第3話 優しい声と、野太い声と

「あらあら、ジェン君。その子?新しく連れてこられた子って。」

「おう。なんか、いろいろ説明聞いてたらキャパオーバーしたらしくてよぉ。」

「うーん、それは……私もそうだったかも。とりあえずベッドで寝かせておこうね。」


 四番書庫に訪れたジェンに応対してくれたのは、ピンクの髪を高い位置で二つに結んだ赤い目の少女だった。清廉な白を基調としたたっぷりのフリルとリボンが袖にもスカートにもあしらわれたワンピースを、これほど着こなせる人物をジェンは他に知らない。


「安心してね、大丈夫だから。目が覚めたら、なにか説明した方がいいことはある?」

「いや、サジェさんのところに連れてこいって言われてるから。」

「そうなの?特殊な体質とか?」


 少女は二人を病室へと導き、手際よくベッドの用意をする。そこにジェンは光人を降ろして寝かせる。毛布を掛けてサッとカーテンを閉じた。


「あー、いや、それは何とも言ってなかった……、から、わからん。」

「そう?じゃあ、ジェン君はお仕事に戻っていいよ。新入り君は、私がちゃんとサジェさんのところまで連れて行くから。」

「……頼みたいけど頼みたくねぇ……。」

「どうして?……もしかして私、そんなに信用無いのっ!?」

「ちげーよ!いや、その、次の仕事が……始末書だから……。そいつの世話してる方が少しは気が楽かと思って……。」

「そうなの?」


 きょとん、と目を瞬かせる少女を前に、そういえばなんでエフェクトがなくなったかとか、書いちゃまずいんだよな、そもそもよく分かんねーし、とジェンはさらに気を重くした。結局、光人が倒れたせいでジェンは光人の持つ主人公の特性というものがどういうものか、分からないままなのだ。そもそもこんな貧弱な主人公を求めていたわけではない――と、余計なことを考え始めたとき、眉間には少女の指があった。


「シワ寄ってるよ。始末書嫌なのはわかるけど、頑張って?終わったらルッツ君とお菓子でも食べに食堂にでも行ったらいいよ。」

「……そうする。ありがとな。」

「ううん、じゃあ、後は任せてね!」

 

 お疲れ様、と手を振る少女に背を向けてジェンは去った。その場に残った少女は光人の眠るベッドに戻り、カーテンを静かにめくって「目が覚めたら、ボタンを押してください。」と書かれたタグをサイドテーブルに置く。そして、通常業務に戻ろうとした時。


「あ、の……。」

「あら、起きちゃいました?」

「いや、えぇと……すみません、ここって……?」

「ここは四番書庫ですよー、って言っても、新入り君には分からないよね…。病室だよ。どうしよう、まだ寝たいよね?」

「できれば……めまいが……。」

「うんうん。大丈夫だよ。あ、お名前聞いてもいい?ジェン君に聞くの忘れちゃった。」

「光人……です。」

「光人君ね。私は、ミシュリー。ミシュリー・カリーヌ。今は寝ててもいいよ。起きたらまた、お勉強しようね。」

「はい……。」


 ピンクの長い髪をリボンで結いあげたツインテールと赤い瞳は、光人がここに連れてこられてから見た人物の中では一番「キャラクター」と呼ぶのにふさわしい外見をしていた。だが、今は一番心を許していい相手に思えた。顔立ちも、声も、雰囲気も、優しさの塊のような少女だった。


「俺、どうなるんだろう……。」


 そんな印象のミシュリーにだから、うっかり光人は小声で漏らしていた。彼女ならば、優しい言葉をかけてくれそうな気がして。


「うーん、適性をサジェさんとか、他の司書さんたちに見つけてもらって、それに合ったお仕事をすることになると思うよ。あんまり危なくないところだといいね。」

「うん……。」

「大丈夫。ちゃんと、居場所は見つかるからね。」

 

 思わず、目頭が熱くなった。それに気づいてほしくなくて、光人はつい目元まで毛布をかぶる。逆にわざとらしいとも思ったが、何よりも今は顔を見られるのは恥ずかしい。しかしミシュリーはそんな光人の様子には触れずに話を続ける。


「見つかるのに時間がかかるときは、ここでゆっくりしてね。私、あなたの世界のお話も聞いてみたいの。」

「ありがと。」

「どういたしまして。ここに連れてこられた人って、最初はみんなそうなんだから。あんまり気負わないでね。」


 何かあったら、サイドテーブルに置いてあるボタン押してね。と言い残してミシュリーは今度こそカーテンを閉めて去っていった。やるべきことがあるのはもちろんだが、その上、泣きそうな光人に気を遣ったのだろう。彼女の厚意に甘えて、光人は寝ることにした。きっといつもだったら見知らぬ場所で、見知らぬ人間がいつここを訪れるかもわからない状況で眠るなんてことは緊張してできなかっただろう。しかし、今光人は非常に疲れていたのだ。


(大丈夫。)


