第3話 『勇者の軍勢』 神聖騎士団(私立奥山高等学校2年3組 16~17歳) 後編 

 風のない夜の森。傷の男に切っ先を向けたまま、大剣の少年――カワノが叫んだ。


「二人をどうしたんだ! 転生殺し!!」


 その声が、傷の男の身体を揺さぶる。

(なんだ! 足が動かん。それに……)

 動かそうとした足も、指先に至るまで震え、身体が言うことを聞かない。

(恐れ、だと……!)

 

 傷の男を睨むカワノは、大剣を振り下ろさんと構えている。


(これがこいつの、加護だというのか……!)


 汗が噴き出た。歯が震える。今この距離で剣を振られれば、確実に死ぬ――。

 

 しかしその剣先と傷の男との間に、細身の少年が割り込んだ。

「待ってくれ!」

「キジマくん……どいてよ。なんでそいつをかばうんだ」


 睥睨するカワノに、キジマは頑として動かない。手を広げ、立ちふさがったままだ。


「カワノ、聞いてくれ。このおっさんは、毒にやられたサイトウを助けてくれた」

「何を馬鹿な……。この人は重罪人だ。キジマくんは騙されているだけだ!」


 違う、とキジマは首を振る。

「おっさんがいなければサイトウは死んでたかもしれないんだよ! それに、このおっさんのチカラを借りれば……帰れるんだ、向こうに。元居た世界に」


「帰る……? そんなのデタラメだ」

 カワノの眼光は頑なに傷の男を突き刺したままだ。

「違う。ほんとに帰れるんだ。その証拠に――」


 キジマが懐に手を入れようとした。だが。


「動かないで」

 

 キジマの行動よりも早く、カワノの剣が振り下ろされる。先の魔物と戦った時と同様、その剣先から光が放たれた。

 光の筋は、キジマの横を掠めてその奥にある樹木へと激突し、破砕した。

 

「……お前、俺まで信用しないってのかよ」

「今、優先すべきはその男の身柄の確保だよ。このまま野放しにできない」

 大剣を眼前に構え、冷たく言い放った。

「次は当てる。どいて。これが最後だよ」


 その瞬間だった。少しだけだが傷の男の身体が軽くなった。


 カワノの注意がキジマに向かったからだろうか。断定はできないが、この機を逃すわけにはいかない。


 傷の男は動かせるようになった足を使い、気づかれぬ様つま先を地面に埋めた。


「カワノ、どうした! 魔物か!」

 騎士団の連中が目覚めたのだろう。カワノの後方から何人かの声がする。

 それにカワノが――安堵からくるものだろうか――少しだけ息を吐いた。


 その一瞬。


 傷の男は足を思い切り振り上げ、土くれをカワノの顔面に放つ。

「ぐ、このッ!」

 カワノが目を咄嗟に庇ったことで、注視が傷の男から完全に逸れた。

 

 傷の男はその間に後方へ跳躍。加護の範囲から抜けられたのか、身体の枷が外れる。

 着地と同時に反転し、森へと一気に駆けた。


「止まれ!」


 カワノが二度三度と剣を振るう。姿勢を低くし、木々の間へと駆け抜ける。乱立した木が無慈悲になぎ倒されていく。

「お、おっさん、はええな」

 キジマが息も絶え絶えついてきている。彼がいるからだろう、放たれた矢も当てる気はないのか、威嚇程度で横を掠めていった。

 

 木々の枝が身体を掠めるの気に留めず、夜の森の中を全速力で走る。しばらく走った頃には、彼らを追い回す気配が消えていた。

 

 傷の男は足を止める。と、息を切らしたキジマが尋ねた。


「どうした、おっさん、逃げねえのかよ?」

「ここで奴らを迎え撃つ」

 その答えに、キジマは息を飲む。


「言っただろう。俺は貴様ら異界人を還す。捕まっていたのも機会をうかがう為だ」


「縛られてたのに?」

「それはどうとでもなる。だが……」


 傷の男が言いよどむ。

 その言葉を補填するように、キジマがおずおずと口を開いた。

「……カワノか」

「……」

 傷の男は、苦虫を嚙み潰したような顔で近くの木を殴りつけた。

 

 不覚をとったのではない。ただただ恐怖で立ち竦んだ。それが加護のものだとしても、あのように怯んでしまったことが、彼は許せなかった。


 思考を切り替える必要がある。頭を振り、先ほど自分を縛り付けていた縄を取り出し、自身の荷物を検める。


 ナイフを取り出し、木の枝を切る。器用に削って尖らせた。

 

「……なにやってんの?」

「罠を作る」


 座り込み、息を吐きながらキジマは傷の男を見つめていた。

「そんなもん効くのかよ」


 いくつか枝を尖らせ、軽く掘ったくぼみに突き刺した。その手前の草を縛って足がかかるようにしていく。


「罠というものは、仕掛けてあることで意味をなす。一つでも罠があることが分かれば、その他の罠を警戒させることができる。足止めとしては有効だ」

「……そういうもんなんだな」

 嫌がらせ程度にしかならないがな、と嘆息交じりに付け足した。


「お前は何故残っている。帰りたいのではないのか」

 手際よく罠を作りながら、傷の男は尋ねる。


「帰りてえよ。でも――」

 一息。

「約束、したからな。あんたに協力するって」 

 傷の男の手が一瞬だけ止まる。しかしすぐに作業を再開した。


 キジマは以前の――馬車の中で独白していた時のように、座り込んだまま訥々と口を開く。

「それにさ……。ほかのやつらだって、返してやりたいんだ」

 尻すぼみになりながらも、言葉を続けた。

「苦手なやつも好きじゃないやつだっているけど。それでも、こんなとこにいるべきじゃない」


 木と木の根元に縄を張り、低い位置に隠す。

「って悪い、こんなとこなんて言っちまった」

 傷の男は鼻を鳴らし、また別の木に縛った縄を、上方の枝へと通す。手近にある大き目の石を括り付けた。


「策はあるのか」

「……説得する」


 応じるようにはみえなかったが、と言おうとした矢先、キジマは細長い透明の物をとりだした。

形状は瓶に近い。


「これがあれば、みんなわかってくれる」

「……異界の物か」

「さっき飲んでたやつの入れ物だよ」

 キジマが瓶のようなものを傷の男へと放り投げた。

 

「証拠、というわけか」

 掴んでみると、軽い力でへこむ程柔らかい。どういう素材でできているのが謎だ。

 傷の男は、まるで汚いものでも触ったかのように眉間にしわを寄せる。すぐにキジマに投げ返した。

 

 透明な瓶を受け取ったキジマは、ふ、とため息を吐く。

「あいつ、あんなんじゃなかったんだよ。……ここに来てから、変わっちまった」


 あいつ、というのはカワノの事だろうか。暗い森の中では表情はつかめない。


「さっきみたいに話が通じないなんてこと、なかったんだ……」


 異界人のそのほとんどが傲慢だったと傷の男には思えた。皆が皆、強力な力を振り回しているがその実、力に振り回されているようにも見える。


『加護』とはよくいったものだと傷の男は思う。

 望む自分を手に入れる代償に、それまでの自分を一変する。それはまるで。

(呪い、だな)

 手を止めず、ひとりごちていると突如――。


「あー!」

 少女の声が森の静寂を破った。傷の男はその場で屈んで身を隠す。キジマも同様に姿勢を低くした。


「ダメだよこんな罠なんて作ったら危ないでしょ~」

「げ、コバヤシ……!」

 暗がりから見えるのは、コバヤシという名の少女だった。彼女がいるのは少し前に作成した罠の場所だ。


 コバヤシは、ぶつくさ文句を言いながら罠を解除していく。

 

