第2話 『統治』 皇女ラキュア 中編

 傾いた夕日が、大通りを朱に照らす。


 傷の男は式典後、工房にて魔力を込められる腕輪をいくつか新調してすぐ、店を出ていた。

 

 その後彼は街の者に声をかけて回った。

 酒場や市場、広場を中心に様々な人に話しかけて集めた情報を整理しながら、足を城の方へと向けている。


(彼奴が異界人であることは、間違いなさそうだな)


 彼は、腕輪に手を当て、魔力を込めながら思案していた。

 ぶつぶつと詠唱を繰り返す彼を、みな一様に見、すぐに目をそらす。


(だが……皇女か。また難儀な相手だ)

 

 集めた情報によれば、皇女はいつの日か突然様子が変わった、との事。


 以前の皇女は、政策にもかかわり、外交も盛んに行っていたという。

 皇位継承権のある彼女の兄が病に倒れてからは、特に精力的に活動していたそうだ。

 

 質素倹約。


 この国の強みともいえる、王侯貴族たちの気質だ。皇女も御多聞に漏れず、美しい容姿を着飾ることなく、日々国の為に働いていたという。


 それが、いつの日か変わったそうだ。

 派手にパレードなどを行い、豪華な暮らしの為に税を増やして散財している。


 しかし、この国の人間はそれぞれ最後に「皇女殿下は美しく、素晴らしい」と口を揃えていた。


 彼女の違和に気づきながらも、それを大きなものと感じていない印象。そして盲信ともいえる称賛。


 これは恐らく――。

(加護、だろうな)


 それがどこまでの効果を持つものか、はっきりとした効力もわからないままだったが。


 傷の男は魔力を入れ終えた腕輪を外し、視線をあげる。


 その先に見えた皇女の居城は、様々な防壁に囲まれていた。


 城門を越えた先には堀が見える。そこには一つだけ大きな橋が渡されていた。

 その先、皇女の住まう宮殿の背後はすぐ海――厳密には海から引いた水で造られた堀がある。

 堀のすぐそばから切り立った建物は、侵入者を拒む巨大な障壁となっていた。



 内部へは正面の橋から入る以外に、経路はないだろう。それは、無傷で脱出することができないことも意味している。

 まず脱出経路を一旦おいたとしても、どのようにして内部に侵入するのか。


(――情報が少なすぎるな)


 準備は入念にするのが彼の信条だ。


 おそらく受けているであろう加護の正体もわからない。

 侵入経路の確保もできていない。


 このような状態で、ただでさえ強力な転生者を追い詰めることが可能だろうか。


 だが、機を逃すのもいただけない。野放しにしすぎるのも。

 今現在、この国の王が外遊中だ。


 なんでも、世で一番の占星術師と呼ばれる者――『星見の賢者』の受けた言葉により、大陸中の盟主が集められているそうだ。


 その王が不在の今のうちに、なんとか接触したい。


(行商人として入るか。いや……検閲のために何日待たされるかわかったものではない。それに入ったとして、おいそれと皇女に会わすだろうか……)


 ある意味での正攻法だと時間がかかりすぎてしまうだろう。

 少々の危険を冒してでも突破するべきだろうか。



 思案しながら外壁を回っていると、城門側から一人、女性が歩いてくるのが見えた。


 特段目立つような外見ではない。衣服は侍女のものでもなく、ほつれた髪には白髪が混じっていた。

 疲れた様子のその初老の女性は、傷の男の眼前でつまづく。

 彼は素早くその女性の腕をとって転倒を防いだ。


「どうかしたか」

「あ、その、ありがとうございます。……もう大丈夫ですので」

 男の方を見ずに言う女性は、無気力に息をしており、とても疲弊しているように思えた。


「……なにか、あったのか」


「え、いや――」

 ふらつく女にまた手を出して支える。

「できることが、あるかもしれん」

 そこで初めて彼女の目を見る。その目尻が濡れているのを、傷の男は見逃さなかった。




「――私は、皇女殿下のところで下働きをしております」

 彼女と傷の男は城門から離れ、繁華街の一画に移動していた。

 女性は、壁に背を預けることもせず、今にも倒れそうな様相で話す。


「そのおかげなのでしょうか、娘が皇女様に仕えることになったのです。それは、とても身に余る光栄です……」


 城内の事を見ず知らずの男に喋っているのは、警戒すらできないほど余裕がないのか。

 声に力はなく、ただ疲れていた。


「ですが、会うたびに、すこしずつ元気がなくなっているようにも見えて……」

 男は促すように頷く。


「傷もあったように思います。大丈夫なのかと尋ねても、平気だと、皇女様のおそばにいられるのが自分の幸せだと……」


 盲信にしては少し行き過ぎている。

(加護は洗脳の類だろうな)

