第2話 登場人物と主人公

「なんっ、すか。サジェさん。」

「ジェン君。光人君の左手掴んで、いつも通りエフェクトを返してもらってみてくれぇや。」

「はぁ。」

「光人君は何も借りた覚えは無いだろうけど、返却しますーって思っててな。」

「はい……?」


 言われたとおりに、超能力を返す、返却する、とあやふやな気持ちで念じる光人の左手にジェンの手が触れる。妙な緊張感に光人は再び鳥肌を立てた。


「あ、戻ってきた。」

「お、成功だ。」


 一体何をされているのか、光人には全く理解できなかった。ジェンは戻ってきたと言ったが、光人はさっきからまるで何かが変わったという感覚はないのだ。ジェンはさっさと光人の手から自分の手を離すと、握っては開いてを繰り返す。


「どうだい?」

「問題なさそうです。性質の変化も感じません。」

「よしよし。ひとまずジェン君の件は解決ずら。」

「にしても、なんだったんですか、こいつ。」

「我々の仲間になれる能力がある……どころの騒ぎじゃないんよ。」

 

 逡巡するサジェは、先ほどまでのどこかおどけたような顔を潜めていた。真剣な表情で、光人とジェンの顔を交互に見る。


「……ジェン君。君、口は堅い方だっけな?」

「はぁ……?まぁ、軽々いろいろ言う方じゃないとは思いますけど。でも嘘と隠し事は下手っすよ。」

「君分かりやすいからなァ……。でも、君は知っておいた方がいいだろうから話すけん。これから君に話すことは誰にも言うたらいかんぜよ。」

「はぁ……。」


 サジェはその場で待つように光人とジェンを置いて扉まで歩いていく。スライド式のドアから顔を出し、扉の付近に誰もいないことを確認する。扉を閉め、カチリと鍵もして、から二人の元へと戻る。そして、小声で話し始めた。


「……光人君、君にもなるべくわかるように話そうと思う。とはいえ、あまり時間もないからダイジェスト版じゃけど。詳しいことは追々話すから、まずは大人しく聞いてけれ。」

「は、はい。」

「よし、いい子。」


 光人どころかジェンも現状を読み込めていない様子だったが、空気を読んだのか口をつぐんでいる。真剣な目で見つめられ否が応でも緊張した空気に包まれる。光人は思わずたじろいだ。


「光人君、君は今フィクションの世界に入り込んでるんだと思ってほしい。自分のいた世界では、きっと小説や絵本、ゲームとして存在していた『架空の物語』に、足を踏み入れているんだ。英雄でも稀代の魔術師でもない君は、かわいい妖精の導きでも、まだ見ぬお姫様の祈りの力でもないけれど、この世界に連れてこられた。」


 そう、自分でも言った通り、何の変哲もない高校生だったのだ、光人は。それが、超能力で氷漬けにされて、今は違う世界にいるのだという。


「君の家族も、友達も、恋人も、この世界のどこを探したっていないんだ。」

「……恋人は元の世界にもいませんよ。」

「そうかい?そりゃ失礼。で、だ。なんでそんなことが分かってるかと言うと、君が初めてじゃないんだ。この世界に他の世界やら次元からキャラクターが連れてこられることなんて。」

「キャラクター……。」

「そう、キャラクター。君も何かしらの物語の中で生きていた登場人物だったのさ。ここにいるジェンも、もともとこの世界の住人じゃない。テレビゲームだっけ?」

「はい。俺はゲームの……登場人物、でした。」


 ジェンは、心なしか暗い面持ちになった。目をそらし、ぎゅっと拳を握る。

 

「ジェンもかつて、君と同じように訳も分からないまま私たちにこの世界に連れてこられて、今はここにいる。そういう人がいっぱいいるんだ、ここには。しかしだ。基本的に、自分たちの世界に戻るために、あるいは仲間を元の世界に戻してやるために、私たちは戦ってる。」

「この世界を救ってほしい、とかじゃなくて?」

「そうとも。この世界は、誰かの救いを求めてはいないのだよ。」

「じゃあ、どうして異世界から人を連れてきたりするんですか?」

「ごもっともな質問だね。指摘が鋭くて私は嬉しいよ。」

 

 そういえば、どこの訛りとも分からないような話し方はどこへ行ったのだろうか。光人の脳裏の、そのまた片隅をそんな疑問が駆け抜けた。きっと現実逃避の一種だ、などと思う暇もなくサジェは口を開く。やはり、声を潜めて。


「私たちは、……あれだけ手荒な真似をしておいて何を言ってるんだと思うだろうけど、人を攫ってきて仲間を増やしているわけではなく、死を待つばかりの君たちを保護しているんだ。」

「保護?」

「そう、保護。君を襲った白い毛玉は覚えてる?」

「あ、あの、なんか、ウサギか猫みたいな。」

「そうそう。あれを『タイムイーター』って私たちは呼んでる。人と世界の寿命を食べて生きながらえる謎のモンスターさ。詳しい生態はいまだ不明でね。」


 そういえば、と確認したが、破れた制服の袖から覗く腕はいつの間にか噛まれた痕がきれいに治っていた。あの時はあんなに痛くて、血が出て、ひどい虚脱感が襲いかかったというのに。


「君の世界は、突然のタイムイーター大量発生により寿命を食われたんだ。世界の寿命が尽きる、っていうのは……一言で言えば、物語の終幕。ジ・エンド。しかし、タイムイーターによる終幕は、意図されたものではない。」

