第3話 『勇者の軍勢』 神聖騎士団 前編

「――ロープ束を三つ、と魔封の鎖、ね。で次は魔術符がそれぞれ十枚ずつ。残りはこっちに入ってるから」


 快活な少女の声が木造の家屋に響く。そしてそれに応えるのは、同じ年ごろの少年だった。

「ああ、ありがとう」


「魔封の鎖だなんて、なんだか魔物ハンターみたい」

「はは……そんなんじゃないよ」


 荷物をまとめながら言う少女に苦笑いをし、少年は部屋の中を見回した。

 ここは皇国の中でも数店しかない加工屋。魔術などを施した道具を売る店だ。


「ねえ、お兄さんって旅の人なんでしょ?」

「ん、まあそんなもんだな」


 濁しながらも肯定する少年へと荷物を渡し、少女はまた笑顔をつくる。


「じゃあさ、おじさんに会うことがあれば伝えてほしいことがあって」

「おじさん?」

「うん、こーんな顔した――」


 少女は自らの手で眉間を寄せ、しかめ面をつくる。

 その様子がおかしかったのか、少年は噴き出しそうになった。だが、次の一言で顔つきを変えることとなる。


「――傷だらけのおじさん」


「……その人に、何を?」


 自分の声が低くなっていることに少年は気づいていない。少女も顔をつくったままで、彼の表情が変わっていることがわかってはいない様子だった。


「今朝ね、お城の人が来たの。ぜひ皇女様に会ってほしいって」

「皇女に?」


「お礼がしたいからって言ってたんだ。おじさん怖い顔してるけど、皇女様とお友達だったのかなぁ」

 強面と皇女はなんら関係はないことだ、などと指摘せず少年は促す。


「その人は……、何をしている人なんだ?」


「わかんない。うちのお父さんとは仲がいいみたいだけど、どっちに聞いても『お前には関係ない』っていうから」


 頬を膨らませる少女。父、というのはここの店主を指しているのだろう。


「気が付いたらいつもいなくなってるんだもん。おじさん、ああ、とか、そうか、って言うぐらいで、ぜんっぜん喋ってくれないし。もっといろいろお話聞きたかったのにさ」


 少年は靴の紐を直す素振りで、屈む。ほどけてもいない紐を触りながら、カウンター越しに答えた。


「……心当たりはないけど、会ったら伝えとくわ」

「ありがと!」


 立ち上がると咳ばらいを一つ。懐から何かを取り出し、台の上に置いた。

 二枚のコインのようなものが、金属音を奏でて重なる。


「これ、見たことあるか?」


 金と銀の混ざった円形のそれを、少女は手にもって眺めた。

 

「……すっごいキレイだけど、わたし見たことないなぁ」

「そっか」

「見たことない字が細かく刻まれてる……。凄く珍しいものだと思うけど、どこで手に入れたの?」


 商売人だからなのか、瞳を輝かせて尋ねる。

 しかし少年は首を振ると、すぐに二枚のコインを回収した。


「故郷のものなんだ。見たことないんならうん、大丈夫」

「そうなんだ。……げんき、だしてね」


 何かを察したのか、少女はそういうと、まとめた荷物を渡す。

「はは、ありがとう」

 

 店を後にした少年は、荷物を背負いなおして坂を駆け下りる。その先にあるのは噴水のある広場。さらに先には皇国の出口である門がある。


 門まで、一気に駆ける。潮風の香りが鼻腔へ抜けていくのを感じた。


 息をあげずにたどり着いた先、大きな門の門番へと身分証である木札を渡す。


「ん、教会騎士団所属、ナオキ・キジマ……。ほう、お若いのに騎士様とは」

「いや、俺そんなんじゃ――、あ、いや。うん通ってもいいか?」

「もちろんです」

 

 キジマ――そう呼ばれた少年は、門番に軽く頭を下げて通過する。


 後ろ髪をひかれる気持ちもある。ほんの短い間滞在しただけだったが、彼の記憶からしてもこの都は住みやすく感じられた。皇国の賑やかさと吹き付ける強い風が、ほんの少し故郷を思わせていたのかもしれない。