 傷の男は自らの顎を指で触った。


「顔を見ると辛くなります。元のあの子とわからないくらいになっていって……」

 表向き、言葉通り表面は皇女が下女を登用し傍に置いているように見えるだろう。


 しかし皇女の姿を知った傷の男からは、あの太った男が気に入った女を権力、もしくはそれ以上の力の行使で囲っているとしか考えられなかった。


 城の中は使用人から兵士まで全て女性だ。

 年若い皇女の側仕えが女性に統一されていることは珍しくない。


 他の人間は気にもしないだろう事だが、彼には皇女の真の姿が瞼の裏に張り付いている。

 卑しい笑いに顔を歪めた中年の男の姿が。


 女ばかりを囲っているのは、そういうことなのだろう。おそらくは。


 あの皇女の姿をした男。彼奴がこの女性の娘を手籠めにしている事実が、傷の男の奥歯を軋ませた。

  

 娘を皇女に奪われ涙する女性の手――あかぎれの多い手を見る。

(洗濯婦か)


 顎に当てていた手を、革袋の中に入れた。


「皇女殿下は、やはり悪霊に取りつかれているかもしれんな……」

「悪霊、ですか」

「巷で幽霊騒ぎがあろう。城内でなにやら不穏な声がきこえるとか」

「それは、私も聞いたことがあります。もしやそれが……」


 大仰に頷く。腕にはめなおした腕輪を魔術で少し光らせ、女性に見せた。


「俺はその噂を聞きつけ参じた除霊師だ。だが、皇女を支配する悪霊が兵を動かし、城内に入れず途方に暮れていたのだ」


 傷の男は滔々(とうとう)と話す。自分の事ながらよくここまで出まかせが言えると半ば関心しながら。


「俺ならどうにか、できるかもしれん」

 淀みなく話し、女性の両肩に手を置いた。

「そのために、頼みごとがある」

 傷の男の言葉が希望となったのか、女性の目に光が灯った。




 漁船を出迎えた港に、いくつもの馬車がついている。朝早く出船したものが水揚げされ、喧々囂々と水夫たちが怒鳴っていた。

 騒がしい港の朝を感じることもなく、傷の男は今、息を殺している。


 王城への荷を積んだ馬車、その荷台の底に彼は張り付いていた。


 日の昇らぬうちから、自らの腕の力のみで全身を支え、すでに数刻。


 休む間もなく揺られながら港を発って更に数刻立ったころ、ようやく城門にたどり着いた。


「停まれ。荷をあらためる」


 全身から滴る汗も、魚介の積み荷からこぼれた水で誤魔化されていた。しかし、万が一がある。息をひそめ、検閲が終わるのを待った。


「よし、次」

 検閲の兵の声に、漏れそうになった安堵の息を押し殺す。少し揺られて橋を越えた先、居城の茂みの近くに差し掛かったところで男は行動を開始する。


 素早く地につき、滑り込ませるように茂みの中へと入った。

 

 見回りをする兵士をやり過ごし、機をうかがっていると、何やら言い争いが聞こえてきた。


 草葉から目だけで声の方へと注目する。

「お願いします! 通してください。僕の友達が中にいるはずなんです!」

「知らん、誰であれ許可なき者を通すわけにいかん」


 年若い男。少年にも見えるその男は、背丈と同じくらいの大きな剣を担いでいた。

 城門前の検閲により、入場を拒否されている。


「そんな……。そ、そうだ! 皇女様に会わせてください! レオンと言えばわかるはずです!」

 あの女性のように知り合いを皇女に奪われたのだろうか。悲痛な声が城門前にこだましていた。

「ええい、黙れ! そのような者など知らんと言っておるだろうが! これ以上騒ぐようなら――」

 

