第40話 「抱かせろよ」

 2階建ての海外ハイブランドショップは、夜を迎えて、白石の足元で静かな喧騒に泡立っていた。

 ここにいるのは、白石糺と山中の二人だけだ。

 白石は静かに言った。


「バックアップも取ってないって?」

「ねえよ」

「インスタの画像は全部差し替えた?」

「ああ、店の若い奴を使った」

「じゃあ、あんたがもう一度俺の腰骨を見たいと思ったら、ナマで見るよりほか、ないな」


 ぴーんと店の空気がはりつめた。

 しなやかなネコ科のケダモノが、どこかで大きく伸びをしたようだ。

 山中が口を開く。


「あの腰骨をナマで見て、キスだけで済ませる自信はないぜ」

「好きにしろよ」

「腰骨だけじゃねえぞ。鎖骨も背骨も手首の骨も好きなんだ」

「いいけどね、左手首だけは容赦してくれよ。まだ激しくは使えない」

「なおりかけなんだな」


 山中は近づいてきて白石の手を取った。大きな手が、白石の手をすっぽりと包み込む。

 温かい、と白石は思った。

 白石をめくらませ、おぼれさせ、くるわせる体温だった。

 巨大なケダモノが白石を見おろして笑っている。


「左手首が、完治するまで待った方がいい?」

「なおってるよ」


 白石は少しいらだたしげに言った。


「治っている。なあ、ここでどれだけ長くしゃべっていても、あんたの唇は1ミリも俺に近づかない。イライラするよ」

「ちっとは焦らさせてくれてもいいじゃねえか。こっちはこの3日間、ろくに寝ていない」

「俺だって同じだ。おまけに飯も食っていない。腹がすいたよ」

「中華でいいか?」


 山中が尋ねると白石はかぶりを振った。山中が、おや、という顔をした。


「和食か? あんた、魚が好きだよな。サバ味噌、キスの天ぷら、イワシの甘露煮、鯛めし、鮭バターソテーってのもある」

「ちがう」

「洋食か? 肉?」

「違う。勘のわるい男だな」


 ぐい、と白石は山中の喉首を掴んだ。左手に十分な力が入らず、心もとない。


「あんたを、喰わせろよ」


 ぶわ、と山中の耳たぶに血がのぼった。白石はその耳たぶに食らいつきながら、ささやいた。


「あんたを喰いたいんだ。こんなふうに男が欲しいと思ったのは、数年ぶりだ」

「数年ぶり? 出来るのかよ」

「出来る。やれる。だから、抱かせろ」


 びくん、と山中の大きな身体が揺れた。白石はもう一度同じ言葉をささやいた。


「抱かせろよ」

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