第37話 全部、頭の中に入っている

 海外ブランドショップ”ドリー・D”銀座店の二階に白石が上がっていくと、山中の太い声に交じって若い男の声がしていた。


 白石は、ちらりと声のするほうに目をやる。そこには洋服が山のように積み上げられ、山中とほっそりした若い男が話していた。

 若い男は目鼻立ちの整った目立つ容姿で、白石には芸能関係者のように思えた。


 若い男が、やや高い声でしゃべっている。


「だからさあ、このマーブル柄のコートが欲しいんですよ、山中さん。限定品だし、各店舗の割り当て数が決まっているんでしょうけど、俺に融通ゆうずうしてくださいよ」

「バーカ。アイテム数の問題じゃねえんだよ。あんたにゃ、この色が似あわねえからダメだって言ってんだ。こっちの変形トレンチにしろ。このほうがあんたのワードローブのもんと組み合わせやすいから」

「おれのワードローブなんて、とっくに忘れているくせに」


 ほっそりとした美形の若い男は、恨めしそうに山中を見上げた。

 山中はまったく相手の表情を気にしていない様子で、長い洋服バーに掛けられた無数のジャケットやコートの中から無造作に何点かをひっぱりだす。そして洋服の山につぎつぎと積み上げてゆく。

 山中は造作の大きな顔でふん、と鼻を鳴らし、


「俺があんたのワードローブの中身を忘れたって? 見そこなってもらっちゃ困るな。俺はベテラン販売員だぜ。

 客に売ったアイテムは、全部、頭の中に入っているよ。この数年、俳優”内海 総”の服をコーディネートしてんのは誰だ?」


「山中さんです。だって、あなたに揃えてもらった服はカメラの前で見栄えがするんだよ。TVだって雑誌だって、あなたのコーディネートが一番俺らしく見える」


「カンヌに行ったときのことも、忘れんな。あんた、あのタキシードでベストドレッサー賞をもらったんだろう」


「あれは良かったよ。あの後も何回か着ているが、くみ合わせしだいで印象が変わるタキシードだね。

 今日はあんたの言うとおりにどれだけでも買うから、あのマーブル柄のコートも売ってくださいよ」


 あのなあ、と山中は聞き分けのない子供に対して言うように、ゆっくりとしゃべった。


「手持ちの服と合わせられないコートを買って、どうしようってんだ。あんたもセンスの良さで売っている俳優だろう? ちっとは考えろ」


 考えませーん、と俳優らしい男は、軽い口調で言って笑った。


「俺の服は、山中さんに全部まかせりゃいいんだもん。これほど楽なことはないでしょうが」


 ちっ、と山中は舌打ちした。


「これでベストドレッサーかよ」

「あれは“仕込み”だし。それにドリー・Dにとってもいい広告になったでしょう。ね、取引だと思ってさ、あのコート売ってよ」


 まあ、こっちも損はしねえか。と言って、山中はちょっと考え込んだ。


「何色のマーブルが欲しいって?」

「イエロー」

「ったく、よりによって一番てめえの顔色と合わねえカラーを選ぶかよ。だめだ」

「じゃあ、ライムグリーンにブラックとブルーが入ったやつ」

「だからイエロー系はダメだってんだろ。わかった、黒にしろ」


 するっと山中はバーから黒地にブルーとグレーの不規則なマーブル柄をあしらったコートを取り出した。

 しかしまじまじとコートを眺めたあと、山中は心底くやしいという声音で、


「いや、やっぱり売りたくねえ。この一枚は俺用にキープしてあったんだぜ」

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