第34話 抱きたい。抱かれたくない。
その日、白石糺は山中のマンションに行かなかった。
行かないことを簡単にスマホのメッセージで伝え、返事を待たずに自宅に帰った。
ひとりきりのマンションの部屋は、冷たくて寒々しい。
白石はそれが嫌いだが、それ以上に山中と顔を合わせたくなかった。
顔を合わせたら最後、もう自分がめちゃくちゃになりそうな気がする。
あの男が欲しい。
しかし、あの男とは寝られない。
なぜなら、白石は男を抱きたい男だからだ。そして、山中の巨体を自分が思うようにしている場面はとても思い浮かばない。
反対に、自分が山中を受け入れているシーンも浮かばない。
八方ふさがりのなかで、白石の欲情だけが行き場をなくして、のたうっている。
抱きたい。抱かれたくない。
一般的な男女の関係なら考える必要もないことが、大きな壁となって白石を苦しめていた。
抱きたい。抱かれたくない。そして他の男では、替えがきかない。
それが白石にとっての山中という男だった。
まだ27歳だって? と、白石は内心で毒づいた。
俺よりも6つも若いくせに、俺なんかよりずっと色気もつやもある。あの男に抱かれたい男は山ほどいるだろう。
白石が、むりに抱く必要はない男だ。
白石は着替えだけしてベッドにもぐりこんだ。
ホテルマンらしくピンとシーツを張ったベッドは清潔で、つめたい。
このベッドに、最後の男が来たのはいったいいつだった?
白石は年数を数えようとして、途中でやめた。とても思い出せそうになかったからだ。
この数年、白石は簡単に出会えるスマホアプリで相手を探し、ホテルでセックスを済ませてきた。自宅に人を招いたことなんて10年近くやっていない。
なぜなら、白石は理屈がともなわないとシャツが脱げない男だからだ。
ただのセックスならシャツも脱がずに済ませることができる。
しかし自宅に連れ帰ってきた男と、服を着たままできるか?
白石には出来ない。だから10年もこの部屋で一人きりなのだ。
今夜、井上清春がバックルームで言った言葉が、今さらながらに白石の耳の奥で鳴り響く。
『ただの恋愛話じゃない。そうでしょう?』
白石糺は、深夜のベッドで一人つぶやく。
「ただの、恋で終わらせてくれよ」
深い関係を持とうとするには、山中はとりとめのなさすぎる男だった。
そんなことを考えながら3日ほどたった。
白石は今日こそは山中の部屋に行かねばならないと思いつつ、どうしても足が向かない。
あの男の顔を見るのが、こわいからだ。
声を聴くのも怖いし、山中に言われるがままも着がえた服の隙間から肌を見せるのが怖い。
きっと今の白石の皮膚の上には、くっきりと紅い字で“あんたが欲しい”と書いてあるのだろう。
そして山中の家に行かなくなって4日目。今日こそは、と白石が思っているうちに、スマホがメッセージを受信した。
画面をチェックすると短い文が現れた。
『仕事がある。夜、ドリーの銀座店に来てくれ』
白石はかすかに口をとがらせた。
耳の奥が興奮でジンジンと鳴っている。
白石には、自分が骨を欲しがる犬のような気がしていた。尻尾をちぎれんばかりに振り切れば、飼い主はわずかな愛情でも投げ与えてくれるのだろうか。
白石はため息をついた。
そして今日は早上がりすると後輩の峰に言おうとして、白石は休憩中の峰と井上がバックルームで話している声を聴いた。
「井上さん、インスタなんか見るんですか」
峰ののんきそうな声が、そう言っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます