3「シャツのボタンのはずし方」
第21話 俺たちは、寝ていない
深夜ゼロ時ちかくになって、白石糺は仕事を終えてコルヌイエホテルのスタッフエントランスから外へ出た。冷たい風が吹きつけてきて、捻挫したばかりの手首にしみるような気がする。
「くそ、寒いな」
ジャケットの襟を立て、白石は足早に駅に向かって歩き始めた。
スタッフエントランスから駅までは、コルヌイエホテルの広大な日本庭園のすみを突っ切るルートが最短距離だ。
ゲストと同じ出入口をまともに使うと距離が長すぎるので、スタッフはこちらのルートを使うことが多い。
白石は出口の守衛に軽く挨拶をして、路上へ出た。
ふと見上げると空には星が出ている。東京でも星が見えるときがあるな、と白石が思っていると歩道の先で、じわ、と密度の濃い影が動いた。
影が、大きい。
白石は顔色を変えた。
「何なんだよ、あんた」
「ヘルプに来た。今日の俺は介護職員だ。不便だろ、左手が使えないとさ。風呂とかどうするんだよ」
「ギプスで固定してあるから、ビニール袋をかぶせれば、風呂にだって入れるよ」
「シャンプーは?」
「床屋に通うよ」
「めしの支度は? あんた、コンビニの飯が食えないんだろう」
ぐっと白石は黙った。
たしかに白石はコンビニの白飯のにおいが苦手で、弁当が食えない。しかしそんなことはほとんどの人が知らないはずだ。
いったいどうやって知った? といぶかしく思っていると、山中の巨体が音もなく近寄ってきた。
「なあ、あんたが俺の部屋で勝手にすっころんで手首を捻挫したのは、たしかに俺のせいじゃない。
俺のせいじゃないが、昨夜あれほど飲ませたのは俺だ。あんたの手首が治るまで世話をしてやるよ」
「……いらないよ」
「人の好意は素直に受けるもんだ」
そう言うと山中は白石の手からカバンを取り、歩き始めた。
「おい、どこへ行くんだ」
「あんたの家でもいいし、おれの部屋でもいい。とにかくめしと風呂の世話だけでいいからさせろよ」
「めしと風呂、それだけだろうな」
白石が詰め寄ると、巨きな男は破顔した。
「めしと風呂、それだけだよ。あとはまあ、オプションだな」
「オプションはいらないんだ」
ほんとうか? と言って、山中は白石の顔をのぞきこんだ。
「本当にいらないのかどうかは、あんたのカラダに聞くといい」
白石は足を止めた。ほんとうは、腹が立つほどこの男のカラダが欲しくてたまらない。
だが、そんな気配はひとかけらも見せたくない。
白石は言い放った。
「なあ、俺たちは寝ていない。それくらい、どれほど泥酔していたって分かるんだぜ」
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