5

「ビー、ビー、ビー、ビー」

 船内にけたたましくアラーム音が鳴り響く。メイン監視コンソールの前でうたた寝をしていたオニールは余りにも突然のことに驚いた。

 他のメンバーがコールドスリープ中、オニールはヴァルカン帯ミッションに向けての最終作業のため、ほぼ徹夜で作業を進めていたため、コンソールの前で寝入ってしまったのだ。

 管理用モニタを見やるとナカムラ博士のカプセルに異常を知らせるメッセージがでている。

「な、なんだ?」

 オニールはあわててナカムラ博士のカプセルに近づいて中をのぞき込んだ。よく見るとカプセルの窓表面にうっすらと霜のような物が付いている。

「マズいぞ!」

 モニタには温度コントロール異常のメッセージが表示されている。どうも温度コントロールが故障したようだ。

 彼は慌てて、カプセルの緊急回復プログラムを起動させた。そして、温度コントロールをオートからマニュアルに切り替える。

 低温状態からいきなり温度を上げるのは大変危険だが、零度まで下がってしまっては凍死する危険がある。いずれにしろ危険であるなら、暖めて体温を上げた方がいい。低温状態になってどのくらい経つのだろうか? 極めて短時間なら助かる可能性は増大する。

バイタルをみる限り、まだそれほど時間が経っていない可能性があり、まだ望みが持てる。

 オニールは手動で中の温度を徐々にではあるが素早くあげていった。幸いにも紫色だった博士の唇は徐々に赤みを帯びてきた。バイタルも低体温症の兆候も見られるがとりあえず危険を脱したと言えるレベルまで回復したようだ。

 体温が上昇して、ナカムラ博士はゴールドスリープ状態から覚醒状態に移ったようだ。脳波がシータ波からアルファ波に変わってきている。

「あ、オニール大佐。おはようございます」 彼女はコミュニケーション用のマイクから何事もなかったように彼に話しかけた。

 オニールは安全を確認した後カプセルのカバーを開くと、

「ナカムラ博士大丈夫ですか?」と彼女に尋ねた。

「はい、大丈夫ですわ…」

 とりあえず脳に重篤な障害はないようだ。

「よし、大丈夫みたいですね。すこし起きることは出来ますか?」

 彼は彼女に手をさしだす。

「はい。でも私すこし寒いわ」

 体温は回復しているはずだが、まだ寒気は収まっていないようだった。

 彼はカプセルの脇のロッカーからガウンを取り出し、半身だけ起こしている彼女に掛けてあげた。

「優しいんですのね」と彼女は彼に言った。

「船長として当然の事ですよ。ところで、ナカムラ博士。貴女は気が付いていないかもしれないでしょうが、ゴールドスリープカプセルに異常が有りましてね。危うく命を落としてしまうところでした」と彼はグレーの目でナカムラ博士を心配そうに見つめながら話した。

「そうなんですの?」と、彼女はまるで他人事の様に言った。

 やはり彼女は、今迄自分が危険な目に遭ってたとは気がつかなかったようだった。

「ええ、どうも温度コントロールがおかしくなってましてね。カプセル内の温度が零度以下になりかけてしまったんです。危うく貴女は凍ってしまうところでした。幸いにも発見が早くてね、なんとかなりましたよ」

 彼女はその話を聞いてとてもびっくりしていた。そうして、

「ああ、よかったわ。助かりました、大佐、あなたは私の恩人ですわね」と、言うと、オニールの手を取りきつく握りしめた。

「ハハハ、気にしないでください。勤めを果たしただけですよ。それより気分はどうです? 寒気以外になにか調子がおかしいところはありますか?」

 オニールはにこやかに微笑みながら、彼女の具合を心配して尋ねた。

 彼女は少し寒かったらしく、震えながら、

「いまのところ大丈夫ですわ。それより暖かい所へ行きたいわ」と答えた。

 そういえば、なんか寒いなとオニールも感じて、

「あいにく私も今起きたばかりです。今ヒーターをつけますよ」と、制御コンソールに歩み寄った。

 ナカムラ博士はガウンを羽織って丸くなり、オニールがヒータを点灯けるの見守りながら

「ありがとうございます。大佐」と言った。


「よし、これで大丈夫だ」

 ヒーターの風向きを直接博士に当たるようにするとオニールは彼女のために温かいココアを持ってきてあげた。そして彼女のカプセルの端に座り隣に並んだ。

 いくら人工重力があるとはいえとても弱いものだ。カプセルの端に座っても彼の体重で壊れるような事はない。

「どうです、だいぶ暖まりましたか?」

 オニールは博士を気遣ってそう言った。

 博士はこくりとうなずくとオニールが持ってきた暖かいココアをすすった。

 日本人の女性ってなんてか細くて肌がキレいなんだろう? そして黒い髪が欧米人にないコントラストを際だたせている。

「博士、君はたしかまだ二十代でしたね。三十代が多いアストロノーツの中では珍しい。とても優秀なんだね」と、オニールは言った。

「あらそんなことありませんわ。優秀だなんて。他の人よりすこし努力したかもしれませんが、殆ど運が良かっただけですの。

 実際には私は補欠だったのですが、候補者の一人が病気になってしまって、たまたま私が選ばれただけなんですのよ」

「君、結婚はしているのかい?」

「いいえまだです。結婚してたらこのミッションには参加してないですわ。愛する人と二年も離れ離れになるなんて耐えられませんし、赤ちゃんがいたら一番かわいい時期に一緒にいられないんですもの」

 オニールは頭をぽりぽり掻きながら、

「はは、そうかそうだね。では恋人もいないのかい?」と尋ねた。

 博士はすこし言い辛そうに、

「そうですね。わたし、小学校の頃からずっと勉強ばかりで、ふつうの女の子とちがってなかなか恋愛とか縁がなかったのですけど、大学院生のとき好きな人が出来て、でもその人は妻子がいて結局は別れちゃったんですけど、それ以来恋はもういいかなって。でも、そんなときに尊敬している先輩がJAXAにいて、その人が誘ってくれたんです」と語った。

「すまないね。なんか悪いことを聞いてしまったよ。ほんとにすまない」

 オニールは少しばつが悪くなった。

 しかし、彼女は余り気にしていなかったようだ。

「いいですよ、もうずっと前のことですし。そういう大佐はどうなんですか? まさか独身というこはないんでしょうけど」

 今度はナカムラ博士がオニールに尋ねてきた。

 オニールはカプセルの縁に座るのがきつくなってきたので、床にどかっと胡坐をかいた。そして自身の身の上について語り始めた。

「自分は二十二の時に結婚してね。まあこう言ってはなんだが同級生の女の子を孕ませてしまってね。不本意ながら結婚したんだよ。

 僕はもともとは弁護士になりたかったんだけど、貧乏学生が子供作って結婚なんてね経済的に厳しいだろう? それで食い扶持を稼ぐために軍人なってね。

 最初は三年でやめてすぐ学校に戻るつもりだったんだ。それがあの戦争でね、やめるにやめられなくなってね」

 彼は、そのあとも、戦争の話、子供の話などを続けた。

「そうだったんですの。でも意外ですわ。堅物の大佐が孕ませただなんて」

ナカムラ博士は上品に笑いながら言った。

「そうかい? 私は堅物かな?」

オニールは自分がそう思われていることに少し驚いた。そして、彼女は、

「いつも寡黙で冗談なんてほとんど言わないじゃないですの? だからそう思ったんですわ。でも今日お喋りできて良かったわ。実は大佐って結構面白い方なんですわね!」と続けた。

 オニールは意外といった感じで、

「ハハハ、なんだ僕のことロボットかアンドロイドとでも思ってたのかい?」と言った。

 すると彼女は慌てて、

「そんなことありませんわ! ただすごくまじめなんですねって思っていただけなので。ところで奥さんは今回のミッションのことを何も言わなかったのですか?」と言った。

 しかし、オニールはぼそっと、

「いや、彼女とはもう十年以上前に別れていてね」とつぶやいた。

 まずいことを聞いてしまったと思った、彼女は

「大佐、ごめんなさい。変なことを聞いてしまって」と謝った。

しかし、オニールは笑いながら、

「いやいいんだよ。こっちも昔のことだからね。そうだ、博士、いつまでも此処にいるわけにもいかないだろう。着替えてきたらどうだい。こいつ《ゴールドスリープ》はメンテナンスする必要有るからね」

「そうですね。この格好だと風邪引きそうですもの、着替えてきますわ。その前にすこしシャワーも浴びたいし」と、言い残して、彼女はガウンを羽織って居住区画に行った。

 一瞬前が少しはだけ、日本人としては大きめの胸がすこし見える。彼はすこしばかりドキッとしてしまった。この大きな船の中には他にもクルーが居るとは言え、全員がゴールドスリープ中で、今はナカムラ博士と二人だけのようなものだ。

