9章 わたしが魔法使いであるために

わたしが魔法使いであるために(1)


 天鈴学院の玄関ホール。

 待合用のソファーに寝転がっていた加々見松雪は、外から響いてきた車のエンジン音に、ゆっくりと身を起こした。


「おっ届けものでーす♪」


 元気な挨拶とともに駆け込んできた黒服の少女は、担いでいた荷物を勢い良く放り出す。

 出迎えた松雪の足元にドスンと転がされたそれは、毛布でグルグルにくるまれた有栖川黎斗。御丁寧に猿ぐつわまで噛まされていた。


「抵抗されるとメンドイので、念入りに巻いときました」


 得意げな笑顔でビシッと敬礼する紫堂紫に、松雪もまた笑顔で労う。


「やあ、御苦労だったね」

「はい♪ それでは、大奥様への報告とか諸々の後始末がありますので、早々に失礼します!」


 紫は一礼して踵を返すと、きた時と同様、勢い良く外へ飛び出していった。


「やれやれ、相変わらず元気なお嬢さんだ。そして、おかえり解体魔君」


 にこやかに見下ろす松雪に、身動きできない黎斗は、せめて眼光に全力の抗議を込めて睨み上げた。

 松雪が苦笑いながら拘束を解いてやれば、黎斗は呼吸も荒々しくダッフルコートを脱ぎ捨てる。大量の工具を仕込んだそれは、衣服にあるまじき重さで床を叩いた。


「暑ッチィんだよ! あの怪力女!」


 汗だくの髪をかき上げて叫ぶ黎斗。


「ふむ、さしもの特製コートも、この時期に毛布でくるまれてはやはり暑いか」


 松雪は得心げに頷きながら、放り投げられたダッフルコートを検める。

 工具を収める大量のホルスターが編み込まれたこのコートは、見た目に反してかなり薄手で通気性も高い。さらには、要所に保冷剤も仕込まれているのだが、すでに肝心の薬剤が溶けて効力を失っていた。


「ともかく、お役目御苦労だった。後で金一封を進呈しよう」

「ふん、別に礼が欲しくて動いてたわけじゃねえ」

「そうだったね。キミはキミの都合で動いていたのを、こちらが利用したに過ぎない。それに、キミはまた好き勝手に解体していたからね、後始末の費用で差し引きマイナスだ。ところで……」


 皮肉げな台詞も声音だけは相変わらず朗々と、松雪はソファーの背もたれに腰掛けて、微笑のままに告げる。


「左近勇馬が死んだそうだ」

「は?」

「だから、あの〝なんちゃって魔法使い〟の青年が死んだそうだよ。護送中に車輌が事故を起こしたらしい。同乗していた刑事たちは軽傷で済んだが、彼だけは車体に潰されて即死だったようだ」


「………………そうか」


 黎斗はどこか拍子抜けした様子で首肯する。

 実際、終わってみれば何ともあっけないものである。

 未来を読み取る異能の犯罪者―――そいつが引き起こす事件―――そして、自らもその殺意に狙われて、いかにして対抗するかと奔走した黎斗だったが──。


 結局、犯人はそれを装っただけの普通の人間で、しかも、少なからず親交のある相手だった。


 短期間に色々なことがあり過ぎたためだろうか、ここしばらくのことはどこか現実味が薄く、それでいて確かな実感を伴ってもいて、何とも不思議な心持ちである。

 意識してゆっくりと深呼吸をしてみれば、空気が肺に染み渡る感覚が心地良い。


「そういえばさ……」


 ふと、黎斗は思い出して問いかける。


「前におたくが言ってた、って何だ?」


 途端、松雪は笑みを曇らせた。

 彼にしては珍しいことに、否、あるいは初めてかもしれないほど、その表情を明確な不快にしかめる。

 ためらうような沈黙を数秒──。

 やがて、松雪は心の底から面倒そうに口を開いた。


「……有栖川君、私の信条がこの世に魔法や超能力などの、いわゆる〝異能力〟というものは存在しないということなのは知っているね? だが、それは正確な表現ではないのだよ」

