第32話 寂しさ
ミシュリーのその日の仕事は、テトラの配属先と彼女のスキルを上手く生かす方法を探すことであった。最終的にはサジェに預けることが決まり、現在はテトラを元の病室に帰して、自分は夕食を取ろうと考えているところである。そんなミシュリーを引き留める声があった。
「ミシュリー!」
「レベッカちゃん。どうしたの?」
「今時間ある?」
「うん。お仕事一段落したからね。今のうちにお夕飯にしようと思ってたんだけど、一緒に行く?」
「行く。」
異様に疲れた様子のレベッカは、光人を四番書庫へと送り届けた後であった。そんな事情は知らずとも、友人を気遣ったミシュリーはひとまず食堂でレベッカを椅子に座らせ、自分は二人分のサンドイッチと温かい紅茶、カスタードプリンを霖から受け取る。それをテーブルに置くと、レベッカはひとまず紅茶を一口飲んで深くため息をついた。それは失望ではなく、安堵のため息である。
「ごめん。ありがと。」
「いいのいいの。どうしたの?すっごい疲れてるみたいだけど。」
「めちゃくちゃ疲れたわ。今日はもうなんの仕事もしたくない……。あたしやっぱり実戦って嫌。」
「実戦?参番書庫が出るような仕事、今無いよね?」
「仕事って言うか……新人の訓練に巻き込まれたのよ。もー、ほんっとに、ありえない……。」
ミシュリーに促されてレベッカはサンドイッチを口に運ぶ。みずみずしい野菜の食感と、程よい塩気のあるソースが体に染み渡っていく。
「新人……もしかして光人君?」
「そう、その光人よ!エフェクト使うなって言ったのに使うし!」
「光人君エフェクト使えるようになったんだ。」
「無自覚だったみたい。……だから、怒るのもおかしいんだけど。」
「あ、もしかしてさっきウチに誰か運ばれてきたって聞いたけど……それも光人君?」
「そうよ。帰還処理したら気絶しちゃったのよね……。相当疲れてたみたい。」
「そっかぁ。」
自分も紅茶を飲み、光人についてミシュリーは考える。黒髪のどこか気の抜けた表情の少年。最初は不安で涙し、昨日の夜には強くならなければと前を向いていた彼は、一体どんな成長を遂げるのか。少なくとも、戦闘適性があるとはいえ、戦うのは好きそうではない。
「訓練かぁ。ジェン君と?」
「ううん、焔神(ホタル)さん。」
「焔神さん!?」
一体どういう経緯で火燕焔神――ディークス私立図書館の中でも特に武闘派と名高いその人を師に選んだのか、あるいは選ばれたのか。その詳細を知らないミシュリーはひたすらに目を白黒させた。しかし、レベッカもまた、詳細を知る者ではない。
「レベッカちゃんもよくついていったね……?」
「焔神さんと、ジズベルト書庫長に言われたら断れないわよ。いろんな意味で怖いわ。」
「その組み合わせは……確かに怖いね……。いろいろ……。」
「だからしょうがなく回復係としてついていったけど……はぁ……。」
「お疲れ。」
そしてふと、ミシュリーは気づく。
「もしかして光人君、今日は部屋に戻らないで病室かな。」
「そうなるんじゃないかしら。目覚ましても一応検査とかあるだろうし。」
「だよね。それじゃあテトラちゃんに言ってきた方がいいかな……。心配してたし。」
「テトラ……?」
「光人君がジェン君と一緒に連れてきた新人さん。珍しいスキルを持ってるの。そうだ、きっとレベッカちゃんとも仲良くなれると思うし、この後会ってみない?」
「……まぁ、会うくらいなら。」
「よし!決まりね。あ、私サンドイッチおかわりしてくるけど、レベッカちゃんどうする?」
「私はこれで十分よ。」
レベッカはおかわりを取りに行ったミシュリーの背中を眺めながら、カスタードプリンを口に運ぶ。卵の風味を活かしたまろやかな甘みと香ばしいカラメルが、優しく心を癒やしていく。回復術では治せない傷と疲労はこういうものを食べて治すに限る――ミシュリーも、きっとそれを分かっているから何も言わずに持ってきてくれたのだろうと思い、レベッカは自然と頬を緩めるのだった。
