第1話 『叡智』 大魔導士リファール 前編
蒼き風、と呼ばれた魔導士がいた。
その青年は、大陸でも有数の国力を誇る魔導国家に突然現れ、瞬く間に多くの魔物を打倒した。
魔術を操る姿は華麗、清風のように爽やかだという。
しかし評価されているのは容姿だけではない。
特筆すべきは彼のその能力。この王国においてすべての基準となるのは魔導の術、その実力だ。
叡智の魔導士とも呼ばれる彼は、ありとあらゆる魔術を会得している。
中でも彼の操る風の魔術は、この国、ひいては大陸中ですら並ぶものはいないと噂され、いつしか彼はその容姿から、『蒼き風』と呼ばれるようになっていた。
この国の中心部に位置する貴族たちの居住区。そのうちのひとつの屋敷に『蒼き風』は居を構えていた。
手入れされた庭園や豪奢な造りの屋敷は、彼がこの国に訪れた際に大型の魔物を討伐し、その褒美として王から与えられたものだ。
太陽光を受け水面のように輝く髪――名の通り青くきらめく髪をかきあげ、青年は大きくあくびをした。濡れた長い睫毛を、しなやかに伸びた指で拭う。
「お目覚めですか? リファール様」
柔らかな光に合う声が、リファールと呼ばれた青年の鼓膜を優しく揺らした。
「ああ、おはよう」
リファールは優しく笑い、眠たげに言葉を交わす少女の額に唇を寄せる。
その所作にぽう、と顔を赤らめた少女は、恥ずかしそうにシーツを自らのカラダに寄せた。
少女の仕草をいとおしく想い、昨夜のように愛そうと髪を撫でていると、部屋がノックされた。
「食事の準備ができました」
ドア越しに伝わってきた険のある女性の声は、おそらく朝から頑張ろうとしていた主人を咎める意味もあったのだろう。
リファール大仰に肩をすくめ、舌を出す。
「ああ、わかったよ」
水を差されてしまい、少女が頬を膨らます。リファールは優しく笑い、また彼女の額に口づけをした。
着替え、寝室を後にする。横には先ほどの少女と、食事の時間を告げた給仕服の美しい娘が付いてきていた。
リファールはにや、と笑うとおもむろに給仕の娘の尻を触る。彼女は体をはねさせてリファールの手を払った。
「な、なにをする! からかっているのか!」
「かわいいお尻があったら、挨拶をする。俺の国じゃ常識だ」
真剣な顔で答えたリファールは、給仕服の女に足を踏まれた。
「いって!」
「どこの国の常識なのだ、まったく。そもそも貴方はどこでもかまわず……」
「怒らないでくれよ。明日の夜はキミに頼もうと思っているんだからさ」
「そ、そういう事を、人前でだな……」
顔を朱に染めうつむく。リファールはそんな様子を見て朗らかに笑った。
彼女はこの国の王から直々にあてがわれた武術指南だ。
剣の才もあるリファールだが、更なる研鑽をしたいと王に頼み配属してもらった。
というのは建前で、単に彼女が美しかったからというのがリファールの本音だった。剣も使える気の強いメイドが最高だよな、と無理やり給仕服を着させている。
(明日はこの娘にするとして……。今夜は新規を探しに街に行くとするか……)
大魔導士リファール――。
彼はこの世界の住人ではない。
元の世界にいたころに交通事故、というものに合い、こちらに来た。
そのことを知る者はほとんどいない。知ったところであちらの世界のことなど伝わらない。
事故にあった後目覚めた彼にはあるチカラが宿っていた。
その力を使い、魔術を研鑽し、極め、栄光をつかんだ。
いまやこの魔導王国の客員魔導士を経て、政治にすら関わる立場である宮廷魔導士の席を得ている。
(最高だな、ここは……)
肩を揺らして笑うリファール。そんな彼を女たちは不思議そうに見つめる。
「どうしたのだ、なにがおかしい?」
「いや、キミがかわいいから、ね」
「も、もう!」
耳まで赤くし顔をそらした給仕の女性の腰を抱き、空いた腕も朝を共にした少女の腰へと回す。
(俺は最強で、しかも最高の美貌で、女は選び放題で……)
かつての世界で、うだつがあがらなかった自分はもういない。
リファールはこの世界を楽しんでいた。
彼の人生を変えたこの世界を。
誰もが彼を称え、ほめそやすこの世界を。
(チョロすぎるぜ、異世界!)
