? それに、世界最大の空母であるUSSコンステレーションよりも遙かに大きい。しかもこれが宇宙を航行してたのか? いったい何時の時代に?

 オニールの興味は尽きず、続けて、

「他の船はどんな感じだ」と尋ねる。

「こいつよりは小さいですが、何枚か撮っています」

少佐はカタカタとキーボードを操作して、画面に表示した。

 新たに映し出されたのは、ガラス製のように見えるドームが付いた船、巨大なリング状の船体をもつ船、ずんぐりとした鯨のような船。コンテナ船と様々な船が大小数十隻だ。

「こいつらは、戦闘用の船じゃ無いみたいですが、さっきのこれ」と少佐は再び、先ほどの巨大艦を表示させると、

「こいつはどうも戦艦か空母のようですね。ここ見てください」と言った。

少佐は船の一部を拡大して、

「ここに、艦載砲らしきものが何基もあります」と、船のある部分をポインターカーソルをぐるぐると回して示した。その中心には、彼が言ったとおり艦載砲としか見えない物が写っていた。艦が巨大なのでそれほど大きく感じないが、サラトガ級のレールガンよりも大きいように思えた。そしてそのような物が船の其処此処に備えられていた。

「何のためにこんな所に船が有るのか判りませんが。かなり高度なテクノロジーを持ったエイリアンの物に違いありません。民間船らしき物が殆どの様ですから、なにか戦争か災害から逃れて、たどり着いたのかもしれません。なぜ地球じゃ無くて、ここにあるのか不明ですが」

 それはそうだな。これらの船は何時ごろから有るか知れないが、少なくとも既に地球は存在していた時代だろう。こんな不毛な水星や灼熱地獄の金星ではなく、少なくとも二億年前から緑豊かな地球を選ぶはずだ。それとも、本当は密かに地球に来て、宇宙船だけここに遺棄したのか? 今は近くを通過することしか出来ないが、いずれはここに探査船が送られるだろう。そのときには明らかになるはずだ。しかしそれも無事帰還出来なければの話だ。もし帰還出来なければそんなことを知るよしもないだろう。

「大佐、観測はどうしますか? 続行しますか? 自分はあとはコンピュータに撮影はまかせても良いんじゃ無いかと思いますが」ハモンド少佐もナカムラ博士も、ほぼ二十四時間寝ていない。そろそろ休ませたほうが良いだろう。

「よし、わかった。ジャック、ナカムラ博士。二十四時間の休養を許可しよう」

 二人はほっとした表情になると、飲みかけのコーヒーを飲み干し、散らかったスティックや、宇宙食のパックを片付け、部屋を出て行く準備を始めた。

 ナカムラ博士はオニールにウィンクをして、手を振って部屋を出て行く。

 彼女は俺と付き合っているつもりなんだろうか? 彼女はなかなか真面目なタイプだ。遊びであんなことをするような娘では有るまい。オニールは彼女との今後を少し考えていた。


 オニールを除く全てのクルーはつかの間の休憩を取っていた。彼はさすがに船長の責任があるため、操舵席に残り、ヴァルカン帯の通過に備えていた。

 後一時間で、何とか通過か。ここは小惑星帯端だ。実際には宇宙船群だったが、ここを通過するまでは安心できない気がしていた。はぐれ宇宙船かそのデブリに当たらないとは限らない。もし当たりそうなときは、何とか避けなければ、地球に帰るどころでは無くなる。

 しかし、彼はもうそろそろ、目覚めてから二十四時間経つ。なんとか薬で目を覚ましていたが、一週間もまともに寝ていないのだ。

 そして、ヴァルカン帯通過にさしかかろうとしていた時、彼はつい睡魔に負けてしまったいた。


 ビビー、ビビー、ビビー。操舵席に警報の激しい音が響いた。彼は驚いてはっとして起きた。そしてすぐさまモニターを確認した。

「これは?」

 モニターには巨大なデブリが映し出されていた。彼は正確な方向と距離を知るためにレーダを確認した。しかし、その結果は彼らにとって最大の危機と言える事だった。運が悪いことにそれはエクセルシオールの進行方向にあった。しかも距離はそう遠くなかった。計算によれば、遅くとも十数分で衝突してしまう。