「あいつ苦手なんだよなぁ。すぐ人の物パクってもパクったって感じてないとことか」

 キジマがぼやくように小さくつぶやいた。

「パク?」

「人の持ち物すぐとるんだよ。消しゴムとかペンとかすぐ持ってくし、悪いって自覚ねぇからタチが悪いっていうか――」


「おおっキジマくん発見~。あ、おじさんもいるじゃん。元気?」

 すでにこちらに気づいていたのか、少女は手をひらひらと振りながら笑いかけてくる。


「さっきの罠っておじさんでしょ。やめてよ~。あたしはいいけどみんなは困っちゃうんだからさ」

 傷の男は答えず、すぐに動けるように警戒したままコバヤシの目を見る。丸い瞳は月明りに照らされたまま、無警戒にきょろきょろと周囲を探っていた。


 この暗がりで罠を目聡く見破る――夜目が効く、という域ではない。


「お、お前緊張感ないな……」

 そう言うキジマの言葉を聞いてか聞かずか、コバヤシは両の腰に手を当て、頬を膨らました。

「もう、レオンくん落ち込んでたよ。キジマくんは早く戻ってごめんなさいしないと」

「……いや、いかない」

「なんで?」


 キジマは、少し言いよどむ。だが、手に持っていた透明な瓶――異界の瓶をコバヤシへと差し出した。

「これ、見てくれ」

「え? これ、コーラのペットボトルじゃん! なんで!?」


 大きな声を出すコバヤシに、キジマは人差し指を立て慌てながら話す。

「お、おい、あんまりでかい声だすなって! ……それ、さっき俺んちの冷蔵庫から持ってきたやつ」

「さっきって、え? 俺んちってキジマくんの家?」

 事態が飲み込めず、大きな瞳をくるくると回す。


「これ、マジのやつ?」

 マジのやつだ、とキジマは頷いた。


「あのなコバヤシ……あっちに、元居た世界に帰れるんだ。実際サイトウたちはもう帰ってる」


「え、やばいじゃん! でもどうやって……」

「それはこのおっさんがなんか渦だしてくれてさ、こうガーって――」

 キジマの要領を得ない回答に、コバヤシは首を傾げた。


「……ようするに、おじさんが帰してくれるってことでいいの?」

「そうそう、だよなおっさん」

「えー! おじさんいいひとじゃーん! 顔こわいのにー!」

「……」

 少年少女の会話に、傷の男は苦い顔をする。


「じゃあじゃあ、みんな呼んでくる?」

「いや、ちょっとそれは待ってほしい。カワノが、その」

 キジマは再度口ごもった。次第にしぼんでいく声は、聞き取れなくなっていく。


「と、とにかくタイミングがあるんだよ! あとで言うから」

「うん?」

 よくわかっていないのか、首を傾げたまま頷くコバヤシ。


「いいからいったん戻れ。俺たちがここにいることはナイショな」

「うん、わかったー。おじさんもまたね~」

 傷の男へとまたも手を振り、コバヤシは素早くその場を離れた。

 一瞬の静寂のあと、キジマは大きくため息を吐く。


「おっさんのほうがあいつのこと苦手そうだな……」

 傷の男は額に手を当て、うつむいたままだった。



 コバヤシに解除された罠を再度作り直し、さらにいくつかの罠を設置していると、遠目にいくつかの明かりが見えた。

 

「あいつ絶対しゃべってんな……」

 コバヤシが彼らの居所を告げたのだろう。

 傷の男の眉間のしわがさらに深くなった。


「数が多すぎるな……」

「ど、どうしたらいい?」

 傷の男は革袋から腕輪を取り出し、両の手にはめる。次いで、彼を以前縛り付けていた鎖を右手に巻き付けた。


 その間にも、遠目に見える松明の炎が一つ二つと増えていく。


「一人ずつなら対処はまだできる。だが……」


 カワノの加護があると、思うように動けない。傷の男の意図を組んだのか、キジマが歯を噛み締め唸る。

「やるしかねぇか……!」


 キジマは手のひらを頬に当て、立ち上がった。

「俺がカワノを引き付ける。変なチカラはなくなっちまったけど、足には自信があるからな。それに、手加減してくれると思うし。……たぶんだけど」

  

 首だけを向けて、傷の男に笑いかけた。


「あのさ、おっさん。できるだけみんなにその、ケガ、させないでやってくれよな」

「無茶な注文だ」

 その言葉は届いたのか。既にキジマは開いた場所へと駆け出して行った後だった。


「キジマだぞ!」

「コバヤシの言ったとおりだ!」

「近くに『転生殺し』もいるかもしれねえ!」


 少年らの声がする。キジマの走るほうへ、いくつかの炎が向かっていった。


 そして、傷の男の目の前にも灯りは残っている。そのうちの一つが大きく揺らめき、大柄の少年を映し出した。

 