咎めるものは、誰一人いない。
――たった一人。ある男を除いて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
貴族たちの住まう区画を囲んだ、一般居住区。その中に商業区と呼ばれる区画がある。
豊かなこの王国中でもひと際人々が行きかう活気のある場所だ。
商店が並び、人々が大勢行きかう中に目立つ容姿の青年がいた。
青い髪をなびかせた彼は、挨拶がてら出店の商品をつまみ食いしている。それを店主はどやすどころかにこりと笑い、手を挙げて見せた。
その様子を見つめる眼光がある。
鋭い視線を送るのは、フードを目深に被った大柄の男だ。男は人の波に紛れながら、青年をねめつけている。
その男の体躯は、明らかに他の人間とは違う。
目立たぬよう足音を消して歩く身のこなしも、常人とはいいがたい。
熊のように大きくごつごつとした体。目深に被ったフードからのぞく顔には、無数の傷跡が見える。
子供だけでなく、大の大人、獣でさえ道を譲るような風貌をした傷の男は、喧噪の中の青年を尾行し続けていた。
「やあリファールさん。今日も男前だね」
恰幅のいい女が、青年へと鹿肉を焼いた串を差し出している。青年はそれを受け取ると、片目をつぶって笑いかけた。
「いつもありがとうよ女将さん。ああ、そうだ今度の評定会議で言っておくよ。美人のおかみさんがやってる絶品のお店があるってね」
やはり代金は支払わず、それを女主人も咎めない。双方がそれで成り立っているのだろうが、傷の男はギリ、と歯を鳴らした。
青年が串を咥えたまま雑踏の中に紛れていく。
傷の大男は悪目立ちするその外見からは想像がつかぬ機敏な動きで、かつ気づかれぬよう音を周囲に合わせ、後を追う。
時刻は昼をとうに過ぎ、夕方に差し掛かっていた。
傷の大男が追う青年の名は、リファールといった。
リファールは突然この国に現れ、災厄といわれた大型の魔物を討伐。王に認められて以来、飛ぶ鳥を落とす勢いでその地位を築いていった。
次々と功績をつむことで客員魔導士となり、今や王お抱えの宮廷魔術師となっている。
いつしか付いた『蒼き風』という二つ名の通りの青い髪と、すらと伸びた長い脚に完璧な容姿。国家最強の騎士団長すら、一瞬にして倒したと言われる実力も相まって、リファールは国中で絶大な人気を誇っていた。
市井にもその顔と名はいきわたっており、王と懇意でもある彼を称賛こそすれ、ないがしろにする者は誰一人いない。
その国民の英雄――リファールはふらふらと歩き、何かを探すように物色している。
やがて青年は、商業区の大きな通りから裏路地へと歩みを伸ばした。
裏通りは、商業区の喧騒とはうって変わって静かで、人もまばらだ。
遮蔽物が少なくなってきた為、男は一層慎重にリファールの跡を追いかける。
何度目かの角を曲がった先で、傷の大男は建物の陰へと身を潜めた。
「へへ、姉ちゃん、べっぴんだなあ」
下卑た男の声が路地に響いた。傷の男は送る視線の先、あばら家の前に何人かの人影が見える。
複数の人物のうち、三人はごろつきのような風体だ。その男達に囲まれるように、一人の女が壁を背に立っていた。
淡い桃色の髪をしたその女は、遠目からでも目立つ程に容姿が整っていた。
その女に、三人の男が迫っているように見える。彼女の格好は安価な革鎧と、粗末な拵えの杖。駆け出しの冒険者か何かだろう、と傷の男が推測する。
顔はひきつっており、怯えていることが容易に想像できた。
「いいから付き合えよ。駆け出しの姉ちゃんにはよ、俺たちがいろいろ教えてやるっていってんだから」
「やめてください!」
女は青ざめ、震えている。その様子が可笑しいのか、大きな声で笑う三人の男達。
「いいから、こっちこいって」
「い、いや!」
男のうちの一人が女の手首を強引につかんだ。
この様子では冒険者の女は、下衆に笑う男達に手籠めにされるだろう。
しかし傷の男は微動だにしない。声を出すこともせず、その場で身を潜めていた。
――傷の男は確信していたのだった。そこに割って入る人物がいることを。
「離しなよ」
いつの間に現れたのか、青髪の青年――リファールが男の手をつかんでいた。
「なんだ兄ちゃん、見せもんじゃねんだ。それとも……痛い目でもみてえんなら別だがな!」