「…………」

「私の信条をより正確に現すと、こうなる。私は……この世に異能力など存在しない方が良いと信じている……とね」

「……? 何だよ急に……」

「いいから聞きたまえ。重要なことだ」


 表情はしかめたまま、しかして、その内心はこの上もなく真剣に、松雪は語る。


「私は医者であり、医者は科学者だ。が、私は科学者である前に医者なのだ。多くの医師たちが病魔から人々を救いたいと望むように、私は医者として、異能に苦しむ患者たちを救いたくて研究を続けている」


 それが加々見松雪の〝医の信条〟なのだという。


「皆が異能と呼んで忌避するものの原理を究明し、制御することで、その機能に患者が翻弄され苦しむことがないように。また、周囲が不審と不安から遠ざかることがないように……そのために、私は全ての〝異能〟を否定する」


 人々が、社会が、無理解と不可解から〝異形である〟として弾き出すものを、解明し、理解できる形に整えることで共存の架け橋とする。


 かつて黒死病ペストが死神の鎌と恐れられ、壊血病が海魔の呪いと畏れられたように──。

 生まれつきの細胞異常や、特異体質、奇病の類が、異能力などという虚ろなブラックボックスに追いやられて差別的に淘汰されていくことが、加々見松雪には赦せない。


「だから私は、異能を病として研究している。私にとって〝それは異能力だ〟と認めることは〝救えない〟と諦めることに他ならず。だからこそ、私はあえて断言するのだ。この世には、異能力など存在しない」


 だが──。


「そんな私が、未だ〝異能力ではない〟と立証できない症例が、この街には三例……存在する」


〝重力制圧〟


〝存在感応〟


〝未来共鳴〟


 指折り上げられた大仰な呼称に、黎斗は「何だよその厨クサイ名前……」と、口の端を歪める。


「私がつけたわけではないし、そういう名前なのだから仕方ないだろう。ともかく、三つ目の未来共鳴こそ、私が例外と示した症状……ある意味、未来予測の究極形とも言えるものだよ」


 松雪はしかめた表情をさらに苦そうに歪めて、その例外たる未来共鳴について語り出した。


 未来共鳴。

 それは文字通り、未来に共鳴する能力。


 未来予測のおりにも語られた通り、過去がすでに確定しているのと違い、未来はこれから起こることであり、未定であるがゆえに変動する。

 そこには様々な可能性があり、たとえば突然危機に見舞われる未来もあれば、その危機によって死ぬ未来も、運良く回避する未来も有り得るだろう。


「それこそ、電車で立ち位置が半歩ずれただけで、生死を分けることもある」


 そんなパラレル的に広がる多種多様な未来の可能性の中から、自分にとって最善の未来を自動的に選出し読み取って共鳴していくのが、この未来共鳴なのだという。

 何をどうすればどうなるのかを知るだけではなく、その最善の行動と事実を自動的に選び取って行動していく──。

 それは未来の予知や予測ではなく、むしろ案内ナビと呼ぶ方が的確であろう。

 現状から起こり得ることを常に自動でナビゲートし、自動で追従してくれる機能。


「……それってさ、パズルで言えば、完成までの手順を事前に読み取って、自動で完成させるってことか?」

「そういうことだ。しかも、単なる最短最速の手順ではなく、最善にして最適なる手順が選ばれるのだ。そのパズルの例で言えば、最速最短以外のパターンも全て読み取った上で、自分にとって利となるパターンが選ばれるのさ。仮にならば、のさ」


 あらゆる未来の可能性を事前確認した上で、最善のものを自動的に選び取る。

 そして、選んだなら、選んだ通りに自動的に強制的に未来は進行する。


 たとえば分かれ道で──。

 右に曲がるという未来に共鳴したのなら、トラブルや間違いなどで右を選び損ねることも起こらない。右を選ぶ未来を進んでいるのだから、必ず右に進むのだ。


「なぜなら、仮に誰かが右に曲がることを予測して阻もうとしても、未来共鳴者はその妨害すらもすでに読み取っていて、その上で右に曲がれる未来を動いているのだ。なのだからね。結果的に、誰にも未来共鳴を阻むことはできない」


