第4話 白い壁、行方不明のスマホ

「アンタ、意外に肝が据わってるわねェ。普通こういうところで脱がないわヨ。」

「え。……いや、そうですかね。」

「ま、いいワ。アタシからしたら大人しくしててもらって困ることはないしネ。」


 抵抗しても無駄そうだと思った、などとは言えずに光人は曖昧な返事をした。


「はいはい、終わったワ。服着ていいわヨ。」

「変なところとか、無いですか。」

「ええ。おおむね健康体。でもちょっと筋肉つけた方がいいわよォ。」


 入院着のようなものに再び袖を通し、ほっと一息つく。光人は、そういえば――と口を開こうとして、扉の開く音によってそれは遮られてしまった。そして光人の尋ねようとしていたことは即座に解決した。そこにいたのはピンク色のツインテールを揺らす少女――ミシュリーが立っていたのだ。


「ごめんね光人君、ちょっと取り込んでて……書庫長!?」

「ハァイ、ミシュリー。」


 ティーヌの姿をその大きな瞳に映した瞬間、ミシュリーの顔は真っ青になった。呑気に手を振って応えるティーヌに対して、あわあわと忙しなく手を動かしている。


「書庫長はまだ刺激が強いから顔出しちゃダメって言ったじゃないですかぁ!」

「あんまりにミリョク的っていうのも罪よネ……。」

「そっ、そうですよ!あとは私が対応しますからっ、また副書庫長に怒られちゃいますよ!私怖いから一緒に怒られるの嫌です!」

「ハイハイ、わかったワ。戻ってアゲル。あ、バイタルチェックは済んだから。あとはジェンちゃん呼んで、サジェっちの所に連れてってあげるだけヨ。」


 じゃあネ、とティーヌは来た時と同じような唐突さでその場を後にした。


「あ、後ろリボンになってたんだ。」


 エプロンの後ろ側はレースをふんだんにあしらった紐で、かわいらしく蝶々結びにされていた。思わず気の抜けたような声でつぶやいた光人を前に、ミシュリーは小さくため息をつく。


「ごめんね、私がちゃんとここに詰めてたら……。」

「いや、その、大丈夫です。別に変なことされなかったし。」

「本当?服とか脱がされなかった?」

「え?」

「やっぱり脱がされたの!?」

「検査するからって……。」

「あれを使って検査するときは服を脱ぐ必要はないの……。」


 ミシュリーの発言に光人はふと、何分か前にティーヌに言われたことを思い出す。


 ――でもちょっと筋肉つけた方がいいわよォ。


 そうか、あれは趣味の問題か――と光人は再び意識が遠のいたような気がした。


「でも、とにかく目が覚めてよかった。もう三日も寝てたんだよ?」

「そんなに!?全然そんな感じしない……。」

「少しは身体軽くなった?」

「うん。疲れてたんだなぁ……。」

「氷漬けにされてたって聞いたし、無理もないよ。さて、これからサジェさんのところに案内するね。」


 ミシュリーはベッドの下からスリッパを取り出した。促されるままにそれを履いて、光人は立ち上がる。背筋を伸ばすと全身がバキバキと鳴った。


「元々光人君が着てた服とかはまたちゃんと返すから、安心してね。」

「ありがとう。もしかして洗濯とか……。」

「もちろんしてあるよ!いい匂いになってると思うから楽しみにしててね。」


 ミシュリーはにこにこと笑っていた。光人は自分の服の処遇をそこまで心配していたわけではなかったが、思えばスマートフォンだけは気がかりだ。カバンはこちらに持ってきたのかすら分からないが、スマートフォンだけは制服のポケットに入れていたはずなのである。元々使っていたのと違う世界でどれだけ使えるかは分からないが、写真でも見られたらいい、と思った。


「ポケットになんか入ってたりしなかったかな。」

「ハンカチが一枚入ってたよ。それも後で返すね。」

「――そっか。ありがとう。」

「いえいえ。じゃあ、行こっか。」


 どこかで落としたのかもしれない、と光人は小さく肩を落とした。それには気づかなかったらしいミシュリーは光人に背を向けて歩き出した。やや遅れて追いかける光人は、ぼんやりと扉やその先の廊下を見る。つなぎ目のない真っ白な壁とはめ込まれたような白いいくつかの扉。無機質を極めたようなそれらがなんとなく不気味で、ミシュリーの背との距離を少しだけ縮めるように足を早めると、ミシュリーは足音の変化に振り向いて笑った。


