第3話 『勇者の軍勢』 神聖騎士団 中編

 傷の男が騎士団に拘束されて五日目。

 山道を越え、森林地帯を脱するまであと二日という頃、面々は行軍を一旦止めていた。


「カワノ! もう勘弁してくれ! あのおっさんしつけぇんだよ、毎日毎日!」

「参ったな……」


 この停滞は――傷の男の連日による挑発で辟易したのだろう、大柄の少年が大きな声で訴えたことで始まっていた。

 全員が輪になり、傷の男を囲んでいる。


「男子でなんとかしてよ」

「そりゃそうだけど、一番でかいやつがダメってんだからさ」


 争点である当事者の傷の男は、取り巻いている者たちを無表情で見つめている。


「引きずる?」

「え? それひどくない?」

「いや今とそんな変わんないでしょ」

「でも逃げられないようにはしなきゃいけないし――」


 少年少女たちは互いに意見を交わす。彼らは毎度こうやって方針を決めているのだろうか。


 気の長いものだな、と傷の男がため息をつくと、聞き覚えのある声がした。


「じゃあさぁ、足とか縛って、馬車の中にいれといたら?」

「コ、コバヤシさん、それも結構ひどいんじゃ」


 妙に間延びした声。皇国での一件で、傷の男と一度対峙した少女だった。

 コバヤシは気だるげに毛先の茶色がかった髪をさわる。


「でもまた同じように揉めて停まってたらいつになっても着かないよ。これから街に入ることもあるし」

 

 

 街中でいままでのように揉めていると、目立つことは必至だ。傷の男自身も、人目につくよう騒ぎ立てるつもりでいた。


「うーん。でもそれなら誰か見張りにはついていてほしいし……」


 腕を組み思案していたカワノ――彼はこの話し合いにおいても中心にいる。

 皆がカワノを注視する中、口を開く。

 

「……キジマくん、見張り頼める? 女子じゃ何かあった時怖いしさ」

 キジマ、と名指しされた少年は、毎夜傷の男を見張っている少年だ。


「キジマくんは、彼と揉めてるようには見えなかったし。うまくやってくれるんじゃないかなって」


 カワノは申し訳なさそうに眉を下げ、キジマへ尋ねた。

 

「俺にできることほとんどないからな。歩くのサボれるしいいぜ」

 対しキジマは、鼻を鳴らして笑う。


「そういう意味で言ったんじゃないから」

「わかってるって。冗談だ」


 自嘲めいた笑いはそのままに肩をすくめた。


「もう……。キジマくんも充分注意して。皆はなんだか油断してるかもしれないけれど、彼は危険なんだ」


 カワノはちらと傷の男へ目線を送る。温厚な表情のままではあったが、視線だけが突き刺すように鋭い。


「何人も、その手で人を殺めている。それも僕たちのような向こうの人を。――ほんとは僕がついていなきゃいけないんだけど」


 打って変わって心配そうにキジマへと顔を向ける。そんな騎士団長を労うよう、彼の肩に手を置き、キジマは白い歯を見せた。

「大丈夫だ。でも、なんかあったら大声で呼ぶから、助けてくれよな」

「当然だよ。僕は――」


 おどけたキジマへと、カワノが柔和な笑顔を見せたその瞬間――。


「みんなを――すべての人々を守らなきゃいけない。それが僕の使命だから」


 そのほんの一瞬。傷の男は、どんよりとした空気につつまれた気がした。




 傷の男は、少年たちの決めた通り、足を縄でがんじがらめにされて馬車の中に放り込まれることとなった。


 内部は食料が占拠しており、さらには見張りで同行したキジマが向かいに座っている。

 細身の少年は、特に喋ることもなく、ぼう、と御者台の方を眺めていた。


 散々挑発し続けた甲斐があった、と傷の男は思う。


 拘束されてはいるが、移動に体力を奪われることはない。

 さらに杜撰なことに、彼自身の荷物さえ目に入るところにある。

 

 足の拘束のおかげで体勢を変えるのが困難であることを除けば、思考を巡らすにも条件は悪くない。

 

 ここから状況を変えるためにどうするか。

 あと五日程で神聖国へと到着する。それまでに手を打つ必要があった。


 彼ら神聖騎士団の少年少女らは、大きく二つに区分けできる。


 一つは、発言力の高い者たちだ。


 比較的体格のいい少年が多く、見た目通りに戦闘力が高いものが主になる。

行軍でも先頭と最後尾に配置され、道中で魔物がいれば率先して対処に当たっている。


 どれもが先に食事をとり、先に休息をとっていた。

 中には戦闘に参加しない少女も何人かおり、コバヤシもそのうちの一人だった。少女らは行軍中も軽装で、常に何かしら話している。


 カワノの周りには、その集団の何人かがいるようだった。


 もう一方は、荷運びや食事の準備、哨戒や野営準備等にあたる者達。

 そこに属するのはカワノらに比べ、大人しく、話すことも多くはない。


 そのうちの少年らに限っては、戦闘に参加はするものの、腰が引けているような者もいる。

 

 今目の前にいるキジマは、そちらの者といることが多い。


 積極性と戦闘力のある者と、消極的で戦闘力の少ない者で分かれた二つの集団。

 騎士団というにはあまりにも稚拙だと、傷の男は感じていた。


 どう切り崩すか――傷の男が熟考し始めた頃、黙っていたキジマが口を開いた。


「……なぁおっさん」

 

 キジマは傷の男へ目を合わさず、床板をみつめている。


「おっさんは何で俺たちを殺すんだ?」

 俺たち、というのは異界人の事をさしているのだろう。問いに答えずにいると、キジマは質問を変えた。


「今までで何人ぐらいやったんだよ」

 声は、喉から絞り出されたようにくぐもっていた。


「……さぁな」

 幾人もの異界人と対峙してきた。その記録は、彼自身の傷跡が示している。


「どうだろうと、俺は還すだけだ。この世界に不必要な、貴様ら異界人を元いたところへとな」

 

 その言葉に、キジマはこちらへと目線をむけた。驚いたような表情を一瞬見せ――。

「元いたって――」

 しかし頭を振ると、すぐに目を細めた。


「いや……騙そうとしてるだろ。殺してないって言いてえのか?」

「どう捉えようが貴様の勝手だ」

 傷の男の返答にキジマは黙った。傷の男もそれ以上問うことはしない。



 しばらくの間会話もなく、馬車が揺られるのに任せていた。

 

 傷の男は身体を少しよじりながら座る位置を探す。

 硬い木板ではどうにも座りが悪い。やはり足の拘束は厄介だったかと傷の男は思う。


 幌の中から見えるのは、御者台に座る人間の尻くらいだ。ぼんやりと上方を見上げていると、何かが聞こえてきた。


 それは聞きなれない曲調の口笛だった。

 細い音は振動により止まったり時折大きくなったりしながら、キジマの口元から奏でられていた。

 