掴まれた腕を乱暴に振り払い、ごろつきの男は笑う。
「定番のセリフだな」
リファールはおもしろくもなさそうに肩をすくめ、男の前に手をかざした。
「飛べ!」
瞬間、男が横跳びに吹き飛ぶ。そのまま壁に叩きつけられた。
失神してしまったのか、うずくまったまま動かなくなる。
「何しやがんだいきなり!」
「そっちが先に手を出したんだ。正当防衛って知ってるか?」
言い放つリファールの周りに、砂ぼこりが舞い始めた。
「ま、この世界じゃそんな言い方はしはないかな。ともかくだ」
青年魔導士を中心に、風が逆巻いている。その余波は、充分に距離をとっていた傷の男の頬でも感じられるほどだった。
「嫌がってる女の子を無理やり連れていこうとするやつはさ。これくらいやられて当然だってんだ、よ!」
リファールが言い終える前にまたもや男が吹き飛んだ。同じ場所に叩きつけられ、同じように男が二人重なって倒れる。
「なんだよこいつ……。いや、見たことあるぞ!」
残った男が逃げ腰でリファールを指さす。
「もしかして……あんたがあの、最年少で宮廷魔術師になったっていう――」
大げさな様子でおののく男の胸に、リファールは人差し指を押し当てる。
「正解」
紡いだ言葉よりも早く男が吹き飛び、男たちの上にまた積み上げられた。
傷の男はその光景に目を見張る。
大の大人を一人、それも一瞬にして飛ばす術、リファールが放ったのは魔術――風の術法だ。
彼が本気を出せば町が消し飛ぶとも言われている。その力を調整し、壁にぶつける程度に威力をおさえたものを、平然とした顔で連発している技術。
そして驚くべき発動の早さ。
『蒼き風』リファールは、魔術を発動するために必須とされる詠唱を“省略”していた。
魔導の力、いわゆる魔術は、音で世界に干渉することで発動する。
自然に存在し、その姿や存在を構築する魔力。その魔力が持つ微細な意思を、対話とよばれる技術をもって干渉し、引き出すことで管制する。
その魔力への対話形態の一つとして、詠唱がある。
定められた詔(ことば)は、魔力抽出に際しての儀式の役割を持つ。
術者はことばの一つ一つの意味を思い浮かべ、イメージを確定し、魔術器官である喉――声を介して事象や精霊に意思を通じさせる。
詠唱は一般的に、自然の中の魔力を引き出すために必要不可欠な工程とされている。
それが、魔術発動の常識だった。
その常識を大魔導士リファールは破り、詠唱を簡略化することに成功している。
さきほど放った「風よ」という言葉の中に、風を操作するイメージを構築し、事象に干渉している。
言葉の強さ、発音すべてに意思を込めているので、長く詠唱をする必要がない。しかしそれも容易なものではない。
何年も続いた魔術研究の中で、彼の編み出した略式詠唱がどれほどの功績だったのか。
若き魔導士はこの技術を編み出し、そしてありとあらゆる魔術を巧みに使いこなすことで、この街を襲った魔物を討伐せしめたのだった。
叡智の魔導士リファールは、自身の起こした風で乱れた髪を、手櫛で整えて嘆息する。
事態を飲み込めず目を白黒させる女へ手を差し伸べ、笑いかけた。
「大丈夫? 怪我してない?」
「貴方は……リファール様!」
その声にリファールは人差し指をたてた。
「やっと屋敷を抜け出してきたとこなんだ。騒ぎになるとイヤだから、少し場所を変えて治療しよう」
「でも私はケガは――」
自らの前でたてた指を彼女の唇に添え、ふさぐ。
「怖い思いをしたんだ。心のケガってさ、見えにくいものなんだ。それに、時間がたつほど酷くなったりすることもあるから――」
女の髪を触って笑う。
「早く治すに越したことないだろ?」
彼女は英雄の言葉がまるで子守唄にでも聞こえたのか、放心したようにリファールを見つめていた。
「ああ、あとあいつらもな」
リファールは懐から革袋を取り出し、男たちのところへ投げた。重い金属音が、中身の貨幣の多さを物語っている。
その行為を不思議そうに見守る冒険者の女に、リファールは片目を閉じて舌を出した。
「治療費くらいあげないと、後味が悪いだろ?」
「……なんてお優しい……」
さらに熱のこもった視線を送る女は、リファールの腕にすがるように絡みついた。
その光景を、傷の大男は睨み続けていた。
(茶番だな)