「いや、今は急がねえと――」


 余計なことは考えまいとキジマは頬を張った。


 何度か屈伸をし、かがむ。指を立て、前後にかわした足を延ばすと――、一気に駆けだした。

 腿をあげ、つま先で交互に地面を蹴る。風を追い越すようにどんどん速度を上げていく。


 風以外の音が消え、景色が視界の外へと流れていった。


 ――


 彼、キジマ・ナオキはこの世界の住人ではない。

 彼が通う高校での自習中、突如光に包まれ、気を失った。そして気づいた時には既に、クラスメイトと共にこの世界にいた。


 突然の事で皆が動揺している中、現れた『巫女』と自称する者は――。


『あなた方は、この世界を救うために召喚されました』


 そう、彼らに告げた。


 その瞬間、驚き戸惑うと同時に、心が躍ったのを覚えている。

 漫画やアニメなど、創作物でしか知らなかった世界に来た。それだけでも充分興奮したのだが、更に気分を高揚させたのは、特別なこのチカラ――。


 並みの速さではない。馬にも匹敵する速度で駆けられるすさまじい速度、そして無尽の体力がキジマ自身に宿ったのだ。


 もとから足は人並み以上には速かった。だが、中学の時に陸上をしていた時でさえ、このような速度で走れたためしは無かった。

 明らかに人間の限界を超えた能力は、彼を期待感で満たしてくれた。


 自分以外にもそれぞれ何かに目覚めたクラスメイト達と、はしゃぎまわったことを覚えている。



 小高い丘を越えると、山脈地帯へとのびる街道に差し掛かった。周囲に人の目はない。更に速度を上げる。



 足音が消える。風を置き去りにする。



 しかし、この世界に来てしばらくたった今。風の中で彼が思うのは、ずいぶん前に兄の単車の後ろに乗った時の事だった。

 耳に入るのは風の音だけで、青空と道路がまっすぐに伸びていて――。


(免許、取ろうと思ってたんだよな。高校からは部活もしないでバイトして)


 もはや懐かしいとさえ思えてくる元の世界。

 今この眼に映る森や平原ではない、ビルと人に囲まれたあの世界。


(でもそれも、意味なくなっちまったな)

 

 退屈だった日常を、一時は忘れていた。異なる世界、見たことのない生き物。剣と魔法の世界。


 しかしその世界は、キジマが思っていたよりもはるかに過酷だった。

 

 人々は国力の為に争い、魔物と戦い、病に苦しんでいた。

 この世界は、救いを求めるが故に、困窮していた。


(俺、ずっとこの世界で生きてくのかな)

 

 そんな世界を認識した時――死が近くに、確かに存在していることに気が付いた時、彼の心にはもう異世界への憧憬はなかった。


 黒く無機質なアスファルトに覆われた世界は、懐かしむことでしか思い出せない。

 その事実を遠くへ追いやるよう、強く土を蹴り、駆け抜けていく。




 ――

 

 山のふもと付近、森林地帯が見えた。

 

 彼の仲間――神聖国所属の教会騎士団とは、この辺りで合流することになっている。


 任務を終えて本国へと戻るため、この辺りまで行軍しているはずだ。

 キジマは周囲を見渡しながら速度を緩める。


 森の間を割るように伸びた道。その先に幌馬車が見えた。馬車の周りには数人のひとだかりがある。


「やっと追いついたな。森の中じゃなくてよかっ――」

 安堵に足を止めようとした瞬間。

「キジマくん! 危ない!」


「うわっ!」

 声に反応し咄嗟に身を屈めるキジマの上を、何かが飛び越えた。


 それは巨大な角を持った、鹿のような獣だった。振り返りキジマをにらみつけている。

「そのまま伏せて!」


 言われるがままに伏せる。と、頭上から凄まじい風圧がキジマを襲った。


 何が起こったのか。恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、両断されてくずおれる大きな獣だった。


 そしてその奥に突き立った巨大な両刃剣が見えた。獣を両断したままの勢いで、地面に突き立っている。


「ふぅ……」


 呆然と眺めるキジマの隣を、彼と同じか、少し若く見える少年が横切る。

 獣を切り裂いた大きな剣を軽々一息で引き抜き、振る。刃から飛んだ血が、草葉に赤の斑点をつけた。


(相変わらずとんでもねえな……)

 あの巨大な剣を、獣を分断する勢いで投げつけたのだ。


 人間の膂力ではありえない現象。それを今起こしたのは一人の小柄な少年だった。

 彼は肩に大剣を担ぎなおすと、キジマへ手を差し伸べた。


「……カワノ、助かった」


「うん。キジマくんこそ、お疲れさま。……大丈夫だった? ケガしてない?」

「ああ」


 大剣の少年――カワノにキジマは頷く。


 差し出された手を掴み、立ち上がった。

 膝についた土を払うと、カワノの背後から大柄の少年が顔を出した。


「なんだよ、キジマぁ。またうちの勇者様に迷惑かけてんのかよ」


 体格にあった斧を担いだ少年は、血のついた鎧を手で拭きながらキジマをねめつけた。


「走るくらいしかできねえんだから、さっさと逃げてろよな」

「っせーな」

 嫌味たらしく言われ、キジマは小さく反抗をみせる。


「んだよ」

「別に」

「や、やめなよ。キジマくんだって物資調達してきてくれてるんだからさ。戦う力がなくったってみんなで助け合ってこう。そうでしょ?」


 とりなすカワノの肩に、大柄な少年が笑いながら手を回した。


「優しい勇者様が言うんだから、これくらいにしとくか」

「ちっ」

 キジマの舌打ちを聞いていたのか、カワノは困ったような顔でキジマへ声をかけた。


「むこうでみんながごはん作ってくれてるから、行こう」 

 促され、しぶしぶキジマも二人についていく。


「いやぁ今日も快勝。さすが勇者レオン様って感じだな」


 大柄な少年は、そんなキジマを気にするでもなく、大きな声で話し始めた。

「やめてよ。恥ずかしいから」

「なに謙遜してんだよ。見直してんだぜ俺は。あのおとなしいレオンくんが超強くなってんだから。漫画みてえだ」

(見直したって、なんだよ)


 野球部だった彼は普段から声が大きく、キジマは耳を塞ぎたくなる。


「しかしあの転生殺し、だっけ。あのおっさん。さんざん噂されてる割には、大したことなかったな」


 彼が笑いながら斧の柄でさすのは、離れた位置に鎖でつながれたローブ姿の男だった。

 布地で覆われた顔は今は見えないが、むき出しになった腕には至る所に痛々しい傷がある。


 キジマやカワノたちが所属する騎士団に課せられた任は、無数の傷を持つ凶悪な男、『転生殺し』を捕らえること。


 教団の呼び出した転生者を次々と殺害、さらには教団の施設を壊して回り、巫女や教団員らに数々の暴行を加えた者。それが彼だと聞いていた。


 どんな極悪人で強靭な相手なのかと思えば、彼はキジマ達が皇国で対峙してすぐ――。


「カワノが剣振ったらすーぐ降参だもんな。手ごたえねえっつうかよ」


 あっさりと降伏したのだった。

 本人が罪状を認め、こちらに下っている。現状、この男が『転生殺し』と考えるのが妥当ではある。


(転生者を殺して回ってるって……。俺たちみたいな『向こう』の人間を、ってことだよな)


 クラスのやつら、とりわけ発言力のある者たちは、大柄の彼のように軽く笑っている。だが、そんな凶悪な者が今近くにいるのはぞっとしない。


 爆弾を抱えて飛び跳ねているようなものだと、キジマは背筋を震わせる。

 いくらすぐに下ったからといって、侮るような気分には慣れなかった。


(でも……あの子が言ってた『おじさん』ってのも引っかかんだよな)