 傷の男の視線に気づき、キジマははっとして止める。


「な、なんだよ。暇だからいいだろこれくらい」


「変わった旋律だな」


「これは、その……いや伝わんないから言いたくねぇ」


 キジマは相変わらず視線を交えず、だがしかし、しばしの沈黙の後にぽつり、ぽつりと語り始めた。


「……アニメの、やつだよ」

「アニ……?」


 ほらやっぱり伝わらねぇじゃん、とキジマは嘆息する。が、頭をかきながらも続ける。


「なんて言やいいか……物語の曲、っつーか。……俺の国の」


 彼の国、とは異界の事だろう。キジマは少し目を伏せた。


「物語……、詩歌の様なものか」

 言葉の意味を理解できていないのか、不思議そうな顔をするキジマに、傷の男は補足する。

「詩人が歴史や物語を歌にしたものが詩歌だ」


「あー吟遊詩人、的な?」

 頷き、促す。

「それとはちょっと違うような気もする……、けどまぁ似たようなもんか……?」


 小首をかしげた後、キジマはあのさ、と前置いた。


「おっさんさ。多分だけど、殺されるよ」

「だろうな」


 はっきりと告げる傷の男を見つめるキジマ。

 車輪が石を踏んだのか、馬車が大きく揺れた。


「……怖く、ねえの?」

「それなりのことをしてきたからな、覚悟はある」


 いつ死んでもおかしくはない。そういう生き方をしてきた。

 おいそれと死ぬつもりはないが、と胸中でつぶやく傷の男の前で、キジマが小さく声を漏らした。


「そんな簡単に、死ぬこととか……考えられるんだな」

 それはただの独り言のようだった。掠れた言葉を、彼は少しずつ紡いでいく。


「俺の国は……死ってのが、凄く実感のないところだったんだ」


 キジマの元いた世界――異界には高度に発達した文明がある、と傷の男は話に聞いている。それがどのようなものか、彼にはわからない。


 キジマの言う通り死が身近ではない世界であれば、彼らの住んでいたそこは、一種の理想郷なのだろうか。


「でも、ここはさ、そこら中で……それこそいつでもどこでも人が死ぬ。――俺の世界にも少なからずそういう場所もあるらしいけど、俺には遠い世界の話だった」


 転生者はそのすべてが強者だ。だがそれと同時に『脆さ』があった。

 それは、今まで対峙してきたどの異界人も共通していた。今目の前にいる少年にも、感じられる事でもある。


 異界人のその『脆さ』はきっと――死が遠のいたことによる覚悟のなさによるものかもしれない。


「イヤなんだよ、死んだり殺したり……。怖いのも痛いのも……」


 一つの音が馬車に響く。それは昨晩にも聞こえた音――金属を擦り合わせたような音だった。

 その小さな音にも負けそうな、息を吹きかければかき消されそうな声で、キジマはつぶやく。


「そんなこと、しなくていいならしたくねぇ」


 うめき声のようなか細い声は、確かに傷の男の鼓膜を震わせていた。


「……お前は、帰りたいのか?」

 膝を抱えた少年に、傷の男は語り掛ける。


 その言葉に――決して大きくはないが、低く、しっかりと届く言葉にキジマは息を飲む。だがすぐに半目になり鼻を鳴らした。

 

「なんだよそれ、さっきから。帰るとか、元いた世界に還すとか。……おっさん、あんた逃げたいからって、適当に俺を釣ろうとしてんだろ?」


 抱えた膝に組んだ腕の間へと、沈めるように顔を伏せた。


「俺には関係ないんだ……。おっさんがどうなろうと……」

「そうだな」


「けっ」

 キジマが拗ねるように言った瞬間だった。


「ま、魔物だぁー!」


 悲鳴。そして乾いた鐘のような、異音。


「な、なんだ!?」

 キジマが慌て立ち上がろうとすると、さらに声が重なる。


「サイトウがやられたぞ!」

「僕たちに任せてサイトウくんを馬車に!」


「なんだよ、どうしたんだ!」

 キジマが幌から飛び出した。そしてすぐさま顔を覗かせると、傷の男の腕をつかむ。


「おっさん、ちょっと出ててくれ!」

 足に括り付けられた縄をナイフで切り落とし、キジマが傷の男を馬車外へと押し出す。


 慌ただしく、馬車の中に小柄な少年が押し込まれていく。負傷したのだろう、足から血が滲み、青い顔をしていた。


 それを横目に、傷の男は自由になった足で土を踏む。


 怒号と悲鳴が混じった中、騎士団の面々が騒がしく獣の集団と対峙していた。


 その獣は、巨大な蛇だ。カラカラと大きな威嚇音が周囲に響き渡る。

 視認できるもので八体。大蛇はそれぞれが頭をもたげ、少年たちを囲んでいた。


 慌てふためく彼らの中、たった一人だけ動きの違う者がいた。

 

 背丈と同じ、いやそれ以上に見える大きな両刃の剣を構えた少年――カワノ・レオンだった。


 彼が大型の剣を振り回すと、まるで刀身が伸びたかのように、遠くの蛇の頭が切り落とされた。


 続けて、光を湛えた大剣を振り下ろす。途端、剣先から光の刃が放たれた。

 鎌のような形を取った光の束は、木々を裂き、空気を割る。果てに大蛇の胴を切断した。


「みんな! 勝てるよ!」


 彼の一言により、体勢を立て直した騎士団は、一気に攻勢に出ようとしていた。


(やはりあの異界人、強いな) 

