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 「オニール大佐、今回のミッションは人類初の有人惑星探査になりますが、どのようなところに魅力を感じますか?」

 黒人女性の新聞記者が尋ねた。新聞……これほどテクノロジーが発達しているのに、未だに紙のメディアが珍重されている。おかしなものだ。

 「そうですね、月探査以来の初のミッションですからね。とても魅力を感じますね。何しろ人類初ですから。あの偉大なアームストロング船長や、ユーリ・ガガーリン飛行士と並ぶのですから、ぜひ成功させたいですね」

「大変失礼ですが、今回のミッションがもし失敗した場合のために、奥様にはなにかお話はしましたか?」

オニールは一瞬むむっとした顔をしたが、気を取り直して、

「そうですね、今回のミッションについては特に心配はしておりませんので、妻にはいつもどおり、行ってくるよとしか申しておりません」と答えた。

 「今回のミッションに関して発見した成果は包み隠さずご報告されますか?」

アジア系の男性記者だ。中国、あるいはベトナム系か。

「そうですね、私の理解できる範囲ではそうします。ただ、エイリアンを発見した場合は大統領と相談してからにしようかと思ってます。いきなり、私の口からエイリアンに遭遇したとか言うと、頭がおかしくなったなんて思われても嫌ですからね」

 会見会場はどっと笑いに包まれる。

「そろそろ時間になりますので、この辺で質問は打ち切らせていただきたいかと思います。司会のアレックス・ロドリゲスでした。ここで宇宙飛行士たちに盛大な拍手で見送って下さい」

 会場は拍手で一杯になった。ただ一人、先ほど質問したアジア人の記者を除いて。


「見ましたよ。あの中国人の顔! きょとんとしてましたね。あいつ、絶対スパイですよ」とダニエル・D・カーター少佐はティッシュで鼻をかみながら言った。ダニエルは少し鼻炎気味だった。ここの空気が良くないらしい。

オニールのもう一人の部下、ジャック・W・ハモンド少佐はコーラを一口飲む。

「そろそろ着替えの時間だぜ」オニールが促すと二人は会話をピシャリと止め、居室を出て行った。

 パンプキンスーツ(ハイ・プレッシャー・スーツ)に着替えたオニール達は移動用のバスに乗りLC―39C発射台に向かった。

「正直このミッションには少し不安がある」

オニールは切り出した。

「帰還はまだいいが、着陸が難しい。皆知っているかと思うが、地球の軌道に比べてとても太陽に近い。軌道速度は地球の五割増しだ。水星のホーマン遷移軌道に入るために変更する速度差は大きくなる。さらに太陽の重力井戸を下るために速度が増す。しかし、着陸を行う為には、急激に速度を落とす必要があるし、薄い水星の大気ではパラシュートではなくエンジンで減速することになるから、燃料を多く必要とする。しかし、燃料の積載量には限界がある。今回のミッションにはリトライ一回分までしか積んでいない。失敗は許されないのだ」

