君を愛せたなら
その人の恋愛の感覚は失せていた。
めっきり無くなってしまった訳ではない。
彼も人を好きになる事は沢山ある。
応援したい気持ちも何かを共有したい気持ちもちゃんと持ち合わせている。
しかしそこから後だ。
恋愛の域から向こうにはどうしても行けない。
それが同性でいうところの親愛であっても、然り。
どうしても行けない。
――いや、行かない。
彼の人間関係はそこから先が全く無い。
失せている。
……、……。
そんな彼を大切に想ってくれる人が現れる時がある。
彼は誰に対しても分け隔てなく接していたから。それを人々は愛した。
彼の周りは常に笑顔で溢れている。
しかし、その取り巻きの中よりも内側に入ろうとすると彼は途端に笑顔を見せなくなった。
入った人も笑顔を消した。
彼に笑顔を向ける者はいつも同じ位の人数で留まった。
酷く、悔しい。
しかしそんなある日。
彼もとうとう恋愛をした。――しかも二回。
こいつも隅には置けない奴だった。
どちらも一目惚れであった。
関係以前の問題である。
最初からその二人は取り巻きの内側におった。
彼は一度だけ自分の秘め事をそっと彼女に漏らした事がある。
「僕は見知ってる人間よりも見知らぬ人間に話しかける方がずっと好きだし、楽しい。見知らぬ人間は敵を作らないようにしているから絶対に裏切らない」
「へえ」
「それに対して見知った人間はどうだ。信用が出来ない。直ぐに裏切ってくるじゃないか――」
ガタッ――!
彼の双眸が流れるように驚愕をもたらした彼女の顔を見た。
椅子から立ち上がった彼女の必死な顔をどうしても忘れる事が出来ない。
「私は――!?」
慌てて否定した。
つっぱねる前に彼女から胸元に飛び込んできたようだった。
あれが人生で初めての体験、感覚。
何か透き通った太くしなやかな線が胸を貫いたような感覚だった。
彼女は魔力を持っている。
今でも彼女を前にすると彼はくらくらして仕方ない。
だが――。
その人の恋愛の感覚は失せていた。
どうしても恋の情を避けたがる。
親愛の情を避けたがる。
――、――
遠いとおい、彼の頭蓋からも失せた記憶の中には真実がある。
昔彼の友達は彼や彼の弟を遊び道具としか考えていなかった事。
優越に浸る為の玩具は馬鹿にされるのが常だった事。
当然恋も裏切りの連続だった事。
弟妹の失敗に対する罰を全て彼がその身に受け止めた事。
彼の一つの失敗が多くの人生を握り潰してしまった事。
彼の周りで人が死にすぎてしまった事。
友情の正体が分からなくなってしまった事。
恋愛に喜びが付随しなくなった事。
「人を信じる事」が彼にとっては一番難しかった事。
――、――。
嗚呼、嗚呼……。
君を、君を一度でもこの頭蓋より外側で愛することが出来たならば。
彼も、もう少しは幸せだったかもしれない。
突き放そうと懸命にその腕を伸ばす彼の胸元に飛び込んで抱き締める存在が、彼の苦しみよりも――たった一つでも、ほんの少しでも多かったならば。
彼は、本当の笑顔で近付いてきた人に微笑み返していたかもしれない。
三十八度の頭蓋の中で燻るように縮こまる彼を、貴方は本当に愛することが出来ますか。
こんな情報なんか無くても、何をされても愛することが出来ますか。
――君を愛せたなら。
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