「よお。散々からかってくれた礼が、やっとできるなぁ!」

 大きな斧を軽々と振り回し、少年はこちらを捕捉する。


 傷の男は、左手に縄をもち、右手に鎖を巻き付けたまますぐさま木々の間へと飛んだ。

「逃げてんじゃねえぞ!」

 大柄の少年は、斧の一振りで木をなぎ倒した。


 倒された木から飛び出し、傷の男は鎖を投げつける。かつて自身を縛っていた鉄の蛇は、しなりを加えて少年の腕に絡まった。


 少年はその鎖を見て、笑う。むき出しにした白い歯が、きつく食いしばられる。

「力比べか? はっ! こっちに来てから俺はそいつで負けたこと、ねぇんだ、よ!」

 鎖が伸びきって引っ張られる。単純な膂力は、加護のせいか向こうの方が上だった。


 じりじりと傷の男は、少年の方へと引かれて行く。

「ふっ!」

 傷の男は一度大きく力を入れ、すぐさま手を離した。

「おま、ちょ――」

 抵抗を失った右腕が大きく後ろへ振られ、少年は体勢を崩す。


 傷の男は素早く屈み、少年の伸びきった片膝に腕を押し当てる。間髪入れず、逆の腕を伸ばして踵を掬いあげ、転倒させた。

「うわっ!」


 運悪く頭を樹木にぶつけてうずくまった少年に手をかざす。


「さらばだ」

「て、てめ――」


 大柄の少年は、何かわめきながら渦へと飲み込まれていった。


 傷の男は、息もつかず走り出す。


 正面に、盾を構えた少年を捕らえた。

 彼は盾に身を隠し、防御の体制をとる。盾の影から、後ろ手に持った槍を構えて狙いすましていた。


 傷の男は、放たれた槍を横へ飛び退り、躱す。だが、槍の穂先は執拗に追いかけてくる。

 何度目かの突きを横に回避し、傷の男は勢いよく飛び上がる。

 槍はそのまま樹木に突き刺さった。それを足で思い切り踏み抜いてへし折り、盾を掴んだ。


 奪われまいと、力強く盾を引こうとする少年は驚愕する。盾は、少年が気付いた時には既に渦に飲み込まれていたからだ。


 盾の少年を異界へ還したすぐ、左から刃が突き出される。傷の男は身をひるがえし、後方へ跳躍。直剣は傷の男のいた空間を虚しく切り裂いた。


 傷の男は身体を低くし、土くれを掴んで投げる。

「痛っ!」

 目をおさえたその間にとびかかり、頭から渦の扉へ押し込んだ。右にはめた腕輪にヒビが入るのを感じた。


 動きを止めず腕輪を取り換え、更に駆ける。


 矢が幾本か傷の男の身体を掠めた。更に速度を上げ、矢の放たれる方向を見定める。


 暗闇の中、傷の男はひび割れた腕輪を投げつける。

 ご、という音がしたのは射手の隣の木だ。

「ははっ! どこ狙って――」


 その声を言わせぬまま、止めてしまった弓手を掴み、そのまま渦へと引きずり込んだ。


「つ、つええぞ……」


 連続して魔術を展開したせいか、息も上がり視界が霞み始めている。

「まとまって行動しろ! 陣形をつくるんだ!」


「おっさん!」


 遠くからキジマの声がした。空が白み始めているのか、キジマと、それを追いかけるカワノの姿が視界の端に見える。


「いまだ! 全員でいくぞ!」


 少年たちが集団となって傷の男に襲い掛かった。

 その瞬間、傷の男は左手に持った縄を思い切り引っ張る。


 今まで走り回る中で持っていた縄は、遠くの樹木から伸びている。


 そして張られた縄は、少年たちの脚と胴をひとまとめにした。

「お、おい、どけ! 邪魔だ!」

 傷の男は両の脚を曲げ、飛ぶ。

 何人か踏みつけさらに跳躍。身を返し、両腕にはめた腕輪から魔術を展開した。


「扉よ、開け!」


 巨大な渦が少年たちへと覆いかぶさる。

 渦は轟々と音を立て、一瞬で十人を飲み込んだ。


 騎士団の半数以上がいなくなったとはいえ、圧倒的不利は変わらない。

だが、汗がとまらない。膝が抜け、地面についてしまいそうになる。

「まだだ……」

 踏ん張り、前を向く。その視線の先には、大剣を担いだ少年がいた。


「お前! みんなを……!」

