海の街
道路で友達が溺れかけた。
そんなこと、誰も信じてくれなかった。
* * *
「白線から落ちたらじーごく!」
平均台みたいな白線の上を小学生五人でよろよろ歩く。ぼくはその列で三番目。目の前のビビりなゆうたがのろのろ遅かったのを今でも覚えている。ただでさえ息苦しいマスクをぱこぱこ上下させ、緊張からかスーハーいっていた。外しなよ、と言ったら「そうだね」と言って彼は笑った。かわいらしいぷっくりほっぺが顔を出した。――その当時、原因不明の奇病が流行っていて、ゆうたのママは特に心配性だったから彼に何枚ものマスクを持たせていた。
『すばるくんも。空気には悪いばいきんがいっぱいだから吸わないように付けなさいね』
ゆうたママのねちっこい高い声が頭にはりついてる。ママに叱られるからもらってはおいたけど、カッコ悪いから付けてない。病気も嘘ってウワサだし。
「おい、ゆうたおせーぞ! 早く行けよ!」
「そうだぞ、ノロマ!」
後ろのひろきとタカがそう言ってはやし立てる。でもちょっとでも急ごうものなら「白線落ちたら地獄だぜ」と言って怯えるのを楽しむ。やつらは友達も多かったけど、ちくちく言葉も多かった。いわゆるお調子者というやつだった。
そうしてしばらく行って二丁目に差し掛かる時。後ろのひろきがぼくにこっそり耳打ちをしてきた。
「なあ、あそこまで行ったらゆうたを突き飛ばしてやろうぜ」
「ええっ!? そんなのできないよ!」
思わず大きな声で反応したから、前を歩くあっきーとゆうたがこちらをちらりと見た。あわてて「何でもない」と手をふる。
「声がでけーんだよ」
「だってさ、危ないよ」
「でも面白そうじゃん」
「でも」
「っあー、イライラするな。こうやれば良いんだよ!」
その瞬間、後ろからドンと押されて足元がもつれる。
「うわわわ!」
バランスを崩してぐいっとつんのめってしまった。何とか姿勢を正そうと頑張ったけど、ついにゆうたのピカピカランドセルに頭から突っ込んでしまう。そこからドミノのようにゆうたもバランスを崩し始め、ひろきとタカは腹抱えてゲラゲラ笑ってた。うう、やな奴。
――と、思ったのもつかの間。
バシャーン。
奇妙な音とゆうたの助けを求める声で全員ハッとなった。
道路でゆうたが溺れかけてる! ……溺れかけてる?
「たすけて、たすけて!」
頭が混乱したけど、このままじゃまずいと思って皆でいっせいに引き上げた。
その時、確かに見たんだ。
それまでゆうたが溺れていた所めがけて、真っ赤なサメが大口開けて猛スピードで突っ込んできたところ!
ザンブと音を立てて向こうにサメ特有の背ビレがスイーッと遠ざかっていく。
そこでようやくその場は静かになった。しばらくは皆でそこら辺を見つめ、ぽかんとしていた。まだ道路に波紋がほわほわ残っていて、何だかおかしな感じ。
「サメだ! かっけー!」
「え、ホント?」
「調べてみる?」
「え!? やめろって!」
この中で一番しっかり者で勇気もあるあっきーが試しに道路の部分に手を入れてみる。ちゃぷんと音を立てて水になった道路の中にあっきーの手が消えた。
「ヒイィィ!?」
「ど、どう。あきひろくん」
「うん。あったかい。それに何だか海のにおいがするよ」
「ほんと? くんくん、ほんとだ。それにちょっとしょっぱいね」
「ゆうたまで!」
さっきからビビり散らかしているのは誰でもないひろき。普段はあんなにやんちゃで意地悪なのに、いきなり弱弱しく見えてきた。
「これは……ちょっと信じられないけど、道路が海になったってことだよね」
「海!?」
驚いてそこをよく見つめると風に吹かれて水面が揺れた。白線に波もちゃぷちゃぷかかっている気がする。思い切って水面に顔を付けてみると下の方を遥かにお魚達が泳いでいた。赤に青に黄に、きれいな熱帯魚。時折、大きなカメが目の前を横切った。
「それじゃあ、落ちたら死ぬな!」
タカが面白そうに言う。
「え!? そんなの絶対ヤバいじゃん! 死ぬじゃん!!」
「死なないよ」
目じりに涙をためながら絶叫したひろきにあっきーが冷静なツッコミ。
「と、とりあえず白線から落ちたらきっとあのサメが追いかけてくる。皆はお互いでお互いを助け合いながら家まで帰ろう」
「一番近いのは?」
「俺んち」
タカが手を上げながら言う。次いであっきー、ひろき。そして僕とゆうたが隣同士。とは言ってもそんなに差はないけど。
「えー!? あっきー俺より先なのかよ!」
「いつもそうだっただろ」
「そうだけど……」
「ホラ。いつまでもこんな所で騒いでたらあのサメがにおいを嗅ぎつけてやってくるかもしれないよ」
「ヒイイ!!」
そうして図らずもぼく達は「リアル・白線から落ちたら地獄ゲーム」をすることになってしまった。すれ違う車がバシャバシャ大きな水しぶきをあげていく様は何というかおかしなもので、向こうの方で突然パンクしたりするとサメが近付いてきているとか思って非常にあせった。
黒い波がざぶざぶ揺れる。
ぼくの心もさざ波みたいに揺れた。
* * *
あっきーの家までは全部スムーズだった。しかしその後が困った。
というのもぼく達の家はこの広い道路の反対側を行った更に向こうにあるんだけど、そこまで白線は伸びていなかったからだ。横断歩道さえも見つからない。それでもまだ道路の海はざぶざぶ揺れて、意地悪そうにぼくらを飲み込もうと待ち構えている。更に嫌なことには雨まで降ってきたみたいで、おでこや背中を打ってはぼくらを急かした。波も立って足場も不安定になってきた。
それに
「ねえねえ、水かさ、上がってきてない!?」
「よ、よせやい!」
「でもでも、さっきからくつに水かかってるじゃん!」
事実だった。そしてそれは同時に少しずつ安全な場所が無くなってきているということでもあった。
あんなに近くに家があるのに!