●●●
食事を終えたミシュリーとレベッカは、テトラの病室を訪れていた。レベッカが光人が四番書庫に運ばれるに至った経緯を話すと、テトラはそうですか、と小さく呟いて俯いた。
「では光人は今日、ワタシを迎えに来れないのですね。」
「そうなるわね。」
ここに来るまでにレベッカはミシュリーから、テトラのスキルについての説明を受けていた。その関係もあって、毎晩光人の迎えを待っているということも。
「ちょっと不自由だろうけど、今日はここで寝てね。」
「わかりました。……少し、寂しい気がしますが。」
「元は機械だって聞いてたからどんな感じかと思ったら……結構感情あるのね。」
レベッカは不思議そうにテトラの一見無感動な顔を見た。しかし、テトラは首を傾げる。
「人間という肉体に影響されている自覚はありますが、そこまで分かりやすいでしょうか。」
「いや、わかりにくいけど。」
「そうですか。……ワタシは、まだ自分自身の感情がよく分かりません。しかし、『寂しい』は少しだけ分かります。それは、光人が教えてくれた感情です。」
「寂しい、を教えた……って。えっ、あいつもしかして結構酷いヤツ?」
「どういう意味でしょうか。」
ミシュリーもまた口元に手を添え、何か思案している。ミシュリーは意味が分からずにやはり首を傾げる。人間は不可解だ――そう感じる一方で、テトラ自身に自覚は無いものの、そこにわずかながら羨望があった。彼女が助けになりたいと思う光人にも、感情という難解なシステムが備わっているが故に。
「ま、まぁいいわ。あたしも説明するのなんか難しいし。そうね、ひとまず……アイツが目覚まして迎えに来たら寂しかったって言ってやりなさい。」
「私もそれがいいと思うな。言えそう?」
「二人がそう思うのであれば、実行しましょう。ワタシが寂しい、のは事実です。」
「どんな顔するのか楽しみね。」
ミシュリーはレベッカの言葉に頷いて笑った。きっと光人はあの穏やかなそうな眉を下げて困った顔をするのだろう。それが容易に想像できたのだ。
「じゃあテトラちゃん、私たちは自分の部屋に戻るけど……心配なこととかある?」
「問題ありません。飲食や排泄、睡眠などの機能は学習済みです。」
「なら大丈夫だね。でも……その……そういう、人間の生命活動的な部分は聞かれない限り報告しなくてもいいと思うよ。ちょっと恥ずかしいことかもしれないから。」
「そうですか?それならば今後そうします。改善点の報告、ありがとうございます。」
やはりどこか機械的なテトラの受け答えに、二人は不安を覚えた。本当にテトラにはまだ、実感を伴った感情が備わっていないのだと感じたのである。
「改善って言っていいのか分からないけど……これからもっと、いろいろ知っていこうね。」
「あたしも、時間のあるときは手伝ってあげるわ。」
「助かります。それではお二人とも、お休みなさい。良い夢を。」
「アンタもね。おやすみ。」
「明かり消して行くね。おやすみ。」
手を振って去って行く二人を見届け、ミシュリーが消灯してくれた暗い室内で、テトラはそっと毛布を被る。睡眠という行為――人間の本能としても備わっているその機能を自分が使うのは、テトラにとって不思議な心地であった。あくまでも機械、あくまでも主人公への助言をする『機能』であった自分が、こうして見守る対象であった行為をしている。
(寂しい。)
自分が唯一しっかりと理解している感情。光人に教わった――誰かにそばにいて欲しくなる、というその感情をテトラは声に出さずに何度か呟くのだった。
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