第20話 疲労の権化からの助言を受けて

 その傍らで、迅雷はこれといって光人に何か言うでもなく続ける。

 

「九番書庫長、コイツが『主人公』だということは黙っておけ。」

「は?なんでだ。鵺魄やオブシディアンからすれば研究対象じゃないのか?」

「だからだ。五番書庫長はともかくな。」

「……お優しいことだな。」

 

 分かりやすく顔をしかめたジズベルトは再度大きくため息を吐いた。

 

「別に言いふらしはしねぇよ。俺にとっては補充要員じゃないなら特に用はない。『主人公』なんて特性がある以上、俺の手に負える気がしないしな。あぁ、死なないように気をつけろよ篠宮。そのジジイ、見た目どおり人使い荒いぞ。」

「あ、あの……。」

「なんだ。」

「……俺のいた物語って、どんな終わり方なんですか。」

「それを聞いてどうするつもりだ?」

「どうって……。」

「さっきも言ったとおり、結末までの全体像は覚えているものの、タイムイーター襲撃の影響で完璧には記憶できていない。その上、『主人公』であるお前が元の物語から外れてここにいるんだ。物語の行く先は既に改変されている可能性がある。」

「そういうこともあるんですか。」

「ないこともない。未完のまま終わった物語ではよくある。だから、俺が知るのはお前の可能性の一つにすぎん。それでも、聞いておくか?」

 

 ジェンが、自分のいた物語の本は見ることはおススメしない、と言っていたのを、光人はふと思い出す。隣で迅雷は何も言わない。表情を盗み見ても、出会ったときと同じ厳しい顔立ちから何かを読み取ることはできない。

 

「聞いたら、なにか変わるでしょうか。」

「変わらん。お前が変えようとしない限りはな。……ヒントをやる。お前の物語、ロクな話じゃなかったぞ。ロクな終わり方もしねぇ。クソみたいにつまんねぇ話だった。」

「……。」

「変えるなら今だ。主人公メイン脇役サイドかなんてことは関係ない。お前を変えるのはお前自身だ。」

「変えられると思いますか?」

「知らん。」

「……じゃあ、やめておきます。」

「なぜ?」

「俺は、意志が弱いから。……本来の終わり方を知ってしまったら、そうなるように動いてしまいそうで。」

 

 ふん、とジズベルトは鼻を鳴らす。迅雷は、やはり変化はない。

 

「なるほどな。ただのイイ子かと思ったら存外自分のことを分かってるじゃねぇか。馬鹿は嫌いだが、その様子なら少しは見所がある。」

「珍しいな。お前が人を認めるとは。」

「別に認めてねぇ。少し感心しただけだ。」

「珍しいことに変わりはない。」

「……。」

 

 眉根を寄せてジズベルトは迅雷を睨む。しかしそれも一瞬であった。

 

「篠宮。もしも、自分の運命の一つを知りたくなる日が来たら聞きに来い。お前にとっては数あるバッドエンドの内の一つだろうからな。」

「どういうことですか?」

「お前が、もしそのバッドエンドを正解だとか定められた運命だとかじゃなく、回避すべき未来の一つだと考えられる日が来たら聞かせてやるってことだ。」

「回避すべき未来……。」

 

 例えば、アサヒがあそこで事故に遭うことは決まっていた運命だったのだろうか――と光人の脳裏に疑問がよぎる。あそこでアサヒを止めて少女を見殺しにしていたら?アサヒより先に自分が飛び出していたら?あの日、一緒に帰らずにいたら?別の道を通っていたら?あらゆる可能性、IF――もしも、を考える。その全ての結末が、自分の行動次第で変わるのだとしたら。変えられるのだとしたら。

 

「主人公なんてやっぱり俺には向いてないと思うんです。」

「向いてるような顔はしてねぇな。話の種類にもよるだろうが。」

「だけど、それでも。助けたい人がいるから……がんばります。」

「……せいぜい足掻け。俺は仕事に戻る。記憶力に自信があるならたまに手伝いに来い。」

「はいっ。」

 

 さっさと出て行けと言うようにジズベルトは手を払う。それに頷いて迅雷は無言でその部屋を出ていく。光人もまた、同じく続いた。カウンターには、やはり明るい茶髪の女性が座っていた。着ているシャツは白地に淡いブラウンのチェック柄で、白いエプロンを上から着けている。動くと頭の上で跳ねた髪が揺れた。ジズベルトとは対照的に、見た目からして春のうららかな太陽を思い起こす。

 

「あ、お話し終わりました?」

「ああ。邪魔したな。」

「いえいえ!ウチの書庫長根暗だからたまに話しかけてあげないとですし。」

「ね、根暗……。」

「うん。しゃべるのなんてブツブツ文句言ってるときか、なんかしらでキレてるときだけだからね!ずっと眉間にシワ寄ってるし。新人君もまたお話しに来てあげてねー。」

「……わかりました。」

 

 ばいばい、と手を振る彼女にまた軽く頭を下げると、機嫌が良さそうに笑っているのが見えた。迅雷はやはり光人を待たずに歩き出してしまうので、それを追いかける。ちらりと振り向くと受付の女性はやはり上機嫌に笑っていた。そういえば名前を聞くのも名乗るのも忘れた――と思ったのは図書館を出た頃であった。しかし、その疑問もすぐに迅雷によって解消される。

 

「今受付で話したのは飯嶋コナツ。九番書庫の副書庫長だ。」

「副……。随分、書庫長さんと対照的なんですね。」

「ああ。よく書庫長に怒鳴りつけられている。」

「えっ。」

「しかしまるで気にも留めず、暖簾に腕押しだそうだ。」

「へぇ……。」

 

