第8話 削除

 301モーテルに着いたのは夜中だった--と思う。実のところ、あまり記憶がない。


俺の意識は今にも飛びそうで、しかし生きる為には事は許されず、ただ『痛み』だけが俺をに繋ぎ止めていた。


そして覚えているのは、モーテル地下のB.Jの作業場。古びた診療台の様なモノに乗せられ、B.Jとその仲間が俺の手当てをしている事だった。


--痛み。


麻酔をする暇も無く、俺は手術をされた。神経統合チップと、新たな義手が繋がれる感覚がし、その副作用による酔い。身体の中に何かが這いずり回る感覚が、痛みと共に巡り。--意識はそこで途切れた。



 目が覚めると、俺はまだだ。あの診療台の上に寝かされていた。脳がまだ新たな義手に慣れていない‥‥出血が酷かったのも関係がありそうだ。眩暈めまいもするし、足も震えている。だが、一命は取り留めた様だった。


診療台を降り、B.Jの元へ向かおうとするが上手く立てなかった。やはり昨晩の影響だろう。それは、点滴スタンドを杖代わりにして、ようやく立てる程だった。


一階に上がる階段は、前回より静かだった。

前回此処に来たのは何時いつだったかな‥‥もうかなり前だ。


あの時はB.Jと賭けをして、酔い潰れるまで酒を呑んで、マスターの知り合いに運んでもらったんだ。


そして、好きなだけ吐いた後『もう一度やるぞ』とB.Jに言い、ふらふらになりながら階段を上っていったらしい。恥ずかしい事に、俺は覚えていない。いや、寧ろ良かったのかもしれない。モーテルの皆に顔向け出来ないからな。


そして、先の扉の隙間からは皆が幸せそうに踊り、呑み、暴れるのが判る程、煌くミラーボールと妖しげなネオンの光が射し込んでいた。その先には夢が広がっていて、俺はその夢の中で生きていた。


だが今は、ただ空虚な階段だ。--音も光も無い。ただの廃れた灰色の階段。


俺はあの時と同じ様に、ふらふらになりながら階段を上っていった。



 階段を上り切ると、薄暗い照明の下。B.Jが1人、モーテル内のバーカウンターで酒を飲んでいた。


俺はゆっくりと歩を進めながら、しわがれてしまった声でB.Jに話しかけた。


「おはよう、B.J。」


俺に気付いたB.Jは、飲みかけのウィスキーを飲み干すと、そのままカウンターの方を向きながら返答した。


「‥‥あぁ。夢は見たか?。」


彼の言葉には生気が無く、ただ只管ひたすらに暗く、重く、淀み、濁り、哀しんでいた。


「‥‥サイバーとは呼ばないんだな。」


そしてB.Jは、何かを含んだ様にこう言い放った。


「お前。自分が寝ていたと思う?」


感覚的にはそこまで経っていないと、そう考えていた俺は正直にその質問に答えた。いや、『愚直に』と云った方が正しい。


「あぁ‥‥2、3日か?酷くても1週間ってとこだな。」


俺は馬鹿だった。B.Jはグラスにウィスキーを注ぐと、また少し飲み、会話を続けた。今なら判る。呆れ、哀れんでいたのだ。俺を。いや、俺の--人生を。


「--16日間だ。モーテルに着いた時、お前は一度『心肺停止状態』に陥ったんだ。ドクが心肺蘇生を試みたが駄目だった。そしてAEDを使い、再び心肺蘇生をし、心臓がやっと動いたかと思えば、今度は身体中に刺さった破片を取り除かなければいけなくなった。さてはお前--身体を見ていないのか?」


一瞬、理解が追いつかなかった。16日‥‥2週間以上もの空白期間ブランクの所為も有るが、それ以上に俺の全てが。『16日前』に置いていかれてしまった様に感じて、唯々ただただ‥‥呆気にとられていたのだ。