 彼はコンピュータのデブリ回避シミュレーションを実行し計算の結果を見た。側面のスラスターで進行方向を十度ずらして回避して、その後、また再度十度元に戻すシミュレーション結果だったが、これで燃料が無駄に消費することになってしまう。しかし、もう考えている余裕は無かった。

 彼は決死の覚悟で回避プログラムの実行ボタンを押した。が、スラスターは無反応だ。

「くっそ! 何なんだ?」

 彼は一人悪態をついて、ダメージコントロールパネルを確認した。しかし、あれほどチェックを繰り返したはずなのに、今ごろになってスラスターが二基制御不能になっていた。

 不味いな。仕方ない残りのスラスターでなんとかしなければ。

 オニールは制御可能な残りの二つのスラスターで回避するよう、プログラムパラメータを変更し実行ボタンを押した。

 だが、其れを実行するのには結局遅すぎたようだった。

 ドウン、ずぎゅぎゅぎゅ。

もの凄まじい音と振動がエクセルシオールを襲った。

 船はもの凄い勢いで揺さぶられ、そして警報音がけたたましくなる。しかし、振動と騒音が物凄いため何の警告音か判別もつかない。

 オニールは状況を確認しようとディスプレイを確認するが、全て警告アラートで真っ赤だった。

「船長!」

ハモンド少佐、そして続けてカーター少佐も入って来た。

「何事ですか?」

カーター少佐が騒音に負けじと大きな声で叫んだ。

「デブリかなにかだ。側面のスラスターが故障して避けきれなかった」

オニールも騒音に負けないよう振り絞るように大声で、

「ジャック! 至急、被害状況を確認しろ」と言ったが、兎に角、惨憺たる有様で、何処から手を着けて良いか判らない状態だ。

オニールがカーター少佐とハモンド少佐に、

「まず居住区画とエンジンをチェックしてくれ。あと燃料漏れが無いかどうか。私は現在の軌道を確認する。以上だ」と命じると、カーター少佐はハモンド少佐に、

「よし、ジャック、手分けしてやろう。俺は機関室を見てくる。おまえは居住区で博士達の安否の確認だ。わかったな?」と言い、機関室へ向かった。


 ハモンド少佐は、居住区を確認するためにいったん廊下に出て、居住区の扉を開ける。

火災などは発生していないが物が散乱してとんでもない状態だ。

「ナカムラ博士! ヴァンダイク博士!」ハモンド少佐は大きな声上げて二人を捜した。

「たすけて!」

部屋からかすかな声が聞こえる。ナカムラ博士だ。

「ナカムラ博士大丈夫ですか?」

彼は部屋の扉をこじ開け、彼女を救出した。

「あまり大丈夫じゃないわ」

頭にはべっとり血が付いている。どうやら衝撃で飛ばされベッドのパイプとかで強打したらしい。

 彼は彼女の頭をタオルで拭きながら、

「酷いけがです。 手当しないと」と言った。

 だが、彼女は自分の怪我のことは気にせず、

「他の人は? 大佐は大丈夫かしら?」と、他のクルーのことを心配していた。

ハモンド少佐は、

「大佐とダニエルは大丈夫です。 それよりヴァンダイク博士を探さないと」と言って、博士を肩に抱えて同じ区画の医務室に向かうために廊下に出た。

「博士具合どうですか?」

ハモンド少佐が博士に尋ねると、

「とりあえず大丈夫よ。 すこし頭ががんがんするけど」と彼女は言った。血はもう止まっているようだった。

 人工重力を生む制御区画、居住区の回転はほとんど止まっており船内はほぼ無重力状態だった。

 ハモンド少佐は床を軽く蹴り今の位置からちょうど真上に当たる医務室にそのまま飛んでショートカットして移動した。頭がぶつかりそうになったが、なんとか手すりに捕まって停止できた。そして逆さまになったままで医務室のドアをそのまま開けた。

 案の定医務室の中も酷い有様だった。医療器具や機械はさすがに固定してあるが、キャビネットが全開になり薬や包帯などの中身がふわふわと室内に散乱している。

「やっぱり酷いですね。ここはやめておきましょう」

ハモンド少佐はそう言うと、扉を開けて廊下に出た。

 そして、博士を廊下の壁沿いに立たせた。もう重力は殆ど無いので、立つのも寝るのも同じだ。

「ここなら取り敢ず、何も無いから、物が飛んでくることも無いでしょう。 でもまた揺れたら飛んでしまうから、暫く手すりにしっかり捕まっていてください。私はヴァンダイク博士を捜してきます」と言った。