 本当にそれで上手く成り立っているのだろうかと、少し光人は心配になった。迅雷とシャルロッテの組み合わせもそうだが、どうにもミスマッチなように感じられるのだ。

 

「能力のバランスもある。」

「バランス?」

「九番書庫長はキャストでな。スキルは『絶対記憶』だが、呪いの影響でツメが甘い。」

「呪いのせいで、なにか失敗するってことですか?」

「ああ。奴が完璧だと思ったことは、必ずなにかしら不足や見落としがある。そこで役に立つのが飯嶋だ。あれで飯嶋は割と細かいことに気が付く上にそこそこ頭が切れる。上司はジズベルトだが、奴の仕事のチェックは飯嶋が担当している。」

「……なんか、不思議な関係ですね。」

「ああ。あとは単純に性格の問題だな。ネガティブだが短気なジズベルトのそばには、あれくらい能天気な奴がいた方がいい。……らしい。」

「らしい?」

「俺にはそういうところはよくわからん。」


 ああ、だからこの人の隣にはシャルロッテがいるのか、と光人はなんとなく合点がいった。思えば弐番書庫の部屋を出る際、光人を置いて進む迅雷とは対照的にシャルロッテは優しく光人を送り出した。それも、迅雷の性格上の問題に軽いフォローを入れつつ。そういうところで、一見噛み合わないように見える組み合わせが生きているのだろう。


「次はここだ。」


 元来た道を少々戻り、脇道に逸れる。そうして辿り着いたのは先ほどまでいた図書館――もとい九番書庫からほど遠くない位置にある、比較的小さい建物であった。


 箱型の建物はやはり真っ白で、無機質な印象が否めない。その無機質な建物の扉が開き、中から小さな子供が顔を出した。


「あ、迅雷さん。おつかれさまですー。」

「ああ。局長はいるか?」

「局長は今いないですー。でも、副局長ならいますー!」

「わかった。ご苦労。」

 

 子供はぺこりとお辞儀をしてから光人の脇を通り過ぎていく。光人の腰ほどまでしかない身長の子供――おそらくは少年――は、幼稚園児が着るような白いスモッグを着て、小さなポシェットを斜め掛けにしている。白い学生帽のようなものを被っていて、光人の中では「小さな郵便屋さん」という言葉が浮かんだ。小さな、品の良さそうな革靴でこつこつと軽い足音を立てながら彼はどこへ向かうのか。

 迅雷が開いた扉の先、建物の中は小さな郵便局のようで、先ほど見かけた少年と同じような恰好をした少年少女たちが忙しそうに、だが少し楽しそうに動き回っている。迅雷は、やはり郵便局や銀行の窓口を思わせるカウンターに歩みより、こちらに背を向けているひょろりとした長身の男性に声をかけた。


「副局長。」

「おや、こんにちは。千葉崎書庫長と……そちらは新しいブックマーカーさんですか?」

「ああ。篠宮光人だ。」

「はじめまして、篠宮さん。僕はここ、八番書庫の副書庫長。リーノ・ココっていいます。いつもは副局長って呼ばれてます。」

 

 リーノはにこやかで、小さな目とふわふわとしたパーマがかった短い髪とが相まって、見ているだけでこちらまで穏やかな気持ちになるような青年であった。少年少女たちと同じデザインの帽子をかぶった彼は、それ以外は白いクルーネックのTシャツ姿にジーンズというカジュアルな格好のおかげで更に親近感が芽生える。

 

「よろしくお願いします。副書庫長じゃなくて、副局長なんですか?」

「はい。ここは郵便局みたいなもので。物を預けたり、他の書庫の人に手紙や荷物を送ったりすることもできます。元々は他の書庫の仕事だったんですが、仕事量の偏りを改善するために八番書庫で担当することになったんですよ。」

「じゃあ、本来の仕事は違うんですか?」

「はい。本来僕たち八番書庫の仕事は、いろいろな言語の解読です。陰ながら皆さんのお役に立てるように頑張ってるんですよ。たまに、暗号解読なんかもします。」

 

 業務の説明をするリーノとそれを聞く光人の傍ら、迅雷は自らの着物の袂を探って折り畳まれた書類を一枚取り出した。それをそのままリーノに手渡す。

 

「篠宮さんのお部屋番号とロック解除用のデータですね。登録しておきます。」

「部屋……俺、部屋もらえるんですか?」

「言い忘れていたか。弐番書庫所属のブックマーカーとして登録されたからな。個室をくれてやる。」

 

 そういえばサトルが昨日そんなようなことを言っていたような――と光人は思い出す。そのまま、これでサジェの部屋で手術台のようなところで寝なくて済むのか、と思わずほっと胸を撫でおろした。さほど不便には感じていなかったものの、やはり起床時に毎日背中が痛いのは辛い。リーノは受け取った書類を歩き回っていた少年の一人に託していた。

 

「局長もいたらよかったんですけど……。今後、会う機会はあると思いますから、ぜひまた来てくださいね。」

「はい。またお邪魔します。」

「これから他の書庫も回るんですか?」

「ああ。参、四、五番と九番は顔合わせが済んでいるのでな、零番と壱番、それから六、七番だ。」

「なるほど。比較的顔合わせしにくいところから済ませてあるんですね。」

「そういうわけでもない。たまたまだ。」

「そうですか?ふふ。」

 

 リーノは小さく笑うと、それ以上は言わなかった。

 

「あ、この時間ならマヌエラさんがそろそろ来ると思いますよ。今日はお野菜の納入日ですから。」

「マヌエラさん?」

「六番書庫長だ。それなら少し待つか。」

「ごゆっくりどうぞ。」

 

 今日になってすでに何度したかも分からない小さな会釈。リーノはやはり和やかに手を振って自分のデスクへと戻って行った。

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