第18話 きみに心配される年齢じゃありません

 まだ20代後半の峰は、狭いバックルームの中でも優雅きわまりない井上清春をまじまじと見た。


「2週間の夜勤続きですか。いくらベテランホテルマンだからって、身体がきつくないですか、井上さん?」


 とつぶやいた。井上は端正な顔で苦笑してから、後輩のひょろりと痩せた身体を軽くこづいた。


「あいにく、まだまだきみに心配される年齢じゃありませんよ。それよりもきみは自分の仕事の心配をするように。堤さんも、無理のないようにしてください」

「あたしは大丈夫ですよ」


 と、堤はにこやかに答えた。ちょうど30になったばかりの堤莉子はまだ独身で、女性ホテルマンとしては脂が乗りきったところだ。仕事が面白くて面白くてたまらないらしい。

 堤は先輩アシマネの井上に向かい


「今週と来週の井上さんが抜ける夜勤の日は、あたしを入れていただいて結構です。そうしないと、井上さんは2週間ずっと、夜勤明け・入り、夜勤明け・入りの繰り返しで、休みなく働いてしまうんじゃないですか?」


 堤がそう言うと、脇にいた峰が、えっ、と声を上げた。


「まさか、明け・入りパターンを2週間も続けるつもりなんですか?無理ですよ!」


 井上清春は切れ長の美しい目を横に向けて、困ったように笑った。


「いや、それが一番、シフトを組みやすいだろう?」

「それはよせ、井上」


 思わず、白石も口を挟んだ。

 夜勤明けのあと自宅に帰り、仮眠をとって遅めの夜勤に入る、というシフトは白石もやったことがあるが、連続してできるのは4シフト・五日が限界だ。

 それ以上続けると疲労がたまり、判断力が鈍る。

 ホテルマンとしては、まともな判断が出来なくなってゲストの安全に問題が出てくるほうが問題だと白石は考えている。

 白石はおだやかな声で


「井上、お前が夜勤のベースになって通常の“入り・明け・休み”の3日パターンを6回やってくれ。井上がいない夜は、峰と堤が半分ずつ取れ。日勤はおれが毎日でるから、3人とも昼間の心配はしないでいい」


 白石がそう言うと、井上はかっきりした眉毛をややひそめて、


「先輩こそ、まさか14連勤するつもりじゃないでしょうね? あんまりムチャをすると総務から指導が入りますよ」

「連勤って言ってもな、昼間だけなら楽なもんだ。繁忙期にはそれくらいみんなやっているだろ。ホテルマンだ、仕方がない」


 白石は井上清春の形のいい肩に右手を置いた。テイラーメードのスーツをシックに着こなした井上は、それでもまだかすかに眉をひそめて、白石を見た。

 白石は井上の視線に気が付かないふりで


「じゃあ、それで頼む。井上はシフト変更の届を書いてくれ。俺が説明しがてら、総務に持って行くから」


 と、指示を出した。

 はいと言って、白石の後輩たちはそれぞれの仕事に散っていく。

 今日が夜勤明けの井上はバックルームに残り、シフト変更の書類を書き始めた。そしてふと顔を上げ


「先輩、無理しないでくださいよ。今日はおれがこのまま、日勤に入ってもいいんです」

「それじゃあ、お前がまったく休まないことになる。困るよ、おれだって岡本さんに恨まれたくない」


“岡本”と恋人の名を出されて、井上清春の切れ上がった目じりにスッと赤みがさした。それから、なぜか少し怒ったような声で


「大丈夫です。佐江は、男の仕事に口を出す女じゃありませんから」

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