 味方を鼓舞し、先頭に立つ姿。銀の鎧が太陽の光を反射しているその様は、英雄然としていた。


「おい、サイトウ! 大丈夫か!? しっかりしてくれ!」

 少年らの奮闘の中、悲鳴にも似た声が馬車から聞こえる。


 傷の男は、拘束された腕で器用に幌を開き窺った。

 

 内部には、先ほど担ぎ込まれた小柄な少年、サイトウ。そしてキジマと、小太りな少年が慌てふためいている。

「熱い……痛い……!」

 狭苦しい馬車の中にうめき声が響く。

 

 周りの者は、横になり大量の汗を流しながら足を抱えたサイトウを不安そうに囲んでおり、傷の男に気づいていないようだった。

 そんな中、キジマだけがこちらに目線を送る。

「おっさん……」

 その表情は、敵視とは違うものだった。


「これは、熱毒だな」


 傷を付けられた箇所は、紫色に変色し腫れていた。

「噛まれたことで唾液が付着したのだろう」

「……どうなるんだ?」


 傷の男に気づいた小太りの少年は、困惑したように彼とキジマを交互に見渡す。


「最悪死ぬ場合もある」


 サイトウを噛んだ大蛇は、外敵に対し牙を介し毒となる分泌液を付着させる。

 この山道ではたまに遭遇する魔物だが、彼らにはその情報がなかったのか、治癒する術をもっていないようだ。


「死ぬって……」

「どうにかならないんですか!」


 小太りの少年が、震える声で問うた。


 傷の男は顎に手を当て――ようとして鎖に阻まれる。咳ばらいを一つ。


「まずは傷口から少し離れた場所を縛って血を巡らぬようにし、傷口を水で洗って血を絞り出せ。口で吸う者もいるが、できれば手で圧迫するほうがいい」


 少年たちは男の言動に驚いたのか、口を開けたまま動かない。


「俺の荷に薬がある」


 鎖の音を立て、両の手で木箱の上にある革袋を指した。

 

