世界の構築

 創作論、と言う物があるだろう?


 作品では何あるべきだ、こうしろああしろ。極めて先生的で頼りがいのある物で素晴らしいが……残念ながらそれは子どもにしか効能が無い。

 我々が抱く世界観とは子どもの時に構築され、以降揺るがないものなのだ。

 だから――論を語る者には申し訳ないが――その論は大抵無視してしまって構わない。


 嗚呼、世界観。

 それの多様性にどれだけの藝術家が苦しめられただろう。

 己の期待値と己の世界観、己の理想は相反するもので、互いに壊し合う。

 前者二つはいつも頭にあり、喧嘩したり仲が良かったり結構忙しい。

 厄介なのは三つ目だ。

 背後、斜め45°の角度に林檎を構えて私の脳髄をぶち壊そうと狙っているのだ。

 バナナでは駄目だ――違う。バナナでは無いのだ。

 林檎、なのだ。


 ……兎に角。


 突然理想は襲いかかる。それは衝撃以外の何物でも無いだろう。

 しかしそこに林檎であった為の良い事が存在する。

 落ちっぱなしなので囓ることができる。

 後、バナナと違ってブーメランにはならないので攻撃されっぱなしにならない。

 衝撃がある分、肥やしになる。


 それが世界観の再構築であり、点在する天才の構築に繋がる。


 ジョオクである。


 兎も角だ。

 創作論ばかしが人を変えることなど不可能なのである。

 作られた世界を作り替えるには先ずは壊さねばならない。積み木と同じ原理なのにそれが理解できないのは人間の悲しい性である。

 その衝撃が今までのその人を全く変え、天才に仕上げる準備を始める。


 そしてこつこつと組み立て、元通りの人間が出来上がる。


 天才の誕生である。


 衝撃で壊れ、揺るぎない人格を手に入れ、世界観を再構築する。

 そしてその考えは世界に一つしか無いエメラルドと化す。――ダイヤはありきたりだ。私はエメラルドが良い。


 そして、他に影響を与える。


 ああしろこうしろ、あああれこうあれはこれで充分事足りる。


 ――真に優れた者は天才とは呼べない。それはそのジャンルの秀才。秀でているだけで他は何でもない。石の中に一つダイヤが置かれているのみに等しい。

 天才でありたいならそのままでおればいい。ダイヤになれと騒ぎ立てる連中からそっぽを向いて、エメラルドに輝いておれば充分だ。

 それを大事に温めている極めて人間的な人こそが天才なのだ。


 人は皆、天才だ。

 嗚呼、面白い。



 ところでこの部屋は湿気が多いと言われていたが、何故私の体はひび入っているのか。

 ところで、この部屋は妙に明るいがどうして夜なのだろうか。


 眠い、寝る。

 そして、これは創作論なので、前例に従って全く無視してもらって構わない。

 私はエメラルドが好きだ。

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