 彼は胸がドキドキと高まり、すこしだけ高校時代に戻った様な懐かしい気分になっていた。


 シャワーをあびてすこしサッパリしたオニールとナカムラ博士は二人で食事を摂りながらアルコールを嗜んでいた。

「どこまで進んだのかと思ってましたが意外と近くまできたのですわね」

彼女は少し酔いがまわっていた。

「そうだね。あと一ヶ月くらいか。正直ゴールドスリープに入っても、またすぐ起きなければいけないけどね」

「でも食料も限りがありますから、ずっと起きている訳にもいかないですわ」

「そうだね。でもいざという時のためにミドリムシのプラントがあるんだよ。まあ、これも実証実験の一貫だがね」

「わたし、あれを食べるのは出来たら避けたいですわ」

 ミドリムシプラントは船内の一角に実証実験的な役割で設けられていた。ロボットによるフルオートな実験環境だ。其れに加え非常時にはクルーの排泄物を利用して全員の食料をまかなうことも可能だ。排泄物の利用というのはあまり気分がいいものでもないが。

「ははは、僕もだ。さすがにね。ただ一度だけ食べたことは有るが、調理しだいでは食べられないこともないさ」

「私、酔ってきましたわ。そろそろ部屋に戻ってゆっくりしたいですわ」と、彼女は言って、ゆっくり立ち上がるがバランスを崩してへなへなと座り込んでしまった。

 日本人は酒に弱いと聞いていたがほんとだな。と彼は感じた。 

 彼は座り込んでいた彼女の手を取り起こしてあげたが、反動で彼もひっくり返り彼女を覆い被さるように、倒れてしまった。目を開けるともう少しで鼻が着いてしまうほどの距離に彼女の顔があった。

 彼女は恥ずかしさからか、赤らめた顔を彼から背けた。

「博士。すまない」

彼は慌てて彼女から退こうとしたがか細い腕に二本に遮られた。

「大佐、いいですわよ。私、大佐のことが好き。今判りましたの。ミューズで会ったときから持ち続けた胸が焦がれるような気持ち。最初はあり得ないって思ったの。でも間違いないわ。私はあなたが好き」

 オニールは彼女からの突然の告白で動揺してしまい、手が震えた。実は、彼自身もエキゾチックなこの東洋人の娘に知らずに惹かれていたのだ。無意識のうちに。

 オニールは、彼女の細い腕に誘導されるように彼女の唇に自分の唇を重ねる。唇をはなした彼は背徳感を感じたが、理性を抑えることが出来なかった。

 そして彼はもう一度彼女に深い口づけをすると、彼女のその細いからだをまさぐった。なんてきめ細やかな肌なんだろうか。まるで十代の少女のようだ。東洋人というのは皆、このようにきめ細やかな肌をもっているのか?

 オニールが彼女の敏感な部分にふれると彼女は「あっ」と声にならない音を上げる。

「大佐、ここじゃなくて大佐の部屋がいいわ」彼女はそう彼の耳元でささやく。

彼は黙ってうなづくと彼女を軽々と抱え、居住区の自分の部屋に入っていった。


 その日、オニールは彼女を何回にもわたって求め続けた。まるで一年以上も禁欲を続けた見返りを求めるかのように。

 何回目の行為の後だろうかナカムラ博士はオニールのベッドでぐったりしていた。

彼女は口を開くと、

「ああ、大佐ってすごく大きいのにとても優しいのね。私、大佐が人生で二番目の人なのに少しも痛くなかったわ。それにやっぱり欧米の方って大きいですのね。最初大佐が入ってきたとき、おなかが張り裂けるかと思いましたわ」

