わたしが魔法使いであるために(2)
※
紫が黎斗をスマキにして去った後―――。
朝凪夏輝はひとり自室に引き上げ、押し入れを漁っていた。
雨泥と煤とで汚れた衣服や身体にも構わず、奥に仕舞いこんでいた衣装箱を慎重に引っ張り出す。
開けた箱の中身は、丁寧にたたみ込まれた思い出の品。
フード付きで、丈の長い、真っ白なレインコート。
幼い時分、まだ夏輝が養護施設にいた頃、施設の院長が誕生日の祝いに買ってくれたもの。長く使えるようにと、サイズが大きめで仕立てのよいものを選んでくれた。
決して楽ではない経済状況だったのに……幼い身にもその優しさが嬉しくて、雨天には必ず身につけては、用もないのに外を駆け回っていた。
「……さすがに、今となっては小さいですね」
だが、前を閉じずに羽織る分には普通に着れそうである。
夏輝は込み上げた感慨を力なくも吐き出して、再び外へと出かけた。
霧雨が、やむことなく降り続けている。
コートが弾くささやかな雨音に耳を澄ましながら──。
思えば、このレインコートがキッカケであったのだと回想する。
そう、キッカケだったのだ。
同じデザインで、同じく大きくダブついていた、色違いのレインコート姿を見かけたことが、出会いの最初だった。
夏輝の白いレインコートと対照的な、紅いレインコートの姿。
おそろいなのに色違いのふたりは、その対照的な境遇のままに、互いを共感した。
つらつらと脳裡に思い出した回想。
それを静かに噛み締めながら、夏輝は歩く。
思い出すという行為は、どうにも苦手だった。
夏輝にとって記憶というものは、いつも思考の深くに沈み込んでいて、意識して掘り起こさないと浮かび上がってきてくれない厄介なもの。
それでも──。
それでも彼女のことだけは、今でもすぐに思い出せる。良い思い出も、悲しい思い出も、同じく思い出せる。
記憶の倉庫の一番身近に、いつでも取り出せる場所に、等しく整然と並べてあるかのように、容易に回想できる。
そんなまぶしくも大切な記憶を噛み締めながら、夏輝はゆるゆると歩いていく。
「いったい……どこに向かっているのですか?」
唇からこぼれた呟きは、決して独り言ではない。
否、厳密には独り言なのだろうが、問いかける対象がいることは確かだった。
夏輝の前方、先導するように歩く幼い後ろ姿。
霧雨のベールの向こう、黙したまま振り向きもせずに進んでいくのは、ダブついたレインコートのフードを目深にかぶったひとりの少女。いつも夏輝の視界に──意識の空隙に現れては消えていく幻影のごとき姿。
モノクロームに色褪せた無彩色の影。
その灰色のレインコートは、本当は何色をしているのだろう? 出会うたびに夏輝は考えていた。
まばゆい純白と。
鮮やかな真紅と。
いったいどちらなのか? ずっとわからなかった──。
けれど、今は何となく思う。
それらはきっとどちらも正解で、どちらも間違いであるのだろうと。
なぜなら、この少女の幻影は両方の痕跡であって、どちらか一方の痕跡ではないのだろうから──。
ただ、前をいく少女の姿が何色であろうとも、少女が向かっている場所がどこなのかだけは、本当はわかっていた。
それは問いかけるまでもなく、読み取るまでもなく、夏輝には予想できていた。根拠はない、理由すらもない。
単純な共感。
今、この時に彼女が待っているとしたら、きっとそこしかないのだと、そう感じただけのこと。
そこは隣市とを跨いで存在する広大な神社。その敷地内にある、ちょっとした森林公園。かつて、幼い頃にはよく訪れていた場所。
まだ、自身の異能を受け入れきれず、周囲と衝突していた夏輝は、そんなわずらわしいシガラミから逃れるように、この公園へと訪れていた。
そして、そんな夏輝のそばには、いつも彼女がいてくれた。
三ヶ月前まで、いつも一緒にいた。一緒にいてくれた夏輝の親友。
七年前のあの日も、この道をともに歩いた。
今、見上げた空に漂う雨雲は薄く、西から届く夕陽はやや鈍くも、周囲を仄かな茜に染めている。
そんなどこか濁ったような夕焼けの中、かつてはふたりで並んで歩いた道を、今は幼い影に導かれながら、ゆるゆると歩き続けて──。