「そんなことは判っていますよ。何大丈夫ですよ。成功します」ダニエルは膝をぽんと叩き言った。

「うむ。失敗するミッションなんて辞退しますから」ジャックはオニールに言う。

バスが発着場に着き、オニール達がオービターの脇に降り立つとNASA職員がニコニコと出迎えてくれた。

「やあ、調子はどうです?」

「絶好調だよ」

「それはよかった。それではこちらへどうぞ」NASA職員は終始笑顔を絶やさずオニール達に話しかける。

「今回のミッションは長くなると思いますが、宇宙ステーションまではいつもと変わりません。整備もばっちりです。安心してください」

 職員がエレベータのボタンを押すと扉はすぐに開いた。

「一応規則ですので」職員はポケットからティッシュペーパーをとりだすとオニールに渡した。

「ああ、そうだな」オニールは噛んでいたガムをティッシュに吐き出し、丸めると職員に渡す。

 職員はそれを何事もなかったようにポケットにしまう。

 四人はエレベータに乗り込むと、ドアはぴしゃりと閉まり、続いてすさまじい勢いで上昇していく。

 三十階建てのビルと同じ高さまで上昇するとエレーベータはすうっと停止した。

ドアが開くと数人の担当職員が待っていた。オニール達宇宙飛行士の搭乗をサポートする職員だ。

「私はここで失礼します。よい旅を」一緒に地上からきた職員はまたにこやかにエレベーターの中に戻っていく。

「オニール大佐、こちらへ」搭乗サポート職員の一人がオニールの肩を叩きそう言った。

 ジャクソン、彼のことは顔なじみだ。過去のミッションで毎回顔でを合わせている。

オニール達はジャクソンのエスコートでオービターのハッチまで向かう。

「すでにご存じかと思いますが、このオービターはいつもの宇宙ステーションに行くときと全く同じです。整備もしっかりしてありますから安心してください。ドライドッグに着いたら、中一日おいてエクセルシオールに搭乗です。地上訓練で何回もやられていると思いますが、今回は実機です。なにもトラブルのないことを祈ります。なにしろ往復二年の長期旅行です。自分もしばらくオニール大佐に会えないのはつらいですが」

「そうだな、しばらく会えないのは寂しくなる」もっともこっちはほんの二ヶ月にしか感じないが。

 エクセルシオールに乗り込んだら一週間でコールドスリープに入る。二年もの間地球にいるときのように過ごすのは難しい。もちろん六人だけでいるのが辛いというのもあるが、現実的に二年もの食料を船内に備蓄するのは不可能なのだ。コールドスリープから目覚めるのは水星着陸前後と地球圏内に入ったとき、それとあまり考えたくないが非常事態の時だけだ。

 開けっ放しになったハッチから入ると、まだ数人の作業員がデータパッドを持ちながら、あれこれ言っている。

「なんだトラブルか?」ジャクソンが作業員の一人の黒人青年に言った。この男もみたことある。たしかUCBを主席で卒業した、昨年入った新人だ。

「大した問題じゃないんですが、制御盤に一部不調がありまして、サブなんでメインが使えれば問題ないのですが。あ、オニール大佐、初めまして。よろしくお願いします。コックピットの制御盤を担当している、マイケルです」

「ああ、よろしく。確か始めてではないぞ。Museミッションの時帰還パーティの時に逢ったよ」

「ああ、そうでしたっけ? 自分あのときは相当酔ってたので。その、失礼ですがあのときの記憶は全く残ってないんですよ。申し訳ありません」

「いいんだよ、そういうこともあるさ」

「オニール大佐、マーキュリーミッションが無事終わったら今度飲みに行きましょう。たぶんそのころは自分がオニール大佐に奢れるくらい出世してますから」

「ハハハ、そうだな期待しているよ。でもタコベルは勘弁だぜ」

 オニールがコクピットの椅子に着座するとアシスタントの職員がベルトを閉めた。

「それでは、オニール大佐。また会えるのを楽しみにしています。次は二年後ですね」

ジャックはオニールに握手を求めた。

オニールはジャクソンの手を両手で握り、

「私も楽しみにしているよ。そういえばコールドスリープ中は老化は殆ど起こらないそうだ。帰ってくる頃に私より老けてしまった君を見るのは少し辛いがね」とジョークで返した。


 オービターの発射は意外なほどすんなりといった。今は発射直後の衝撃から解放され、冗談が飛び交うほど余裕だ。

「だれだ?地球は平面で亀が支えているって言った奴は?」オニールが言うと、

「ハハハ、ジャックの彼女です」とダニエルが言った。

「おい、止めろ!」ジャックは少し怒っていた。

「おっと、諍いは勘弁だぜ。これから二年も一緒なんだ。仲良くしないとな。もうそろそろステーションとドッキングだ。コンピューターがオペレーションするから俺達は見てるだけだがな」

 オニールがそう言い終わらないうちにモニターのステーションは見る見るうちに近づいてくる。ガクンと機体に衝撃が走る。減速が始まった。ほぼ真空の宇宙では音が伝わらないので意外に静かだが、エンジンとスラスターからくる振動だけは機体を通じて伝わってくる。

 逆噴射スラスターの振動がゴゴゴと機体を揺らしたかと思うと、宇宙ステーションミューズのドッキングベイがモニタに大写しになる。

 もう十回も同じことをやっているはずなのにこの瞬間は本当に緊張する。オービターは姿勢制御のスラスターを噴射させながら、徐々にドッキングベイに近づいていく。ほんの十分ほどのことだが永遠のように時間が感じる。失敗すればオービターどころか、ステーションにも甚大な被害を与えかねないからだ。

 ドッキングベイがモニター前面に広がり、一瞬真っ暗になったかと思うと、ガツンと船内が衝撃で震える。一瞬、静寂が船内を支配するが、直ぐにビーッと言うブザーの音で掻き消された。 