「判ったわ、気をつけて」

 ハモンド少佐はナカムラ博士に軽く手を振ると、ヴァンダイク博士を捜しに再び居住区に入る。

 彼の部屋はナカムラ博士の部屋の隣だ。カーター少佐とハモンド少佐もそうだが、彼もカウフマン博士と二人部屋だった。もっともカウフマン博士はすでに水星で亡くなっているが。

「博士! 大丈夫ですか? 博士!」

ハモンドは何回も名前を連呼するが返事がない。彼が壁の非常用電灯のスイッチを入れ部屋を明るくしたが人の気配はなかった。

 彼は部屋の中をひとしきり探したが彼の姿はなかった。どこか別の場所に入るのだろうか? ハモンドは廊下に出てナカムラ博士のところに戻ると彼女に、

「ヴァンダイク博士が見つかりません。心あたりは有りますか?」と尋ねた。彼女は、

「聞いてませんわ。今日はお話していませんし」と答えた。

 とりあえず、なにかヒントでも有ればいいのだが。しかし、それよりもナカムラ博士のけがの方が気になった。

「ナカムラ博士、ヴァンダイク博士は無事だと信じましょう。それより御怪我の方が心配です。応急手当でもしなくては。でも医務室の中は散乱していて、手当てするような状況ではありません。取り敢ず、さっと片づけてしまいますので待っていてください」

ハモンド少佐がそう言うとナカムラ博士はコクリと頷いた。

 途中何度か揺れ、そのたびに博士の身体も上下に動く。

 早く何とかしないと博士の体力が落ちてしまうぞ。ハモンド少佐はそう自分に言い聞かせながら、医務室に入ると非常用電灯を点けそこらじゅうに散乱している小物などを片づけ始めた。

 部屋の中は思ったより酷く散らかっていて、片づけるのに三十分近くもかかってしまった。ハモンド少佐は廊下にいるナカムラ博士を室内に入れると治療用のベッドに横たわらせ、衝撃で動かないようにバンドで軽く固定した。

 そして頭の怪我を手当するために、医療器具や薬品を探し始めた。だが、普段滅多に来ない医務室は勝手が分からず何処にあるか判らない。あたふたと探し回る彼を見かねた博士は、

「消毒薬とか包帯は机の横の大きなキャビネットの中にありますわよ。 あと、痛み止めは右下のキャビネットのところにありますわ」と彼に教えた。

 彼は彼女の助けも有り、直ぐに薬を見つける事ができたようだ。

「あった。ありました。 申し訳有りません」と彼は彼女に丁寧にお礼を言った。

彼女は、そんな彼に優しく微笑んだ。

「いいのよ。仕方ないわ。ところで頭のところを切っているみたいなの。机の中にペンライトがあるから、ちょっと照らして確認してくれる?」

 ハモンド少佐は言われたとおり、ペンライトでナカムラ博士の頭を照らしてみた。前頭部左側に深い傷がある。

「博士、左側前頭部にちょっと大きい傷がありますね。 ちょっと髪の毛があって見にくいですが」と彼が尋ねると、彼女は、

「そう、判ったわ。引き出しににはさみがあるから持ってきて髪の毛を切ってちょうだい」と躊躇なく言いきった。

そんな彼女の潔さにハモンドは驚いて、

「いいんですか? こんな美しく長い髪なのに?」と、彼女に尋ねるが、そんなことに臆せず彼女は、

「いいわよ。ここで中途半端に手当して禿たらいやだし。ばっさり切って。でも傷口のところだけでいいからね」と答えた。

 彼は言われたとおり机からはさみを取り出すと博士の髪の毛をばっさりと切り、頭の傷を手当し始めた。傷口は深かったが、幸いにも出血は止まっていて、抗生剤を塗った止血テープでふさいで包帯で巻くだけの簡易な手当で済んだ。

手当が済むと彼は、

「博士、しばらくここで休んでいてください。振動で飛ばされたら大変ですので身体は軽く固定してありますが、すぐゆるめられますから大丈夫です。私はオニール大佐とカーター少佐のところにいってきます」