 幾人かの兵士が、加勢にと城門に集まっていく。その隙に、傷の男は即座に城内に侵入した。

 

 少年と兵士の言い争いに、男は特に気を回すことなどない。

 異界人を倒さんと動く彼にとって、それは関係のないことなのだからと。



 隙をつき、居城の中へと入りこんだ。傷の男は洗濯婦に聞いた間取りを頭に思い浮かべ、進む。目指すは皇女の居室だ。

 

 広い城内に遮蔽物は少ない。できるだけ素早く物陰に隠れつつ奥へとすすんでいく。

 早朝だからだろうか、人は少ないように思えた。

 

 幾度か階段を登り、皇女の部屋の近くまでたどり着く。

(衛兵が二人、か……情報通りだな)


 気づかれぬよう足音を消し、衛兵の視線に入らないよう近くの部屋に入った。


 ふ、と一息漏らす。

 

 ここまでは順調に事が進んでいた。


 この後、協力者となった洗濯婦の女性が、衛兵のうち一人の気をそらし、その残りを傷の男が始末する算段になっている。

 そのため、この部屋でしばらくの間、待機する手筈だ。


 全身からにじみ出た汗を布で拭い、しかし緊張は切らぬよう、意識を研ぎ澄ます。

 部屋の中には誰もいない。


 そこにあるのはただ、静寂――、いや。

『……ぅ』

 ――か細い声が、聞こえた気がした。


 男は素早く構える。人の声か、はたまたネズミか。


 気配、というものは感じられないが、鼓膜の感じた違和感が彼の全身を襲う。

 しかし、あたりを見回そうとも何も見えない。


『……ぅう』

 これは人の声だ。だがやはり薄暗い部屋の中には、何者も見当たらない。

(誰だ……)


『……う、ぅ』


 確かに声は聞こえているが、誰も見つからない。そのまましばらく時間がすぎた。


(もしや……)

 幽霊騒ぎ――。

 加工屋が話し、自身が方便に使った話をふと思い出す。


 警戒を解かぬまま、後ろ手で革袋から片眼鏡を取り出す。

 左目に素早く装着した。


 首を巡らして周辺を確認しようとしたところ、窓際の隅に――誰かがいた。


 右の目には映らない。片眼鏡を掛けた左目だけに見える人物。


 ――黄金の髪を持つ、見目麗しい少女がそこにいた。


 即座に距離を取るよう飛ぶ。

 予想外の出来事に動転する。だが、少女も傷の男と同じように目を見開いてこちらをみていた。


 その姿に、傷の男は目を見開く。

 うつむき佇む美しい少女は、傷の男が今まさに倒さんとしていた相手――皇女と同じ姿をしていたのだから。


(もしや、彼女は――)


『あなたは、わたくしが見えているのですか……?』


 少女が、声を発した。震えてはいるものの、こちらを見据える目は、しっかりと傷の男を捉えている。


 男は、ゆっくりと握った拳をほどいた。


「……ああ」

『ほ、本当ですか! な、なんということでしょう。やっと、私の事を――』

 涙をこぼし、歓喜する少女。

 しかしすぐに気を取り直し、濡らした睫毛をぬぐい傷の男を見つめなおす。

 

『あの、あなたはその、泥棒の方でしょうか』


「……いや、違う」


 疑っているのだろう。それも当然だ。足音を消して部屋に入るような者が、盗人以外にいるだろうか。



 しかしその暴漢に見える者に対し、彼女が怯える様子はない。

 薄く透けているようであれ、泣いていたとは言え、左目にしっかりと移るその少女は、凛とした声で静かに問うた。

『それは偽りのないことですか』


 背を伸ばし、まっすぐにこちらを向いている。

 大きく、力強く、傷の男は少女へ頷いて見せた。


『でなければあなたは一体……』


 彼女の姿振る舞いに、傷の男は事態をある程度理解した。

 そのうえで、自身の目的を目の前の才女に、告げる。


「俺は、あの男を元の世界に還す。その為にここに来た」

 少女ははっとし、そして頷いた。

『貴方は……そう、そうなのですね。彼も、見えているのですね。私同様に……』


 青く透き通る瞳は、そのまま傷の男の目をまっすぐに射抜く。


 彼の予想が確かならば、この目の前にいる皇女は、本物の――。

『申し遅れました。私はラキュア。この国の皇女です』


 本物の皇女、ラキュアの『魂』だった。

 