やがて鈍い斜陽に照らされてきらめく大きな池の畔にたどりついたところで、灰色の少女の幻影は雨粒に溶けるようにしてかき消えてしまった。
予想通り、ここは七年前のあの日、
視線の先には、だから、予想した通りの相手が待っていた。
雨粒に揺れる水面の中央、あの日の〝魔法使い〟に同じくたたずんでいる影。
夏輝は少し困ったように首をかしげて微笑んだ。
「そうしていると、本当に水面に立っているように見えます」
七年前のあの日、初めて会った時の羽瀬川弓彦もそうだった。
実際には水面に立っているわけではない。単純な仕組みだ。この池には、ああして立てる場所が点在しているだけなのだ。
この池の上には昔、木製の桟橋が縦横に渡されていたのだという。
十五年ほど前、劣化により橋板が撤去され、新しい橋板が架けられることなく放置されてしまった。
陽射しが強い時や、水が濁っている時にはわかりにくいが、この池には水面下数センチの深さに、橋の支柱が等間隔で残っている。だから、その支柱の上に立つと、まるで水面にたたずんでいるように見えてしまう。
タネがわかった時には、驚くやら落胆するやらで、弓彦に食ってかかったものだったが…………今では、それも遠い思い出だ。
夏輝と、弓彦と、そして──。
「本当に、子供だましですよね。……あなたも、そう思うでしょう?」
静かな問いかけに、水面にたたずむ影は、同じく静かに首肯を返した。
紅い人影。
暗く沈んだ夕焼けの中、真紅のレインコートをまとった、小柄な影。
「久しぶりですね逢理」
夏輝が呼びかければ、そいつはキュッと口許を半月型に釣り上げて、目深にかぶっていたフードをゆるりとめくった。
肩まで流した淡い茶色の髪が、霧雨の中で揺れる。大きな黒い瞳は、三カ月前と同じく儚げな光に潤んで──。
その喉もとには、ひしゃげた蝶のごとき痛々しくも無惨な傷痕が刻まれている。
三カ月前のあの日、自ら命を断とうと刃を突き立てた、自殺未遂の傷痕。
彼女は、小さなペンライトのごとき機械を、その傷痕に押しつけた。
『……久シブリダネ、夏輝……』
嗄れて濁った声音が、拡声装置に補強されて流れ響く。
鉄骨落下の被害者が留守電メッセージに受けた声とは違う。偽の告発メッセージに使われた声は、左近が機械で変声加工したもの。
この伊佐良木逢理の声は、潰れた声帯を補うがゆえの濁りである。
だから、あのスキンヘッドの生存者は、自身が廃工場で聞いた声と、取り調べで聞かされた録音声とに違和感を感じて、しきりに首をかしげていたのだ。
そんなのは当の昔に推測し、思い至っていたこと。
思い至っていたけれど、間違いだと願い続けてきたこと。
恐れつつも予期していた犯人像。
三カ月前のあの一件以来、ずっと会っていなかった彼女。
大切な親友である彼女を自殺未遂に追い込んでしまった夏輝は、もう親友ではいられないと嘆いた。どの面を下げて会えるものかと自責に潰れていた。
そうして、夏輝は異能を否定してずっと引きこもっていたのだ。
だが、一連の事件の内容を知り、犯人が〝魔法使い〟を名乗っていることを知ってから、もしやと思っていた。
犯人は、かつてともに〝魔法使い〟に出会い、同じく異能は才能であると諭された少女なのではないかと──。
夏輝と同じく異能を持って生まれた逢理。
いつも一緒にいたふたりは、七年前のあの日も、この場所で、ともに魔法使いのルールと異能の在り方を説かれた。
過去を読む夏輝は、それを活かし、みんなを助けようと志した。
未来を読む逢理は、その異能を扱いきれぬと自粛し、パンドラの封を閉じるかのごとく、意識の奥底に封印した。
未来を読む異能者と聞き、夏輝が真っ先に連想したのは彼女のこと。
それでも、彼女ではないと信じていた。
だって、あの鉄骨落下の現場には、支柱を殴りつけて被害者の気をそらした痕跡があったから──。
犯人が逢理なら、その小細工はあり得ない。最善のタイミングに、運命的に巻き込んでしまえばそれでいいのだ。わざわざ注意を惹きつけて不意打ちの成功率を上げるのは蛇足でしかない。
だから、犯人は別人なのだと信じていた。
けれどもあの一件のみ、告発状が文章ではなく音声だったのが気がかりだった。もしかしたらあの鉄骨落下の件のみ、別件なのではないのか?