と伝えて、彼女の元を離れ観測室に足を向けた。


 そのころ操舵室ではカーター少佐が非常時以外は使用しない操縦桿を握り、

「推進用のスラスタは第一を残して大破。姿勢制御もほとんど動きません」と怒鳴っていた。

思ったより酷いな。とオニールは思った。

彼は、モニター上のエクセルシオールの軌跡を見ながら、

「まずいな。軌道の方は内側にズレている。このままだと太陽につっこむぞ」

と、声を張り上げた。

カーター少佐は操作卓横のコンピュータを操作しながら、

「しかし推進スラスタ一つだけだと、姿勢が安定しないでぐるぐる回転するだけです。どうします?」とオニールに尋ねた。

オニール大佐が意を決して、

「しかたない。この船はもうあきらめて捨てるしかない」と返すとカーター少佐は、

「捨てるって、私たちはどうするんです!」と、反駁した。

オニール大佐はカーター少佐の問いに対し、

着陸船エルメスを使うしか有るまい」

と答えた。カーター少佐は、

「あれだけでは太陽の重力圏からの脱出は無理です!」と言った。しかし、オニール大佐は、

「私にアイデアがある。昔の映画で見たのだが、母船を爆破したときの衝撃波を使って脱出する方法だ。確かあの映画ではブラックホールから脱出したはずだ」と、答えた。

「いくらなんでも荒唐無稽すぎます!」

とカーター少佐は反対した。

 しかしオニール大佐はそんな彼の反対も意に介さなかった。

「いいか? 残りのスラスターでなんとか姿勢を逆方向に設定する。エルメスに全員移動したら頃合いを見計らって、エクセルシオールから切り離して離脱する。百メートル程度離れたらエンジンをオーバーロードさせて爆発させる。そうすれば衝撃波でエルメスが吹き飛ばされて軌道が変わる」

オニールが説明し終わるとカーター少佐は、

「しかし、爆発と一緒に船の部品もデブリとなって飛んできますよ。 それはどうするんですか?」と、計画の危険性についてオニールに問うた。

 オニールもその危険性は理解していた。

「そこは賭だ。当たらないことを祈るしかない」

カーター少佐は続けて、

「それと万が一エルメスで脱出は出来たとして、その後はどうするのですか? コールドスリープも有りません」と尋ねた。

オニールは眉を顰めて、

「私もそこは考えた。脱出したあとエルメスだけで帰れる訳ではないし、そのまま救援隊を待つには設備も食料も足りない。そこであのヴァルカン帯の宇宙船だ。あの船はかなり大きい。食料や自給設備くらい有るんではないかと思っている。私は、このまま此処で死にゆくより万が一の可能性に賭けたいんだ。どうせ死ぬなら、俺は異星人の船に乗ってみたい。ひょっとしたら人類最初の異星人とコンタクトした人間にもなれる。ただ漫然と死ぬよりはましだと思えないか?」と言った。

カーター少佐はやれやれといった調子で、

「まあ、大佐の言われることもごもっともです。わかりました。その話、私も乗ります」

と答えた。

 オニールは、眉間にしわを寄せ、

「問題はハモンドとヴァンダイク博士、ナカムラ博士だな。ジャックはともかく、他の二人が同意するかどうか……」と言いかけたとき、操縦室の扉が開いた。

「大佐、大変です。ヴァンダイク博士が見つかりません!」

 そこに経っていたのは息を切らせて佇んでいるハモンド少佐だった。

「どういうことだ?」

まずい。ヴァンダイク博士には科学的な面で頼れる唯一の存在だ。それに軌道計算などの重要な役割がある。ここで行方知れずは今後の計画に支障をきたすだろう。

 オニールからの問いにハモンドはこれまでのいきさつを話し始めた。

観測室だ。きっと何かの調査か軌道計算か何かを行っていたのかもしれない。

「ジャック、観測室は探したのか?」

しかし、ハモンド少佐の答えは、希望を打ち砕く物だった。

「観測室はダメです。減圧が起きてます。他にもラウンジや制御室など行ったのですが見当たりません」と言った。

 本気でまずい状況だとオニール大佐は思った。彼の居そうな場所の心当たりは他には無いからだ。

 そうだ、ナカムラ博士。大事な人のことに気がつかなかった。彼女は無事なのか?

