妖問答-壱 「無法の鬼」
「おい、酒持って来いヨォ」
「それが餓鬼に頼む態度か、馬鹿たれ」
「鬼に法律などナァイ。こっちじゃ
目の前でこうガハハと笑っている図体のでかい男は自らを妖怪と名乗った。
『あやつらには俺が見えとらん。だからおみゃぁには驚きじゃ』
何処の方言かも分からないような変な口調で絡んできていきなり家にあがりこんだ。
人間界を長いこと旅してきたというが、本当はどうなんだか。
父さんの一升瓶が五本空になった。
「で? 余命あと三ヶ月のお前が生涯忘れられないような事をしちゃるゆうたが……」
「……」
「はて、どうするかな」
そう言いながら虚ろな目で舌舐めずり。
唇に僅かに残ったアルコールが鬼の口の中に消えた。
見た目はただの「ダメな大人代表」なのにこういうところが一々色っぽくて、俗っぽさまでそれに拍車をかけて。
鬼まで名乗りやがって。
何だかムカつく。
――「余命あと三ヶ月」は本当の話。
でも半分不正解。
あと三ヶ月でこの世から消えるのは友情についての記憶。
どんなに好きでもあと三ヶ月で全てなくなる……と思われる。
今までこの周期で友達作りは毎回ゼロからのスタートだった。
それまで仲良かった奴とも連絡を取らないし、SNSなんかで見つけても反応を与えられない。――理由なんか聞くな。
これは少しずつ孤独に蝕まれていく病だ。
もうおつむは準備を始めている。
いずれ目の前のおっさんともサヨナラだ。
君達とも。
「接吻……とか、どうだ」
イマイチはっきりとしない感情を反芻している内に鬼はこちらににじり寄ってきていた。
「ハァ!? 冗談言うな! 寄るなよ!」
「面白くねぇ奴め。男同士なんて遠慮もクソもないじゃろが、たわけ」
長い、長い指が、
うっとり、とろんとした目が、
俺の顔をするする撫でる。
「あんたのは嘘に聞こえねぇんだよ!」
「何れぇ」
べたべたくっついて、酒臭い吐息を漏らす。
本当に出会って初日か? こいつ。
「舌とか、絡ませてきそう」
「ホン?」
顔が近い。
「あ、赤く、ぬらぬらしたその舌とか」
重たい。
「鈍く、てからせて……」
動けない。
「……電灯が眩しい」
「覆ってやろうか」
むしかえす、性のにおい……!
「そういうとこだ!」
思い切り急所を蹴り上げて躰を横に投げ飛ばす。
「イッテエエエエ!!!」
「馬鹿野郎! 何しやがる!!」
危なかった……!!
急所をやられた上に投げ飛ばされて頭を打ちつけた鬼は頭をさすりながら、ふらふら躰を起こす。
酒を相当吸った躰はぐらぐら揺れて本当に危なっかしい。
「悪酔いしやがってこのエロオヤジ。そういうのいっちばん迷惑なんだよ!!」
「だって、お前、孤独なんだろ?」
「は?」
な、何。
予想外の答えが返ってきたんだけど。
「その寂しさ埋めてやろうっつってんのに、どうして拒絶すんの?」
「何言ってんの」
「え? おめぇこそ何言ってんの」
「だって、え!? 犯罪ですけど!」
「犯罪? 何だそりゃ、食えんのか?」
「いやいやいやいや! 食えるどうこうの問題じゃないだろ! 未成年だぞ、み、せ、い、ね、ん!!」
俺の必死な形相の何が可笑しかったのか、大口開けて鋭く笑い飛ばした。
「ギャハハハハハ! そうは言っても十代後半だろ、てめぇ!」
「でも未成年には変わりない!」
「……で?」
「で、って……」
「だって、そりゃ人間様のご都合じゃねぇか」
「おめぇ、平安時代は十代前半から後半の内には赤子を身籠もっていたんだぞ?」
「は……」
「今と昔が違うと主張するなら、どうして歴史を学ぶんだ?」
「な……」
「結局『お前』は怯えてる。ただそれだけ。独自のルールやら硬派なマナーやらを躰に叩き込んでおかないと怖いから」