 皇国での買い出しの際、店の娘が言った言葉をキジマは思い出す。

 傷をもった強面の男――『転生殺し』と、彼女が言っていた『おじさん』の特徴は似通っている。


 しかしあの娘の口ぶりや表情からは、『転生殺し』の印象とはかけ離れているように感じた。


 傷だらけの顔は確かに凶悪で、教団の言う悪魔のようにも見える。

 しかし一方で、一国の皇女に感謝されるような人物でもあるのだろうか。


 人物鑑定のできる者に見せても、彼の男のクラスが『商人』であることぐらいしかわからなかった。


 謎が深まっていくばかりだったが、彼を教団に引き渡せばこの件は終わる。


 それ以上考えるのをやめ、キジマは木を背にして座りこみ、受け取ったパンを頬張った。硬いパンには葉物野菜と塩で味付けされた卵が挟まれている。


 咀嚼し、ため息をついた。


 卵を食べるといつも醤油を恋しく思ってしまう。白米と目玉焼き、醤油を合わせたものを想像してしまうと、目の前の味気ない食事を楽しめないことがわかっていても。


(カワノは、ケチャップ派だったな。……あいつんち行った時変だって言ってもめたこともあったっけ)


 キジマは少し離れた位置にいる集団へ視線を移した。


 そこには先の大柄な少年や、話し声の通る女子達が楽しそうに食事をしている。その中心にいるのは、大きな剣をかたわらに立て掛けた騎士団長、カワノ・レオンだ。


「そうだ、やばかったっていやこの間生け捕りにした魔物、ありゃ強かったよな」

 大柄の少年はやはり声が大きく、それなりに離れていても声がはっきりと聞こえてくる。


「そうそう、あのおっきなトカゲ。ちょうでっかかったよね。でもレオンくんのおかげでなんとかなっちゃうんだもん。さっすが勇者様じゃん」

 同調するように女子の一人がはしゃぐ。


「いや、はは」


 その功績で、さらに騎士団の名声が広がったことは彼らの記憶に新しかった。

 謙遜するカワノを尻目に、キジマは思わず舌打ちが出そうになる。


(あの魔物縛り付けたの俺なんだっての。走りまわされてよ)


 暴れまわる巨大な竜の攻撃を避け、鎖で縛るのは相当な労力だった。

 それもカワノが魔物を弱らせたからこそではあったが。


「でも、それはね。みんなの協力があってこそだよ」


 拗ねるキジマの心を察したかのように、カワノが言った。その言葉に、皆が耳を傾けている。


「僕たちは仲間なんだ。助け合って生きていくって、そう決めたからね。……あの時から――」




 突然この世界に来た時、一番に動いたのは、カワノだった。


 驚き、混乱し、涙するものもいる中で、一人冷静に皆をなだめ、これからどうするのかを話し始めた。


 当然反発するものも少なからずいた。だが、カワノは自身の力を示し、奢らずに皆をまとめることに尽力した。

 

 大人しくて、お人よしで、でも人一倍努力家で。


 嫌な仕事も率先してやる。面倒なクラス委員だって、だれもやる人がいないのなら、と手を挙げる。困っている人がいたら必ず声をかけ、放ってはおかない。


 カワノ・レオンという少年はそういう人物だった。


 今までクラスで目立たない位置にいたが、誰も彼を嫌うものはいなかった。それは単に人畜無害だったからに他ならなかったのだが、キジマは彼の芯の強さを知っていた。



 中学からの付き合いで、見ているアニメや漫画など共通の趣味も持っていた為か、なんとなく一緒にいることが多くなった。


 キジマはカワノの人のいいの部分を気に入り、真面目一辺倒な彼をからかってみたりしているうちに仲良くなっていった。



 キジマにとって一番の友人だ。

 

 一番の友人、だったはずだ。



 こんな世界に来て、すさまじいチカラを得て、皆を率いて動く彼は、一気に中心人物になった。


 それでもカワノは変わらず優しいままのカワノで、何一つ変わってはいないはずなのに。

 それなのに、昼休みに自分たちと教室の隅で慎ましくも楽しく笑っていた彼は――もう、そこにはいないと、キジマは感じてしまう。


(なんで俺が、あいつをこんな風に見てるんだろうな)

 

 クラスの中では大人しくしているキジマにとって、ちょっとした疎外感は慣れたものだった。

 だが、今感じているのはそれとは確実に異なる感情で――。


(クソッ)


