第33話 目を覚まして、君がいるということ

 目を覚ますと白い天井。ここ数日で何度か体験した光景である。光人が重い体を起こすと――そこには、ここ数日どころか今までの人生でも体験したことのない光景があった。


「おはようございます。光人。」


 金髪碧眼の美少女が隣で自分の目覚めを待っているなどという状況に、光人は当然出くわしたことはない。思わず何度か目を瞬かせ、やっと口が開いた。


「おはよう、テトラ。あ、迎えに行けなかったね……ごめん。」

「はい。ですので、ワタシが迎えに来てみました。」

「えっと……ありがとう?」

「どういたしまして。」


 途切れる会話。体を起こしながら、どうしたものかとまだ動きの鈍い頭で光人は考える。そういえばテトラはどうやってここに来たのか。


「ここまで来るの、大変じゃなかった?」

「ミシュリーたちに補助してもらいました。まだ歩行は不慣れです。」

「そっか。がんばったんだね。」

「はい。……光人、ワタシは……。」


 テトラは口籠る。そわそわと纏った白いワンピースの膝のあたりを指で触っていた。光人はテトラの言葉を待った。あれこれと言って急かすのは良くない気がして。


「寂しかった、です。」

「え?」

「光人が迎えに来てくれないのは、寂しい、です。」

「そっか。そうかぁ……。」


 光人は急に申し訳なさと気恥ずかしさに襲われた。恐らく、自分はあの魔獣との戦いの後でジズベルトのいる部屋に戻る途中で気を失ったのだろう。少なくとも一晩以上は経っているはずだが、その間テトラに寂しい思いをさせていたのだろうと思うといたたまれない。しかし――同時に、テトラがずっと心配してくれていたことが、なんだか少しだけ嬉しかったのだ。


「テトラ、心配させてごめんね。俺、まだ弱いからきっとまた心配させちゃうかもしれないし、寂しくさせちゃうかもしれない。」

「……。」

「でも、もっと強くなるよ。そうしたらあんまり倒れたりしなくなると思うから。それまでは、ごめん。」

「……はい。」


 テトラは頷く。しかしどこかまだ、表情が硬い。言葉が続けられないのがもどかしくて、なにか彼女にかけられる言葉はないかと光人は模索する。――と、そこで扉は開かれた。その先にいたのは仁王立ちのレベッカと、その後ろで困ったように笑うミシュリーである。

 ぽかん、としているテトラと光人にレベッカら大股でずんずんと歩み寄る。そして、光人の顔を見て大袈裟に肩を落とした。


「光人。」

「はい。」

「アンタねぇ、テトラは寂しいって言ってんのよ。なんか言うことあるでしょ。」

「え……ごめん?」

「ちっがう!バカじゃないの!?」


 ぺちん、と小気味よい音と共に額に衝撃。レベッカに所謂デコピンをされたのだ。ふんっ、と苛立たしげに腕を組むと、怒りの籠もった眼差しで見下される。


「この子は、『今』寂しいの。この先また寂しい思いさせるかも、なんて話されたって嬉しくないわよ。アンタなんてまだ全然弱っちくて帰還処理しただけで気絶するのいつ治るかわかんないしっ。」


 語勢も荒く言いつのるレベッカに、なおも呆気に取られて見上げるだけの光人。見かねてか、レベッカの後ろからミシュリーが顔を出した。


「今日、光人君はサジェさんのところに武器の発注に行ってもらうんだけど、それ以外はお休みだよ。夜中じゃなければいつ行ってもいいみたい。」

「あ……もしかして……。」

「分かった?」

「うん。……今日は、テトラと一緒にいる。そうすれば、とりあえず今日は寂しくないよね。」


 テトラはハッと顔を上げた。そして、淡く――一見分からないほどに淡く、微笑んだ。


「――はい。寂しい、は解消されました。」

「よ、よかった。」


 照れくさくて思わずその表情から光人は視線をそらした。テトラが首を傾げる傍らで、レベッカがそうだわ、とやはり尖った目尻をもう一度吊り上げた。


「アンタ、テトラに寂しさを教えたってどういうこと?まさか出会ってからもう何回もこうやって寂しがらせてるんじゃないでしょうね。」

「違うよ!?教えたっていうのは、えーっと、テトラが寂しいって何か聞くから教えただけで……!」

「なんて教わったの?」


 慌てて弁明する光人を尻目に、ミシュリーはテトラに尋ねる。テトラは明快に答えた。


「誰かにそばにいてほしくなることだと教わりました。」

「なるほど……。そっか……。」

「ミシュリー、何その目は……。俺なんか変な教え方してる?」

「ううん。大丈夫。それなら尚更光人君はテトラちゃんと一緒にいてあげるべきだなって思っただけだよ。」


 にっこりと擬音が付きそうなミシュリーの笑顔に、そこはかとなく威圧感を覚える光人であった。



●●●



 かくして、光人は今日一日テトラと共に行動することとなった。テトラは本人の希望で今はスマートフォンの中にいる。というのも、いつもの癖でポケットに突っ込むせいで先日の修行に持って行ったと話したからである。致命的な損傷がないか確認するとのことだった。もちろん彼女にとっては、生身の体で歩くよりも楽という理由もあるのだろうが――真剣にスマートフォンを心配している様子だったので、移動手段に関しては二の次だったのだろう。