「……ッ、先人の知恵にイチャモン付けんなよ!」
「どうせそんなモン、おめぇのことなんか考えてねぇよ。支配がしたいだけだ」
「そんな事無い!」
「じゃあ証明できんのか? ここでお前と俺が唾液を交換してはいけない理由を」
「……怖いんだよ、性の営みって」
「ホウ? 全員が?」
「それは……分かん、ない」
「出た出た。分かんない」
「煩い!!」
「そんなモンに怯えてたらとっくに人類滅びとるわ、たわけ」
「じゃあ、じゃあ……! 法律は要らないってか!? そんなの無法地帯だろ、世界壊れんぞ!」
「馬鹿野郎、お前らはここが貧しいな」
額をとんとん人差し指で小突いてくる。
「ルールってのはなァ、その時々、適したもので別に構わねぇんだよ。最初から全部決めとくからいがみ合うんだ」
「そんなの出来る訳ない」
「出来る訳ある」
「ない!」
「ある! ここでは俺が法律じゃ!」
びりびりと震える空気に若干戸惑う。
『はて、どうするかな』
――何でこれを今思い出した?
「おまんは親しい友を作るのにどうも怯えてらっさる」
でかい図体引きのばしてこちらにまた、しかし今度は堂々と近寄ってくる。
何だか怖くてぺたんと座ったまま後退り。
「腹分かち合って喋る友がおらんかったんじゃのう、可哀想に」
腕が掴まれた!
骨が折れる……!
「痛い痛い痛い痛い!!」
「心に刻みつけられるだけの信頼を何処に置いてきたと思う」
壁に勢い良く頭をぶつけた。
変な汗ばかりとめどなく滲み出す。
「近いって!」
「ヤメロ!!」
「何を怯えちょる」
「言ったよね、性の営みは怖いって……!」
「怖がっとる?」
「見て分かるだろ!!」
「ホォホォ、見て分かるか。全く分からん」
「この阿呆たれ、あんぽんたん! おたんこなす!! 俺は男だ!!」
「男でこんなに力の無い奴あるんか」
「お前が強過ぎるんだよ!」
「鬼だから」
「知ってるよ!!」
「人間が駄目なら人外を頼れ」
「……ッ!!」
「好いちょうよ」
電灯が後光のように見えた。
神か。こいつは神なのか。
こじ開けてきた。
これが、傷か。
赤く艶やかな、べたつく血の香りか。
信頼、か。
……ぐ。
「ワアア! テメェ!!」
もう一度急所を蹴り上げて躰を横に投げ飛ばす。
「イッデエエエエエ!!!」
「目の前から消えろこの野郎!」
「わぁぁ、客に対して何と無礼な!」
「それが無法野郎の台詞か! おおおお! 大いに笑えるな!」
そう言いながら押し入れに押し込んでぴしゃりと戸を閉め、鍵をかけた。
「ワアア監禁だ、監禁だ! 酒が無い! 飢える! 死ぬ!!」
「酒はお前が呑んだのでもう無い! これでも抱き枕にして寝とけ!」
酒の残り香が僅かに残る一升瓶を全て乱暴に押し入れに投げ込んで、また素早く閉める。
酒の瓶が放り込まれただけで黙るところが単純で助かる。
それと同時に戸が開いて、父さんの困り顔が顔を覗かせた。
「おい、父さんの酒知らないか?」
「知らね」
「うぅん……」
部屋に充満するアルコールのにおいに首を傾げる。
そりゃそうだ。ついさっきまで変態大男がここで呑んでた。
否定はしない。今は酔い潰れてそこで寝ている。
「お前の顔が赤いように見えるが」
「何。犯人に仕立て上げたい?」
「や、べ、別に」
「瓶もないだろ。他を当たってくれ」
これには流石にぐうの音も出ないらしく、諦めて戸を閉めた。
「……」
先程とは対照的にとても静かになる部屋。
「顔が、赤い……」
生傷はまだ癒えていない。
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