第41話 抱きてえ、抱かれてえ、もうどっちでもいい
山中は、かがやくようなショップのフロアに仁王立ちになり、疑わしいという表情で百九十センチの巨体から、白石を見おろしていた。
「……できんのか?」
「できる。何度も言わせるな」
「いや、俺の言いたいのはな」
といって、山中はなんなく白石を引きはがした。
「あんたに、男を抱けるのかって話だよ。そっちは、ネコだろう?」
「……ネコじゃない」
えっ、という心底からの驚きの声が山中から漏れた。
「え、あんた、ネコじゃねえの?」
「ちがうよ、どっちかって言うとタチだ」
「そのツラ、その身体つきでタチ? えええ、サギだなあ、おい」
山中は大きな声で笑い始めた。
「なんだよ。じゃあ、この十日間の俺の我慢はいったい何だったんだよ」
「がまん?」
「だって、そんな可愛いツラしていたらネコだって思うだろうが」
「勝手な思い込みだなあ」
「そっちだってそうだろう?」
「何が」
「おれのこと、タチだと思っていただろう」
「……タチだろう」
にやっと山中は笑った。今度は、白石が目を丸くする。
「えっ? タチじゃないのか。まさかネコ?」
「まさか、じゃねえよ。おれは一度も男を抱いたことなんてねえ。バリネコだ」
「そのツラ、その身体でバリネコ? そっちこそサギだろう!」
「ひとを見た目で判断すんなよ」
山中は巨体をふわっと浮かせてテーブルに近づき、ふとい指をコーヒーカップの中に突っ込んだ。ずぶ濡れのSDカードをつまみあげる。
「あーあ、だいなしだ」
「悪いね。ほんとうにバックアップをとっていないのか?」
白石がそう言うと、山中はにやりとした。
「俺が、超重要なデータのバックアップをとらねえって本気で思ったのか」
「思わないよ。どこかにもう一枚SDカードがあるんだろう?」
「ねえよ」
さらっと山中は言った。それから、自分のこめかみをトントンと叩いた。
「バックアップはここにある。俺が、あんたの身体を忘れると思うのか。腰骨だけじゃねえよ。背中のくぼみ、肩のライン、二の腕、喉もと、ふくらはぎ。ぜんぶミリ単位で覚えている」
きれいなカラダだ。
そう言って、山中はゆっくりと身体と落としてきた。白石があわてたように
「ちょっと待て。ここじゃだめだ」
「うん。人が来るなあ」
「分かってるなら、やめろ。こら、よせ」
「ここまで来て、やめろと言われてもな」
するっと山中の唇が落ちてきて、白石の口に舌がすべりこむ。
「……んっ」
「きれいなカラダだ。33才だって? うそだな」
「ほんとうだよ。おい、いい加減にしろって」
「うちに帰りゃ、いいか?」
「ああ」
白石は山中の巨体を押しのけ、身体をずらしてキスを終わらせた。それから自分のカバンの中をあさる。
合鍵を取り出して、山中に渡した。
「今日だけ貸してやる。うちに来たら返せよ」
山中は白石の手からひょいと鍵を取り上げて
「今日だけ? ケチな男だなあ。ところであんたんち、どこだよ?」
「高田馬場。駅からすぐだから電話しろよ。おい、ここでキスはほんとうにやめろ」
抱きてえんだよ。
笑い声が濃厚に混じった声で、山中はささやいた。
「抱きてえ、抱かれてえ、もうどっちでもいい。あんたがいるなら、それでいいんだ」
「……お前、ほんとうにネコなんだろうな?」
「ネコだって。何なら、ここでやってみようか」
「しない。だいたい、お前まだ仕事中だろう」
ちっ、と山中は舌打ちした。
「今何時だ……まだ21時か。くそ、あと1時間ある」
「働けよ。めしは用意しておこう」
「めしなんかいらねえよ」
「俺は喰うよ。お前もちゃんと食え」
白石は、山中の短く切りたてた髪を撫でてやった。まるで毛を逆立てている猫をなだめるように。
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