結局、恐れていた通り、あの一件は左近の模倣犯であったようだ。それ以外の、もとより発生していた告発状事件は全て──。
「……あなたが、犯人なんですね」
未来共鳴の異能者。
〝魔法使い〟を名乗り、告発状を送っていた真犯人。
そして、九条菜那静や加々見松雪が、その関与を疑い追っていた相手。
微笑のままに告げた夏輝の指摘に、逢理もまた微笑んで肯定する。
『……ソウ、トックニ気ヅイテタンダ……』
濁った笑声をこぼしながら、彼女は軽やかに水面を蹴り、桟橋の名残を渡ってこちらに近づいてくる。
『……フフフ、ヤッパリ夏輝ハスゴイネ。ワタシニハ、トテモ真似デキナイヨ……』
それはかつてと同じ賞賛。
逆算の異能で謎を暴く夏輝に対し、いく度となく向けられた羨望の讃辞。だが、今では痛烈な皮肉となって夏輝の後悔を疼かせる。
「……わたしは、何もスゴいことなんてありません」
そうハッキリと否定を返す。
だってそうだろう。
異能を受け入れたばかりに、夏輝は大切な親友を追い詰め、傷つけてしまった。
ならば結局、正しかったのは異能を封じた逢理の方だったのだ。
しかし、逢理は穏やかに否定を返す。
『……正シカッタノハ夏輝ダヨ。持ッテ生マレタ才能ハ、アナタノヨウニ、チャント活カスベキダッタンダ……』。
逢理は言う。
未来を知ることを恐れるよりも、かつて夏輝が言った通り、未来を知ることで抗う術にするべきだったのだと。
『……ワタシガコノ未来共鳴ヲ恐レズ行使シテイレバ、三ヶ月前ノ不幸モ未然ニ防ゲタンダヨ。イイエ、ソモソモ、オ父サンガ過チヲ犯スコトモ回避デキタハズナノ……』
そうすれば、大切な親友を苦しめることもなかった。
『……ソシテ、弓彦ノ失敗ダッテ、防グコトガデキテイタハズ……』
そうすれば、今でもみんな、一緒にいられたに違いないのだ。
全ての不幸も災難も、未然に回避できるのが未来共鳴なのだから。
だから、この才能は封じるべきではなかったのだと逢理は言う。
それは……あるいはその通りなのかもしれない。
最善の未来を選択し続ければ、全ての不幸は防がれていたのかもしれない。
……だが、今の逢理がしていることはどうなのか?
