第21話 カップケーキの思い出

 光人と迅雷が八番書庫内のカウンター近くに設置されている長椅子に腰かけていると、リーノの言う通り程なくして、彼女は現れた。

 

「副局長ー!持ってきたよ!」

 

 健康的な、よく日に焼けた肌。恰幅の良い女性である。日よけ帽子を被った彼女は、一見して農家のような出で立ちであった。運んできた台車には箱が積まれており、中には瑞々しく育った立派な野菜が入っているのが見える。わらわらと少年少女が集まってくるのを構ってやりながら、彼女はリーノに何か書類を渡す。

 

「お疲れ様です。……はい、確かに。四番書庫に回しておきますね。」

「頼んだよ。」

「はい。あ、マヌエラさん。今日はマヌエラさんに会いたいって人が来てるんです。」

「ん?」

「ほら、あそこ。そろそろ来るからって待っててもらったんです。」

「おや、迅雷じゃないかい!珍しいね、アンタがこんなところまで出てくるなんてさ。」

「……新人だ。」

 

 迅雷がぼそりと答えるとマヌエラは合点がいったというように手を合わせた。光人の顔を見て数度頷く。

 

「なるほどねぇ!相変わらずマメだねアンタも。」

「普通だ。」

「照れなさんな。わざわざ新人が入るたびに他の書庫まであいさつに連れて歩く書庫長なんざ、アンタくらいのもんさね。」

 

 光人が見上げると迅雷は視線を逸らした。その意味を測りかねて首を傾げる。もしかして、本当にマヌエラの言う通り照れているのだろうか。そんな風に考えていると、突如マヌエラは光人の髪を遠慮なくかき混ぜるように撫でまわした。

 

「うわっ!」

「何はともあれ、ディークス私立図書館へようこそ!アタシはマヌエラ。六番書庫長なんて堅っ苦しい肩書があるけど、いつも畑で作業してるフツーのオバチャンだからね!いつでも声かけな!名前はなんていうんだい?」

「し、しのみや、あきとですっ!」

「そうかいそうかい!」

 

 最後にぽすぽすと軽く叩くと、マヌエラの手は離れて行った。ほっと息をつくと、彼女は快活に笑う。コナツよりも更に眩しい夏の太陽のような人物だ。きっとジズベルトとは気が合わないのだろう、と光人はぼんやりと思っていた。

 

「んで、これから他んとこも行くんだろ?」

「ああ。」

「んじゃほら。これあげるから頑張んな。ジイさんが歩くの早くて追っつけないときはちゃんと言うんだよ?」

 

 マヌエラから光人に手渡されたのは数個の飴玉であった。かわいらしいフルーツ柄のフィルムに包まれたそれをマヌエラは光人の手に握らせると満足そうに頷いた。戸惑いがちに頷き返して、握らされたそれをポケットに仕舞う。少しばかり不服そうな迅雷は、一言「行くぞ」と声をかけて歩き出した。その歩調は先ほどまでよりも少しだけ緩やかであった。



●●●



 マヌエラたちと別れた二人は本館の一階に戻り、昼食を済ませる。各々仕事に出ているせいか、昼食には少し早い時間なのも手伝って朝ほど人影はない。光人がカウンターに向かうと、つい先日も見た顔があった。

 

「えっと……霖さん、こんにちは。」

「お?あー、光人君!こんにちはぁ。名前合ってるよね?」

「はい。あ、煮物のセット二つお願いします。」

「はいはぁい、少々お待ちを。」

 

 丸眼鏡の奥の細い目を微笑ませると、彼はすぐに奥へと引っ込む。厨房にから戻った彼の手には一つのカップケーキがあった。ふわり、と甘い香りがほんのりと漂う。

 

「はい、甘いものが苦手じゃなければこれもどうぞ。デザートだよぉ。」

「え、いいんですか?」

「うん。ようこそ私立図書館へってことで、プレゼントだよぉ。食事のメニューにちょっと合わないのは許してね。あ、迅雷さんの分は気にしないで。あの人甘いもの苦手だから。」

「そうなんですか。ありがとうございます。俺、甘いもの好きです。」

「よかったぁ。今はあいさつ回り中?」

「そうなんです。あと五か所くらい回らないといけないらしくて。」

「うんうん。お疲れぇ。名前と顔覚えるの大変だろうけど、まぁその内自然と覚えるよぉ。」

 

 光人は曖昧に笑った。実際のところ、今日までに会ったこのディークス私立図書館の面々の顔と名前をしっかりと覚えられずにいるのである。とはいえ――一度会っただけにも関わらず異常なまでに強烈な印象を植え付けた人物ももちろん存在する。艶やかなウェーブがかった茶髪の大男を思い出して、光人は今後一生忘れることは無いだろうと思った。

 

「煮物のセット、お待たせ。二つ一緒に持てるかな?」

「大丈夫です。ありがとうございます。」

 

 トレーを片手にそれぞれ一つずつ持って迅雷のもとまで歩く。カップケーキを一緒に載せた方のトレーを自身の席の前に置くと、光人もまた席に着いた。色味のバランスも考えて作っているのであろう根菜と芋の煮物に、湯気の立つ味噌汁。同じく温かそうな白米が盛られた茶碗。小皿で添えられた漬け物。日本人である光人にとっては馴染み深いメニューであるが、実際のところ最後にこういう食事をしたのはすでに何年も前だ。

 