「すみません、よく……分かりません。」

「そりゃそうとも。本で例えようか。上巻が読み終わっていざ下巻が出るのを待ってたら、下巻を書き終える前に作者が死んだとしよう。その物語は、中途半端におしまいになるよな?」

「それは、……あ、そうか。ちゃんと完結しないで、終わりになっちゃうってこと、ですか。」

「そうそう。そういうこと。君の生きていた世界も、私たちからすれば異世界。君の世界は誰かの描いた漫画で、たくさんの読者がいたかもしれない。そんな、君の登場する物語はタイムイーターによって急に打ち切られた。終わった物語の登場人物はどうなると思う?」

「物語は終わってるわけだから……登場人物も、そこで終わり?」

「そう。途中で打ち捨てられて、誰からも忘れられた世界の登場人物なんて用済みってわけだ。物語の終わりをしっかり迎えられて、納得がいっているならまだしも、突然タイムイーターの餌になるのは虚しいだろう?意識を保って生きているならなおさらね。我々としても敵であるタイムイーターの養分はなるべく減らしたいから、彼らの餌食になる前に生存者を保護して回るってわけ。」

「でも、なんで俺だけなんですか?それなら皆保護されるべきなんじゃないですか……!?」


 光人の脳裏にはもちろん親友の姿があった。隣にいるジェンに、死体と称されてしまった親友。彼も連れてきて、治療ができれば助かったのではないかと言いたいのだ。


「そうさな……君、ジェン君が来るまで動いてるのは自分とタイムイーターだけだったのは覚えてるかな?」

「……覚えてます。」

「タイムイーターに食われて時間が止まってしまった世界において、連れて帰ることができるのはタイムイーターの影響を受けずに動ける人間だけなんだ。大体ひとつの世界に一人だけ。ちなみにどういうポジションのキャラクターが影響を受けないかはまだ解明できてない。」

「主人公とかじゃないんですか?」

「むしろ脇役の方が多いのさ。主人公が連れてこられたことは……私が知る限りでは一人。特殊な事情が絡んだ人を含めたら二人だよ。」

「は?サジェさん、それ、どういう――」


 情報量に頭をくらくらさせる光人の隣で、ジェンが焦ったような声を上げた。そして、光人を凝視する。三白眼は見開かれ、睨むのとはまた違った顔。


「そう。どっちかって言うと、ここからが本題。ジェン君に黙っててもらいたいのはこの先だ。」


 ごく、とジェンが生唾を飲んだ。光人を見つめる目に、期待が宿る。


「光人君、君はおそらく、私が知る中では初めての……純正の主人公だ。」

「俺が……、主人公?」


 光人は今一つサジェの言っている意味が分からなかった。自分を脇役だと、今も昔も思っていたのだ。主人公らしい人物はいつだって隣にいた。彼には――アサヒには夢があって、指導者の資質があって、善性の塊で。だから、自分はせめて彼の数ある友人の中の、その一人であることが誇りだったのだ。そんな彼を差し置いて自分が主人公だとは、とても思えない。


「ま、待ってください!そんな、それじゃあ、オレのエフェクトを取ったのは……!」

「そう、主人公にだけ許された能力だ。」

「そ、そうか……そうだったのか……!いや、でも、こいつが主人公……?」


 ジェンは期待と疑いがないまぜになった瞳を向けている。自分でも主人公だなんて自覚は無いのだから、そんな目を向けられたところで光人にはどうすることもできない。ジェンの超能力を奪ったのは自分が主人公だから――意味がわからない、と光人は思わず頭を抱えた。


「光人君……自分が主人公だっていうのは、君も黙っていて欲しい。」

「黙ってるどころか、あの、本当に分からないんです。俺が元々いたところが物語の中だなんて、そもそも、そうだったとしても俺は主人公なわけがない!」

「自覚のある主人公っていう感じじゃなさそうだしね、どう見ても。それはわかるよ。……それに、あくまで君が主人公としての特性を持っているってだけだよ、まだ。過去、私がここで研究を始める前の、先代の残した研究にある主人公の特性と当てはまってるってだけだ。」

「特性……。」

「うん。私たちが超能力――エフェクトを使うことは説明したけれど。これは、人と貸し借りすることが可能なんだ。……って、大丈夫?」


 光人の脳は完全に許容量を超えてしまっていた。ぐらぐらとする視界は明滅し、まともに座っていることすらできない。ぐらつく光人の肩を支えたのはジェンだった。


「おいっ!……サジェさん、とりあえず、ここまでにしませんか。エフェクトのことはまた……。」

「まぁ、これは続行不可じゃのう。とりあえず四番書庫に運んで。でも、エフェクトの説明は誰でもできるけんど、主人公の特性を説明できるのは多分私だけじゃけん、ここに連れてきたってな。」

「分かりました。」


 ジェンはすぐに光人を背負う。光人は背負われるその時もまともに力が入らず、ぐったりと体重をジェンに預けてしまう形となった。サジェが部屋の鍵を開け、さっさとジェンは光人を連れ出す。その頃には光人は意識を再び失っていたのだが、それを見送ったサジェは、ううむ、と唸る。


「あいかーらず、責任感の強い子じゃなぁ……、まぁ、待望の『主人公』だからかねぇ。」


 デスクの上の、すっかり冷めたコーヒーをすする。しかしそこで――


「お?」


 不意に向けた視線の先に、サジェは光る物を見つけた。


 

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