第16話 俺のカラダは、していないと言っている!
白石糺は、ろくに知らない男の部屋で目を覚ました自分と、その部屋でうっかり転んだ自分をののしりながら、部屋の持ち主に向かって乱暴に言った。
「俺が誰かって? 今さら、誰でもいいだろう。いてっ。ああこりゃ……やばいな」
白石は顔をしかめて左手首を見た。妙な角度で力を入れてしまった手首はすでに熱を持ち始め、ジンジンと痛みが始まっている。
「捻挫かな」
白石がつぶやいた瞬間、痛みのある部分がひょいを持ち上げられた。見上げると、巨体の男が白石の左手首をつまみあげ、チラッと見てから
「手は、あげておいた方がいい。すぐに冷やすものを持ってきてやる」
そう言うと男は巨体に似合わず俊敏な身動きで部屋のキッチンにむかい、冷蔵庫から保冷剤を取り出した。てばやくタオルでくるむと、白石の手首に当てた。
その冷たさに白石が身体をすくませる。
巨体の男はにやりと笑い、
「ちょっと待ってろ、いま病院へ連れて行ってやるから」
白石はあわてて
「いいよ、自分で行くし」
「そんなのじゃ靴だって履けねえだろ。それに保険証は? 金は?」
大きな男のくせにやけに細かい部分に気が付くやつだ、と白石は内心で舌打ちをした。
「靴は履ける。痛むのは足じゃないんだ。くそっ、ベルトが」
思わず白石が毒づくのを大きな男は笑って聞き、白石のズボンのボタンをとめてベルトを締めた。
「な、俺がいるといろいろと役に立つだろう?」
そう言うと、男は自分の身支度は秒で終えて、もう玄関に立った。そのまま白石を引きずるようにして、マンションから連れ出した。
「ついて来いよ。病院まで連れて行ってやる」
「いや、いいよ。悪いし」
「気にすんな。俺たち、もう遠慮するような関係じゃあないだろうが」
大きな男は、路上で白石に目をやり、にやりと笑った。それを聞いて白石の全身から一気に血の気が引いてゆく。
「うそだろ……してないよな?」
「そういうことは自分のカラダに聞くのが一番じゃねえか?」
「俺のカラダは、していないと言っている!」
白石が大きな声でそう言ったとき、男はゲラゲラと笑い始めた。
「おいおい。あんた、ゲイだってカミングアウトしてねえんだろう? じゃあ、こんな路上で大声出すなよ」
白石はハッとする。さいわい、朝のラッシュが終わった時間帯でそれほど路上には人がいない。白石の失言は人の耳に入らなかったようだ。
それにしても。
白石が長年、家族にさえもひた隠しにしてきた秘密を、たった一晩いっしょに飲んだだけで公表させてしまうとは。
この男はこわい、とあらためて思った。
白石は目を閉じて深呼吸をした。呼吸に合わせて、左手首がジンジン痛む。その痛みが、白石のなかの冷静さをようやく引きだした。
これまでの平穏無事な生活をこわしたくないのなら、白石は、この男に近づくべきではない。
「病院には、一人で行ける」
無事な右手で男の手からカバンを取り返して、白石は言った。
「靴も履ける。ワイシャツも着られる。ついでに保険証のコピーはカバンの中だ。一晩とめてもらった礼は言う。それで、終わりだな」
巨大な男はデニムの尻ポケットに両手を突っ込み、にやっと笑って答えた。
「終わり、ねえ。これで終わっちまって、あんた、もったいないと思わねえのかよ」
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