「運ばせて悪いな。」

「いえ、そういうものかと思って。」

「そうか。……それは厨房からか。」

「はい。霖さんがくれました。」

「また食いたければ頼むといい。俺は甘いものが苦手故わからんが、好きな奴からすると何度食べても飽きんらしい。」

 

 早々に料理に手をつけながら迅雷は話す。自分も手を合わせてから食事を始めつつ、光人は素朴でシンプルなカップケーキを見た。学校の授業で作ったことのあるカップケーキよりも当然ながら形が整ったそれは、まだほんのりと温かい。後で食べるのが楽しみだ、と思った光人のその肩が何者かによって軽く叩かれる。ハッとして振り向いた先にいたのは、蜂蜜色の髪をした女――シャルロッテであった。

 

「ハァイ。調子はどう?光人。」

「シャルロッテさん。」

「お。よく一発で名前覚えたじゃない。偉いわ。あとでご褒美にチューしてあげる。」

「え、えっと……。」

「赤くなっちゃってカワイイ。」

 

 困惑する光人の頬をつんつんと何度か指で弄んで、彼女は光人の隣の椅子に腰掛けた、迅雷はそれに特に反応を示すこともなく、食事を続けている。どうするべきかと光人がうろたえるのを見て微笑んだ後、シャルロッテは迅雷に向き直った。

 

「書庫長、仕事の割り振り終わりましたよ。」

「当然だな。」

「でね?ちょっとご相談なんですけどね?」

「なんだ。」

「この子の歓迎会しましょうよ。ね?」

「酒を飲む口実に他人を使うな。」

「ひっど!そんなんじゃないですぅー。私は本気で光人を歓迎しようと思ってですねぇ。」

「……好きにしろ。ただし他の書庫の職員を巻き込むな。あとなるべく少人数で行え。緊急出動に備えろ。」

「はいはい。わかってますよ流石に。って訳だから、今日の夜私の部屋に来なさいね。」

 

 どことなく色っぽくウィンクしてみせるシャルロッテ。口を挟む間もなく立て終わった計画に光人は思わずうなずくことしかできなかった。満足そうに笑うとシャルロッテは立ち上がる。

 

「決まりね!あ、書庫長は来ます?」

「なぜ行く可能性を考えたのかを尋ねたい。」

「だってぇ。書庫長ツンデレだし?」

「知らん。」

「もー、素直じゃないんだから。光人、気にしたらダメよ?この人こう見えてアナタのことちゃぁんと歓迎してるんだから。」

「いいから仕事に戻れ。篠宮は早く食え。」

「あー、またそうやって……。まぁいいわ、じゃあね光人。午後もがんばんなさい。」

 

 思いの外優しい手つきで光人の頭を撫でると、シャルロッテは去っていった。迅雷は一つ小さなため息をついてから食事を再開している。光人もそれに倣って柔らかく煮込まれた芋を口に運ぶ。

 

「あ、芋もおいしい。」

「ここの食事は主に四番から六番の書庫が担当している。食材は六番書庫が用意したものだな。」

「……。」

「四番書庫はアウグスティーヌ、五番書庫はサジェ、六番書庫はマヌエラだ。」

「……覚えるの、時間かかりそうです。」

「だろうな。……必要に応じて覚えればいい。」

「頑張ります。」

 

 名前と顔は時間をかければ覚えられそうだが、書庫の番号も覚えるとなると更に骨が折れる。ほどよく歯ごたえのある漬け物をかじりながら、光人は自身の頭の中を必死に整頓していた。

 

「人を覚えるのも大事だが、お前はこれから仕事や戦い方も覚えることになる。」

「そうですね……。」

「しばらくの間、仕事はジェンと組ませる。その都度聞け。戦い方に関しては、師を見つけることだな。」

「師……師匠ってことですか。」

「そうだ。確か、適性は剣だったか。」

「はい。そうみたいです。」

「俺も扱えなくはないが、ここには剣を武器としている奴は他にもいる。暇を見て探せ。……俺も一応、気にかけておく。」

「お願いします。」

 

 本当に自分にあれが扱えるのだろうか――と、光人はジェンとともにテトラを保護した時に一応持って行け、と渡されたサーベルは当然のように一度も鞘から抜かれることは無かったが、そもそも持ち歩くだけで重かった。サトルとの適性検査の最中、アサヒを助けるためになんとかしなければと思った心に偽りは無い。しかし先の見えない不安は光人の気をより一層重くした。

 出汁の効いた味噌汁を飲み干し、最後に先ほど霖に渡されたカップケーキに口をつける。表面はさっくりとした食感だが、中は柔らかくバターの旨味を感じた。確かに迅雷の言うとおり美味で、これはまた霖に頼もうと心に決めた。

 

「おいしいです。」

「そうか。」

 

 光人がもっと幼かった頃、アサヒの母親が焼いてくれたカップケーキを思い出す。今食べているものとは対照的に、クリームや光人には名前のわからないきれいな食材で装飾されたそれは、光人にとって日常から遠く離れた食べ物で。不思議そうな、あるいは間抜けな顔で眺めていたのをアサヒは笑って、「母さんはお菓子作りが趣味なんだ。」と言っていた。アサヒの母は光人が素直に喜ぶのが嬉しいらしく、それ以降たびたび色々な菓子を作っては光人に食べさせてくれた。既製品ではないことにその都度感服するほど、それらは美しい出来映えでであった。

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