 キジマを追いかけるのを止め、カワノがこちらへと矛先をむけた。


 そのカワノへ、キジマが飛びついた。

「なにするんだ! 離せ!」

「おっさん! 出口をこのまま出しておいてくれ!」

 傷の男は、意識が途絶えそうになるのを堪え、キジマの言葉の通りにする。


「帰りたい奴! あの渦に入れば、家に帰れるぞ!」

「やめろ! みんな、騙されるな」

 吠えるカワノをおさえながら、キジマは懐から何かを取り出し、頭の上に掲げる。

「嘘じゃねえ! ほら!」


 キジマは、異界の瓶――透明の柔らかい瓶を見せつけた。

「それは……!」

 カワノが驚愕する。

「あれ、ペットボトルじゃね?」

「マジかよ」

「え? ほんとに?」


「らしいよ~。だからさっき言ったじゃん」

 動揺する騎士団の中から、少女が笑いながら歩いて出てくる。

「コバヤシ! はやくしろ! 今しかないぞ!」


「じゃ行きまーす。みんなもきてね~」

 コバヤシはそう言い残すと、ためらいもなく渦の中に入っていった。

「あいつはほんと……! でも上出来だ!」

 コバヤシが自然に入っていったことにより、少女の何人かが続いて渦に飛び込んでいった。


「待って!」

 それに、武器を持たない少年たちも続いていく。

 カワノは剣を手放し、縋るように叫んだ。

「みんな、待って! 待ってよ……」

 

 その言葉は届いていないのか、みな一様に渦へと駆け込んでいく。


 そして大きな渦は、カワノとキジマを残して閉じられた。

 傷の男は、音もなく崩れ去った腕輪を、ぼやけた視界で捉える。

「……カワノ、帰ろう」

「……いやだ」


 カワノは突き刺した剣へと手を伸ばした。


「カワノ! 帰れるんだよ! 元の世界に!」

「それは……できない」

 柄を握り、力を込めず軽々と引き抜く。


「使命が、あるから」

「それ、そんなに大事か!? 家族はどうなる! お前の家族は! 俺はお前一人を残したくないんだよ!」

「じゃあこの世界はどうするのさ。いろんなとこで人々が苦しんでる」

 

 カワノは、懸命に彼を止めるキジマを、さして力をいれるわけもなく、引きずり始めた。


 傷の男の身体を、どんよりとした空気が襲う。


「それをお前が背負う必要ないだろ!」

「でも力を持ってる。ならそれを正しいことに使うべきだよ」


「俺は、帰りたい」

「じゃあ帰ったらいいじゃないか……」


「そうするよ。でもその前に、決着つけようぜ……!」

「僕に、勝てるわけないだろ」

 カワノの手は、キジマを軽く放り投げた。細身の少年は、地面に転がりながらも、剣を引きずる少年に語り掛ける。

「ってえ……。お前、それが本音かよ。やっぱりお前は、ここにきてから変わった」

「変わったよ。だからみんな見直してくれたんだ」

 

 傷の男は、向かってくるカワノに対し、膝をついたまま動けずにいた。

 身体が動かないのは、加護のせいか。それとも魔術の使用による消耗か。


「見直したってなんだよ。お前ががんばってんのなんか、知ってたよ。周りのやつらはそれを知らないで、今になってそう言って」


「知ったふうに言って、一番見下してたのは、キミだろ!」

 小柄な少年は傷の男の正面に立つと、剣を振り上げた。

 刃は朝日を受け、光り輝く。


「ぼくはここで変われたんだ!」

「俺はその変わり方、好きじゃない」


 傷の男は、動かない足へ、腕へ、力を込めた。

 ここで動かなければ死ぬと、身体全体に意思を送る。

(動け!)


「キミは……キミは僕に嫉妬してるんだ!」

「お前のそのチカラなんか元々なかったものだろ! こんなのおかしいんだよ!」


 今自分は死ぬわけにはいかない。その意思を、思いを呻きに込める。


「僕は変わったんだ! 変われたんだ! この世界に来て」

「なんの意地なんだよそれは!」

「うるさい!」


 カワノの叫びと同時、大剣が振り下ろされた。

(振り切れ!)