「あまり気持ち良くは無かったのかい?」

オニールは彼女の髪の毛を撫でながら言った。

「そんなことないですわ。すごく良かったですわ。日本語で喘いでたから、おわかりにならなかったかもしれませんが、良いって何回も言ってしまってたのですよ」

彼女はオニールの胸毛をいじりながら悪戯っぽくほほえむ。

「でも、もうしばらくはお預け。だってあそこがひりひりするんですもの」

「すまない。もう何年もセックスをしてなかったからね。こんなにしたのは十代の時以来だよ。もう良い歳なのにね」

オニールは電子たばこを吸引するとそういって彼女をグレーの瞳で見つめた。

「わたしすこし恥ずかしい。あんなに喘いで淫乱な女だって思わなかった?」

「大丈夫さ。そんなことなんて思わないよ。むしろ日本人ってずいぶん控えめなんだなと思ったよ」

「うふふ、ありがとう、大佐」

「それより…」

とオニールが言い掛けたとき、ズズズーンと音を立てて船体が揺れた。

 ブーン、ブーン、ブーン、ブーン。

船内に非常警戒警報のアラームが鳴り響いた。このアラームは重大な障害や危機が発生しないと鳴らない物だ。

「博士、何かまずいことになったようだ。いそいでジャンプスーツに着替えてくれ」

先程の温和で優しそうな表情から一気に厳しい表情に戻ったオニールはナカムラ博士に命じた。

「わかりましたわ」

 彼女は急な出来事に戸惑っていたが、さすがに宇宙飛行士の訓練をくぐり抜けて来ただけのことはある、すぐに状況を理解して、着替え始めた。

「着替えたら、オペレーションルームだ。わかったね?」

オニールはナカムラ博士の頬をなでると彼女は無言で大きくうなずき、ガウンを羽織ってオニールの居室を出て行った。

 あと、数分したら皆起き出してくるだろう。計器の誤作動ならばいいが。

 オペレーションルームに行くと既にカーター、ハモンドはカプセル着のまま出頭していた。

「何事ですか船長?」

カーターはオニールに言った。

「わからん。これから調査するところだ」

オニールはそう言うと、

「コンピュータ、アラーム内容を説明しろ」とコンピュータに命令した、

 オペレーションルームのコンピュータはオニールたちの目の前にエクセルシオールの全体像を立体スクリーンを表示し、アラーム原因の場所を表示する。

「第三サブ推進スラスターにデブリが衝突、エンジンが破損。燃料漏れが起きています」コンピュータが味気ない機械的な女性の声で報告した。

「すみません。お待たせしました」とナカムラ博士が入ってきた。

「何事ですか? すごい音ですが?」

続いてヴァンダイク博士が入室してきた。

「第三サブスラスターにデブリが衝突したらしい。被害状況は今調べている」

オニールは状況を簡単に説明すると。ダニエル、ジャックに着替えてくるように命じた。 オニールの表情は深刻そのものだった。

「まずいな、糞っ!」と彼は、ひとりごちた。

 カーターとハモンドがジャンプスーツに着替えて戻ってくると、オニールは、

「今、第三サブスラスターにつながる燃料ラインを全てカットした。ジャックは被害状況を調べてくれ。特に燃料がどのくらい減ったか確認してほしい。ダニエルは船外活動の準備を頼む」と命令した。

「了解」と、二人は即座に答えると、ハモンドはダメージコントロールコンソール、カーターは、エアロック区画に大急ぎで向かった。

「ナカムラ博士は船外モニタによる被害状況の確認、ヴァンダイク博士は地球帰還までの燃料計算をしてくれ。いいね?」と、オニールは二人に言うと、オニールは地球の本部に通信をいれた。

「こちらエクセルシオール船長、オニール。非常事態発生。発生時刻 二〇三六年九月十日 十六時四十七分頃デブリ衝突で第三サブスラスターに損傷発生。ただいま状況確認を行っているが、コンピュータの診断によると燃料漏れなど状況はきわめて深刻。詳しい状況がわかり次第追って連絡する」