 未来共鳴者は、それこそ嵐のように飛び交う銃弾の中ですら、自身が傷つかず、相手が倒れるような最善の挙動と所作を自動的に読み切って動くことができるだろう。

 正確には、能力によって最善の可能性を自動追従するわけだが、いずれにしても、その作用は驚異を通り越して奇跡だ。


 言うなれば、自身の行動成功率を百パーセントにする力。


 まさに運命を味方につける反則能力チートスキル


 唯一の弱点は、未来予測と同様に可能性の袋小路。

 選び取る選択肢が全て凶の状態だけはどうにもならない。

 だが、この未来共鳴は、可能性の袋小路に陥ること自体があり得ないだろう。直後だの、数日後だのという近未来ではなく、遥か未来までのあらゆる可能性の中から選りすぐった最善の道筋をいくのだから。


「まさに無敵だ。さしづめ、それはこの世に存在しないはずの〝ラプラスの魔〟を、パンドラの壺の底から引きずり出してきたかのごとくだね」

「パンドラの壺? 箱じゃなくてか?」

「本来は壺だそうだよ。パンドラが開けてしまったが、〝未来がわかる不幸〟だけはどうにか閉じ込めたままにできたという災厄の封印。私は門外漢だから、詳しくは解説できないがね。

 何にせよこの未来共鳴者は、不確定性原理が否定したはずの〝確定的な未来〟を算出する者だ。百パーセントの予測を成し得る存在…………特異点などという概念で示すのは医師として無責任に過ぎるが、現状はそうとしか言いようのない症例だ」


 やがて起こる災厄ならば、起こる前に運命的に駆逐する。

 それこそ地球規模の天災でも起きない限り、この未来共鳴が回避できない危機はあり得ない。あるいは、可能性さえわずかにでもあるのなら、その天災ですらも阻止し得るかもしれない。


「そんなチートな異能、どうやったら対抗できるんだ?」


 黎斗があきれもあらわに問い質せば、松雪はキッパリと頭を振る。


「対抗も何も、発動された時点でもうどうしようもないよ。敵に回したら終わりだ」


 溜め息も深く、そう結ぶ。

 何とも別次元な話に現実感を欠いたまま、黎斗は短くなった金髪を手櫛でかき回す。


「ま、そんなのが犯人じゃなくて良かったよ」


 ぼやくように吐き捨てて、そして、ふと思い立つ。


「そういや、この街に三例……って言ったよな」


 黎斗の問いに、松雪は澄まし顔で首をかしげた。


「さて、そんなことを言ったかな?」

「言っただろ」

「まあ、言ったとしようか。確かにこの街にいるらしいしね。だが、私は未来共鳴者に直接会ったことはないよ。データで知っているだけだ。もしかしたら、データ自体が捏造や誤りの可能性もある」


 その言動は、あるいは捏造や誤りであってほしいと願うように──。


「何だよ、曖昧だな。残りの二例はどうなんだ? 名前からいくと、重力制圧ってのはあの魔法使いの兄ちゃんか」

「そうだね、ホンモノの方だ」

「じゃあ、存在感応ってのは……」


 考えて……そして、考えついて黙した黎斗に、松雪はゆるりを首肯を返して苦笑う。


 存在感応。


 者。


「ぶっちゃけた話だが……」


 と、松雪は溜め息も深く肩をすくめる。


「近年、サイバネティクスの研究成果により、視覚が網膜に映したそのままの映像……つまりは脳が補整する前の映像が再現された。だが、それは驚くことに、ピントのズレた写真のようにボヤけて不鮮明なものでしかなかったのだよ。……つまり、我々が見ている視覚情報というのは、脳が補正しているからこそ形になっているのであり、肉体の知覚能力自体はまったくもって頼りないものでしかない…………かもしれないのだ」


 人間の五感は本来優れていて、得る情報量は膨大にして微細である──と、その前提があるからこそ、知覚逆算という理論は成り立つ。

 五感から得る情報が、脳の補正なしには理解不能なほど不鮮明なのだとしたら、知覚逆算者は──朝凪夏輝はいかにして過去を読み取っているというのか?