 動かなかった足が、地面を蹴った。


「おっさん!」


 かろうじて直撃は避けられた。だが斬られた脚から大量の血が噴き出す。切断されてはいないが、傷は深い。


 カワノは、血に濡れた剣をもう一度振り上げた。


「ここで、この男を倒す! これで終わらせるんだ!」


 果たして、大剣は振り下ろされ――。


 キジマを斬りつけていた。傷の男の前に飛び出ていた少年は、その場で両の膝をつく。

「キジマ、貴様……」


「へへ、言ったろ。協力するってさ……」


 腹部をおさえながら、キジマは傷の男へと笑いかける。

 そして、友人を斬ったことを認識し、両手を震わす勇者へ向いた。

 

「カワノ、もう、やめようぜ……。もうこんなことしなくていい……。もういいだろ……? なぁ……!」


「キジマくん!」

 

 キジマの手の隙間――腹からどろりとした赤い液体がこぼれた。

 剣を手放し、カワノがキジマへと近づく。


「待て! こっちには来るな!」


「なんで……その人を庇って……」


「……結局さ、みんな空気を読んでたんだよ」

 肩で息をする。その声は次第に小さくなっていった。


「向こうだとさ……、俺たちはあいつらの顔色窺ってた。なのにあいつらはよ、こっちに来た途端にカワノ、お前の顔色窺ってた。みんなだってそうだ……」

 

 キジマは座り込み、目を閉じる。


「この世界にきてからは、一番強いカワノの空気を読んでた。だから帰りたいって思ってるやつらは、帰りたいって……言わなかった」


「……僕のせい、だったの……?」

 震える声で、カワノが問うた。朝日を受けて、頬を伝う涙を光らせた。

 

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。……委ねて、押しつけちまった俺たち全員のせいなんだって、俺は思う」


「キジマくん……」


 涙を流し、カワノはキジマへと近づく。その様子に、キジマは少し慌て――。

「ちょ、まてまて」


「え、この匂い……。血じゃなくて――」

 キジマの側へと近づいたカワノが、鼻をひくつかせる。


「ケチャップ……?」

 キジマの懐から、赤い袋のようなものが落ちた。

 柔らかそうな材質でできたそれは、二つに割れて中身のどろりとした液体をこぼしている。

「あ、やべ」


「え? ええ?」


「さっきコーラ持ってくるついでに、その、な。……お前が残るって言ったら、渡そうかと思ってて」


 バツが悪そうな顔で、キジマは頬をかいた。

「でも、やめた。俺は、お前を絶対連れて帰るって決めたから」


「それでも、この世界の人たちは僕の力を必要として――」


「そんなものはいらん。貴様らの力など、必要ない」


 呟くようなカワノの声に、傷の男は力強く答える。

「俺たちは、貴様ら異界人の力を借りずとも、生きている」

 