夏輝は努めて冷徹に、問い質す。
「あなたは、なぜ、こんなことを?」
『……フフ、言ッタジャナイ。正シイノハ夏輝ダッタッテ。ダカラ、私モソウナリタイト思ッタノ……』
逢理は言う。自分もまた夏輝のように、能力を活かして誰かを助けたいのだと。
そのために一連の事件を起こしたのだと。
未来の罪を告知し、悔い改めるならよし。それでも罪を犯す未来が変わらないなら、元より起こるべき不幸に巻き込むことで淘汰する。
もっとも、悔い改めるか否かも含めて読み取った上で、未来共鳴は進行しているわけだが──。
『……アノ解体魔君モネ。夏輝ニ出会ッタコトデ救ワレタ。彼ハネ、コノママナラ解体ノ能力ヲ暴走サセテ、取リ返シノツカナイ破壊事故ヲ起コスハズダッタ。デモ、モウソンナ悲シイ未来ハ変ワッタノ。私ガ読ミ取リ、共鳴シタ最善ノ未来ニネ……』
逢理が望み、逢理が選んだ、最善の未来。
それは何て正しく、絶対的で、そして傲慢な理念だろう。
「……あなたは、神様にでもなるつもりですか?」
努めて静かに投げかけた問いに、すぐ眼前に降り立った逢理は、否定を返す。
神などと、そんな大仰なだけの概念に興味はない。
『……私モネ、〝魔法使イ〟ニナリタインダヨ、夏輝……』
そう言って、逢理は照れくさそうに、何より誇らしそうに微笑んだ。
かつて夏輝が羽瀬川弓彦に憧れたように――。
逢理は、朝凪夏輝に憧れたのだ。
様々な事件を解き明かし、悪を懲らしめ続けた夏輝のように、異能を才能と受け入れてみんなを助ける〝正義の魔法使い〟になりたいのだと逢理は笑う。
夏輝は、ゆるりと頭を振り返した。
「……逢理、あなたは〝魔法使い〟ではありません」
静かに、これまで紡いだどの言葉よりも静かに、夏輝は否定する。
「あなたは〝魔法使い〟ではない。なぜなら、〝魔法使い〟は魔法で誰かを傷つけてはいけないのですから」
かつて弓彦に教えられたこと。
そして、今もなお弓彦自身が示し続けている、魔法使いのルール。
夏輝の宣告に、逢理は悲しげに目を細めると、
『……ソウ……デモ、ダッタラ夏輝モ、モウ〝魔法使イ〟ジャナクナッテシマウヨネ……』
同じく静かに、抑揚のない声で告知する。
『……夏輝……私ハ、今日、コレカラアナタガ犯ス殺人ヲ赦サナイ……』
逢理は知っている。
夏輝が今日、この時、この場所にきた理由を知っている。
かつての親友を止めにきたのだと、知っている。
例え命を傷つけてでも逢理を止めようとしていることを、その未来を知っている。
伊佐良木逢理の正義は、朝凪夏輝の正義とは相容れないのだと、思い知っている。
逢理の意識は―――運命は、今、この時から連なるあらゆる未来と共鳴しているのだから。
それを承知していて、それでもなお逢理がこの場に現れたのは、それを避け得る未来の道筋を、彼女の未来共鳴がすでに読み込んでいるからだ。
逢理は、レインコートの懐に手を差し入れる。そこから取り出したのは小振りな、それでも充分に鋭い登山用のナイフ。
その鋭利な刃を携えつつ、ゆっくりと、深い謝罪を告げる。
『……ゴメンネ、夏輝。コレガ、私ガ共鳴シタ最善ノ未来……』
今、この時までに続き、この時から続くあらゆる可能性の中で、もっとも多くの者が幸福になれる──救われる──最善の未来。
夏輝を、逢理の手で返り討つ。これが最上の未来なのだと──。
そう告げながらも、だが、逢理は内心ですぐに撤回した。
(……違う。未来の可能性が、わたしの未来共鳴が、そんなに狭量なわけがない……)
逢理の能力がこの未来を最善と選んだのは、この道筋こそが、逢理と夏輝の関係が最も近しいままでたどれる未来だからだ。
決別するでなく、憎み合うでなく、あくまで互いを想い合うままに、自身の信条を守る道筋。