「小さな包みに入っている。それを飲ませておけば熱はひくだろう」


「おい、おっさん。本当だろうな?」

 キジマは、傷の男にすごんだ。男は、細身の少年に対して、眉一つ動かさない。

「この森林から近い湿地帯には、毒を持つものが多い。この山道を越える行商などは常備している薬だ」


「こ、これですか!?」

 小太りの少年が、傷の男の言う薬を手にもっていた。傷の男は大きくうなずいてみせる。


 ちらと見たキジマの額から顎へと一筋の汗が垂れていた。判断を決めかねているのだろう。だが――。

「体が熱い……、死にたくない……」

 サイトウの呻き声を聞くと、逡巡を止める。


「信じるしかねぇか……」

 少年らは、傷の男の言葉通りの処置をサイトウに施した。




 急な襲撃もあったためか、騎士団は比較的開けた場所へつくと、早々に野営に入った。


 皆それぞれが休んでいる間、大きな木につながれた傷の男にキジマは食事を渡す。

 後ろには、先ほどの小太りの少年がついてきていた。


「おっさんの言う通りにした。熱、引いたよ」

「そうか。あとは本人の体力次第というところだろう」


 手渡された塩漬け肉を噛み、答える。


「おっさん、何で本当のことを教えたんだ? 嘘ついて殺したっていいはずだろ」

「そうだな」


 濃い塩の味が舌を刺激する。顔を渋面にし、傷の男は興味のなさそうに返答した。


「あんたの狙いは俺たちだ。黙って放っとくことだってできただろ」

「殺す利益がない。それだけのことだ」


「それだけって……! ああもうっ!」


 キジマは髪をかきむしり、悶える。

 そして、深く息を吐いた。


「おっさん、俺と取引だ」

 傷の男を見るキジマの目。その目は、いつかの夜に見た遠いところを見ているようには、見えず。


「俺はおっさんを自由にする。だから仲間を――」


 睨むような目つきだが、しっかりとこちらを見つめていた。


「元の世界に帰してくれ」


「元の世界、って……どういうことだよ」

 隣の少年を、キジマは手で制す。

「あんた言ったよな。元居た世界へ還すって。向こうの世界に行くって……その手段があるってことだよな」


「あぁ」

「帰りたいやつだっているんだ。こいつや、毒を受けたさっきのやつも」

「キ、キジマ、それほんとなのか? 帰れるって……」


 頷くキジマ。ただし、と付け加えた。


「一回、試させてくれ」

 その声は、震えていた。

「おっさん。向こうに行って帰ってくるってことって、できんのか?」


 異界人と今まで対峙した時、渦に一度で押し込められず、幾度も出し入れしたことがある。

 短時間であれば、入ってから出ることもできるかもしれない。

「おそらくはな」

 おそらく、とそう言う傷の男自身、異界への出入りが確かなものとはっきりと言えなかった。

「確証はない」


「き、危険だよキジマ。一回カワノくんに相談したほうが」

 小太りの少年が小声でキジマに訴えた。対し、キジマは焦ったように早口でまくし立てる。

「また学級会開けってのか? サイトウを早く返してやんなきゃ、どうなっちまうかわかんねえだろ」

「それは、そうだけど……」


「俺はどちらでも構わん。好きにしろ」

 傷の男は口元を拭って鼻を鳴らした。

「だが、異界の扉をくぐれば――、貴様は加護を失うだろう」

「加護?」


「貴様ら異界人は特別な力を持っている。貴様にもあるのだろう」


 特殊な加護。

 異界から来るもの全てが備えた、特別な力だ。

 果てない魔力、人心を操る能力……。様々な力を彼らは振るい、この世界の人間を支配してきた。


「俺は……走るのが速くなって、疲れなくなった」

 異界へと渡す扉――渦に触れると、加護は消えてなくなる。そして加護を失った彼らは、真実の姿、魂の形をみせた。

 キジマ達のような転移型は姿は変わらないのだろう。


「おそらくそれが加護だろう。一度門を通れば、その力は失われることになる」


 傷の男が告げると、キジマは、目を見張る。だが、すぐに力なく笑うと――。


「そんなのは、いらない。――帰れるほうが、ずっといい」


 そう、小さくつぶやいた。




 騎士団の者達が寝静まった頃、外につながれた傷の男のところへ二人の少年が集まっていた。キジマと、小太りの少年だった。


 夜間の見張りは彼ら以外にいない。戦闘に参加した者達もいた為、疲れているだろう、と小太りの少年が今夜の見張りを買って出ていた。

 物音を立てぬように、ゆっくりと傷の男の拘束を解く。次いで荷物を渡してきた。


 傷の男の手を拘束していた魔術を封じる鎖は外され、代わりに腕輪が装着されていた。自由にはさせられない、とのことで、新たに縄でつながれてはいたが。

 野営場所から充分に距離を取り、傷の男は右腕を宙にかざす。


「門よ、開け」


 彼がそう発した瞬間、暗い森の中に、青く暗い渦が発生した。

 縄を自身に括り付けたキジマは、渦を前に息を飲む。


「これが……」

「さっさとしろ」

 

「わ、わかってるよ」


 無感情な傷の男の声に反発するよう、キジマは一歩を踏み出し、渦に身を投じた。


 腕輪をした手を中空にかざしたまま、傷の男は動かない。

 もしキジマが戻らなかった場合、騎士団は再び傷の男を拘束するのだろう。


 もしそうなったとしても、彼は傍らにいる小太りの少年を人質にしてでも逃げるつもりでいた。


 ちら、と残された少年を見やる。

 今は過ごしやすい気候である。ましてや夜にもかかわらず、彼は汗だくで傷の男を見ていた。

 目が合ったとたん、更に汗を垂れ流して苦笑いをする。

 

 特段反応することもなく、傷の男は渦を見る。

 灯りなどはない。木々の間から差し込む月明りだけが光源だった。

 

「もう持たん。門を閉じる」

「そ、そんな」

 しばらく経った頃、傷の男がそう冷たく言う。脅しなどではなく、事実この魔術の維持は負担が大きい。


「待ってくれ!」

 すると、渦から声がした。


「キジマぁ!」

 小太りの少年は、泣きそうな声で渦を見る。

 そこには黒い瓶のようなものを持ったキジマがいた。


「生きてた、よかった……」

「……はは」


 少年は事実泣いていた。そんな彼の肩にキジマは手を置く。ふと、小太りの少年はキジマの手に持った物を見て目を丸くした。

「お、お前それ……!」


 その瓶をキジマは口元で傾ける。黒い液体を口から流し込んで、笑った。


「ああー!! コーラ超うめぇー!!!」

「うお、マジかよ! 一口、一口くれ!」


「へへ。ちょっとだけだぞ」

 瓶を渡した途端、小太りの少年が一気に液体を飲み始めた。勢いで喉に詰まったのだろう、すぐにむせる。しかしその顔は、涙目ながらに喜びに満ちていた。


「おい、あまり騒ぐな」

 扉の魔術を消去し、傷の男が静かに釘を刺した。


「あ、ああ。すまねえ。おっさん、もう一回今のやつ頼めるか? 早く返してやりたいやつがいるんだ」

 先のサイトウ、という少年の事だろう。

「……できなくはないな」

 頷いた傷の男に、キジマも顎を引いて応えた。


「とにかく先にサイトウを病院に連れて行ったほうがいい」

「そうだな。俺、連れてくる」

 キジマが指示すると、小太りの少年は急いで踵を返した。



「……おっさん。協力だってなんだってする。俺たちみんなを向こうに返してくれ」

 キジマが独り言のように空を見て呟いた。

 上空には木と、その間から見える星が見える。

「それは俺の目的でもあるからな」


「ウインウインってやつか」

「ウイ?」

「あー。いや、いいや。気にしないでくれ」

 少年は笑いながら手を振った。


「……貴様はどうするんだ。あの二人とともに帰るか」

 そう何度も魔術は展開できないが、三人同時に門をくぐるくらいなら問題ないだろう。

「俺は――」


 キジマが応えようとした時、小太りの少年がサイトウに肩を貸して歩いてきた。薄暗がりの中のサイトウは青白い顔をしながらも、少し笑っているように見える。

「どこにつながってんの?」

「俺んちだった。あ、そうだお前ら靴脱いどけよな」

「これ、入るの勇気いるなぁ」 

「大丈夫だって。とにかく早く入って――」

 キジマが二人を促そうとした、その時。


「なに……やってんの?」 

 騒いでいた彼らの前に、一人の少年があらわれた。


「カ、カワノくん……」


 小柄な体躯に、その背と同じくらいの大きさの両刃剣を背負った少年、カワノ・レオン。

 傷の男は、素早く身構える。


「待ってくれカワノ――」


「おい。早くしろ」

 続けざまに魔術を展開したせいだろう、傷の男の掲げた腕輪にヒビが入っていた。敵意を見せるカワノを注視しながら、体勢を低くする。

 扉を維持しながらの戦闘は、確実に不利だ。


「なんでこの人が縛られてないの? どういうこと? もしかして」

 カワノが背負った剣に手を伸ばす。

「裏切ったって、こと? 答えてよ……」


 大剣を構えると、突如としてどんよりとした空気が傷の男を覆った。

「ねぇ!」

(加護……!)


 気迫にあてられたのだろうか。カワノを前にした少年たちは、足を震わせ、歯を鳴らす。

「ご、ごめんカワノくん、その、裏切ったとかじゃなくて!」


 そして傷の男も同様に、足の力が抜ける――。

(恐怖……、俺が恐れているのか……!?)


 動こうにも足が動かなくなっていた。呼吸すら難しくなり、このままだと魔術の維持すらもできない。

 そう感じた瞬間だった。


「いいから行けお前ら!」

「待てッ――!」


 キジマが怯える少年たちに身体でぶつかり、渦へと押し込んだ。途端、渦は消えてなくなる。


 そして、今しがたキジマがいた場所には、巨大な爪で引き裂かれたような跡が残っていた。

「説明、してよ。どういうことなの?」

 抉られた土の先に見えるのは、月明りを受けてきらめく刃。


 巨大な刀身を眼前に構え、少年は吠えた。


「なんでだよ!」


 それは狼の遠吠えのように、暗い森をこだまする。群れを離れたものを、諫めるがのごとく。

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