第12話 キャストとアクター
鍵をかけて振り返った彼女は、疲れたように息をついた。
「……できれば隠しておきたいところだけど、正直、今の接触で既にバレた可能性がある。」
「そうなんですか?」
「おん。鵺魄は、館長を務めるだけあってあらゆる能力が高い。そして、何年生きてるんだか分からん。」
「ぱっと見、若そうでしたけど……。」
「あの人もキャストだからねぇ。だもんで元々生きていた物語の方で何年生きてたのかわかんねぇ上にタイムイーターだって……ん?どした。」
「キャストってなんですか?」
キャスト――光人の知る限り、それは「配役」を示す単語である。しかし、どうも今はそういう意味では使われていないらしいということはすぐに分かった。サジェは虚をつかれたよう見目をぱちくりと瞬かせる。
「言ってなかったっけ。」
「聞いてないです。」
「そうか、いや……すまんね、私のミスだに。君とか、ジェン君みたいに他の物語から保護されてきた人のことを我々は『キャスト』と呼んどる。反対に、この世界で生まれてこの世界で育ったエフェクト使いを『アクター』と呼ぶんじゃ。キャラクターとして配役を与えられて生きた者と、役者として自分を生きる者、そんな感じだねぃ。……能力にも差があるけど、それはまた今度。もし私が説明するの忘れてるようだったら言うてな。」
「はい。」
今後何度か確認しないと覚えられそうにない、と光人は自分の平凡な頭を掻いた。
「で、あとは……タイムイーターは物語の寿命を食べると言ったけんど。そのタイムイーターを屠ると、物語世界に寿命が戻るのと同時に屠った人物にも寿命が加算される。」
「えっ。」
「物語世界に戻るはずの寿命の一部が私たちに宿ってしまうらしくてね。まぁ、微々たるものじゃが、塵も積もればってヤツたい。寿命が延びれば延びるほど成長も老化も間延びする。」
「間延び……?」
「若い体の内にタイムイーターを討伐しまくると、成長がゆっくりになっていつまでも若いまんまでなぁ。とどのつまり、見た目と実年齢が見合ってないやつの方が多いってわけよ。まぁ、精神の成長も間延びする傾向にあるから、精神年齢は見た目どおりみたいな人が多いに。あんまり気にせんでよか。」
「でも、館長さんは違うんですか?」
「おう。中には精神年齢が実年齢と共に成長する人もいてはる。あいつに関してはどっちなのかが見当がつかんでな。鵺魄は、多分見た目の三倍は生きとるけん、精神も成長しとるなら余計に何考えちょるか……。それに、私の前にここの書庫長を務めた人の非道な実験に関与していた可能性がある。」
サジェは苦々しげに言った。
「非道な実験……。」
「詳細は省くが、人為的に『主人公』を作る実験さ。……実際に関与していたなら、本物の主人公である君なんてなんとしても調べ尽くしたいはずだ。だから、私は君のことを極力隠したいんだよ。まぁ、それでどう報告しようか考えてるうちに逆に怪しまれたみたいだけどね。」
光人の中で鵺魄の印象が二転三転する。先ほど向けられた視線の意味は一体何だったのか。報告が楽しみと言っていたが、サジェの話が本当なら一体どんな報告を楽しみにしているというのか。そして、人為的に『主人公』を作って、彼は何がしたいのか。
「……ごめんな、こんな物騒な話しばっかでさ。でも、私はあの男が信用できにゃあ。悪いけんど、協力してほしい。」
「……わかりました。っていっても、俺、どうしたらいいのかわかんないんですけど。」
「せやなぁ。うん、自分が主人公ってことと、今持ってる光のエフェクトが私に借りたものだってことは隠してほしいかな。それ以外は、むしろあんまり意識しない方がいいかもねぇ。」
「頑張ります。その……バレたらすみません。」
「まぁまぁ、ぶっちゃけもうバレた可能性もあるわけだしね。……君に落ち度はないから、安心って言ったらまたちょいとおかしいけど、あんま気にせんといてな。ひとまず、鵺魄にもしも呼び出されることがあったら、先に私かジェン君に声かけてほしい。」
「はい。」
「さて、本来のスケジュールをこなそうか。まずは食事。そんで、君の部署決めとかすんべ。食堂はわかるかい?」
「ホールに出たら、右の方でしたっけ。」