ただ、全ての未来を知り得る逢理には、ひとつだけ不動の確信がある。
過去をたどる夏輝の異能では、未来をたどる逢理には対抗できない。
逢理には、ここで互いが出会い、覚悟し、この手にした刃によって夏輝が死にいたる最後までが、その先に続く未来までもが、すでにして共鳴できているのだ。
ここから行き着く未来に、夏輝が生き残る道筋だけはどこにもない。
その真実を、逢理は確信している。
『……サヨウナラ、夏輝……』
別れの言葉は、ことさら無感動に紡ぐ。
そうしなければ、込み上げる感情が溢れてこぼれ出てしまいそうだったから──。
逢理は夏輝の抵抗が及ばぬよう、防ぐことが叶わぬよう、そして、何よりも苦しまずに済むように、必ず刃が心臓を貫く軌道を……追従する。
どのように動けばそれが叶うのか、予め読み取った未来の通りに踏み込んだ。
それはすでにたどることが確定している未来。
当たることを了解している必殺必中の軌跡。
……で、あるはずだった。
必ず当たるはずだった軌道。なのに、夏輝の回避の動きをも読み取った上で放たれたはずの刃が、むなしく空を裂いていた。
『……ッ……!?』
驚愕は、疑念とせめぎ合いながら呻きを彩る。
手応えのない違和感を理解できぬまま、
(……どうして……左に避けているの……!?)
逢理の中にわき上がる疑念。
共鳴した未来では、夏輝は右に避けているはずだったのに。そうなるように──否、そうなるのだと全てを折り合わせて動いたのに!?
夏輝は、逢理の左側に立って、彼女を見つめている。
そしてその事実を──夏輝が左に避ける事実を、逢理の未来共鳴もまた認知している。右に避けるという予測の記憶が、左に避けたという内容に変化していた。
それは、まるで読んでいた未来が書き換えられたかのように──。
逢理は素早く構え直し、再度、刃を振り放つ。
無論、未来共鳴を用いた上での一撃。
この後──。
夏輝は軽く左に身をひねりながら、ナイフを両手で取り上げようとしてくる。だからそこを斜め上に刃を振り抜いて、喉笛を裂いて絶命させる。
その未来に確かに共鳴しつつ、その軌道を追従した逢理。
……しかし、未来は再びくつがえった。
夏輝は大きく身を伏せて、振り放たれた斬撃をやり過ごすと、逢理の腕をつかんで内側にひねり込む。合気道で言う小手返しの要領で、そのまま逢理を引き倒した。
(……どうして……!?)
仰向けに倒れ込んだ逢理は、降り注ぐ雨粒を見上げながら疑念に喘ぐ。
未来を読み、動き出したその直後に、共鳴した未来が変わっていく。
今もなお脳裡に展開する未来の可能性、逢理はその中から最善を選び取り抵抗しているのに、その動作も難なく取り押さえられてしまう。
まるで夏輝には、逢理がどう動くのかがわかっているかのように、逆に未来を読み返してでもいるかのように、的確な動作で彼女を組み伏せた。
確かに逢理が勝利するはずだった未来。
その未来が、まさに後から書き換えられているかのように、夏輝が勝利する未来へとくつがえっていた。
「……どうして? あなたには、過去しか読めないはずなのに……」
うろたえる逢理。
拡声装置を取り落とし、素のままの弱々しく嗄れた疑念に、上から組み伏せる夏輝は、ゆるりと肯定を返す。
「あなたの言う通りです。わたしには、過去しか読み取れない」
逆算は過去しかたどれない。
だが、逢理が共鳴した時点で、未来は過去になる。
逢理は未来を読み取った後に、その認識のもとに動いているのだから、そこには──これからたどる未来の痕跡が刻まれている。
逢理の異能が確定した未来を予知するのならば、くつがえせなかっただろう。
だが、逢理の未来共鳴は可能性からの選出であり、読み取る時点で最善の未来を、読み取ったままに真っ直ぐたどるだけ。
