第26話 人生初の師匠と出会う
翌日、テトラを四番書庫に送り届けた後、ジェンに連れられて光人はつい先日サトルと訪れたトレーニングルームにいた。部屋に入った瞬間、二対の瞳から視線が注がれる。片方は昨日会ったばかりのロデリック、そしてもう片方は――
「よぉ、待たせたなルッツ。」
ルートヴィヒである。彼は、昨晩ジェンに言われたとおりにトレーニングルームで待っていた。ロデリックと何かを話していたらしい彼は、相変わらずその温度を感じない瞳で光人を見遣ったのだ。ここに来るまでに彼が稽古をつけてくれるのだとはジェンから聞いていたが、いざ本人を目の前に光人はたじろぐ。おずおずと片手を挙げて小さく挨拶した。
「……そんなに待ってはいない。」
「そうか?んで、……なんでロデリックがここに?まさかルッツが呼んだんじゃねぇよな?」
「たまたま居合わせただけだ。お前たちの訓練に口を出すつもりはない。」
言うが早いか、ロデリックはさっさと自身のトレーニングの準備に取りかかり始めてしまった。ジェンは軽く肩をすくめると、ルートヴィヒに向き直る。
「そうかよ。んじゃルッツ、早速頼むぜ。」
「分かった。」
足元に転がっていた二振りの木刀を拾い上げると、ルートヴィヒはその内の一振りを光人に投げて寄越した。慌ててそれを受け取ってルートヴィヒを見るも彼が表情を変化させることはなく、ただ早く済ませてしまいと思っているような、そんな雰囲気を光人は感じていた。
「先に言っておくが、俺はそもそも誰かに何かを教えるのは得意じゃない。」
「……うん。」
そんな気はしていた。とは言わずに光人はとっさにその言葉を飲み込んだ。
「お前が俺にその木刀で斬りかかってそれに俺が反撃するか、その逆か、という形でしかできない。」
「……がんばるよ。」
「そうか。……けがをさせたら、すまない。」
「えっ、あー……うん。それはしょうがないんじゃないかな。ある程度お互い様だと思うし。」
サトルの脇腹を棍棒で叩きつけてしまった感触を思い出して、手に汗がにじむ。もっともサトルとは違って、ルートヴィヒが戦っているところを見たことがほんの一度とはいえあるおかげか、サトルに殴りかかった時よりもある意味で安心感に近いものがあるのだが。
ルートヴィヒが木刀を構える。見よう見まねで光人もまた両手で木刀を構え、一呼吸置く。
「……いつでも、構わない。」
「じゃあ、行きます……!」
床を蹴り、ルートヴィヒとの距離を詰める。どことなくぎこちない動きで木刀を振り上げて、そのままルートヴィヒの額をめがけて振り下ろす。
「……甘い。」
鈍い音を立ててそれはルートヴィヒの握る木刀に受け止められた。軽く振り払うような動きで光人の木刀が跳ね返される。光人がよろめいて後ろに数歩下がったその間合いを、ルートヴィヒは音も無く詰める。深く踏み込み、無防備な光人の懐を、――一閃。
「っぐ……!!」
光人が感じたのはまず先に浮遊感。次いで地面に背中が当たる衝撃と、鈍痛。大きく咳き込み、打撃を受けた腹部を押さえる。うっすらと冷気を感じたが光人はそれどころではなかった。真っ先に駆け寄ったジェンは慌てて状態を確認する。それを、ルートヴィヒは呆然と見ていた。
「おい!大丈夫か光人!」
「う、ぐっ……!」
当たり所の問題か嘔吐するには至らなかったものの、胃液がせり上がるのを感じて光人は一層眉を寄せる。ルートヴィヒは、木刀を取り落とし――そのまま、早足にトレーニングルームを出て行った。ジェンが呼び止めるのも聞かずに。それを見かねたのか、我関せずと言わんばかりに自主練習に励んでいたロデリックが振り返った。
「おい、フランカ。」
「なんだよ……!」
「さっさとルートヴィヒを追いかけろ。その新人は俺がなんとかしておく。……今あいつとまともに会話ができるのはお前だけだろう。その資格を失う前に捕まえることだな。」
「……わかった。光人、悪い。」
光人が小さく頷くのを見てから、ジェンはルートヴィヒを追った。ロデリックはため息混じりに厄介な連中だ、とこぼした。
「おい。篠宮……だったな。体を起こしてこれを飲め。少しは楽になるだろう。」
「あり、が……っ……。」
「礼はいい。早く飲め。」
倒れ込んだままの光人の傍らに腰を下ろしたロデリックが差し出したのは、一粒の錠剤と水であった。光人はいまだ鈍痛が響く腹を撫でさすりながら上体を起こし、それを飲み下す。急速に、とまではいかないものの、緩やかに呼吸が落ち着き、痛みがやわらぐ。
「先ほどの打撃程度であれば今飲んだ薬で完治するだろう。」
「なんなんですか?今の……。」
「応急処置用の回復薬だ。服用者の自己治癒力を一時的に増幅させる。……それにしても、あのルートヴィヒを師に選ぶとはな。」
「ジェンに言われて、ちょっとやってみようかなって話しになって……。」
「なるほど、フランカか。あいつの考えそうなことだ。さしずめ、お前とルートヴィヒの仲を取り持とうとでも思ったんだろう。お前の稽古のついでにな。」
「そうなのかな……。」
落とされたままの木刀を見遣る。ロデリックは立ち上がってそれを拾い上げ、所定の場所へと戻す。
「ルートヴィヒも、愚痴を漏らすほど嫌なら断れば良いものを。あいつらはどうにもお互いに甘い。」
「愚痴?」
「とても自分には務まらない、と言っていた。そもそも、どう考えても指導役には向かんというのは自他共に認めるところだな。俺も人のことは言えないが。」
「俺が弱すぎてどうしたらいいかわからない、とかじゃなくてですか?」
「それも一因だ。お前、見たところ剣を握ったことすらほとんど無いだろう。俺もルートヴィヒもフランカも、皆戦うということを知っている。だから、全く戦いから無縁だった者に戦いを教えるのは難しい。」
そう言いつつロデリックは何かを考えているらしく、口元に手を添えて光人を見つめている。人と目を合わせるのが苦手な光人はそっと床を見た。
「それでも、強くならないといけないんです。もとの世界に戻らないと……。」
「劇的に人を強くする方法などそうそう無い。日々の鍛錬があればこそだ。しかし、どうしても急いでいるなら……ある意味ルートヴィヒよりも師には向かないかもしれないが、お前に『戦い』を教えてくれる人がいないこともない。」
「え?」
「命の保証はしない。端から取り合ってくれない可能性もある。それでもやる気があるなら付いてこい。今なら恐らく会えるだろう。」
「……。」
ほとんど痛みが引いた腹を撫でる。そして今一度自身に問いかける。――今、すべきことは?これから、しなければいけないことは?