嘆息をもらしそうになる自分をおさえる。
それもそのはず、ごろつきに襲われる女と、それを助ける『蒼き風』という構図を、彼は幾度も見ていたのだから。
ごろつき達は綺麗どころを見繕っては襲い、リファールに倒されることで金――どう考えても大量の釣りが出る治療費を毎度もらっていた。
(あの女は気づかないのだろうな。いや、気づいたとて、疑問にすら思わぬかもしれん。……そしていとも簡単に心を許す。やはり奴の間合いは――)
思わず歯噛みした。その様子にリファールが気付いたのか、傷の男の方へ振り向く。
その直前、彼は大きな体躯を物陰へと隠していた。
傷の男が顔をしかめる。
(不用意に近づきすぎたか)
頭にもやが掛かったように思考が霞んでいる。気づくのが少しでも遅れていたら――。
(奴の加護に喰われるところだった……)
ある程度距離をとっていたから良いものの、もう少しで尾行を悟られる距離まで“勝手に”近づき、あまつさえ小枝などを踏んで音を鳴らしていかたかもしれない。
魔導士リファール打倒において最大の難点といえる加護――『叡智』
様々な知識を与える『叡智』の力。彼の魔術知識の根幹である。
その力でさえ相当な代物であることは変わりないが、それに輪をかけて厄介なものがもう一つあった。
――『叡智』を持つ彼の周りの人間は、相対的に知能を下げられてしまう――。
リファールの無意識下で発動する力場。彼を打倒しようと画策する者のほとんどが、この力場で不意打ちに失敗し、暗殺しようにも自ら姿を現してしまう。
『叡智』の加護のうち、その効力に気づいているものは、ほとんどいない。
傷の男も調査に長い時間を割いてようやく理解し得たことだった。
ゴロツキたちの知性のない行動や言葉、くだらない行為への加担。冒険者の女がすぐに心を許し、今まさにリファールへ蕩けた表情を向けていることも、『叡智』の加護なのかもしれない。
授かりし『叡智』。彼が転生した際に得た加護――。
傷の男は拳を強く握りしめた。
(そうやってまた、我々を歪ませるのか、異界人よ……!)
脳裏を、過ぎ去った惨状が駆けていく。
数々の異界人の記憶。その断片。
――ただただ領地を治めていただけの領主を、『悪徳領主』として民衆を扇動し、力任せに追放。そしてその領主の娘をどういうわけか惚れさせ、その館で囲う異界人。
――高価な治療薬をいとも簡単に生み出し、タダ同然でバラまき商品の市場破壊を行う異界人。
――見たこともない兵器を開発し、いたずらに戦火を広げ、あまつさえ資源を掘りつくし、生態系すら歪ませる異界人。
かつて自分が対峙してきた者達を思い返し、傷の男はすり減るほどの力で奥歯を噛みしめた。
それらの出来事は、リファールが行ったことではない。しかし――。
(異界人、貴様らを許すわけにいかん……)
傷の男がリファールを憎むのは逆恨みに近い感情だろう。
だが、リファールが異界人であること。彼にはそれだけで充分だった。
充分に、倒すべき相手だった。
拳が血を流す程握りしめていたのだろう、痛みで我に返る。
このまま憤怒にかられて、リファールに襲い掛かってしまうところだった。
またしても冷静さを失った事に、冷や汗が背中を伝う。
たとえ先ほどの戦闘が茶番劇だったとしても、魔術発動の素早さや、魔力量が常人とは桁違いであることは変わりない。
傷の男は彼らの強さを身をもって知っていた。
異界人に油断は命取りだ。
傷を触り、覚悟と決意を揺り起こす。
近づくことが一番の危険だと彼は知っていたはずなのに。
冷静さを失うことが一番の恐怖であることを知っていたはずなのに。
(……厄介な相手だ)
思考を切り替えるために小さく頭を振る。
(近づくのは、まだだ)
幸いリファールは傷の男に接近に気づくことなく、女の手を引き表通りへと歩き始めていた。
この場合のリファールの行動は決まっている。
女と共に食事に行き、その後に自宅――には戻らず、郊外の宿に泊まるのが通例だ。
傷の男は歩き出した。
計画の最終段階へと進むそのために。
己が信念――異界からの来訪者をこの世界から消す、そのために。
自分を見失わぬよう、一歩一歩を強く踏みしめて歩き出した。
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