「そういうことだ」


 言葉に、カワノは眉根を下げ、力なく笑った。

「こっちでも、僕は必要とされていなかったってこと、か……」


 キジマは頭を掻いて、俯いた少年に呟く。


「ちっげえよ。……俺は望みはさ、またお前と――カワノやみんなとさ、アニメとかゲームの話、したいんだよ」

 キジマの背後から、傷の男が飛び出し、カワノの頭上へと手を伸ばす。

「だから、帰ろう」


 対し、カワノは剣へと手を伸ばそうとして――やめた。


「――なんだ、結局敵わないままか……」

 勇者は、そう言い、笑っていた。

「わりい、またな」

 渦に飲まれ、消えていったカワノにキジマも笑いかけていた。


「終わった……か」

 傷の男を覆っていたどんよりとした空気は、いつからか消えていた。立つのがやっとの状態ではあるが、まだ一つだけ仕事が残っている。


「はは……。あー! マジでビビったあああ! 死ぬかと思ったあああ!」

 腹を抑えて笑い出す。

そのキジマの前に、傷の男が手を掲げた。

 が。


「じゃーな! おっさん!」

 キジマが突然走りだした。

「貴様……!」


 もう足が動かない。みるみるうちに森の奥へとキジマが消えていく。


 だが。

「どわー!」

 少年は、罠にかかって足から吊るされていた。


「助けて……」

「なんなのだ、貴様は……」

傷の男は肩を落とし、力なく歩く。


「なぁ! おっさん!」

 キジマは、とぼとぼと歩く傷の男へ大声で問うた。その顔は、かつて見た、塞ぎ込んで目を伏せ少年のものではない。


「俺、カワノに勝ったんだよな?」

「さあな」

 おそらく本来の彼――、キジマと言う少年の持つ、無邪気な笑顔だった。

「お前が勝負するのは、ここじゃない」


「そっか……」


 傷の男はキジマへと近づき、限界を超えたまま、魔術を展開する。ごう、という音を立て青く暗い渦があらわれた。


「ははっ。なんだ、おっさんってそんなふうに――」


 その言葉を最後に、少年は元居た場所への扉へ宙づりのまま送られた。


 騎士団員全てを、還した後、傷の男は木にもたれかかる。

(加護が、呪い……か)

 もしも加護が彼らの意識さえも変える呪われたチカラであれば、彼ら異界人もまた被害者なのかもしれない。


(やはり、やつをどうにかせねばならん、な)

 異界人を呼び寄せる者がいる。それを止めぬ限り、いつまでも異界人が増え続けていく。その為には――。



 思考がまとまらない。今はただ、眠りたいと身体が訴えている。

(消耗しすぎた、か)


 まどろむ意識の中、傷の男は、笑いかける細身の少年の言葉を反芻していた。


『――そんなふうに、笑ったりできるんだな』

(異界人に、俺が笑いかける、だと……)


 黎明の光は、森の中で泥のように眠る男の身体を――その無数の傷を癒すかのように照らしていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 風が唸り、雨は乱れ、雷鳴の轟く黒雲が渦巻く空。

 吹き抜けの広間には、うずくまる女と黒々とした巨大な何かが横たわっていた。


 それは、四肢を鎖で繋がれた獣。

 禍々しきその獣は、柱に繋がれた鎖を解き放たんと、暴れ、吠える。


「――!」


 女は伏したまま、なにかを懸命に唱えている。

 鱗に覆われた獣は天上に咆哮した。共鳴するよう、雷が天から降る。

 稲光は獣ごと大地を穿った。


 が、という大きな音――。


 女だけではない。この国――神聖国の民全ての耳朶を震わすそれは、痛みによる悲鳴にも聞こえた。


「――!」


 魔物のその胞が大きくなっていき――、膨張し、破裂した。

 血と腸の中から、何かが蠢く。


 ――それは肉の塊だった。


 やがてその塊は、少しずつ変容し、形を成していく。



 それは、頭であろう部分を、自らの腕でもたげ、目を開く。

 それは、まるで人のような形を取り、しかし人とは違う何かだった。



 暗い双眸が女を捉え、嗤う。


 女は肩を大きく上下する。吐いた息は白く断続的だ。まるで怯えるように。


「お前は、そうか……」


 肉の塊だった赤黒い人型は、牙の生えた口を歪ませ、何度も手を開いて閉じる。確かめるように、幾度も。


「やっとだ……やっとこの時がきた」


 赤黒い『それ』は、今しがた産まれたのが冗談であったかのように、一歩ずつ自然に歩き出した。


 女の方へと歩み、目の前で止まるとまた嗤った。

 


「諸国に通達しろ」

 目を見開いたまま動かない女の頬を、爪の先でなぞる。


「ある男を俺の前に差し出せ。さもなくば……、そうだな。都市をひとつずつ、破壊してやろう」


 『それ』は目を細め、女の――かつて救いの巫女と呼ばれた女の顎をつかんだ。


 雷鳴が、『それ』の再誕を祝うかのように、光る。


「俺の名前は……そうだな……」

 

 再誕した『破壊者』は――。


「リファール。俺は、魔王リファールだ……!」

 そう、名乗った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『勇者の軍勢』―レギオン―

 集団の中の一人に勇者の力を与え、勇者が味方と認識しているものには、役割になぞった加護を与える。

 敵に対して、恐怖を植え付け、行動を制限する。行動制限の距離は短いが強大。

 加護を受ける勇者は、無意識下の投票で決まる。

 カワノ・レオンはクラス委員であったために勇者として選出された。


 カワノの望みは皆、主にクラスメイトに認められ、強い者へと変われること。

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