夏輝に未来は読めない。
ただ、逢理が読んだ未来に感応しただけだ。
逢理にその〝くつがえされる未来〟が読めないのは、共鳴して読み込む時点では、まだ未来にそんな事実はないからだ。
逢理が未来と共鳴し終えたからこそ、そこに刻まれる共鳴の痕跡。
〝―――未来でありながら、認識した時点で過去となる―――〟
弓彦が〝因果の逆回転〟と称した現象。
時間軸を意識で捉えるがゆえの矛盾。
だから逢理には、認識した未来が書き換えられ改竄されていくように感じられる。
逢理が自分自身の思考で可能性を計っていたなら、予測できただろう事態。頭で考えていればたどり着けた状況。だが、未来共鳴に身を任せて思考を放棄していた彼女には、まさに思いもよらなかった結末。
未来共鳴で存在感応に挑むなら、姿を見せてはいけなかったのだ。
対峙することなく、起こるべき未来の不幸に巻き込むか、もっと単純に、毒殺でも何でも良かったのだ。
未来と共鳴した逢理本人が眼前に現れなければ、そこに刻まれた共鳴という痕跡を読み取ることはできなかっただろう。もっとも、自動的である未来共鳴では、選択の余地がそもそもあり得なかったのだが……。
面と向かってしまった今はもう、逢理は夏輝に敵わない。
夏輝はもぎとった刃物を放り捨てると、そのまま、組み伏せた逢理の頸部に両手を添えた。
「……だから……わたしも……あなたも……、余計なものを読み取らなければ、こんなことにはならなかったんです……」
大切な親友を互いにその手にかけようなどと──!
そんな現実が可笑しくて、こんな結末が悲しくて、夏輝は泣き笑いながら、再び失われていく親友を見つめて告げる。
逢理の喉もとに刻まれた傷痕。
三ヶ月前に夏輝が犯した過ちを思い知らせる痕跡。
その痕跡を、そこからたどれる過去を、あえて逆算し読み取りながら、夏輝は、首を絞める両手に力を込めた。
「……ああ、本当に……」
閉ざされる呼吸。薄れる意識。
逢理もまた微笑を浮かべて夏輝を見上げつつ、観念のまま、迫る死の気配にゆるりと双眸を閉じた。
※
あれはいつのことだったか──?
遠い過去、遠い記憶。
きっと実際に経過した時間はそれほどではなく、それでも、今となっては霞むほどに遠ざかってしまった、幼き日の約束。
もしも願いが叶うなら、何を願うのか?
そう問いかけた彼女に、ポニーテールの少女は少しだけ照れくさそうにうつむいて──。
それから誇らしげに顔を上げると、まぶしい憧憬を込めて答えた。
〝……わたしは、みんなを守れる〝魔法使い〟になりたいです……〟
みんなを助ける羽瀬川弓彦のように。
異能を受け入れて、大切な友達を守る〝魔法使い〟になりたいのだと、少女は笑った。
彼女はそんな少女のことが大好きで、そんな少女にこそ憧れて、
だから、彼女は思ったのだ。
もしも願いが叶うなら、この少女と、すっと友達でいたい──と。
それは何でもないことのようで、けれど、とても難しかった。
だってあのポニーテールの少女はあまりにもまぶしかったから。
その名の通りに、輝きをまといながら駆けていく、未来を祝福された人だったから。
だから彼女は、その後をついていくので精一杯で、置いていかれないように追いすがるので一生懸命で、いつの間にか、色々なものを見失ってしまっていたのだ。
(……夏輝が、私を置いていってしまうわけがなかったのに……)
愚かに自分を追い詰めた彼女は、その愚かさのままに、自らの手で大切なものを壊してしまった。
ああ、だから、今一度、もう一度だけ叶うのならば──。
(……夏輝……私は、あなたに………………)
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