 傷の男は、幽体のような姿になっていても毅然とふるまう彼女に対し、敬意を払うよう胸に手を当て、片膝をついた。


(なるほどな……)

 傷の男はひとりごちる。


 異界からの来訪者にはいくつか系統があった。


 以前送還した、魔導士リファール。彼は異界から転生し、新たに生を受けた者、転生型。

 また一つは、身体ごとこちらの世界へと渡った者、転移型。

 そして、魂を乗っ取る形で現れる、憑依型。


 今回の皇女は、その憑依型に近い。

 稀なことだが、彼女は憑依されたのではなく、魂を追いやられ、肉体を奪われたのだろう。


「奴は――あの男は異界人だ。奴は皇女殿下、あなたに憑依し、追い出したのだろう。おそらくは、だが」


 片膝をつきながらも、慇懃な言葉遣いは改めない。


『憑依……異界……』

 

 その態度を気にすることもなく、ラキュアは薄い色をした自身の手を見つめる。


『教会の者から聞いたことがあります。異界の人間を呼び出し、戦力とする術を持つと』

 皇国は長らく教会とも協力関係にある。皇女は政治にも関わっている為、異界人の事を知っていてもおかしくはないだろう。


『魔の者を退けるためと聞いていました。強力な力を持つとも。まさか――』


「あれは邪教だ。貴女も身に染みて理解しただろう」


 遠慮なく言ってのける傷の男。対しラキュアは怒るでもなく、少し笑った。


『邪教、と判断するには早計ですが……。あの男が貴方の言う異界人であろうこと、間違いはなさそうですね』

 ラキュアは、傷の男を不思議そうに見つめる。


『しかし、あなたは一体……』

 

「俺は彼奴をもとの世界へ還す。その術も持って――」

 皇女の疑問に答える最中、部屋の扉が三度、叩かれた。


『――誰かきます! 隠れて』

「問題ない、あれは協力者だ」



 傷の男は扉へと振り向く。

 ゆっくりと開いた先に、洗濯婦の女性が静かに佇んでいた。

「……こちらです」

「ああ」


 女性の声の通りに部屋の外へと向かう。

 傷の男がドアを閉めようとしたときには、部屋にラキュアの魂の姿は見当たらなかった。




 女性の後に続く。皇女の部屋の前にいた衛兵は、二人ともいなくなっていた。

(妙だな……)

 違和を感じ、警戒する。

 傷の男の緊張を知らず、女性は部屋の扉を数度叩いていた。


「失礼いたします。お着替えをお持ちしました」

「ん、入れ」

 

 扉を叩く音に、先ほど聞いた声――皇女のものと同じ声が反応した。


 今、この瞬間、異界人が近くにいる。接近する好機はそう何度もないはずだ。異変を感じ取りつつ、傷の男は腹をくくる。


 彼は即座に腕輪をはめ、扉を蹴破った。


 大きな音を立て、開かれたそこには、皇女が寝間着のまま無防備に立っていた。


 片眼鏡を掛けた左目には、式典でみかけた通りに中年の男の姿が映っている。

 一気に距離を詰める為、姿勢を前へと傾けたその矢先。


「動くな」


 男の首筋に、左右から剣が添えられた。

 眼だけで追う。剣の持ち主はそれぞれ、入口の脇に立つ兵士の物だった。


 顔色一つ変えず前へと傷の男は視線を送る。皇女の姿をした異界人は、少しだけ驚いたような声をあげた。

「お前……暗殺者ってやつか? 兄上かそれとも……」

「……貴様には関係ない」


 抑揚のない返答に、異界人は憎々しげに舌をならす。その音により、部屋の奥から更に兵士が四人あらわれた。皇女を庇うよう立ちはだかり、それぞれ剣を抜いてこちらに向ける。


