第13話 見た目と中身が違う

 山中は、小料理屋の中で巨体をゆすり、野太い笑い声をあげた


「そりゃ、きついお願いだなあ。井上は、ゲイにとっちゃヨダレの出そうな男だ。そいつに手を出すなって?」


 白石は、ぼそりとつぶやいた。


「俺だってね、井上と寝てみたいと思わないわけじゃない。あれほどの男と寝てみたいと思わなけりゃ、ゲイじゃないだろう。

 だけど岡本さんにそう頼まれたら、もう絶対に手は出せない」

「約束したからか?」


 ああ、と白石糺しらいしただすは焼酎のボトルから、最後の一滴をグラスに落とした。


「おれは、岡本さんと約束したんだ。彼女は『男の恋情は、いつまでも続かない』って言っていたよ。それが分かっているにもかかわらず、井上の愛情にこたえていた。その覚悟がきれいすぎて、俺は目がつぶれるかと思った」

「岡本には根性がある。そうでなけりゃ、井上みたいな男と本気でつき合えるか」

「そうだな。井上と付き合うには覚悟がいるな」

「あの男は、腹の底では、なにひとつ信用していない」


 ぼそっと山中は言った。


「何ひとつ、だ。あいつの怖いところはな、世界中の何よりも自分のことを信用していないことだ。俺はあいつほど、自分を冷静に見ている人間を知らないよ。

 まるでカエルの解剖でもしているみたいに、自分自身の裏も表もミリ単位で腑分けしている。自分のなかのずるさも弱さも全部、知り尽くしているんだ」


 何のために、そんな身体と心を切り刻むみたいなことをしているのか、想像もつかないけどな。


 山中はもう何ひとつ、食べず飲まずに話していた。その声音の深さに、白石は井上とよく似ている「底の知れなさ」を感じる。

 この男も、見た目と中身が違う男だ。

 そして井上が自分の中身を隠すために優雅さを鎧にしているように、この男も、見た目を華麗に調整している。

 外界に合わせて色あざやかに自分をいろどる赤道直下のトカゲのように。

 そしてトカゲは、鮮やかに言い放った。


「岡本のすげえのは、井上君の裏も表も知っていて、なおかつあの男を、呑み込もうとしているところだ。たぶん井上に対してそんな角度からアプローチしてきた女は、誰もいなかったはずだ。

 できるはずがない。だって井上本人が、てめえの本性を隠したいと思っていて、あのこぎれいなツラと身体で目くらましをしているんだからな。岡本だけが、その目くらましに乗らなかった」


 簡単な事じゃ、なかったはずだぜ。

 山中はほんのりと笑ってそう言った。


「井上の見せてくる目くらましに乗ったほうが、断然、楽なんだ。あのきれいな顔にのぼせあがってきれいな身体に抱かれて、何もわからないまま天国にのぼったほうがラクに決まっている。だが、岡本はそれをいさぎよしとしなかったな」

「なんでだろう」


 白石は、酔いでぼんやりし始めた頭から、言葉を絞り出した。

 自分の言っていることが正しいのかわからないが、たぶん、これが白石の持っている疑問に一番近い形の質問だった。


「井上と短期間だけ付き合って、その後はもっとおだやかな男を捕まえればいい。一緒に暮らして一緒に生きていくには、井上は楽な男じゃない」


 白石の言葉に山中は笑って


「正解だ。ちっとでも男に惚れたことのある女なら、あんたの言った通りのことをするだろうな。だがまあ、岡本のやつも色恋についちゃあ、ちょいと純粋培養されてた部分があるからな」

「じゅんすい、ばいよう」


 そうつぶやいて、白石は“ユリ”で飲んだ時に岡本佐江が漏らした一言を思い出した。


「ああ、そうだ。彼女、学生時代からずっと好きだった女がいたって言っていた」

「女?」


 と初めて山中が驚いたような声を出した。

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