第14話 世界でたった一人、俺のことを理解してくれる人
うん、となかば酔いながら白石が言う。
「恋をしたのは“女”だって岡本さんは言っていた。今でもその女のことを思うと、平静ではいられないって。それくらい惚れていたんだって」
「そうか、女か。岡本はそいつにかれこれ二十年近く惚れていたはずだ」
「すごいな。純愛だな」
「“純”かどうかは、知らないぜ。一回くらいは寝たことがあるのかもしれねえな」
白石は酔いの混じった目で、小料理屋のカウンターで隣に座る巨体を見上げた。
小山のように大きくてがっしりしていて、しかし俊敏さがあって逃げ足も速そうな身体だ。
この身体を抱きたい、と白石は唐突に思った。
抱かれるのではなく、抱きたい、と思った。
白石はどちらかと言うと男を受け入れるより、受け入れさせたいほうだ。セックスの方向性というよりは、精神的にどうしようもなく“男”なのだった。
支配されたくなく、相手を支配したいタイプだ。
白石の温和な外見から、勝手に白石を“ネコ”だと思った相手とうまくいかなかった経験はたくさんある。好きな男がバリタチで、どうしてもセックスが出来なかったこともある。
そして、身体でつながれない関係は白石を満足させなかった。
「――なあ、あんた」
白石は少し遠くなりかけている意識の中で、山中に言った。
「井上みたいに、なりたいとは思わないか」
「はあ?」
「ひとりの相手にさ、自分の持っているすべてを差し出してみたいと思わないか。
自分を払いのけられるこわさよりも、たったひとりの人に向かって、愛しているって叫ぶことがだいじだって。そう思えるような恋をしてみたくないか」
「できねえよ。そんなのは奇跡に近いんだ。ここに来るまでに、井上と岡本がどれだけの時間をかけたのか、あんただって知らねえわけじゃねえだろう。今だって、あいつらはまだお互いに一歩も引かねえで戦っている時がある。意地と意地が、ぶつかり合っているんだ」
「知っているよ」
とんと“ユリ”のカウンターに突っ伏しながら、白石は言った。
「でも井上はそれで幸せなんだ。自分を否定されて捨てられるコワさを克服してでも、岡本さんを自分だけのものだって言い切った。あれはさ、反対のことを言っていたんだな」
「反対のこと?」
そうさ、と眠りに落ちこみながら、白石はつぶやいた。
「『あれは、おれだけのものです』って俺に言ったとき、あいつは自分も彼女だけのものだって叫んでいたんだよ。ほこらしげにね」
「あのヤロウ、言うじゃねえか」
山中が笑って言う。その声の心地よさに、白石はもう何がどうなってもいいと思う。
どうせ俺は一生ひとりだ。
清く正しい愛なんていらない。
ただ、ときどき身体をつなげられる相手がいれば、それでいいんだ。
白石はそう思う。思うはしから、身体のなかのどこかから、白石が聞いたこともない声が強く強く哭(おら)びあげた。
嘘だ。
俺は井上みたいに、自分は“コノヒトノモノ”だと誇らしげに叫べる人が欲しいんだ。
世界でたった一人、俺のことを理解してくれる人。
俺の弱さもずるさも、何もかもをだまって呑み込んでくれる人が。
欲しいんだ。
欲しいんだ。
★★★
翌朝、すさまじい頭痛とともに、白石糺は目を覚ました。
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