第7話 目の前に座る美貌の男
★★★
ホテルマンとして、白石糺はその奇妙なゲストの情報を知ろうと思えばすぐに知ることができた。
部下の西川安奈が受け取ったチェックインシートがあったし、クレジットカードの利用データもあった。
だが、白石はそれ以上何かを知ろうとしなかった。
くわしく知ると深みにはまりそうな気がする。
そのうえ、たどっていくことで共通の知り合いにつながっていきそうな気もしたからだ。
白石糺は、自分がゲイであることを公表していない。
客商売でもあるし、夜勤が欠かせない職場なので男どうしで仮眠室を共有することもある。そんなとき、一緒に休む同僚や部下に余計な気をつかわせたくなかった。
それに白石の恋愛関係と職場は大きくかけ離れており、あえて知らせる必要も感じない。
ただなんとなくモヤモヤした気持ちが残ったまま、白石はいつもどおりに働いた。
あれから何度目かの夜勤明けの朝。
白石はコルヌイエホテルのバックルームで後輩のアシスタントマネージャーである井上清春と申し送りをしつつ、あくびをかみ殺していた。
目の前で、美貌の井上がくすっと笑った。タブレットを持ち、パイプ椅子に座っているだけで絵になる男だ。
「珍しいですね。先輩があくびなんて」
「ここのところ、眠れなくてなあ」
白石がぼやくと、井上はちらっと周囲を見渡した。誰もいないことを確かめてから、すすっと身体を白石に寄せてきた。
「あれですか、“女関係”ですか」
ぶわっと白石の顔が赤くなった。それをみて、井上が端正な顔をほころばす。
「先輩の恋愛話、いつか聞かせてくださいよ」
「バカ。お前こそ、このところ機嫌がいいじゃないか。幸せなんだな」
「ええ、まあ」
と井上は恥ずかしげもなくうなずいた。
「もう、一人じゃなくなりましたから」
「お前なあ……」
と言いかけて、白石は口をつぐんだ。
井上清春は、複雑な出自の男だ。
コルヌイエホテルを含む巨大ホテルチェーンのオーナー社長である
井上が、コルヌイエで働き始めてもう9年。
31才になり、総客室数1500のコルヌイエホテルのなかで20人もいないアシスタントマネージャーとして同業者からも評価されている。
その切れ者ぶりから、都内の高級ホテルのスタッフのあいだでは
“困ったら、コルヌイエの井上アシマネに連絡してみろ”
とまで言われている男だ。
冷静で頭が切れ、しかしどこか人を人とも思わない欠損した部分が冷たい印象を与えていた。
この春までは。
この春から、井上はごく若いころからの知人だという女性とつきあい始めた。
以来、井上の「寸鉄人を刺す」といったような鋭さがやわらぎ、周囲のからの評価も大きく変わってきた。
今や井上清春は単なる切れ者ではなく、あてになり、頼りにできるアシスタントマネージャーとしてコルヌイエ中の信頼を集めている。
たったひとりの女性がこれほど井上清春を変えた。
この変化は歓迎されるべきものだ、と白石は考えている。
いずれ、と白石は目の前に座る美貌の男をじっと見た。
いずれこの男は、コルヌイエホテルを背負って立つ人間だ。
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