 目の前のインジケーターがグリーンになり、薄暗かった機内がすうっと明るくなった。ドッキングとハードシールが完了した合図だ。

 「こちら、オービター六号コロンビア号船長、合衆国空軍ウィリアムオニール大佐。宇宙ステーションミューズ、乗船許可願います」

 「こちらミューズ、乗船を許可する。歓迎するよオニール大佐」

 オニール達は座席のベルトを外しコクピットを出ると、ハッチに向かった。

 ハッチの向こうでは髭面の大男がニコニコしながら立っている。ニジンスキー大佐、このステーションの船長だ。彼とは前にミッションでも一緒だった。

「やあ、オニール。そしてライアンとハモンド少佐。改めて乗船を歓迎するよ」ニジンスキーはロシア語訛が酷い英語でオニールたちに言った。

「君たち長旅で疲れたろう。少し休んでくれ」ニジンスキーはそう言うとオニールたちをステーションのゲスト用の部屋に案内した。

「最終のブリーフィングを一時間後に始めるから、そのつもりでいてくれ」ニジンスキーはオニールたちに言うと部屋から出ていった。


 ブリーフィングルームの部屋を開けると、すでにエンジニア、科学者、パイロットを含め十数人のメンバーが集まっている。

まずニジンスキーが今回の計画の概要を述べるようだ。

「まずは今回のミッションで使用する水星探査船エクセルシオールだが、先ほどハンス君により最終チェックがパスした」

 ここで部屋のみんなが拍手をした。中には感極まって奇声を発するものもいる。携わったメンバーには辛くて長い期間だったろう。

「みんな、二年間の長丁場、がんばってくれてありがとう。本当に助かった。心から感謝する。

 ここで、みんなもう何十回と聞かされてうんざりだろうが、ミッションについて改めて説明する。

 このミッションの目的は太陽に一番近い惑星、水星の探査だ。マーキュリーワン計画での無人探査で水星には豊富な資源があることが解っている。特にチリウム鉱石が豊富にあると思われる鉱脈もあり、非常に重要だ。今回の探査ではこの資源調査が主な目的だ。

 しかしこのミッションは往復二年と前人未到のプロジェクトだ。非常に困難な旅になる。

 特にオニール大佐、カーター、ダニエル少佐、ナカムラ博士、カウフマン博士、ヴァン・ダイク博士にはコールドスリープで殆ど無意識の間とはいえ二年もの歳月を船の中で過ごしててもらうことになるという非常に辛いミッションになる。ご家族も辛い決断だったろう。ここで、オニール大佐に調査班を代表して話してもらう。では、オニール大佐どうぞ」

 ニジンスキーはオニールを手招きする。椅子から立ち上がったオニールはまっすぐニジンスキーの前に進み、彼からマイクを受け取ると、

「合衆国空軍のウィリアム・T・オニール大佐です。といってもみんな顔見知りだから今更挨拶は不要だね。今回のミッションは今までにない非常に長期なものになります。私が戻る頃には地上の様子も変わっているだろうね。

さて今回のミッションでは水星の鉱物資源に注目が集まっていますが、もう一つ私が注目するのは、水星内側の軌道にあると言われているヴァルカン群と呼ばれている小惑星群です。今回のミッションではこのヴァルカン群の観測ミッションが予定されています。この小惑星群が発見は天文学にとって大きな前進になるとのことですので、今回のミッションはまたとない機会です。

 あと、二年もの長期間私たちは寝て過ごすわけですが、その間ステーション、地上の皆さんは我々の代わりに働いてもらって、次回のミッションはもっと短期間で往復出来る手段を考えていただければとおもいます」

 ニジンスキーはオニールからマイクを受け取ると、

「それではマーキュリーミッションのメンバーは、前に出ていただいて、自己紹介をお願いします」と言った。

 「ダニエル・D・カーターです。合衆国空軍少佐です。今回のミッションでは大佐の補佐として、着陸ミッションに加わります。テキサス州ダラス出身です。このミッションの前にはB2のパイロットとして、嘉手納に勤務してました」

 いつもは横柄で不遜な赤毛の大男もこの場では礼儀正しい青年を演じていた。

 「ジャック・W・ハモンド大尉です。合衆国空軍所属です。自分も着陸ミッションに加わります。フロリダ州出身です。カーター少佐と同じ、嘉手納に勤務してました。自分は爆撃機、戦闘機の経験はありません。主にオスプレイのパイロットをやってました」

 ダニエルと違い、どちらかと言うと線の細い優男タイプのジャックは、いつもと変わらず。身長は百七十八センチとどちらかというと小柄で、女性を除けば一番華奢に見える。 

 「アドルフ・カウフマンです。私の専門は惑星学だ。今回のミッションでは、チリウムの探査を担当する。今後の水星探査の継続は私の肩にかかってるので、良い成果を上げるつもりだ」

 この男はずいぶんひどいドイツ訛りだ。 髪の毛は真っ白だ。年齢は五十代半ばくらいか?

