第15話 「あんた、誰だっけ?」

 白石糺は、ベッドの上で顔をしかめた。

 身体の裏と表がひっくり返ったような不快感で、頭痛と吐き気が同時に襲ってくる。

 吐くものが胃の中に残っていればいいが、と思いつつ、白石は身体を起こした。


 そして、はた、と気がついた。

 こんな場所は知らない。

 それほど広くない部屋にはダブルのベッドが置かれ、白い壁紙にはシミも汚れもなく磨き上げられている。白石は一瞬、どこかの高級ホテルにいるのかと思ったほどだ。


 それから窓の外にすぐ隣のビルの壁があるのをみて、ホテルじゃないと思う。

 同様に、隣で寝息を立てている巨大な男の姿を見て、やはりホテルじゃないと思った。


「やばい、寝ちまったか……?」


 白石はつぶやいたが、すぐに自分がワイシャツを着たままなのに気が付く。そっと音を立てずにベッドから出て、下着も靴下も履いたままなのも見る。

 良かった、寝ずにすんだようだ。


 良かったのか?


 白石の中で、なにかが笑ったような声で言った。

 良かったのか? お前はこの男と寝てみたいと思っていたんだろう?

 白石は頭を振った。そのはずみで激痛と吐き気が戻ってきた。

 昨夜は、この男相手にかなり飲んだらしい。

 最終的に自分がどれほどの量を飲んだのか分からないほどに泥酔したのは久しぶりだ。


 白石はそれほど酒量があるほうではないが、自分の限界というものが分かっている。もうそれほど若くはないし、飲みすぎると翌日の仕事に支障が出るので無茶はしない。

 それが、昨夜に限ってタガがはずれたように飲みに飲んだ。


 井上の話をしたからか?

 ずきずきする頭のどこかで、白石はかろうじて考えた。あの美しすぎる男の話をしたから、つい飲みすぎたのか?

 いや、と部屋を歩きながら白石は否定した。

 昨夜の酒の量は、井上清春とは関係がない。

 関係があるとしたら、それはまだベッドで熟睡しているあの巨大な男のせいだ。


 初対面の男に、何のためらいもなくキスができる男。

 巨大な体躯に似合わない、柔らかく優しいキスができる男。

 数年ぶりに白石の中から複雑な色合いの欲情を引き出した男だ。


 この男は、あんまり近づくとまずいことになる。

 それが分かっていても白石が多量の酒とともに時間を分け合わずにいられなかった男は、今はまるで小動物のような無防備さで眠っている。


 一度、寝てみたかった。


 白石はそう思いながら、ベッドの横に落ちていたスーツのズボンに足を入れた。

 その瞬間。

 白石糺はぶざまにころんだ。


 まだしっかりと目が覚めていないのか、それとも昨日の酒が残っていたのか。

 白石は片足をズボンに突っ込んだ格好でバランスを崩し、どさっと床に倒れ込んだ。


「痛っ!」


 思わず叫んだ白石の声が、広いワンルームの部屋に響いた。

 あわてて口をふさいだが、遅かった。ベッドから、巨大な肉食獣のような男がのっそりと起き上がった。


「なんだよ、うるせえな……ああ? あんた、誰だっけ?」

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