「ジャック、ナカムラ博士はどうした?」とオニールは怒鳴った。ハモンド少佐は物怖じもせず、

「彼女は少し頭にけがを負ってますが命に別状は有りません。とりあえず今は医務室で安静にしてもらってます」と淡々と彼に伝えた。

 良かった。彼女は取りあえず無事なのだな。

「そうか、とりあえず、彼女が無事なのは良かった。ヴァンダイク博士だが、今の状況は非常に厳しいが、大事なクルーだ。見ていない区画を手分けしてを探そう。ダニエル、博士を探す間此処を頼む」

オニールは少しほっとした表情でそう言うと、ハモンド少佐を連れて部屋を出た。


途中、オニール大佐はハモンド少佐に彼のプランを話した。

「大佐、しかしエルメスにはコールドスリープ装置がありません」

やはりハモンド少佐もオニールのプランに懐疑的だった。しかしそれは想定内の反応だ。

「充分判っている。私に一つ考えがあるのだ。私は、例の異星人の宇宙船を利用しようと考えている」

ハモンド少佐はオニール大佐の想定外のプランにたいそう驚いて、

「まさか、あの宇宙船を動かそうと考えているのですか?」と声を張り上げた。

オニール大佐はハモンド少佐の想定通りの反応を見て、落ち着きを払って話し始めた。

「そのまさかだ。やるだけの価値はあるよ。それにあそこが無人という訳でもあるまい。エイリアンの生き残りがいるかも知れん。居なかったとしても、少なくても二年の間持ちこたえられれば御の字だ。母船もこんな状態だ。このままではそう遠くないうちに、太陽に引きずり込まれるだろう。このまま何もせず、太陽に焼かれるてしまう方が良いか?」

オニール大佐の説得力がある説明を聞いて、ハモンド少佐は、

「わかりました。私も合衆国の軍人です。覚悟を決めましょう」と、納得した。

「よし。これで万が一ナカムラ博士が反対しても三対一だ。ま、彼女は反対するとも思えないがね」

オニールはそう言うと、

「それでは、ミッションを開始しよう。ダニエルはミッションのニックネームを決めようと言っていた。

ハモンドは、

「ミッションネームか、そうですね……」としばらく考えた後、

「ヴァルカン帯の宇宙船に行くわけだから『ミスタースポック』が良いんじゃ無いでしょうか? ミスターをつけると少し冗長かもしれなかったら、単に『スポック』でも良いと思います」と述べた。

 しかしオニール大佐は、そのプロジェクト名はオタクっぽくて気に入らなかった。

「うーむ、いくらなんでもスポックというのはちょっとな。それではミッション『ダフネ』とかどうだろうか? ギリシャ神話で太陽神アポロンの求愛から逃れるため月桂樹に変身したダフネの話からだ」

ハモンド少佐はオニール大佐の案に感心し、

「いいですね。それで行きましょう」

と賛成した。

オニール大佐は、

「よし、それではミッション『ダフネ』に取りかかる前にヴァンダイク博士を探さなくては」と言って、制御区画から離れた。


 オニール大佐とハモンド少佐は減圧されていないすべての区画に加え、船外での探索も行ったが、ヴァンダイク博士は行方不明のままだった。

 一方、船は安定を取り戻したが、未だ太陽に向かって落ち続けていた。

 カーター少佐とハモンド少佐は脱出準備のため荷物の積み込みなどを進めていたが、オニールは安静にしているナカムラ博士と話していた。

「というわけで、君の同意を得ずに決めてしまった。本当にすまない」と、オニール大佐は脱出計画についてかってに決めてしまったことを詫びていた。

 しかし、意外にも彼女は、

「いいのよ、生きて帰らないといけないものね。それに私は元々大佐の意見に賛成よ」

カーター少佐たちと違って反対することは無かった。

オニールは、

「そう言ってくれると助かるよ。さっきの話だとだいぶ落ちついたようだね」と、包帯を巻いて痛々しい姿のナカムラ博士を見てそう話すと、

「いま、ダニエルたちが荷物を運んでいる。ここの医療器具と薬も持って行く。何が必要かアドバイスしてくれ、私が運ぶ」と、ナカムラ博士にと言った。

 博士は大けがにもかかわらず、

「大佐。もう大丈夫ですわ。私がやります。他にもやることあるんでしょう?」

と言って起きた。

 確かに彼にはやることがあった。この船を爆破するためにエンジンをオーバーロードさせるが、それは人力でやらねばならない。しかも非常に危険な作業だ。だが、これは皆が下船してからの話。今すぐにやることでは無かった。

