わたしが魔法使いであるために(3)


               ※


 有栖川黎斗は雨の中を走り続けていた。

 天薙あまなぎ大社。

 隣市とをまたいで建つ大きな神社の敷地内である。

 朝凪夏輝は黎斗のスマートフォンを持ったままだった。松雪から奪ってきたスマートフォンのGPS誘導で、すぐに彼女がこの神社の敷地にいるのだと知れた。

 敷地内の遊歩道沿いにある古い池の辺り、そこにいるはずだ。

 黎斗は走る両脚に力を込める。

 神社までは学院の黒服に送らせたものの、それにしたって時間がかかり過ぎている。今現在が危機であるのかどうかはわからないが、安全の保証がないのも確かなのだ。

 だから、黒服たちの追従など待たずに黎斗は駆けていた。

 懸命に、全力で駆けているのだけれど──。


(……何でオレは、こんなに必死になってんだ!?)


 疑念は、もはや自分でも良くわかりはしない。

 ただ、出所不明な焦燥感にさいなまれるままに駆け続ける。


 やがて並木道の先、開けた古池の畔。

 へたり込んで雨天を仰いでいるポニーテールの少女。

 その姿を見て取った黎斗は、そのまま全速力で駆け寄り、その肩をガシリとつかんで揺さぶった。


「おい! どうした!? 何があった……!?」


 強い呼びかけに、夏輝は力なく小首をかしげた。


「ああ、アリスちゃん……ちょうど良いところでした」


 夏輝は微笑んで、手にしたスマートフォンを差し出してくる。


「これ、どうやって電話かけるんでしたっけ……。一度聞いたのに、思い出せなくて……早く九条先生に連絡しないといけないのに……。どうもダメですね。わたしは、思い出すのは苦手です……」


 ニッコリと微笑んだその笑顔が泣いているように見えたのは、降りしきる雨に濡れているためか。それとも、つかんだ肩が小刻みに震えているためか──。


 池の畔にて物言わず倒れている真紅のレインコートを見やって、黎斗は息を呑む。


「未来共鳴者……」


 黎斗の呟きに、夏輝は、くしゃりとその笑顔を引き攣らせた。


「わたし、間違えてしまったのでしょうか……」


 ポツリとこぼれたのは、弱々しい問い。

 弓彦に諫められ、左近に嘲られ、黎斗に指摘された夏輝は、覚悟を決めた。

 夏輝はその異能を駆使して痕跡を逆算し、得た情報を洞察し、事実と照合し、犯人を割り出し、真相を受け入れた。


 その上で、最も犠牲の少ない最善の方法で、その犯行を阻止しようとしたのだ。


 未来共鳴は、存在感応でくつがえす以外に対抗できない。

 伊佐良木逢理は、朝凪夏輝にしか止められない。

 だから──。


「わたし、がんばったよアリスちゃん……」


 そう言った笑顔は、さも誇らしげに胸を張って、

 けれど、けれども──。


「持って生まれた才能を受け入れて……今度こそ、失敗しないように……みんなを守ろうと……でも……」


 誇らしげに象った作り笑いは滑稽に歪み、細めた双眸は溢れるものを懸命にこらえているようで──。


「アリスちゃん……わたし……また間違えちゃったのかなぁ……」


 問う声は嗚咽にかすれて、ガクリと項垂れる。


 まるで迷子の子供が歩き疲れて途方に暮れたかのように──。


 見失った帰り道を求めて声を上げるように──。


 夏輝は繰り返し黎斗に問い質す。


 黎斗は腹の奥に言い知れぬ感情の渦をわだかまらせながら、彼女の問いに答えようとして、けれど、明確な答えなど見つかるわけもなく、答えを見つけられぬ自分が腹立たしくて、奥歯が軋むほどに食い縛り呻いた。


「……わかんねえよ、そんなの……」


 わからない。わかるわけがない。

 黎斗は未来予測も未来予知も使えない。

 未来共鳴者でさえ間違えてしまったというそれに、この世の誰が答えを出せるというのだろうか?


