第22話 新しい環境で、初めての悪夢

「そろそろ行くか。」

「はい。」


 トレーを迅雷から預かり、霖のいる方へと運ぶ。返却口あっちね、と指さす霖に頷いてトレーと食器を戻すと、光人は足早に迅雷の元へと戻った。


「次は七番書庫に行くが、そこも書庫長は留守だ。副書庫長とその下の司書長も補佐でいない。よって、今から会うのは七番書庫の四番手、司書だ。」

「どんな人なんですか?」

「見た目はお前とそんなに歳のかわらないアクターだな。しかし、七番書庫は戦闘に特化した書庫。実力は確かだ。」


 何人かの一般職員とすれ違いながら二人は食堂を出てホールへと進む。その最中、今更ながら光人は迅雷から足音がほとんど聞こえないことに気づいた。彼の足元は草履。無論材質や色は異なるが、形状としては昨日サトルが履いていたものと同じである。サトルがぺたぺたと足音を立てて歩いていたのに対して、迅雷からは床を擦る音すら聞こえない。


「全然、足音しないんですね。」

「昔からの癖だ。」


 昔――見るからに老年の迅雷が幾度となくタイムイーターを屠り、更に寿命を延ばして今も生きているのだとしたら、いったい彼の言う昔とはどれほど前のことなのか。少なくとも自分の三倍以上は生きているのかもしれない、と想像して光人は気が遠くなる思いであった。


 七番書庫の扉の前、一人の金髪の男が丁度出てきたところであった。

 

「ロデリック。」

「……千葉崎書庫長。ああ、新入りですか。お疲れ様です。」

「書庫長にはまた今度顔合わせをさせる。」

「かしこまりました。書庫長にも伝えておきます。」


 男性にしては長い、一つに束ねられた輝かんばかりの金髪、宝石を思わせる、ジェンとはまた違う色の明るく爽やかなグリーンの瞳。涼やかな目元からも、首元の真っ白なスカーフとそれを飾る瞳と同じ色の宝石からも、圧倒的な高貴さを感じさせる男であった。真っ白な正装に近い服装に身を包む端正な顔立ちの彼こそ、先ほど迅雷が光人と同じくらいの歳の見た目だと評した七番書庫の司書なのだろうが――とても、自分と同じ年代とは思えないと光人は呆けていた。ただ、ペリドット、という宝石の名前だけが脳内を巡る。

 

「こいつだ。篠宮光人。」

「……カリーヌが言っていたのは彼ですか。確か急に任務に参加させられたという。」

「そうだ。」

「なるほど。……ロデリック・イリーガンだ。」

 

 にこりともしない彼――ロデリックはごく自然な動きで光人に手を差し伸べた。どうやら握手を求められているらしいと気づいて、光人はわたわたと、ぎこちなく応じる。あまりに差のある所作を恥じつつ、ロデリックの目を見る。

 

「よろしくお願いします。」

「ああ。それでは、私はこれから用事がありますので、これで。失礼します。」

「ご苦労。」

 

 やはり無駄の無い所作で手を離したロデリックを見送って光人が振り返ると、迅雷はすでに歩き出していた。音の無いその動きを慌てて追いかける。迅雷は特に振り返ることも無く、口を開いた。

 

「次は壱番書庫に、と言いたいところだが。お前、鵺魄とシルクには会ったんだったか。」

「館長さんと、神父さんのことですよね?そういえば神父さんは壱番書庫長だって言ってたような……。」

「そうだ。鵺魄は館長と零番書庫長を兼任していてな。その二人に会っているなら挨拶回りは終わりでいいだろう。今日行かなかった書庫はその内ジェンにでも案内してもらえ。」

「わかりました。」

「流石に疲れただろう。お前の部屋に案内する。」

「自分の部屋がもらえるんでしたっけ。」

「ああ。小さな部屋だがな。」

 

 階段を上へと進み、朝出てきた弐番書庫の扉が見えたとき光人の中では早くも安心感が芽生えていた。自室がどんなものか分からないが、昨日のサトルの口ぶりからいって、食事以外はここでそこで済ませられるくらいの設備は整っているのかもしれない、と期待を膨らませる。弐番書庫内の廊下から今までにくぐったことのない扉を通る。

 

「ここだ。隣はジェンの部屋だ。」

 

 相変わらず真っ白な壁と真っ白な扉が続いている。どことなく、修学旅行で泊まったホテルを思い出させる配置であった。その内の一つを開いて明かりをつけると、中もまたやはり白かった。しかし、清潔なベッドと簡素なテーブルと椅子があり、小さなクロゼットらしきものもある。すべてが真っ白で殺風景なことを除けば、確かに少々手狭ではあるものの、一人で過ごすには十分な設備であった。