 ミシュリーの声がすっと光人の胸に降りてくる。ひどく落ち着く声だった。自分を氷漬けにした濃紺の髪をした少年とは正反対の、包み込むような声。その声の主は、いつの間にか瞼の裏ではミシュリーから親友の姿に変わる。


(そうだ、何が何だかまだ全然わかんないけど。アサヒに会わなきゃ。助けなきゃ。あのままにしておけない。)


 アサヒが血を流して動けなくなっていた姿は、今も鮮烈な記憶として焼き付いている。


(助けても、その先いつまでも一緒にいられるわけじゃないだろうけど。)


 でも、まだ友達でいたいのだ。

 昔の友達には、まだなりたくないのだ。


 


  ●●●


 


 すっかり眠っていた光人は、誰かの言い争いでぼんやりと目を覚ました。


「ちょっと!治療は終わってませんよ!」

「いい。これくらい治れば十分だ。問題ない。」

「問題あります!こら!待ってください!ロデリックさん!?」


 パタパタという足音と声は遠ざかっていく。ここはどこだろうか、と光人は身体を起こす。目に入ったのは病院のような内装と薄い色のカーテン、サイドテーブルに置かれた何かのスイッチ、そして目が覚めたら押すようにと書かれたタグ。ぼんやりとそれを見ていて、徐々に自分に何があったのかを思い出しつつあった。


(そうか、まだよくわかんないけど……今までとは違う世界に連れてこられたんだっけ。)


 タイムイーター、エフェクト、キャラクター、主人公……と光人は一つ一つ思い出す。そして説明を受けている途中で自分は気を失って、ここに連れてこられたのだ。


(確か、ここにミシュリーって人がいたよな……?)


 サイドテーブルの隣にはピンク色のツインテールを揺らす少女がいたはずだ。彼女が優しい声で励ましてくれたのも思い出す。――とすれば、このタグを残してくれたのは。と光人はスイッチに手を伸ばす。しかし、先ほどの言い争う声の片方がミシュリーの声だということに気づいた。


「今押したら迷惑なのかな……?」


 しかし、目を覚ましたら押せと書いてある以上は押した方がいいのだろうか。と首をひねり――光人は、意を決してそのスイッチを押すことにした。ぴんぽーん、と軽い音がして、ファミレスにある店員呼び出しベルを思い浮かべた。


「ハァーイ、おっはよー!」


 程なくして、勢いよく開く扉の音と共に聞こえたのは野太い声であった。てっきりミシュリーか、ミシュリーのような人物が来るのだろうと無意識に思っていた光人は思わず自分の耳と目を疑った。


「あっらァ、なァにそのカオ!ミシュリーが良かったって書いてあるわよォ!失礼ネ!」

「えっ……あ、す、すみません……ん?」

「んもォ……テンション下がっちゃうわァ。ま、でもしょうがないわね、ミシュリーかわいいし。流石のアタシもあのコには負けるワ。」


 ――ふんわりと柔らかそうに巻かれた亜麻色の髪。ぱっちりと持ち上がった長いまつ毛。血色をにじませたような艶のある頬。煽情的な色の唇。ミシュリーの服にも劣らないたっぷりのフリルが少女らしさを主張する純白のエプロン。化粧の雰囲気に対してエプロンは少し少女趣味だった。そんなアンバランスさが魅力的で、男の視線をくぎ付けにするような女性らしさに溢れた――筋肉質でおそらくは2メートル近い身長の、男性であった。


「ええと……。」

「身体検査するわネ。ちょっと服脱いでくれる?」

「えっと、すみません、先に聞きたいことが……。」

「なァに?忙しいけど聞いてあげるワ。」

「口元のヒゲは、なにかこだわりが?」

「アラ、アンタわかってるじゃなァい……?そうよ、チャームポイントよ。」

「そ……そうですか……。」


 美しく、丁寧に施された化粧の中で気になるのは鋭い眼光と口元のヒゲであった。おそらくは艶のある髪と同じくらい丁寧に手入れをされているのだろう。


「あと、なんて呼んだらいいですか?」

「そうネェ……ティーヌとお呼び。」

「ティーヌさん。」

「ンン、ティーヌちゃんの方がいいわネ。」

「ティーヌちゃん。」

「いいワ。そう呼んで頂戴。さ、服脱いで?検査するわよォ。」


 光人の頭は相変わらずぼうっとしていたが、これは目の前の人物が一つの原因になっている気がしていた。言われるがままに服を脱ごうとするが、そこで彼はやっと自分が寝る前と服が変わっていることに気づいた。学校の制服を着ていたはずだが、今は入院着のようなものを着ているのである。


「あぁ、アンタうなされててねェ。すんごい汗だったから着替えさせたのよォ。安心して頂戴。やったのは男性職員ヨ。」

「ご迷惑おかけしました……?」

「いいのよォ、それが仕事なんだしィ。」


 服を脱いだ光人の体を、ティーヌは体温計のような器具を軽く押し当てることで検査しているらしい。メカニズムも分からないが、特に痛みや違和感がないからか、光人は何となくそのまま身を委ねることにした。

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