「嘘だ。そんなはず‥‥」


B.Jはグラスを『ダン』っとカウンターに置き、食い気味に、怒鳴りつける様に、俺に全てを。悲劇を云った。


「本当だ! 全て、全て本当だ!! 現実なんだ!」


--怪音が暗いモーテルに響く。


「AEDを使った時に神経統合チップを介して、脳と神経にダメージが行き、お前の痛覚と一部の感覚器官は、ほぼ使えない! 無数に刺さっている破片も幾つかは取り除けない。次無茶したら、死ぬ可能性も十分にあるんだ!」


--その怪音は嫌になる程に、俺の耳に届き。心を蝕む。『死』より恐ろしい『終焉』の音。


「馬鹿な‥‥だって、寒さは感じるし、酒の味だって‥‥ホラ!」


B.Jの飲んでいたウィスキーを取り、飲む。--しない。感じない。いや、そんなはずは無い。無い、ない、ナイ。


--もう、何も残っていない。


今度はウィスキーデキャンタを取って、浴びる様に一気に胃に流し込む。咄嗟とっさにB.Jが俺を止めた。やはり彼は、俺を哀れんでいた。


「止めろ! もう無理なんだよ! 俺達は無茶をし過ぎたんだ!」


「だがあの時、車で‥‥!」


B.Jが悲願する様に、食い気味に俺を止める。


「あの時とは違うんだよ!! お前が寝てる間、GCA社の連中が乗り込んできやがったんだ! そこら辺、血の海だ! 判らないのか?」


俺は起きてから眩暈めまいは止まず、視界がボヤけ、気付かなかった。それすら、一時的なものだと、そう思っていた。しかし、その感覚。いや、そのは痛い程に現実を突きつける。しかし今の俺には、その"痛さ"さえも感じないのだ。


「‥‥仕事はどうするんだ。」


「ここまで来て仕事か! 仲間がやられたんだぞ? ここから数十キロ先に、良い隠れを見つけたんだ、皆そこに居る。お前も来い!」


嫌だ。そんなの現実じゃない。‥‥そうだ、仕事をやり遂げれば。


「仕事をやり遂げればまたここで暮らせる! 皆やり直せるんだ! 必ず成功する。そうだ、仕事が終わったらGCAを潰そう! 俺とお前ならきっと‥‥」


B.Jがコッチを振り向き、俺を殴る。その体躯から繰り出されるパンチは相当な物で、俺は倒れた。口を切り、血が出ている。


--しかし、痛みは感じない。


「現実を見ろライアン! 全て、終わったんだ。此処ここには居られない。『別の場所』に帰るんだ。俺達はそこで生きる。お前は新しい何でも屋を育てるんだ。」


俺はこの時、何を考えていたのだろう。


--「俺はこの生き方しか知らない。」


B.Jは歪んだ表情で俺を睨みながら、話を進めた。


「‥‥明日、迎えに来る。荷物は下に移動させてある。少し経てば、しっかりと歩ける様にはなるはずだ。薬も飲んでおけ。」


B.Jはそう言うと、酒を置いたままモーテルを出て行った。


 当たり前に在った物、全て変わっていた。


眩暈がマシになってきた頃、それはようやく俺の前に『目に見える現実』として現れた。


『眼が覚めると何もかもが変わってしまっていた。』


まさにそう云う気分だ。タイムマシンに乗って、別の世界に迷い込んだ様な感覚。


やはり失くしたモノ、消えたモノはかえらない。親、恋人、平和、友、家、身体‥‥。


それは余りにも多く。失うと同時に、俺のも同時に失くなっていく様に思えて仕方がなかった。


- もう何も無い。何も‥‥『感じない』


「これじゃあまるで‥‥」


その先は言えなかった。だが、判っていたんだ。--既に、車に乗った時から。


だが、そんなのは認めたくなかった。

俺は人間なんだ。生きているんだ。


そう自分に言い聞かせ続けていた。


現実リアルりながらも、夢を語っていた。じぶんを知りながらも、人間性ひとらしさを騙っていた。


だが、もう何も感じない。


何も。


誰も居ないカウンターに腰を掛け、俺は唯々ただただ虚空こくうを眺めていた。


--味も分からない酒を飲みながら。

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