こんな気持ちは初めてだ。変な汗が背中をぞぞっとはって、のどはすでにカラカラ。だけど目の前の海水を飲むわけにもいかなくて、とにかく困った。
「ちょっと、どーすんだよ! 俺らだけ帰れねぇの!? そんなのやだからな!」
「ぼく達だってやだよ!」
「あー、決めた。もう決めた。いざって時はそこの電柱上って逃げるわ」
「そんな! 電柱はぼくもすばるくんも上れないのに!」
「うるせーやい! 水かさが上がってきてるんなら仕方ねぇだろ!」
「でも、でも! ――意地悪!!」
そこで初めてゆうたがひろきにつかみかかって、ぼく達はとにかくびっくりした。泣きながら服をつかんでブンブン振るけど、すぐにひろきに「やめろよ!」と突き飛ばされてしまった。転んで白線の上に尻もちをつくゆうたのかばんから勢い余って大量のマスクが飛び出す。
ゆうたはしくしく悔し泣きだし、ひろきはずっとムスッと顔だし、水かさはどんどん増していっちゃうし。ほとほと困り果てて、マスクの散らばった道路の海をぼんやり眺めていた。
その時、ぴんとひらめく。
「ね、ねえ二人とも!」
「何だよ」
「何?」
「マスクを白線みたいに並べよう! そしたら向こうまで行けるんじゃない!?」
二人とも目をまんまるく見開いて、このアイディアに賛成してくれた。
「じゃ、じゃあ俺が先頭歩くからゆうた、すばるの順について来いよ」
「う、うん。ありがとうひろきくん」
「お、おう。まかせろ」
「ぼく達を置いて逃げるなよ」
「逃げねぇよ、今更。俺、クラスのリーダーだし」
多分、本当は真っ先に家に帰りたいだけなんだろうけど、それでもひろきのこういう所はちょっとたのもしい。
マスクを揺れる水面に浮かべると――不思議なことにそれは水の影響を受けない第二の白線に変身した。
「よし」
玉の汗を浮かべながらひろきはどんどんつなげていった。その後ろをしんちょうに二人で追いかける。
対岸までは何とかたどり着いた。あとは右側の道をさっきと同じようにわたっていくだけ。
「ゆうた、まだマスクあるか?」
「あるよ。ママがたっぷりくれるんだ」
「サンキュー」
ゆうたは頬をちょっと赤らめながらマスクの山をひろきに手渡した。それをまた、どんどん並べていく。
しかし、そこで事件は起こる。
道路の半分まで来たところでさっきの赤いサメが突然飛び上がってぼくらに襲いかかってきたのだ!
「うわわわわ!!」
「あぎゃぎゃあああっ!!」
あわてて元来たマスク道を引き返すと、後ろではサメがその背ビレでマスク道をばらばらに壊している。
ああ、ぼくらの最後の希望が!
ぐっちゃぐちゃにマスク道を壊したサメはそれでもまだ足りないのか、ぼく達の方をギラリと睨んできた。
「やばくね!?」
「相当やばい!」
言ってる間にもサメはブラックホールみたいな大口を開けて、こちらにズゴゴゴと突進してきた。
「危ない!」
慌てて飛びのいたちょうどその時、目の前のコンクリート塀にサメの剣山みたいな歯が突き立つ。ガッチリ刺さっちゃってどうにか外そうと頭を振るけど、ぼく達の方も転んだ拍子に腰が抜けちゃって立てない。今にもちびっちゃいそうだった。
やがてサメが自由になってまたこっちを睨んできた。
もういよいよだめだと思った。
ズガアアア!
荒れる波をかき分けてこちらにまた突進してくる!
もう本当にだめだ!
「うわあああ!!」
――、――。
一瞬何が起こったのか理解が追いつかなかった。
サメが逃げてる。
「な、何投げた?」
「え??」
「すばる、何投げた!」
「え、分かんない」
「これじゃない!?」
ゆうたが掲げて見せたのは白いマスク。試しにサメに向かってもう一度投げるとサメがきびすを返して逃げていく。
「そうか、アイツはマスクが苦手なんだ」
「じゃあお守り代わりに付ければ!」
皆でうなずいて新しいマスクを身に着ける。
すると海の街は突然消え、ふつうの街に戻った。
* * *
それは人生の中では余りに一瞬のことで、今では自分の妄想だったのではないかと思う程になってしまった。あいつらともこの話はほとんどしないし、先生にも心の相談室のおばさんにも打ち明けることはなかった。
しかしあの時顔を付けた海は温かく、手も確かに魚のうろこをなでた。確かにあの時ぼく達がいたのは「海の街」だったのだ。
「地球の温暖化とか?」
「何かの前兆とか?」
「奇病とかも関係していたかしら」
もうその真偽は誰にも分からないし、解明のしようもない。
ただ、今あの時のことをふと思い出しただけ。
きびすを返して水に浸かった街を後にした。
もうお守りはこの街に効かない。
道路で友達が溺れかけた。
そんなこと、誰も信じてくれなかった。
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