「置いて行ったりしないよ。」

「あ、いや、そういうわけじゃなくて……。なんか、人気がないっていうか。」

「今はちょうど傷病者もいないからね。このあたりの病室は光人君がいたところ以外使ってないの。私はもう慣れちゃったけど、確かに静かかも。」


 歩きながらミシュリーはやはり相変わらず柔らかい声で笑った。


「そんなもんかな。」

「そうだと思うよ。それにここはまだまだ光人君にとっては知らない場所だからね。私も最初は怖かったかも。」

「ミシュリー……さん、も?」

「あ、やっと名前呼んでくれた!ミシュリーでいいよ。」

「あ、うん。じゃあ、ミシュリー。」

「うんうん。」


 満足そうに頷く彼女が嬉しそうで、光人は思わず疑問を飲み込んでしまった。自分も、ということはミシュリーもまた光人のようにどこかの世界から連れてこられて、泣いたことがあるのだろうか。聞けば答えてくれるのかもしれないが、今この状況で彼女の表情が曇ってしまうと、それは限りなく気まずい。


「ここから出たらにぎやかになるよ。その方がびっくりしちゃうかも。」

「そんなに?」


 突き当りの、やはり白いドアを前にしてミシュリーは頷いた。確かに、その先からはわずかに人の声が聞こえる。


「結構な人が毎日走り回ってるからね。……書庫長よりインパクトのある人っていうのもあんまりいないと思うから、そこは安心してね。」

「書庫長……ティーヌちゃんのこと?」

「ティーヌちゃん!?無理して呼ばなくていいからね!?」


 ぎょっとしたミシュリーの必死さに光人は思わず噴き出した。さっきまではショウケースに入ったスポンジケーキのようだった彼女が急に人間らしく見えた。彼女は笑う光人に赤面して、あわあわと顔の前で手を振った。


「だ、だってまさかそんな風に呼ばせてると思わなくて!」

「うん、……ふっ。」

「わ、笑わないでよぉ……。あの人、本名はアウグスティーヌ・ストリギィって、なんか強そうな名前なんだよ?それがまさかそんな……。」

「ごめんごめん、落ち着いた。」

「うぅ……。」


 赤くなった顔を手で仰ぎつつ、書庫長ったら、と何か口の中でぶつぶつと言った後にひとつ咳払い。気を取り直したミシュリーはドアの横に取り付けられていた端末に手のひらをかざした。ウィン……という稼働音と共に扉が横にスライドし、その先の光景があらわになる――――。




 真っ白な三階建てのホール。中央の吹き抜けから見える天上には、美しいステンドグラス。色があるのはそのステンドグラスとまばらに行き交う人のみで、あとは階段の手すりに至るまでもれなく純白であった。何人かが光人とミシュリーをちらりと見るものの、すぐに忙しそうに去っていく。


「カリーヌ司書、おはようございます。」


 口を半開きにしてホールの天井を見上げる光人を他所に、ミシュリーは今しがた出てきた扉の隣にある、病院の窓口のようなカウンターから身を乗り出した青年に声をかけられた。人好きのする笑みを浮かべた彼に、ミシュリーも軽く手を上げて応える。


「おはよう!ちょっとサジェさんのところへ行ってくるね。すぐ戻ると思うけど、なにかあったらお願いします。」

「はい。お任せください。……そちらは?」

「ほら、この前新しくここに来た光人君だよ。目を覚ましたから、彼をサジェさんのところに案内するの。」

「そうでしたか。案内でしたら僕が代わりましょうか?」


 青年は光人を一瞥した後、やはり親切そうな声音で言った。しかしミシュリーは首を横に振る。


「ありがとう。でも、私が行くよ。ジェン君に頼まれたのは私だったしね。じゃあ、あとはお願いね!」


 にっこりと笑って見せたミシュリーは手持ち無沙汰に立っていた光人の手を引いて歩き始める。今度は光人が赤面した。異性の手に触れることが、というよりは子供のように手を引かれているのが気恥ずかしかった。そんなに多くないとはいえ周囲の目が気になるのだ。


「ミシュリー、はぐれたりしないから……!」

「あ、ご、ごめん。」

「どうしたの?」

「うーん……彼、ちょっとだけ苦手なの。私の役に立とうとしてくれるのは嬉しいんだけど、ちょっとやりすぎっていうか……。」

「そうなんだ。」


 ちら、と軽く振り返ってみると青年もこちらを見ていた。先ほどの人好きのする顔ではなく、恨めしそうに。慌てて顔を前に戻すと、ミシュリーは苦笑していた。光人は思い出した。男女の差はあるものの、ああいう視線を向けられることには経験がある。


「……俺の友達も、よくそういうことで困ってたよ。」

「本当?いつか話してみたいな。」

「うん、いつか……。」


 そしてどちらともなく歩き出す。その後は、もう声を掛けられることはなかった。

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