 

「こっちが風呂と洗濯場、洗面所と便所だ。掃除は原則自分ですることになっている。」

「わかりました。」

「……これに難色を示す者もいるものだが。」

「元の世界でもやってましたから。慣れてます。」

「そうか。消耗品を切らしたら四番書庫を訪ねろ。その他必要なものは参番書庫で補充がもらえるものもある。」

「参番書庫……。」

 

 視線を宙に泳がせる光人に、迅雷は補足する。

 

「お前の戦闘適性検査を受け持ったサトル・カスカベの居る書庫だ。今日はこの後、単独行動を許可する。休むなり散策するなり好きにしろ。明日の予定に関しては追って知らせる。連絡が無ければひとまずこの部屋にいろ。」

「わかりました。迅雷さん、あ、いや、書庫長?」

「好きに呼べ。」

「えっと、じゃあ、書庫長。最後にお聞きしたいんですが……。」

「なんだ。」

「シャルロッテさんの部屋ってどこですか?」

 

 

 ●

 

 

 あの後、渋い顔をした迅雷にシャルロッテの自室を教えてもらい、光人は一人部屋にいた。夜に来いと言われてはいるが、窓がなく、時計もないこの建物の中では時間の経過もよく分からない。スマートフォンの画面には時間が表示されるものの、今いるこの世界と自分がいた世界が同じ時間が流れているとは限らない。

 

「……テトラ、大丈夫かな。」

 

 独り言を呟けば、ことのほか大きく聞こえて尻すぼみになった。上着を椅子の背もたれに掛けて、真っ白に整えられたベッドに腰掛ける。程よく体の沈む感触が心地よくて、思わずそのまま横になるとそのまま睡魔が光人に襲いかかった。

 

「……ぅー……。」

 

 抗いようのないそれに光人は屈した。靴を脱ぎ散らかし、枕をたぐり寄せて抱きかかえる。清潔な、まだ少し布地の硬い寝具には多少の違和感はあるものの、休息を求める本能はまるで気にとめない。毛布も掛けず、数分もせぬ内に寝息を立てるのであった。

 

 

 

 

 

 ――目を覚ますと、いつもの朝だった。寝ている母の隣から静かに起き上がって、キッチンへ。テーブルに菓子パンが一つ。ビニールを破って甘い砂糖の匂いをかぐ。大して味わいもせずに無感動に咀嚼しては嚥下して、という行為を繰り返す。アパートの一室で静かに朝の支度をする。あまり大きな音を立てると寝ている母を起こしてしまうから。父の姿が既にないのは、今日は出るのが早かったのだろう。

 家を出る前に一度寝室へ。母に声を掛ける。

 

「母さん。行ってきます。」

 

 眠る母の眉間にしわを寄せて唸る。これ以上はいけない。起こしては、いけない。

 静かに寝室を後にして「ランドセル」を背負う。――――そこで、気づいた。

 

「これ、夢だ。」

 

 そう、自分はもう高校生だ。気づいた途端にどんどん視界はぼやけて意識が現実へと急速に引っ張られて行く。ノックだ――ノックの音がする。

 

「どこへ行くの、光人。」

 

 いつの間にか背後に立っていた母の声が聞こえる。――だめだ、早く起きないと。

 体は意識に反して後ろを振り返ろうとする。――見てはいけない。早くまぶたを開けないと。

 夢の中では既に開いているまぶたを更に開こうとする。現実の感覚が混じり、開いているのに閉じているまぶたに力を入れる。

 

「勝手なことをしないで。光人――――。」

 

 振り返った先、母の足が見える。――早く顔を上げなければ。いや、まぶたを。まぶたを開かなければ。

 

『光人君――――。』

 

 まぶたが、押し上げられる。

 

 

 ――コン、コン、コン。

 

 

 極限まで目を見開いた。自分の呼吸する音がいやに大きく聞こえる。ノックの音がしていた気がする。これは現実の音のはずだ。

 

「やっぱり寝てるんじゃねぇか?」

「そうみたいだね……。」

「副書庫長に歓迎会は明日にしてもらうように言うか……。」

 

 ドア越しにジェンとミシュリーの声が聞こえる。光人は起き上がり、ふらつく頭を軽く押さえながらドアまで移動する。その先には、驚いた顔で光人を見る二人がいた。

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