第13話 回遊する魚

 趣味嗜好の問題ですらなく、当たり前のように岩や木が主食だった者は一体今ここ――ディークス私立図書館で一体どういう生活をしているのか。


「そういう人たちってどうしてるの?流石に人間の体でそういうの食べられないよね?」

「この世界での食事っつーか、人間の体での食事に慣れてもらうしかなくてな。時間かかるけどこればっかりは仕方ねぇ。そうだ、テトラも多分そこからだぞ。肺呼吸と、二息歩行と食事と……生身の人間体で生活するために不可欠な動作を覚えねーと。」

「そっか。……テトラ、大丈夫かなぁ。」

「得手不得手はあっても大抵なんとかなる。つーか、まずはテメェの心配しろよ。とりあえずほら、選べ。」


 ジェンが指で示したのは今日の献立表である。相変わらず真っ白で近未来的な印象を受ける壁にホワイトボードがぶら下がってる様がなんともミスマッチで、思わず光人は目を疑ったが間違いなくそれはホワイトボードである。黒いペンで献立がそこに記されている。先刻から匂いがするとおりに焼き魚のセットがメインに書かれているが、その下には様々な理由でメインのセットが食べられない人向けに別メニューが書き出されていた。


「じゃあ、一番の焼き魚セットにする。」

「ん。オレとルッツもそれだから魚セット三つってあのカウンターで言ってこい。」


 ジェンの指さす先には大きめのカウンターがある。細い目と丸眼鏡が印象的な男性が顔を覗かせて、二人に手を振っているのが見えた。


「おはよう。新入りさんかなぁ?」

「はじめまして。篠宮光人です。」

「はじめまして。僕はながめっていうんだ。よろしくねぇ。ご飯は何にする?」

「焼き魚のセットをください。あ、三人分お願いします。」

「はいよぉ。ちょっと待っててね。」


 厨房の奥に引っ込んだ霖を見送る。隣で黙って見守っていたジェンがうなずいた。


「お前、人見知りとかはしないよな。」

「そうだね。あんまり人見知りはしないかも。いろいろ話すのはそんなに得意じゃないけど。」

「ルッツは結構人見知りでさ。態度わりーけど、あんまり気にしないでやってくれ。悪気は多分ねーから。」

「ああ、そんな気はした。俺も氷漬けにされたりしたからさっきはちょっと身構えちゃったけど。」

「あー、あれなぁ……。」


 ジェンは軽く頭を掻く。


「結構、過保護なんだよな。アイツ。」




●●●



 魚は夢を見ていた。とはいえ、魚にはそれが夢なのか現実なのか判断がつかない。肉体の存在を感じず、気の向くままにするりするりと泳ぎ回る。魚にはその場所がどこかわからない。『あの』水槽の外に広がっていた場所よりも洗練された、明るい空間。白い、白い、どこまでも白い壁が続く――――その合間に、人々の姿を見る。


 桃色の髪を揺らす少女が金髪の少女につながれたコードの位置を調整している。

 長身の筋肉質な男性が鼻歌混じりに裁縫に勤しんでいる。

 幼い少女がその身長を超す大きさの剣を磨いている。無表情だ。

 青年が聖職者らしき男と話し込んでいる。実験――?聞き取りにくい。

 金髪の女性がデスクに突っ伏して眠っている。隣には錠剤が置かれてた。


 魚は疑問符を浮かべる。場所に見覚えはないが、人の顔を見てもやはり見覚えがない。覚えがあるのは黒髪の人物だ。黒髪の少年が2人。どちらもまだ少し幼い顔立ちをしていた。ふと、ドアを叩く音が聞こえる。


『サジェさん。光人です。』


 あぁ、そうだ光人という少年だった。名前を、くれた人。女性はハッと目を開き、すぐに扉へと駆け寄る。魚には気づいていない様子であった。寝起きであったために気づかなかったのか、それとも今の自分には形が無いのか。


『はいはい。ご飯はしっかり食べられたと?』

『はい。美味しかったです。』

『そりゃなにより。さぁ、今日の業務に移ろうか。担当者を呼ぶからちょっと待っとうせ。』


 扉をくぐった人物に魚は見覚えがあった。テトラ、という名前を自分に与えた少年。穏やかな顔をした彼は近くにあった椅子に腰掛けている。彼もまた、魚に気づいた様子はない。自分に実体があるのか無いのか、やはり不明な状態のまま魚は泳ぐ。宛もなく移動するのはひとまずやめることにした。『顔見知り』の存在は情報の共有を助ける可能性があると考えたが故である。しかし自分が今ここにいることを知らせる術は無い。彼は、光人はどうしたらこちらに気づくのか。