 そのすべての人間は女性。そしてその目は、虚ろだった。

(やはり洗脳、か。だがこれしきの人数)


 男は首にあてられた剣を気にすることなく、かがんだ姿勢のまま、一息に腕を思い切り左右に振りぬく。


 その力任せの腕は、両の兵士の膝をいとも簡単に砕いた。すぐさま立ち上がると、右側の兵士の首に丸太のような腕を回す。


 首を腕の力で絞めつつ体をひねり、反対側に立った兵士を顎下から蹴り飛ばした。

 無力化され倒れた兵士の間で、傷の男は洗濯婦を庇うように立ち、拳を握る。 


 ひたすら研鑽された傷の男の力であれば、異界人はともかく、並の兵士など相手にならない。


「なんだ、お前……」


 その光景を目の当たりにした異界人は、綺麗な顔を歪ませ、目を見開いた。

 途端に、どんよりとした気配が傷の男を包む。


(加護か――!?)


 しかし、彼自身に異変は感じられなかった。


 わからないことは考えても仕方がない――。異界人の前に立ちはだかるように並んだ兵士達を見据え、迎撃のために傷の男は膝を曲げた。


「やれ」

 そう異界人が冷たく言い放つ。傷の男もそれに応ずるように、全身を前に倒そうとした。

 ――その瞬間だった。


『おじさま! 後ろです!』

 突如響いたラキュアの声に反応する間もなく、兵士達に注視していた傷の男の背中に激痛が走る。

「がっ――!」


 首だけを振り向かせると、返り血を浴びた洗濯婦がそこにいた。

 手に持ったナイフを、幾度も傷の男に突き立てる。


「なん、だと……」

 その手をとり、得物を奪う。洗濯婦の表情は、周りの兵士同様に虚無だった。


『そ、そんな……』

 おそらく隣の部屋の壁をすり抜けていたのだろう。

 ラキュアの魂が、傷の男の顔を見つめている。


「ふ、ふははは、はははっ!」

 異界人の笑いが部屋中に響き渡った。


「その女を利用して侵入したようだけど、甘かったね」

 洗濯婦から奪いとったナイフをつかむ傷の男の手が、震える。


「この国じゃあ誰もが俺の言いなりなんだよ」


 おそらく麻痺毒が仕込まれていたのだろう。ナイフを落とすと、足にも力が入らなくなり、ゆっくりとくずおれた。

 その姿を異界人は見下しながら笑い、顔を踏みつけた。その足は少女のものである為、小さく細い。

 その靴底ごしに、醜悪に歪む男の顔がみえる。


『おやめなさい! 卑怯者!』

「あ、なんだ? 虫でもいるのか?」


 皇女の声は異界人に届かない。届いたところで彼が改めるはずもない。


「……どこの誰だかしらないけれど、皇族の、ましてや皇女の寝室に潜り込むなんてな」


「黙れ……。貴様こそ……皇女の姿を騙った侵入者だ……」

 笑いが止まる。異界人は、半目で傷の男を見つめる。


「……お前、何を知ってる?」


 その問いに応えようにも、傷の男の口はもはや動かなくなっていた。

 皇女の姿の異界人は気分を害したのか、男の顔を蹴り飛ばして舌打ちをする。


「掃除しておけ」

「……はい」


 洗濯婦や兵士達が傷の男を担ぎ出した。

『離しなさい! お願いです! わたくしの声を、聴いて……』


 皇女の声さえも分からぬほど、傷の男の意識が薄れていく。


「……裁くには王の許可がいるからな。今はひとまず牢にでもいれておくか。お前には聞くことがあるし、死ぬならそのあとにしろよ。俺は煩わしいのが嫌いなんだ」


 傷の男は、左目に映った男の姿をまぶたに焼き付けようと、必死で目を凝らす。

「ま、拷問の間に死んじゃったら……しらないけど」


 だが、徐々に狭くなる視界をただ感じることしかできない。


『おじさま、おじさま! お気を確かに! おじさま!』


 ラキュアの、彼女の悲痛な叫びを聴きながら、傷の男の視界は暗く沈んでいき――。



 世界が、暗闇に落ちた。

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