「そうそう。君が戻ってくる頃くらいまでは私も起きてるはずだけど、もし寝てたら起こしてけれ。」
「サジェさんはごはん食べないんですか?」
「小食でね。あんまり食わんのよ。」
言いながらサジェは扉の鍵を開けると光人を促す。部屋の外に出ると静かな廊下が続いていた。ミシュリーに連れられて初めてあのステンドグラスのあるホールに出たときのことを思い出す。あの時も、白い廊下は静まり返っていた。小さくサジェに頭を下げてからその静かな廊下に一歩踏み出す。しばらくすると、背後で扉の閉まる音がした。ほんの少し、心細さを感じながら廊下を進むと――廊下の先に人影を見つけた。
「よぉ。」
「ジェン!おはよう。」
「おう。これから飯だろ?行くぞ。」
「迎えに来てくれたんだ。」
「昨日食堂から出るとき、お前場所間違えてたからな。あとはまぁ、平常時の食堂の使い方も知っといた方がいいだろ。」
「助かるよ。」
ジェンに着いてホールを横断する。食堂の入口では、目立つ長身の人影があった。どことなく雑な伸び方をした濃紺の髪、同じ色の温度の無い瞳。白いカーディガンのようなものを着た青年――ジェンに親し気にルッツ、と声をかけられた彼こそ出会ってすぐに光人を氷漬けにした張本人、ルートヴィヒであった。今は特に攻撃される理由が無いと分かりつつも咄嗟に身構える光人に、ルートヴィヒはなおも気だるげに視線を投げる。身体をこわばらせたまま、じりじりとジェンの背後に身を寄せようとすると、ジェンは分かりやすく大きなため息をついた。
「ルッツ。威圧すんなって。」
「……そういうつもりはない。」
「ほんとか?おまえ笑わねーしよぉ。」
「……そうか。すまない。」
「えっ。あ、いや、俺もなんか、ごめん。」
実際にそういうつもりが無かったのか、それともジェンに言われたから態度を軟化させたのかは不明だが、ルートヴィヒは冷たい視線を光人に向けるのをやめて一言謝罪した。もしあれがいつもの姿なのだとしたら、と思って光人は妙に申し訳なくなった。ジェンの背後からそっと体を離して小さく頭を下げる。しかし、ルートヴィヒはさして気にも留めていない様子で光人から視線を外した。
「よっし、飯だ飯。」
「今日は焼き魚だそうだ。」
「お、久しぶりだな魚。」
魚、と聞くとつい光人はテトラを思い出すが、今のところは思い出すだけにとどめる。というのも食堂は昨晩訪れたときの静けさとは打って変わってにぎわっており、食事をしながら仲間と談笑する者、コーヒーを啜ってため息をつく者、様々な髪色、肌色の人々がそれぞれ普通に食事をしている様に圧倒されてそれどころではなかったのだ。教室二つ分ほどの広さをまんべんなく埋める人々の姿に、本当にフィクションの世界にいるのだ――改めてそのことを意識した。よう、と軽く手を挙げて仲間に挨拶するジェンの背を追いかける形で歩く光人は、すれ違う人々に視線を向けられるたびに軽く会釈する。ルートヴィヒは無反応のままジェンの隣を歩いているが、彼に対して何か言う者はいなかった。やはりこれが普段通りなのか、とこちらも再確認していた。
「ルッツ、俺と光人で飯持ってくるから、ここにいてもらっていいか?」
「わかった。」
いくつか並んだ長いテーブルの片隅に空きスペースを見つけてルートヴィヒに場所取りを任せると、ジェンは光人の腕を引いて厨房まで案内する。近付くとより強く漂ってくる焼き魚の匂いが二人の鼻孔をくすぐる。光人に至っては、嗅ぎなれた焼き魚の匂いに、早くもホームシックになりかけていた。家の食卓を最後に見たのがずいぶん昔に感じる。
「お前、魚食える?あ、とりあえず食えないモンはねーって言ってたか。」
「俺がいた世界での話だけどね。食文化の違いとかって問題になるの?」
「割とな。生き物の肉食うなんてもってのほかだーみたいなこと言うヤツもいるし、元々の種族が人間じゃなかったやつに多いけど、岩とか木が主食だったってヤツもいるしな。」
「岩……?」
宗教的な意味で食せないものがあるというような意味で尋ねた光人には、ジェンの答えは少々衝撃的であった。
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