「どうする。」
「行きます。」
「……わかった。付いてこい。」
束ねられた艶やかな金髪が揺れるロデリックの背を追いかける。さほど急いでいる風でもないのに、足が長いおかげか彼もまた歩くのが速い。自分ばかりが急いでいるような気分になりながら階段を上り、最上階の三階。行き先も告げられないまま案内されたのは――――零番書庫、その一室であった。
「七番書庫・司書のロデリック・イリーガンです。カエンホタル司書長殿はいらっしゃいますか。」
ノックと共に呼びかけたロデリックの声に応えたのは中性的な声であった。短く「入れ。」と言ったその声を聞き逃さず、扉を開く。
「よぉ、ロデリック。珍しいじゃねぇか、お前がこの俺に会いに来るなんて。」
「ご無沙汰しております。今日はご相談がありまして。」
「んだよ、その後ろのガキか?」
「はい。指導者を欲していると言うもので。」
爛々と輝く大きな赤い瞳。左目の上から縦に一筋、それと交差するように顔の中央ほどの高さに横に一筋の大きな傷。高い位置で一つにくくられた黒髪は、毛先に向かうにつれて燃えるような赤色をしていた。同じように、長身が纏う黒い和服もまた裾が赤い。目の前のロデリックをはじめ、圧倒的に白い服を着る人間の多いこの組織で――否、何よりも、どこもかしこも真っ白なこの建物の中においてその姿は異彩を放つ。しかしその存在感を光人はつい最近、他にも目の当たりにした覚えがあった。――そう、図書館館長の鵺魄である。鵺魄もまた黒を纏っていたのだ。鵺魄がひたすら相対する者に異質さを感じさせたのに対して、ロデリックがカエンホタルと呼んだその人物は清々しい熱気を――炎そのものを思わせる。
「指導者ねぇ。俺は弟子をとらねぇ主義だ。他を当たんな。……と言いてぇところだが、わざわざ俺のところに連れてきたってこたぁ、なんか理由があんだろ?それくらいは聞いてから考えてやるよ。」
「ありがとうございます。彼は、剣を握ったことすらほとんど無い、戦いとは無縁の生活をしていたようです。しかし、彼はなるべく急いで強くなるために師を求めている。ならば――まずは戦うということがどういうことか、知るのがいいかと思いまして。」
「なるほどな、それで俺か。命知らずなこった。そいつ死ぬんじゃねぇか?」
「命の保証はしないと言ってあります。」
ずかずかと大股で光人の前に進み出たカエンホタルは、品定めをするように光人の顔をのぞき込む。
「聞かせろ、小僧。お前死にたくなくて強くなるのか?それとも――死んでも強くなりてぇのか?」
合わせられた視線を、今は不思議とそらせずにその赤い瞳を見つめ返す。乾いた喉からは、思ったよりも滑らかに声が出た。
「俺は――――――、死んでも強くなりたい。」
赤い瞳はなおも光人を見つめる。
「死んでも強くなって、やらなきゃいけないことがあります。」
「…………よし!」
カエンホタルは光人の顔をのぞき込むのをやめ、ロデリックを振り返る。仁王立ちで満足そうな、というよりは楽しそうな顔をして声を弾ませる。
「気に入った!おいロデリック、こいつ俺の弟子な!」
「私に宣言されましても。」
「いいじゃねぇか!よっし、早速連れ回す!」
「篠宮の所属書庫に許可は取ってくださいね。では、私はこれで。……篠宮。」
軽く頭を下げたロデリックが光人を流し見る。
「生きていたら、手合わせくらいはしてやる。」
「よろしくお願いします。あの……。」
「お前に死ぬ選択をさせたかもしれないんだ。礼は必要ない。」
「それでも。ありがとうございます。」
「……次会ったときは、その慣れない言葉遣いもやめていい。」
呆れたようにロデリックは言い残して去って行った。その口元にわずかながら笑みが見えた気がしたのは光人の勘違いであったのか――それはもはや誰にも判別する術は無い。
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