 そもそもがだ──と、松雪は苦そうに頬を引き攣らせる。


「その場の痕跡から得た知覚情報をもとに経過を組み上げるのなら、同じ理屈で未来も組み上げられるはずなのだよ。多様性の問題から、再現率や的中率は下がるにしても、読み取ることはできるはずだ。しかし、彼女には過去しか読み取れない。まして彼女は、時に痕跡などあり得ない状況にもかかわらず過去を読み取ってしまう」


 少なくとも、彼女の能力が、現在の科学調査ではを感受しているという可能性は高い。


「知覚認識の不具合による記憶障害じゃなかったのかよ」

「もちろん、症状としては知覚認識の不具合による記憶障害だ。少なくとも私はそう診ている。だが、今言った点については、現時点で確かな立証ができていないのだよ」


 キミの解体能力と同じだ──と、松雪は笑う。


「まあ、何にせよだ。能力の理屈はどうあれ、夏輝君は夏輝君だ。そうだろう?」


 いつものように朗々と問いかけてくる。


「どっちにしろオッカネー女だ。けど、確かに悪いヤツじゃない……」


 黎斗もまた笑って頷こうとして、だがその瞬間、蹴られた頸とか脛とか背腰とかの衝撃が走馬燈のごとく脳裡に駆け巡る。


「……いや、やっぱりアイツは悪いヤツだ」


 しかめっ面でそう訂正し、コートを引ったくって踵を返す。


「どこに行くのかね?」

「あ? そのオッカネー女のとこだよ。つーか、誰が大人しく学院に戻るかっての」


 ベーっと子供のように舌を出し、外へと駆け出す解体魔。

 松雪はそれを追うことはしないまま、やれやれと肩をすくめた。


「今度は鍵の解体などしないでくれたまえ。修理交換だって無料ではないのだ」


 警告と説教の意味でも、念押しに呼びかける。

 それは、純粋にただそれだけであり、それ以上でも以下でもなかったのだけれど──。

 ピタリと立ち止まった黎斗。

 不審と不可解に眉根を寄せて、松雪を見返した。


「……オレは、あの女の部屋の鍵を壊したことなんかないぞ」


 黎斗の反論に、松雪もまた怪訝そうに顔をしかめて──だが、すぐにいつもの澄まし顔に戻って頷いた。


「いや、こちらの勘違いだ。気にしないでくれたまえ」


 松雪の反応は形だけはさも自然で何気なく、だが、この流れなら誤魔化しであるのは歴然だった。


 ……そう、あの部屋の鍵は、黎斗が最初に訪れたあの時にすでに壊れていたのだ。


 鍵がちゃんとかかっていたなら、そもそも黎斗はあの二○一号室に踏み込みはしなかっただろう。鍵を壊してまで入るのは、確実に空き部屋だと外から判断できた時にするつもりだったのだから──。


 つまりは、が張り巡らせた予定調和の一端なのか?


 疑念は、すぐに様々な事象と噛み合い組み合わさって繋がっていく。

 告発状……予告殺人……未来予測……事故にしか見えぬ殺人……そもそも、とっくに松雪は明言していたのだ。


 未来共鳴者ならば、飛び交う銃弾の嵐の中ですら意のままに立ち回れるのだと。


「おたくらは、初めから全部わかってて……ッ!」


 込み上げた激情は、全てを吐き出す前に無理矢理に呑み込む。

 黎斗はそのまま松雪に詰め寄り、その懐から彼のスマートフォンを奪い取ると、一目散に外へと駆け出していった。


 事件は終わってなどいない。

 それがわかった今、有栖川黎斗がやるべきことは、ただひとつしかないのだ。


 雨の向こうに消えていく背中を見送りながら、松雪は独りごちる。


「そう、キミの役目は、ことの収束まで彼女のそばを離れぬことだ。全ては因果の歯車の回るがままに……我々には、それぐらいのことでしか足掻けないのだからね」

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