 オニール大佐は彼女に、そのことを説明すると彼女は彼の申し出を受け入れた。

 ナカムラ博士はベッドから降りると、オニールに、

「キャビネットにある、新品の注射器とガーゼ、包帯をこの箱に入れてもらえるかしら。

なるべく詰めるだけ詰めてください。それと左のキャビネットに消毒薬とお薬があるわ。それも適当な箱に詰めてくださる。あとAEDはエルメスに有ったかしら? なければそれも持って行かなくては」

彼女の指示した荷物は意外に少なかったが、それでも箱4つ分はあった。オニールはそれらをてきぱきと箱に詰めると、

「これで良いかな?あとはこの荷物を運ぶだけだ」と彼女に尋ねた。博士は、

「大佐、私にも一つ持たせてくださいね」

といって医療器具の入った鞄を取った。

二人は散乱している医務室をでて、いくつかの区画を通り着陸船の格納庫へ入った。そこに居た、カーター少佐が、

「気をつけてください。衝突の影響で少し空気が漏れています。博士はもう乗ってもらってかまわないでしょう」と、オニールたちに注意を促した。

オニールはカーター少佐に礼を言い、

「さ、博士先に行ってください」と、博士を着陸船のハッチまで連れて行った。

オニールはハッチからカーター少佐のところへ戻ると彼に、

「ダニエル、荷物は後どれくらいだ?」と、尋ねた。

カーター少佐は、

「いまジャックが取りに行っているので最後です」と、答えるとオニールに。次はどうするかを尋ねた。

オニールは、

「よし、彼が戻ってきたらもう船に乗って、何時でも発進出来るようにしてくれ。私はエンジンルームに行ってオーバーロードの準備をする」と答え、エクセルシオールのハッチに足を向けた。

カーター少佐がオニールの背後から、

「了解です。エンジンルームは機関室の部分もエアが抜けかけています。気をつけてください」と声をかけると、オニールは大声で

「わかった。どのみち気密服は着ていくつもりだ。直ぐ飛べるように格納庫の扉は開けておけ!」と怒鳴った。

「ご武運を」と声をかける、ハモンド少佐に彼は、「すぐ戻る《アイルビーバック》」と一言だけ言ってエクセルシオールに入っていった。


 カーター少佐とハモンド少佐が着陸船エルメスの発進準備をしている。

「準備は良いか?」

「全てオーケー。 大佐の帰還を待つのみです」

「了解。エンジン起動完了まであと十分。 格納庫排気 開始」

カーター少佐が格納庫のベント弁の開閉スイッチを押すと、ゴーッッと音をたて庫内から空気が抜けていった。ベントは数秒で完了し、あっというまに気圧は0パスカルになった。

