第33話 最後の恋から。 逃げ出す方法

 白石は笑って井上に言った。


「半殺しだって? 冗談でもよせ、お前が言うとシャレにならない。妙にケンカが強いからな。ほら、早く電話を取れ」

「おれは本気ですよ……はい、お疲れ様です、レセプションの井上です。はい、ああ、ではそちらにうかがいましょう」


 くそ、ともう一回毒づいてから、井上は曲がってもいないネクタイを直して白石をふりかえった。


「ガーデン棟で揉めごとです。オーバーブッキングのゲストをこっちに回そうとして、トラブったみたいです。ちょっといってきます」

「おつかれさん、すまないな。俺は帰るよ」

「少し休んでくださいよ。来週の日勤はおれが取りますから」

「ばか、お前こそ休め」


 白石はまだ捻挫ねんざのために固定したままの左手首を振ってバックルームを出た。

 コルヌイエホテルの優美なロビーを抜けてスタッフエリアに入ってから、白石は足を止めて、一人で笑った。


「くそ、ついに言わされちまった」


 白石にとっては一世一代の告白だ。仕事にかこつけて、ついにはき出した井上への愛情だ。

 そして白石は、これ以上なにも言わない。


 それが、白石と井上の恋人・岡本佐江とのあいだの密約だからだ。

 自分自身も、かつて同性に狂うほどの恋をしたと言っていた岡本と白石との約束。

 井上清春の知らない約束だ。


「それにしてもな」


 と、白石はコルヌイエホテルの薄暗いスタッフ用廊下で、ため息のようにつぶやいた。


「俺の頭の中は、どうなっちまったんだ」


 白石糺が、仕事上で惚れた男は井上清春ただひとりであることに間違いない。

 そして一歩コルヌイエホテルを離れると、キスしかしたことのない男が白石の全身を支配している。


 山中。


 一体あの男は何なのだろう。

 そして。

 白石はあの男から逃れられるのだろうか。

 最後の恋から逃げ出す方法を、白石糺は必死で探している。

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