 腰の革袋に手を入れた。


 そこにあるのは、二枚の硬貨。ここに来た時手に偶然持っていたそれを、指で触れる。この世界の通貨ではなく、キジマの世界の、通貨二枚。


 手遊びがてら擦り合わせると、金属の擦れる音がした。それは、自分が本当に“向こう”にいた証のようだった。


 キジマは思う。


 ソシャゲをして、アニメを見て、友達と笑いあっていた日々。

 単車の為に必死にアルバイトをし、将来の為と言われ嫌々ながら勉強していたあの日々。



 キジマは、とある望みを、その言葉を、味の薄い食事と一緒に飲み込んでいた。


 それを、キジマは口にはしない。

 それは、ここにいる全員が暗黙のうちに言わずにいる言葉だったから。


『帰りたい』――ただそれだけの、叶わない望み。



 その望みは、叶えられない。


 その望みを、叶えるものがいない。



 ――たった一人。ある男を除いて。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 雨上がりの昼。

 湿度の高い山道を、異質な集団が歩いていた。


 馬が二頭、幌を張った荷台を引き、それを中心に列を組んでいる。

 傍から見れば小規模な隊商のようにも見えた。だが、並んだ人々は皆一様に若く、皆一様に黒い髪をしている。


 そしてその中に一人だけ、更に輪をかけて異質な者がいた。


 ――大柄の男。


 彼は少年たちよりも一回りほど大きく、年齢も青年とういうよりは壮年に近い。

 男の巨躯には無数の傷跡があり、拘束された腕や鎖でつながれた足にも同様に傷が走っている。


 姿勢よく歩いている様は、連行されているとは思えないほど堂々としていた。

 

 縛られたまま、集団に連れられた傷の男が向かう先は――神聖国。


 教会所属、神聖騎士団と名乗った彼らに皇国で囲まれた後、すぐに捕縛され、今に至っている。


 そのまま三日が過ぎようとしていた。


 傷の男が拘束されているのには理由があった。


(神殿施設の破壊と、救いの巫女への暴行、か)


 罪状に異論はない。事実彼は、異界人を送還するかたわらで、目についた教団の施設を破壊している。

 このまま目的地までつけば、形式的な裁判にかけられる。その後はそのまま処刑されるか、運がよくても牢で一生を過ごすことになるだろう。

 

(さて、どうするか)