「ベント完了。 格納扉オープン」

カーター少佐は続けて格納扉の扉が徐々に開いて行く。扉が数分で全開になった。

「エルメス エンジン、ナビゲーションシステム、通信、すべて起動完了。 いつでも発進可能」

ハモンドが状況を報告するとカーターは、

「大佐、まだ戻らないのか?」と彼に言った。

「まだ戻った形跡有りません。通信も出来ません」

そうか。待つしかないな。とカーター少佐は思った。だが悠長に待っている時間は無かった。

「おい、右側見て見ろ!」

カーター少佐が右側を見ると小型車並の小惑星が近づいてくるのを見てそう叫んだ。

 まずい。あんなのが当たったらおしまいだ「ジャック! ドッキングクランプを外せ!」

「ちょっと待て!  まだ大佐が戻ってないんだぞ!」

躊躇しているハモンド少佐を尻目にカーター少佐は、

「仕方ないだろ!」と叫んで、

「ええい、くそったれ《ファック》!」という罵り声と共に、ドッキングクランプの解除スイッチを押した。

 直後に船からドッキングクランプ、燃料ホースなどがバツ、バツ、バツと音を船に伝わらせて次々と外れていった。そして船は鎖を外された犬のようにゆっくりと離れていく。

「大佐、申し訳ありません」

カーターは深くうなだれると、エンジンに火を入れた。

「ジャック、エンジンのモニターは出来ているか?」

 エクセルシオールのエンジンがオーバーロードし始めたら、十分で爆発する。破片の直撃を避ける為、それまでに充分距離をとっておかないといけない。

「大丈夫。まだ圧力八十パーセントくらいだ」

二百パーセントを越えると設計上の限界になる。

「了解だ。百七十パーセントを越えたら離脱するから、逐次報告してくれよ」

カーター少佐は目の前のモニタースクリーンをにらみながら言った。

しかし、圧力の上昇は想定より早かった。

「圧力急激に上昇。現在百%!」

しかし、オニール大佐の姿はまだ見えない。

「さらに圧力百三十パーセント!」

大佐、早くしてくれと二人は祈った。

「圧力百五十%!」

そろそろエンジンを噴射して離脱しなければ木っ端みじんになってしまう。

「大佐、ありがとう! あんたのことは忘れない!」

カーター少佐は苦渋の決断を行い、エンジンのスイッチレバーを奥に押し込んで、エルメスを離脱させた。しかしその直後、ハモンド少佐が声を上げた。

「ハッチ開きました!大佐です!」

格納庫のハッチが開き、見覚えのある気密服の人影が見えた。

 オニールはエルメスのロケット噴射を避けるように、船の背面にまわり、前方部の入り口をめざしてステップを伝って行った。

 だが、生憎エクセルシオールのエンジンは既に爆発限界まで近づいてきたようだ。

「だめです。圧力百七十%です。まもなく爆発します」とハモンドは悲痛な声を上げた。

「くそ、もうダメか。せっかくここまで来たのに」

カーター少佐は操縦席のコンソールをたたき絶望して、そのまま突っ伏した。


 すでに制御室の気圧は0.5気圧まで落ちている。オニールは気密服を先に着たのは正解だと思った。

 彼は制御室に入ると真っ先にエンジンをチェックした。運が良いことに壊れているが推進用に使えないだけで燃焼用のチャンバは無事だった。しかも衝突による異常ですぐさま緊急停止されていたが、制御室から手動で起動できることが判った。これを過負荷をかけて爆発させるには、自動停止装置を無効にして再起動させるだけだ。推進機構が機能しないから放っておいても行き場の無いエネルギーが勝手にエンジン内にたまり、連鎖反応で爆発する。

 オニールはコンピュータにゆっくりと解除コードを送り、自動停止を無効にした。

 時間はあまりない。このままエンジン出力をレッドゾーンまであげればものの十分でオーバーロードし、爆発するだろう。十分の間に無事に脱出できるだろうか?

 いざとなれば自分は犠牲になってもかまわない。皆を助けなければいけない。

 心残りがあるとすればナカムラ博士だ。たった一度の関係だったが忘れることは出来ない経験だった。彼女にはなんとしても生き残って自分の分までも生きて欲しいと思った。

 そういえば、博士は生きて帰還できたら、故郷の日本に連れて行きたいと言っていたな。近くに大きな神社があって、静かなところだと言っていた。

 オニールはそんなことを考えながら、エンジンを起動スイッチを入れた。エンジンは事故のため暫く動いていなかった所為か、なかなか起動する事は出来なかったが、それでも十回目にしてようやく起動した。あとはオーバーロードするまで出力をあげるだけだ。

 オニールは出力制御用のレバーをマックスまで押し上げた。メーターを確認すると、出力はみるみるレッドゾーンまで駆け上がっていく。これでOKだ。あとは直ぐ退却するだけだ。

 オニールは急いで扉を開けようとレバーを回したが、扉はびくともしない。船内の気圧で押されて扉ががっちり閉まっている。普通ならその辺は考慮された作りになっているはずだが、衝突した弾みで壊れたのだろう。

「くそ、どうすれば!」

オニールは一人罵り、周囲を見渡した。部屋の隅に黒い箱がある。

 あれは?

 オニールは箱に駆け寄り、その箱を開けた。

「おお、神よ」

それは工具箱だった。カーター少佐かハモンド少佐が修繕を試みたがあきらめて工具箱だけ置いていったのだろう。中にはバールやトーチなどの工具が揃っている。

さてどれから試すか?