『とんでくる言うとった。あと、今日もまだ部署決まらないだろうから、とりあえずの寝床はここな。背中痛いだろうけど、もうちょい我慢してくんろ。』

『はい。……?』

『どぎゃんした?』

『いや、なんか今動いたような……?』


 光人がこちらを見た気がしたが、女性が振り返る前に扉が再びノックされた。現れたのは明るい茶髪の青年であった。身軽そうな格好で快活に笑うのが印象的である。


『どーもどーも。君が光人君だね?』

『篠宮光人です。よろしくお願いします。』

『ボクは参番書庫のサトル・カスカベ。君の戦闘適性の検査を担当します!』

『戦闘適性?』

『ある程度の数値は出てるけんど、どんな武器が合うかとかはまだわがんねがら、それを調べてもらうべ。』

『あぁ、そういう……あっ、昨日借りた剣、どこかに置き忘れたみたいで……。』

『ん?あー!そういやアレな、君が寝た後でジェン君が持ってきたよ。後でお礼言っとき。』

『そうなんですか?わかりました。』

『あぁ、昨日早速任務だったんだっけ。剣、使ったの?』

『いえ、ずっと握りしめてただけでなんにも……。』

『そっかそっか。じゃあ本当にイチからなんだね。サジェさんはこれからお休みですか?』

『おん。寝るけん、なんか用があったら起こしてぇな。』

『はーい。じゃあ光人君、行こうか。』

『はい。』


 光人は青年に連れられて部屋を出て行ってしまった。追いかけるべきだろうかと魚が思案したその時――目が合った。


『…………。………………!?』


 黒い目を瞬かせ、メガネのツルを持って位置を調整してから再び女性は魚を見た。今度こそハッキリと視線が交わる。魚は自分に実体らしきものがあることに気づいた。


『えぇと。君は……?いや、会話できるんか?』

「ワタシは、電子回遊の魚。……テトラという名前ヲ、もらいマシた。」

『会話できてるーーーー!えっ?嘘ぉ!?君テトラちゃんなの!?』

「ハイ。ところデ、ワタシは今どういう状態でスか?」

『液晶画面に、魚の……ロボット?みたいな画像として表示されながら喋ってるよ。いや、泳いでるのかな……。声はスピーカーから出てるみたいだ。』

「そウですか。自身では、どのよウに移動し、どノヨうに発音シテいルのか、わかリません。」

『そうなの?いやー、おったまげた。んーじゃあ、体はどこに置いてきちゃったのかな?』

「不明でス。はじめに認識でキた映像は金髪ノ少女に桃色の髪の少女ガ機械を取り付ケテいる場面でしタ。」

『ミシュリーか……?ふむ……元は魚型のロボットだったっていう報告は上がってきとるに、繋がれたコードに咄嗟に干渉しちゃったのかな?』

「不明です。ガ、他の可能性は考えラレません。」


 女性は興味深そうに魚を眺めている。しかし、その目元にはしっかりと疲労が滲んでいた。


『ほー……まぁ、いろいろ考察したり説明したりしたいこともあるんだけんどね?とりあえず君、時間は分かる?』

「ここニ表示されテイる数字でスか?」

『そうそう。それが……十二になったら声を掛けてくれないかな。ヒマだろうけど、このモニターの中のデータは消さなければ何見てくれても構わないから……あぁ、これ読んでてもらえばいいのかな。そういうことってできる?』

「可能デす。」

『じゃあ、頼むよ。ちょっとだけ疲れたんで、寝かせて……。』


 先程光人と話していた時のような、不明瞭な言語ではなくなったのは機械である魚を気遣ってのことなのか、それとも疲労のせいなのか。魚に判別はつかなかったが、ひとまず提示されたファイルに潜り込む。そこには整然と情報が並べ立てられていた。普通の人間が読むよりも早く――情報は魚の中に取り込まれていく。理解するより先に記録されていく。分析と再構築が行われ、魚は「理解」を始めた。


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