「おい、篠宮。」

「あ、ロデリックさん。」


 まずは腹ごしらえを、と食堂で霖から朝食を受け取った光人が出会ったのは金髪の美形――ロデリック・イリーガンであった。ロデリックは前に見たときよりも軽装で、しかし背筋をまっすぐに伸ばした姿勢で椅子に腰掛けていた。時間帯の問題なのか、食堂に人気はまばら。そのせいもあってか、ロデリックが腰掛けている周囲だけ、「食堂」と呼ぶのを一瞬戸惑ってしまうような空気が漂っている。これが気品か――と、光人は一人、納得した。


「生き残ったか。おめでとう。」

「えっ、ありがとうございます。」

「なんだその意外そうな顔は。……まぁいい。とりあえずその改まったしゃべり方はよせ。」

「そうだった。」


 紅茶を飲む姿はさながら英国紳士である。無論実際に英国紳士に会ったこともないので想像でしかないのだが。そんな気品にあふれたロデリックの正面に座るのはなかなか気が引けるものだが、呼び止められた以上、ここで離れた別の席に座るのも失礼な気がして光人は尋ねた。


「ここ、座ってもいいかな。」

「かまわん。」


 思いの外あっさりと許可が下りたことに胸をなで下ろし、光人は椅子を引く。


「食べ方汚かったらごめん。」

「何の宣言だ。……そこまで人の食事の作法にとやかく言うつもりはない。慣れない手つきでこぼす方が不快だ。あとは無駄に音を立てなければいい。」

「いるよね、やたら食べるときにクチャクチャ鳴らす人。」

「あんなものは論外だ。」


 やはり多少の緊張はあるものの、光人は紅茶を味わうロデリックの正面で温かいカルボナーラを前に手を合わせた。いただきます、と小さく言う。


「お前の他にもやっている人を見たことがあるが、それは何かの儀式なのか。」

「元はそんな感じだったと思う。俺のはもう、癖だね。そうしなさいってずっと言われてたから。」

「そうか。」


 静かな、朝と昼の境目。相変わらず窓がないせいで時間の感覚は分かりづらいが、それでもどことなくのんびりとした時間である。光人はスパゲティをフォークで絡め取り、口へと運ぶ。蕩けるような濃厚な旨味と、香ばしい黒コショウの香りが舌を満たしていく。


「……おいしい。この食堂のってなんでもおいしいね。」

「ああ。食事は人生の大きな楽しみの一つ、と言って譲らない職員が多らしくてな。」

「こだわってるんだ。」


 食事や水に不安がないのは、当然ながら精神的な負担を軽減させる。突然訳も分からないまま所謂異世界に放り込まれた身として、衣食住を保証された環境に改めて光人は感謝した。これがどれか一つでも欠けていたら、当然だが今のように落ち着いて誰かと話すこともできなかっただろう。


「修行はどうだった。」

「死ぬかと思った。」

「だろうな。」

「でも、死ぬって思ったら、逆に絶対に死ねないって思ったんだ。」


 ロデリックが動きを止める。一瞬虚を突かれたような顔をして、すぐにその口元をわずかに持ち上げた。そのまま、控えめにクツクツと笑う。


「な、なに?いや、変なこと言ってる自覚はあるんだけど。」

「いや、悪い。……そうか、それならいい。合格だ篠宮光人。火燕焔神カエンホタル殿に任せて正解だった。――戦うということがどういうことか、少しは分かっただろう。」

「うん。すごく――怖いことだ。」

「それでいい。」


 ロデリックはティーカップをソーサーに置いた。陶器のぶつかる音が小さく響く。


「火燕焔神殿に礼は言ったか?」

「それが……実は帰ってくるときに気絶しちゃって。起きてから会えてないんだ。サジェさんのところに武器の発注に行くように言われたんだけど、その前に師匠のところに行くべきかな。」

「ああ。そういうことなら尚更行っておけ。時間さえあれば事細かに、という表現が合うかは知らんが、指導はしてくれるだろう。」

「そっか。なら先に行ってくるよ。サジェさんはいつでもいいって言ってたらしいし。」


 光人は急いで、しかししっかりと味わってカルボナーラを完食する。その間、ロデリックは何か言うでもなく、しかしそこにいた。そして光人が再び手を合わせるのを見届ける。


「ごちそうさまでした。」

「俺も部屋に戻るとしよう。」

「ご飯、付き合ってくれてありがとう。」

「なんとなくそこに座っていたかっただけだ。気にするな。」


 ロデリックはまたかすかに笑って、光人に背を向けた。

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