 オニールが通信を終了すると、ジャックがスティックを持って真っ青な顔をして立っている。

「ジャック!」

オニールは青ざめて仁王立ちしているハモンドを一喝した。

「あ、は、はい」

何か様子がおかしいとオニールは感じた。

「どうした? 報告しろ」

ハモンドがかなり動揺していることは態度からすぐ判った。

「えっと、このデータを信用して良いのかどうか解りませんが」

 それでも、躊躇するハモンド少佐にオニールはまた一喝した。

「報告!」

 ようやく我に返ったと言う感じで、彼は口を開いた。

「あ、すみません。計器のデータをみる限りは、あの、燃料はゼロでして。えっと何かの間違いだと思いますが…」

「ゼロだと? いくら漏れていても、それはありえないぞ。もう一度調べ直すんだ!」

オニールははっきりしないハモンド苛ついて、怒鳴り散らした。

「あ、はいわかりました。やりなおします」

ハモンド少佐はスティックを抱え、持ち場へ走っていく。

 オニールは艦内通信の受話器を乱暴に取ると、

「ヴァンダイク博士! 燃料計算は中止してジャックを手伝ってくれ。計器の故障と言うのも考えられる」と博士に命じた。

 博士は二つ返事でオニールに答えると、ハモンド少佐が居る制御コンソールに移動し、少佐の代わりにコンソールをたたいて計測器の異常を調査し始めた。

 まずいな。計測器に異常がなく燃料がゼロというのは信じがたい話だが非常にまずい。

燃料貯蔵区画は何重もの防護壁があるからちょっとしたデブリが当たっても壊れないはずだ。それに万が一、損傷があっても、いくつもの区画に分かれているからいっぺんに燃料は流出はしない。

 第三サブスラスターはアームで船体から離れているがアーム内の燃料パイプは加速時以外はバルブが閉じている。ここが破損してもバルブが壊れていない限り燃料は流出しない。

 ビビビとアラームがなった。カーター少佐からだ。

「大佐、船外活動準備できました。いつでも出られます」

 船外活動用のスペーススーツに包まれた、カーター少佐がモニターに映っていいる。映像からはうかがい知れないが、息遣いから緊張しているのが判る。

「よし。とりあえず、いつでも出られるようそのまま待機してくれ。モニターでの確認で状況がわからないときは、破損したスラスターの被害状況を確認してもらうことになる」オニールはそう言うと、ハモンドとヴァンダイク博士のところに近づき現在の状況を聞いた。

「何かわかったか?」

オニールは不安だったが毅然とした調子で話すと、博士は斜め後ろを振り向いて、

「確かに計器の一部は壊れているようです。コマンドを送っても返ってきません。ただ壊れているのは全体の三分の一です。残りの機器はコマンドは戻りますし、センサーは死んではいないようです」と答えた。

「すると、燃料の三分の二は失われたと?」オニールの顔が青ざめていった。

「まだ確実ではありませんが、そう考えていたほうがいいかも知れません」博士も此れまでに無く深刻そうな顔で答えた。

「分かった。とりあえず調査は続行しよう。

ナカムラ博士。船外モニタの様子はどうなっている?」と、オニールは船外の様子を確認しているナカムラ博士の方を伺った。

「いま、やってます。船外カメラも破損がひどいようで、スラスター付近のカメラは使えないようです。動作可能な一番近いカメラもズームとパンが不能です。でも唯一使えるカメラはそれだけで、映像は限定的にしか得られません」

 博士もいろいろ工夫をしてなんとか映像を捉えようとしていたが、何もかも壊れているようで、期待した結果が得られなく焦っていた。

 オニールはそれでも、現状がどうなっているか一刻もはやく確認したく、彼女に早く映像を映すように言った。

 ナカムラ博士はコンソールのスイッチを押して、オペレーションルームのエアスクリーンに映像を写し出した。 

 映像は不鮮明だが、本来有るべき場所にあるはずの第三スラスターが丸ごと欠落しているのが確認できる。

 スラスターを支えるパイロンも根元部分にかつてそこにスラスターが有ったことを示す痕跡を残すのみだった。さらに、船体の一部もえぐられ黒くなっていた。おそらく燃料タンクも損傷を受けているのだろう。

「ひどい有様だ」カーターがつぶやく声が聞こえる。

「ダニエル。船外活動を頼む。被害状況を直接調査してきてくれ」

オニールが命令すると彼は、

「りょ、了解です」と答え、エアロックに入った。


「船長、ただいま第三スラスターの有った辺りに到着しました。映像を送ります」

彼が被害箇所の高解像度映像を送ってきた。パイロンは見事に引きちぎられ、船体に大きな穴が開いているのが確認出来る。

 船体のちょうど燃料タンクの有る辺りは大きくえぐられ、その損傷は船体を貫通する寸前だった。それは誰が見てもほとんどの燃料を喪失しているのが判るほどの有様だ。

 カーターは投光器で深くえぐられた船体の奥を照らした。

「船長見えますか? 思ったよりひどい損傷です。燃料タンクのほとんどの部分がやられてます。メインエンジンもたぶんダメでしょう。いまから、タンクの中に入ってみます」

モニタ越し見て直ぐ判るほど、酷い状況にオニールは頭を抱えた。これではヴァルカン探査どころでは無い。地球に帰ることすら絶望的だ。

 ピィーッと地球からの通信を知らせるアラームが鳴った。

「オニール大佐。状況は確認した。君たちが取り得る最善の方法を検討してみた。現在我々は日本、欧州連合、ロシア連邦と合同で火星探査用の船を建造中だが、これを君たちの救出用に転用することにした。