 「アルミン・ヴァン・ダイクです。私は宇宙物理学のドクターです。メカニックのエンジニアもやってますので、探査船のトラブルは私に言ってください」

 アドルフよりはマシだがやはりドイツ訛りが気になる。オニールは電子タバコを吸引しながら思った。

 「マリカ・ナカムラです。男性たちの中で一人だけ女ですが、足を引っ張らないように頑張りますわ。私だけ宇宙と全く関係ない微生物学のドクターで、医者でもあります。長期ミッションにおける医者としての役割も担ってますので、頑張りたいと思いますわ」

 日本人か? 未だ子供じゃないか? いや、日本人は成人でも子供のように見えるのだ。白人と違って肌が綺麗だからか。 あまり日本人の女と仕事したことがないが、黒い髪の毛に大きな目。 東洋人と言うのは目が小さくて、ツリ目だと思っていたが。この女は違うな。大きな目でつるんとしたゆでたまごのような肌。それでいて、医者。オニールは、この不思議な東洋人の女性に惹かれていた。

 「では、この後の予定だが、一時間後の午後七時に食堂室で夕食会だ。今日は久しぶりにワインも出る。オニール大佐の船で地球から運んできたものだ。その他のごちそうも、先ほど着いたものばかりだ。感謝するよ。では、夕食係以外は暫く休憩をしていてくれ」


 食事会といっても、出てくるのは、宇宙食だけだ。重力というものが無い此処では、ステーキを焼いたり、スープを煮たりも出来ない。火事や酸素の節約もあるから当然、火も使えない。もっとも対流も起きない此処では火は直ぐ消えるし、煮込みも出来ない。料理と言ってもチューブの中に水を入れたり、電子レンジで温めたりするだけだ。

 あと十年もしたら、回転型の宇宙ステーションも建造する計画だ。そうすれば、何分の一かの重力が得られる。そうすれば、地上と同じと言うわけに行かないが近い環境がえられる。もっともその頃には俺は宇宙飛行士なんて引退しているだろうが。

 「オニール大佐。ナカムラです。よろしくお願い致します」日本人女性がオニールに声をかけてきた。

「ああ、よろしく。ところで君は日本人かな?」

「ええ、そうです。それが何か?」

「いや、実は自分は日本人女性と仕事をするのは初めてでね。少し緊張してるんだよ。ナカムラというのは日本人の名前か中国人の名前かよく判らなくてね」

「そうでしたか。アメリカの方、ヨーロッパの方は東洋人は見分けがつかないって言いますものね」

「いや、申し訳ない。実のところはそうなんだよ。まだ、地上なら、服装とか化粧で見分けはつくんだけどね」

「そうですよね。私達日本人もドイツ人とイギリス人の区別つきませんもの。それに中国人、韓国人の方もお喋りするまではわかりませんわ。お喋りしてから、ああ、日本人じゃないのねって初めて判ることも多いですから。ところでこのワイン美味しいですわよ」ナカムラは、チューブに入ったカリフォルニア産の赤ワインを飲むとそう言った。

「ところでミスナカムラ、此処のステーションはどのくらい滞在しましたか?」

「そうですね、来週で一ヶ月ですわ。私達はソユーズで来ましたから」

 なるほど、このメンバーを見るのは初めてのはずだ。

 「おーい、ミスナカムラ。ちょっと良いかな?」ニジンスキーがナカムラを呼んでいる。

 「すみません、お呼びがかかりましたので、失礼しますわ」ナカムラはそう言うと、オニールの前から、席を外した。

 うむ、なかなか魅惑的な女性だ。オニールは胸が焦がれる気分になった。おっと、バーボンを飲み過ぎたらしいな。先に失敬して休むとするか。

 オニールは一人、食堂室を離れ、居室に向かった。

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