「……ふふ、そう……ですよね……わからない……わたしも、もうわからないんです……」


 泣き笑う夏輝。

 その身に絡みつくように、黒い影が蠢いていた。

 浮き上がったあの黒い鎖。

 心の闇が形を成したかのごとく、重く巻き付き呪縛する暗黒の枷。


 思わず黒鎖の一端をつかみ上げた黎斗。

 その所作に、夏輝は察した様子で笑みを歪める。


「……黒い鎖……わたしを縛る鎖……あなたには、それが視えるんですよね……アリスちゃん……」


 黎斗のつかんだ黒鎖、夏輝には視えていない縛鎖。

 夏輝は黎斗の手の上から重ねる形で、黒い枷をつかみ取り掲げ持つ。


「……壊してください……」


 震える声で、懇願した。

 見開いた瞳、引き攣った唇。それでも、真っ直ぐに視線を逸らすことなく、彼女は解体魔に請い願う。


「……もう、ダメなんです……重くて、動けないんです……苦しくて、立ち上がれなくて……。だから……わたしを縛るこれを……断ち切ってください……」


〝お願いです──〟


 強く握り締めた手。

 もうイヤだと。もう耐えられないのだと。自らの後悔と絶望にがんじがらめに縛られた少女は嘆きを張り上げる。


 もう楽にして欲しい。

 今すぐに解放して欲しい。

 こんな苦しい呪いの枷から、解き放って欲しい。


 黒い鎖。存在を拘束する戒め。それを断ち切れば解き放たれる。

 物体はその拘束を解かれ、無理矢理組み上げられた人為の型から解放される。


 では、生物は?

 生きた人間の黒鎖を断ち切ったらどうなるのか?


 束縛の解放。戒めの消失。枷から解き放たれた魂はいったいどうなる?


 断ち切ってくれと夏輝は言う。

 きっと彼女はどうなるのかを予想して、承知して、それを望んでいる。

 封印の壺を開け放ち、全ての災厄を解き放ち、最後の希望も失ってしまった罪深い女は、ただ、この苦しみからの解放を望んでいた。


 かつて、もうひとりの罪深い女がそうしたように──。


「……おねがいです……アリスちゃん……わたしを……」


 黒い鎖に縛られ項垂れた少女が、重ねて懇願する。


 自由を奪われた者。


 重い枷に縛された者。


「……たすけて……」

 

 だから、解体魔が動くキッカケは、結局のところいつも同じだった。


 黒鎖をつかむ手に力を込める。

 すがりつく夏輝の手を振り払い、巻き上げた黒鎖を両腕で引っ張った。

 ズシリとのし掛かる重さによろけそうになりながら、黒鎖の束ねて担ぎ上げた。


「……視えねえ」


 ハッキリと、黎斗は告げた。


「黒い鎖なんか視えねえ」


 心の底からウンザリと、面倒そうに断言する。

 顔を上げた夏輝は、意味がわからないとばかりに目を見開いて──。


「……アリスちゃん?」

「重いか? まだ、立てねえか? そんなことねえだろ?」

「……え……と、あの……」

「立てるはずだ。黒い鎖なんか、ここには無いんだから」


 ズイと差し出された黎斗の手が、夏輝の震える手を乱暴につかみ取る。引っ張られるままに、夏輝は身を起こした。

 戸惑い困惑しながら見下ろしてくる夏輝を、黎斗は真っ直ぐに見上げて断言する。


「もう、おたくを縛る鎖なんかどこにもねえ。このオレが──解体魔がそう言ってるんだよ!」


 物体の構造を見抜く魔眼持ち。

 存在の拘束を断ち切る異能者。

 そう、有栖川黎斗は最初からずっと──。


「……そうですね……アリスちゃん。あなたは、ずっと嘘なんてついていなかった。だから、わたしはあなたを信じます……」


 夏輝は涙を拭って頷いた。

 眼前の黎斗は今にもよろけそうになりながら、仁王立ちで頷き返す。夏輝はそんな彼の双肩に腕を回して抱き寄せた。

 彼が負ってくれた重さを支えるように、そっと力を込める。


「……ありがとう……」


 感謝は祈るようにささやかに──。

 ふっと、力んでいた黎斗の身体から力が抜けたのは、だから、そういうことなのだろうと夏輝は思った。


 彼の言う通りになった。


 黒い鎖なんてもうどこにもない。


 夏輝を縛る戒めは、重苦しい枷は、この小さな少年が全て壊して消し去ってくれたのだ。


「……助けてくれて、ありがとう……アリスちゃん……」


「……だから、アリスじゃねえってんだよ……」


 抗議の呻きは力なく、そんな相変わらずの反応が何だか嬉しくて、夏輝は抱き締める腕にギュッと力を込めた。

 安堵と安心と、そして、これから向き合うべき現実と──。


(……逢理……)


 胸裡に呟いた名前。大切な宝物。

 夏輝は黎斗にすがりつき、込み上げる悲しい情動を懸命に抑え込む。

 くずおれるわけにはいかない。黎斗が助けてくれたのに、ここでまた押し潰されるわけにはいかない。


 だから──。


 朝凪夏輝は、喉を焼く嘆きを全霊で押し殺し続けたのだった。



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