第2話 省かれた私

 勉強するということは要る部分だけを手元に残し要らない部分を切り捨てていくというものである。名前をつけることで面倒なところを切り落とすその様は私にとって莫迦で愚かで滑稽な景色である。


 私が生まれたのは6月の猛暑日だったらしい。命の危機にさらされるようなこともあった幼少期を抜けてきたようである。生まれる前のことは知らない。生まれた後のこともしばらくは記憶が無く聞いた話のみが私の脳内に気持ち程度ある。


 私に付けられた○○という名前は私のことを意味する。ひとたびその名を呼ばれれば私は振り向く。よくできた起動装置である。その名に救われたことはあるかと言えば、正直言って無い。それほど経験が豊富な年齢でもないことは承知しているが。しかし名をつけられたことについて喜ばしいと思うことはある。名前をつけた本人たちと生きた時間は私の脳裏にしっかり焼き付いた記憶としてあるからだ。

 ただその背景を知らぬ私のクラスメイト程度の付き合いであった学友は、私の名を呼んで私が振り向くことに何ら疑問を感じない。ショートカットの存在にさえ気づかない。こんなことに言及している私の頭がおかしいのだ。もし似たようなことを考えたことがある人間がこの文章を読んだなら謝っておくが皆無と見える。


 思春期だから。私があまり口を開かなくなったあの時期は。以前に比べ笑顔が少なくなったのは。自分について考えるようになったのは。学校での人間関係により悩むようになったのは。私が思春期に入ったから。

 何を言っているのだと思う。思春期だから。直訳:あなたの詳しい事情は知りたくはない。あなたの複雑な気持ちは理解しようと思わない。そういうこと?


 私は少しずつ大きな音が苦手になってきた。小さな音も、機械の音とか、みんなが気にならない音が気になるようになってきた。物を壊したくて仕方がないような瞬間によく襲われるようになった。自分の住むマンションのそこそこ高い位置にあるその窓の外が暗いのに酷く魅力的な高い高い段差の最上部に見えた。その一歩を踏み出しそのたった一段を降りれば私はもう居なくなるのだという想像をして相反するはずの歓喜と恐怖のどちらもに打ち震えた。仲の良い友達はそんな私と同じようなことを毎晩考えている。同じことを考えているから同じ辛さを知っているから共に味わってきたから止められない。止めてしまえばナイフで友達を斬りつけるようなものだ。私たちはお互いナイフや銃を構えて幾月も牽制し合う。時に斬りつけ、撃ち合い、輪の外から攻撃は甘んじて受け血だらけになりながら。

 そこで死ねばよかったのだ。生きているから生きているでしょ大丈夫と言われるのだ。私たちは生き長らえ、今を漂っている。エゴである、友達が生きていてよかったというのは。


 そう、私がなかなか話をしなくなったのは、思春期だったからである。人の楽しい話を楽しい顔をして聞けなくなったのは、思春期だったからである。誰かの自分を殺したいような発言を甘受できなくなったのは、思春期だったからである。そこに確かに存在するものを無いことにして計算するのは、そういうものだと仮定した方が公式に当て嵌め易いからである。その話の登場人物の女の子の涙の訳は、ひとつ前の段落に~からという理由が記述されているからこうであると理解できるのである。身の回りが散らかりがちである人はだらしない。ズボンの制服は男、スカートの制服は女。物や作品の価値は金額や観衆につけられた☆・♡の数。○○大生はすこぶる頭が良く優秀。○○高校の風紀はあり得ないほどに乱れているからそこの生徒には近寄らない方がいい。あそこの家の子は離婚も虐待も無いからとても素晴らしい環境にある。あなたは若いからわからない。あの人いつも笑っているから大丈夫。


 そうかもしれない。そうしなければ治安は悪くなる一方かもしれない。だから正しいのかもしれない。決まり切った共通認識があることは大事だ。甘えているのかもしれない、比較的安全な場所に生まれ落ちたから。

 だけど、私は隣にいる人に一言でその人の生き方を表して伝えたりしたくない。見えない部分が一番その人を形作る大きい部分だと、気づきたい。気づかれたい。

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小説のような日記 愛零 @herotic

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