エピローグ 希望の箱
希望の箱(1)
気がついた時、
壁も天井も、床も、全てが漂白されたように白い部屋。
その隔離室のごとき場所で、逢理は灰色の拘束衣で全身の自由を封じられたまま、固定された座椅子にベルトで縛りつけられている。
「ここは
一息に投げかけられた説明。
白々しいオブラートに包みこまれたそれは、やや距離を置いた先、強化ガラスの壁の向こうにたたずむ白衣の男から。やけに長身で、彫りの深い顔立ちをした……医者……だろうか?
「私は加々見松雪という。この学院の校医であり、研究責任者だ」
事務的な説明は無表情に淡々と、だが、声音だけは朗々と室内に響く。
「さて、伊佐良木逢理君。キミは全ての事案において、明確な殺意を持って行動している。しかし、最後の朝凪夏輝殺害未遂を除けば、いずれも直接手を下しているわけではないし、死を強要しているわけでもない。成立するのは脅迫罪や殺人予備罪といったところか……。起こるべき事故を未来共鳴で利用したキミの罪科は立件が難しく、法のもとに裁くことは事実上できないだろう」
だからこそ、要点は逢理がこれからどうするつもりなのかにあると、松雪は告げた。
「キミは、これからもなお〝魔法使い〟を騙って告発殺人を繰り返す気なのかね? それとも、もうやめるのかね?」
穏やかだが、確かな威圧を込めて問い質す松雪。
逢理はそれに答えようとはせず、拘束され制限された中で、可能な限り四肢を動かして、自身の健在を確認した。
自由には動けないが、それは見ての通り拘束によるもの。彼女の身体には、一切の怪我も不調もないのはどういうことなのか?
「……なぜ、私は生きているの……?」
独り言のようにこぼれ出た呻き。
どこぞにマイクでも仕掛けられているのか、微かにしかこぼれぬ声は、それでも外の松雪にもちゃんと届いているのだろう。
「なぜも何も、キミが生きているのは、夏輝君がキミを殺さなかったからだよ」
さも当たり前のことだと応じる松雪。
それを聞いた逢理は、潰れた声帯を振り絞って笑声を上げる。
(……夏輝が、私を殺さなかった……?)
そんなバカなことがあるかと、込み上げる自嘲のままに喉を震わせた。
だって逢理には、そんな未来は読めていなかった。
あらゆる未来を読み、可能性を探ったが、逢理と夏輝が互いに健在のままに至れる未来など、どこにもなかったのだ。
逢理が夏輝を殺す……それが最善の未来だったはずなのに!
あるいは……と、逢理は考える。
あるいは逢理自身が、そういう未来を無意識に望んでいただけなのだろうか?
羨望からの嫉妬や憎悪が、無意識にそんな可能性を読み取らせていたのか?
だとしたらなおのこと、こんなに愚かしく、滑稽なことはない。
いずれにせよ、夏輝は、あの輝かしい少女は、そんな逢理の浅ましい絶望すらも跳ねのけたということだ。
(……ああ、やっぱりだ。ほら、私は夏輝に追いつけない……!)
込み上げる自嘲は、いつしか自責と後悔にすり替わって胸裡を抉る。今にもこぼれそうな嘆きを、笑声でかき消そうと喉を軋ませる逢理。
「…………それで、どうするのかね?」
松雪が再度、問い質してくる。
問われるまでもない。もう、逢理は思い知っている。
自分は、やはり〝魔法使い〟にはなれないのだと。
しかし──。
「……ここでやめたところで、罪が消えるわけじゃないでしょう……?」
「もちろんだ。しかし、続けたところで罪が増えるだけだがね。そんなことは、未来共鳴者であるキミ自身がわかっていることだろう」
松雪の指摘に、逢理は苦笑いながらも意識を集中する。
逢理の意識の中に反響し展開する未来の可能性。いつものようにその未来の流れに身を任せ共鳴しようとして──。
やめた。
かつて、羽瀬川弓彦に会った時にそうしたように、未来と響き合うことを放棄する。
今一度、封印のフタを閉じた逢理。彼女は自分の意志で、自分の思考で、未来と共鳴することなく返答する。
「……できれば……」
脳裡に浮かぶのは、泣きながら首を絞めてきた少女の姿。
「……できれば、殺人者として、犯した罪に見合う刑を……」
その上で、後の処遇は任せると、逢理は申し出た。
「承知した」
深く、ハッキリと頷いて受け止めた松雪。
「当面はこの隔離棟にて拘束されることになるだろう。明確な処分は、決まり次第、伝えよう」
そう手短に取りまとめ、踵を返す。
去りぎわ、彼はふと振り返る。さっきまでの事務的な口調ではない、どこか柔らかな声音で呼びかけてきた。
「……ひとつ、キミに伝言を請け負っている。直接告げたかったのだろうが、こちらの事情で、それを許すわけにはいかなかったのでね」
そう前振りつつ、小さく息を整えてから、松雪は告げた。
曰く―――〝傷つけてごめんなさい〟―――。
誰からの伝言なのかは、聞くまでもない。
(……本当に、バカバカしい……)
逢理はあきれもあらわに、笑声を震わせる。
傷つけてごめんなさい? 何を言っているのだろう……それは、夏輝ではなく、逢理の方こそが言うべきことではないか!
うつむき、かすれた笑声をこぼし続ける逢理に、松雪はどうにもやりきれないという仕種で、肩をすくめた。
「まずはその罪、しっかりと生きて償うことだね。キミの犯した罪は、やはりキミ自身が背負うべきだろう」
―――死して誰かに押しつけることのないように―――。
朗々と響いた叱責に、逢理は静かに頷き、目を閉じた。
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