第8話 二番手

 白石糺は、狭いバックルームのパイプ椅子に座る美貌の後輩をひそかな賛嘆の視線で眺めつつ思った。


 いずれ、コルヌイエホテルは井上清春が率いることになる。そのとき井上が思う存分に手腕がふるえるよう、現場を支えするのが石の仕事だ。


 白石は、つねに二番手の男である。

 それでいいと思い、二番手のポジションこそ自分を生かす場所だと思っている。

 そしてコルヌイエのてっぺんにかつぐ人間として、井上清春よりふさわしい男はいない。


 それにしても、と白石はあくびにまぎらせてため息をもらす。

 井上清春がこれほど美しい男でなければ、白石の仕事もずいぶんやりやすいのだが。

 そこに立ち、座り、笑っているだけで白石の劣情をそそることが出来るのが、井上なのだった。

 仕事の引継ぎを終えた井上は、立ち上がった。


「さて、引継ぎも終わりました。先輩はもう帰って休んでくださいよ」


 そこへレセプションカウンターにいたスタッフが、にこにこしながらバックルームに入ってきた。


「井上さん、お客さまがお見えですよ」


 ああと言って、井上はかすかに照れたように笑い、腕時計を見た。


「ありがとう。そうか、ちょっと早かったな」

「どうした?」

「ああ、いえ、ちょっと佐江が……その、ガーデン棟の会議室を」


 ヘドモドする井上を妙な顔で見て、白石はさりげなくスタッフに尋ねた。


「誰がお見えだって?」


 するとカウンタースタッフがにこやかに


「井上さんのカノジョさんですよ。同僚の方と本日はガーデン棟の会議室をご予約していらっしゃいます」


 へえと言って白石がカウンターへ出ていこうとするのを、井上がさりげなくさえぎる。


「先輩はもう仕事上がりでしょう。お疲れさまでした」

「なんだよ。いらしたのが岡本さんなら、俺だってご挨拶するよ」

「いりません、いらないんです。佐江を先輩みたいな良い男とは会わせたくないんですよ」


 ふだんは沈着冷静な井上清春が、かすかに耳たぶを赤らめて白石の邪魔をしようとする。

 いつもとは違う様子に白石はにやにやして、わざとレセプションカウンターに向かった。その気配が外に伝わったのだろう、バックルームのドアの向こうで笑いさざめく声が聞こえた。


 井上が軽く舌打ちする。

 白石は笑って美貌の後輩を押しのけ、ゲストに挨拶すべくレセプションカウンターに出た。


「おはようございます。本日もコルヌイエホテルをご利用いただきまして、ありがとうございます」


 白石が折り目正しくそう言って礼をすると、カウンターの向こうからおだやかな女の声が聞こえてきた。


「おはようございます、白石さん。お世話になります」


 白石が顔を上げると、井上の恋人である岡本佐江の典雅な姿がロビーに立っていた。

 岡本は29歳になるアパレルショップの店長だ。

 井上の異母妹と同級生だというが、年齢よりもずっと若い華やぎがある。井上と並んでも見劣りしない美しさと、人あたりのいい柔らかな雰囲気を持つ女性だ。


 アパレルで働く女性らしくいつ見てもスキのない着こなしをしており、今日もシックなダークグレーのワンピースに鮮やかなスカーフを合わせて、品よく、だがアグレッシブな姿をしている。

 白石はさりげなく岡本佐江の全身をチェックしてから


「本日は会議室をご利用ですか」


 と、にこやかに尋ねた。

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