まずはバールだな。

 オニールは工具箱を手にしてドアのそばに向かい、バールを取り出すと、ドアの隙間にねじ込もうとした。しかしびっちりと締まったドアにバールの先を滑り込ませる隙間はみじんも無かった。

バールを使うことをあきらめたオニールは、

次にグラインダーを取り出した。扉に少しでも穴が開けられれば内圧は少しは弱まるだろうと考えたのだ。

 彼はグラインダーのプラグをコンセントに差し込みスイッチを入れる。しかし、無反応だ。彼はグラインダーを何度もたたいたり、コンセントを抜き差ししたりして、反応を見たが、やはりうんともすんともいわない。

「くっそう!」

彼はグラインダーを扉にたたきつけた。たたきつけられたグラインダーは、勢いでオニールの脇に飛ばされるが、コンセントにつながったコードに引っ張られ、反作用でもとに戻った。

 そしてオニールは無酸素トーチを手にした。もうこれしかめぼしい工具は無い。トーチのバルブをひねり点火するとそれは青白い炎を放ち、薄暗い部屋を明るく点す。

彼はトーチの炎を扉の下の隅にかざした。

「よし、今度こそ何とかなりそうだ」

ヘルメットのバイザーに投影された時計をみると既に五分経過している。後五分しか持たない。機関制御室から格納庫ハッチまで、いそいでも五分かかる。今すぐにでも脱出しないと間に合わないだろう。

 だが、彼が懸命にトーチをドアに当てているにもかかわらず、トーチの炎がふっと消えてしまった。

 燃料が切れたか?

オニールは一か八かさっきのバールで赤くなっている、ドアを殴りつけた。

「バリバリバリ」

トーチを当て続けた部分から金属がめくれる音が聞こえてきた。次の瞬間、トーチを当てていた部分から勢いよく空気が流れ込んできた。扉に穴が開いたのだ。

 オニールはバールを投げ捨てると扉を蹴飛ばし、全開にすると通路を走った。時間はあと三分だ。

 散乱している浮遊物を避けながら、居住区画、ラウンジ、観測室を抜け、ようやくハッチにたどり着いた。しかし、既に時間は爆発予定時刻を過ぎていた。とにかくもう考えている余裕は無い。このまま行かなければ。

 ハッチを開けるとすでにエルメスは牽引フックを外して、エクセルシオールから離脱していた。距離は数百メートルは先だろう。エンジンの噴射口は既に青白く光っている。いずれにしろ、自力でエクセルシオールにたどり着くのは不可能だろう。

 何か策は無いのだろうか?

 オニールは、ふと目をまわすと格納庫の端に非常用スラスターパックが有ることに気がついた。船外活動時に使用するもので連続でせいぜい一分ほどしか噴射出来ないものだ。しかし、エルメスまで移動するには十分だ。

 既にエクセルシオール船体の振動が次第に激しくなっており、爆発寸前で有ることを物語っている。オニールはスラスターパックを壁からはぎ取り、即座に装着すると、それの操作用アームをぐるっと背面から胸の前にもってきた。そうするとスラスターパックの電源が入る仕組みだ。

「装着完了、十秒後スラスター点火。OKを押すとカウントダウン開始します」

 無味乾燥なメッセージが操作用アーム上のディスプレイに表示される。

 オニールはエルメスに向けて姿勢を整えるとOKボタンを押して待機した。途中とガクンと船が大きく揺れ、その弾みで姿勢が崩れるが船のクランプアームを掴んでなんとか姿勢を維持することが出来た。

 ディスプレイに「点火します」表示された瞬間、とても強い力に引っ張られるような激しい衝撃に襲われた。加速度はジェット戦闘機のそれとは比べるまでも無いが、体に対して垂直にかかるGはすべての血液が下半身に持って行かれる感覚はジェット戦闘機やオービターとは異なる。いくら訓練を受けているとは言え、まったく慣れない感覚だ。

 ものすごい勢いで飛び立った為、あっと言う間に彼はエルメスに到達した。気が付くと目の前にはエルメスの後部が見えていた。何とか間に合ったようだ。

 眼下で閃光が走る。いよいよ爆発が始まるようだ。オニールは既に開口しているエルメスのハッチに一気に飛び込んだ。彼は飛び込んだ勢いで全身を激しく打ち付け、反作用で外に飛び出しそうになるが、ハッチの扉が即座に閉まり、危うく外に投げ出されるのを避けられた。オニールを収容した船はすぐさま加速し、眼下のエクセルシオールは閃光を発して爆発した。その衝撃波による強いショックでオニールは気絶してしまった。

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