 幸いなことに最新の核レーザーパルス推進で水星に到着するまで一ヶ月はかからないだろう。だが、建造に一年と時間を要する。それまでの間は周回軌道をなんとか維持して、コールドスリープで一年間は耐えて欲しい。君たちのやることはまず、残燃料と損傷を受けていないスラスターをすべて調べて、こちらにデータを送って欲しい。

 それを元に軌道維持の計算とプログラムを作成して送る。誠に残念だが、我々にできるのはここまでだ。それまでなんとか耐えてくれるように祈る。以上だ」

映像の再生が終了し、再生終了のロゴがむなしく表示されているディスプレイを見ながら皆の表情は絶望に変わって行った。そして、それから暫く言葉を発する者は誰もいなかった。


 クルーはオペレーションルームでカーターが撮影してきた写真とビデオを眺めながら彼の説明を聞いていた。

「燃料タンクは隔壁七から十八まで全壊、四から六、十九から二十一まではクラックなどにより損傷しています。クラック部分については応急処置として液体アルミパテを塗りましたが、どこまで持つかはわかりません。以上の状況をまとめると燃料はおよそ当初の三分の一残っていると考えられ、ヴァンダイク博士の計測と一致します。

 それから、メインエンジンの損傷も激しく、推進は第一、第二スラスターと姿勢制御のスラスターを併用しながら使うしか無いようです。報告は以上です」

「ありがとう、カーター。このデータを至急地球のNASA本部に送ってくれ。向こうで軌道維持用プログラムとプランを作成をしてもらうことになる。以上、今日のところは解散だ。自室で待機してくれ」

 オニールの話が終わると、少し緊張がほぐれたのか、皆オペレーションルームから出て行った。ヴァンダイク博士を除いて。

 ヴァンダイク博士はオニールに歩み寄ると、

「船長、少しお話大丈夫ですか?」と話しかけてきた。

「なんだ? どんな話だ?」

博士の怪訝そうな顔を見てオニールは、嫌な予感がした。

「合間をみておおざっぱに計算したのですが、残りの燃料とメインエンジンが損傷した状態で、一年間軌道を維持するのは少し難しいのでは無いかと思います」

 オニールの嫌な予感は的中してしまった。やはり燃料の損失は思った以上に大きかったのだ。オニールは小さな声で、

「詳しく説明してくれないか?」と彼に聞いた。

「まず、メインエンジンが無い状態では推進力が足りません。現在、ヴァルカン帯に最高速の80%の速度で向かっています。そして当初の計画では、小惑星とランデブーポイントに近づいたら、逆噴射で徐々に速度を落として接近します。

 そして、きわめて短時間で調査を完了して、軌道を離脱するのですが、実際ここで半分以上の燃料を費やしてメインエンジンで加速します。そうしないと太陽の重力井戸から抜け出せませんから。

 しかし、現状では姿勢制御スラスタしか使えませんから、これを長時間噴射し続けても長時間の軌道維持は無理です。イオンエンジンは推力が弱すぎて太陽の重力影響下では役に立ちません」

 博士はホワイトボードに図を書きながら説明を続けた。

「ですから、水星軌道でなら、まだ望みがありますが今の時点で軌道を確保できても徐々に太陽に引きずられて、二年後には船体が溶けるほどに太陽に近づいてしまうことになります」

 博士の書いたホワイトボード上の徐々に落下するエクセルシオールの図を見てオニールは、

「しかし、この方法以外に助かる手立ては無いぞ」と言い放った。

「そうですね。其処は検討しなければいけません」

 博士も現状での危険性は伝えたが特に代案が有るというわけでは無かった。

「博士の忠告はNASAにも伝えておく。何か代案があれば考えて欲しいが、もし向こう《NASA》が妥当なプランを提示してきたら、それに従うのが我々にとって最善だ。いいね」

 彼も本部のプランが危険をはらんでいるのは否定出来なかったが、特に良い考えも浮かばず、こう答えるしか無かった。

「了解です。ただ、これは我々の命が関わることですから、それだけは承知しておいてください」

 博士がいつもより一層険しい表情で訴えると、オニールも無言で頷いた。

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