 罪を認めてはいるが、恭順し素直に罰を受けるつもりなど、彼にはない。

 思考を巡らせているうちに歩く速度を落としてしまったのか、両手首に抵抗を受ける。縛り付けられた腕から伸びる鎖は、長身の少年の手につながっていた。


「おい、遅いぞ」


 傷の男ですら大柄だが、その背丈と同じくらいの少年。彼は不機嫌そうにその鎖を引く。


「聞いてんの? おっさん」

「……足が痛くてな」

 片足を引きずるようにし、少年に訴えかける。


「嘘つくなよ」

 腕につながれた鎖を思い切り引っ張られる。その拍子にわざとよろけてみせた。


「……神聖騎士とは、罪人を野ざらしにして見世物にするのだな」

「は?」

「このように晒すことに何の意味がある」


 わざと腰を曲げ、前かがみになり言葉を作る。

「俺をつるし上げ、群衆の前で処刑にでもして見せしめにするつもりか?」


「うるっせえな。黙れよ」

 声色に苛立ちが現れていた。傷の男は続けざまに言葉をあてる。


「抗議さえも封じるか。まるで圧政だな。貴様らが謳う救世とは何もかも封じる事を言うの――」

「うるせぇって言ってんだよ!」

 少年が腕を振り上げて殴りかかってきた。


 傷の男は彼の足の動きを見、足を引いて素早く身体をひねる。


 少年の振り下ろした腕は、傷の男のすぐそばを空振った。彼は勢いのまま傷の男の足にひっかけられてバランスを崩すと、そのままぬかるみに頭から突っ込んだ。


「ここは足場が悪い。気を付けたほうがいい」

「こ、この野郎……!」

 泥まみれになった少年が傷の男をにらみつけ、襟首をつかんだ。


「ちょっと! どうしたの!」


 大きな剣を担いだ小柄な少年が駆けつけ、二人の間に割って入る。


「カワノ! このおっさん反抗的なんだよ!」

「無抵抗の人間を殴りつけるような輩に言われたくはないな」

「足ひっかけただろ! いい加減に大人しくしろよ!」

「待って、待って。落ち着いて」


 傷の男は日中の行軍の中、頃合いをみては見張りにつく少年を挑発し続けていた。その度にこの少年――カワノが止めに入る。


 皇国で包囲した時もそうだったが、周囲に一番に指示を出すのはこのカワノだった。名乗られた時に団長、と言っていた通り、彼らの中心にいるのはこの少年だ。


 三十人以上の人員。神聖騎士団と自ら名乗った彼らはおそらく、被召喚者、いわゆる『転移型』だ。


 聞きなれない奇妙な名前。見慣れない黒い髪や風貌は、ほとんどの異界人――それも、異界人本来の姿に共通する特徴だ。


 転生型や憑依型のようにこちらの世界の者の姿をしていない、そのままの姿でこちらに来る者達。


 彼らにはおそらく魔術器官は備わっていない。


 異界人の中でも対処のしやすい者だともいえるが、強大な加護を持っているものや、特別な知識を持つものが比較的多い。

 

 傷の男が初めて術を使って送還した相手も、被召喚者――転移型の異界人だった。


 戦闘力は高くなかったが、知識と特殊な加護のおかげで苦い思いをした。


 渦の中に入れるのに手間取ったことで、入れたり出したりを繰り返し、術の限界を知るきっかけにもなった相手――。


(いや、今は目の前のこ奴らの事を考えるべきだ)


 大柄の少年をなだめている、人のよさそうな少年、カワノ・レオン。

特に注意すべき相手だろう。先程も、現れた魔物を一刀のうちに両断している。身体能力がケタ違いに高い。


 そして、数が多すぎる。

 相手は三十を越えている。一人ずつ相手取るには策も不十分なうえ、体力も持たないだろう。


(まだ様子をみるべきだな)


 教団の本部がある神聖国まで、まだあと十日はかかるはずだ。

 それまでの間、彼らについて調べる必要があった。


 その為に傷の男は、彼らに拘束されることを選んでいたのだった。

 



 森の中にある街道をすすんだ面々は、太陽が沈む前に行軍を止め、野営の準備をする。


 傷の男にも、粗末ではあるが食事を出されていた。

 すぐに平らげ、横になる。手につながれた鎖は、近くの大きな木につながれていた。


 魔封の鎖と呼ばれる特殊な道具で拘束されている為、魔術を使っての脱出を阻止されており、近くにも見張りが常にたてられている。

 

「昨日も貴様だったな」


 傷の男の側で座った細身の少年は、彼の声に反応せず、遠くの仲間を半目で見ていた。

しかし傷の男は気にせず続ける。

「交代だろう? あの大柄のやつは昼間。お前は夜から明け方だ。……日中はどこにいる?」


「別にどこだっていいだろ」


 目線をよこすわけでもなく、煩わしそうに少年は答えた。

「幌の中か? そこで寝てるのか」


「ちげえよ」 

「ならば哨戒にでもでているのか」

「うるせえな、関係ないだろ」

「図星か」


 しつこく質問をぶつける傷の男に、少年はあきらめたように嘆息を一つ。

「おっさん、意外に結構しゃべるんだな。あの子から聞いてた話と違うっつーか」


「どういう意味だ?」

「なんでもねえよ」


 布を頭からかぶると、見張りにも関わらず背を向けて寝ころんだ。


「もういいから寝てくれ。余計なこと、したくないんだ。……疲れるから」


 それから少年は何も話さず、横になった。

(見張りが、寝るとはな)


 傷の男もそれ以上話すことはせず、与えられたボロ布にくるまる。

 ほどなく、騎士団全員が眠りにつき、森は静寂に包まれていった。


 その静けさの中、金属を擦り合わせたような音が、数度だけ聞こえた。

 

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