魔法使いの覚悟(5)
左近の身柄は、駆けつけた刑事たちに引き渡された。
観念したのか、あるいは満足したのか、取り押さえられて以降の左近は抵抗も軽口も一切ないままに、自らパトカーの中に乗り込んでいった。
椰子木刑事はビル内の惨状を見て溜め息を深く、恨めしさとあきれとを半々に夏輝を睨んだ。
「また、派手にやりやがったな……後日に呼び出すから、ちゃんと聴取に応じろよ。善意の第三者にも、責任と義務があるんだからな」
説教くさい皮肉はそこまでに、椰子木は左近を護送するパトカーに同乗して出発する。
すぐに出頭を要請しないところは、何だかんだで気づかってくれているのだろう。
夏輝はパトカーを見送りながら、やわらかに微笑む。
「ヤマキさんは、やっぱり根は優しい人ですね」
「そう思うんなら、いい加減に名前憶えてやれよ……」
あきれた溜め息は黎斗のもの。彼は後方に駐まった九条の車輌内で、紫と黒服のふたりがかりで火傷の手当てを受けているところだ。
「コラ! 冷やしてるんだから動くなアリスマン」
「ッ痛ぇな、頼んでねえだろ! いいから放っとけよ!」
「もう面倒ですから、裸にひんむいてクーラーボックスにブチ込みましょうか?」
いきなり笑顔で物騒な提案をする黒服に、黎斗は絶句する。
「飲み物や氷の備えのために、この車のクーラーボックスってちょっとした冷蔵庫並みなんですよ」
「いや、いきなりの黒い発言にビビってるだけだ」
そういうキャラだったの? ──と、怯む黎斗。
「にゃはは、
笑いながら氷嚢を押しつけてくる紫。その表情はちょっとヤケクソっぽいので、お仕置きされてるのは本当なのだろう。
そんな車内の騒ぎを後目に、夏輝はひとり、建設現場の喧騒に臨む。
現場検証──というより、主に後始末に奔走する警官たち。野次馬は見当たらない。どうやらかなり広範囲に封鎖しているようだ。
まあ、それも無理からぬ処置だろう。
今後この事件が公的にどのような扱いになるのかはわからないが、多分に表沙汰にできぬ要素を孕んでいるのは事実。
夏輝は、テープで仕切られた入り口ゲートに歩み寄る。
テープをくぐって現場に踏み込もうというのではない。もう、ここには夏輝が為すべき何もありはしない。
夏輝の目的は、ゲートの脇に放置された金属塊。
ゲートの錠前。到着時に黎斗が解体したダイヤル式の南京錠である。
「……解体魔……」
呟きは、思わずこぼれたもの。
それと意識して逆算してみれば、その異常は歴然だった。
部品は流れるように澱みなくバラバラになっているのに、それらに工具が触れた回数が明らかに少な過ぎる。
そもそも今回の重機然り、それ以前にあのバイクの時だってそうだったのだ。いくら技術と特殊工具を駆使したからとはいえ、物理的に考察すれば、あの解体速度はあまりにも速すぎる。
逆算によって、部品がバラけていく痕跡を克明に読み取った夏輝は、それを感じたままに受け取り、純粋な解体作業として受け入れて了解してしまったのだ。
「……あの太い鑑識員の言う通りですね」
痕跡を読み取っているだけで、洞察することをしていない。
本当に、夏輝はまるで成長していないではないか──。
「おい、何やってんだよ、風邪ひくぞ」
呼びかけに振り向けば解体魔の姿。
長かった髪は、今は肩の辺りまでに切り詰められている。それを少し痛ましげに見つめながら、夏輝は浅い吐息をこぼした。
「あなたには、謝らなければいけませんね……」
「何が? ……ああ、もしかしてこの髪か? これは別に……」
「いえ、髪もですが……まず謝るべきは、もっと根本的なことです。物体の構造を見抜く〝魔眼〟……あなたは、嘘なんてついていなかった」
「…………」
静かに頭を下げる夏輝に、だが、黎斗は何ともバツが悪そうに目線をそらす。
「ホントは……オレにも良くわかんねんだ」
溜め息まじりに、そう続けた。
「ミケランジェロとかいう偉そうな芸術家が、偉そうに言ったことがあるんだと……彫刻本来の姿は、彫る前から石そのものに宿っている。自分はそれを見て、その形に削り出しているだけだ……ってな。
他にも、アインシュタインは子供の頃、数学の問題を見ると、答えが先に思い浮かんでしまって、それを求める計算式が他人に説明できずに困ったんだってさ。
あとは……伊藤なんたらって剣の達人が、真剣勝負の中、自分の斬り込む太刀筋が、光の軌跡で視界に見えた……なんてのもあるんだってよ」
それらの多くは思い込みであり、極限の集中力や、卓越した感性の発露が、意識と現実との境界をぬり潰して起こる錯覚である。
いわゆる〝観の目〟と称される感覚。
黎斗の〝魔眼〟とは、要はそういう類のものであり、感覚的に物体の構成的弱点――重心の負荷が集中している点や、バランスを司る支点を見抜き、的確な衝撃を与えることで、最小の力で最大の結果を生み出しているのだという。
……少なくとも、科学的にはそう解釈されている。
「ほとんどは、おたくが見抜いた通り。基本構造や解体技術を知識として学んで、この手で解体してる」
でもな──と、黎斗は声音と双眸を細めた。
「そうと集中して視ると、観えるんだ。そこに絡みついている〝黒い鎖〟みたいな何かが──。まるでそれを固め拘束する戒めだとでも言わんばかりの、真っ黒い縛鎖……それが観えて、感じ取れる。その鎖を断ち切ったり引き千切るとさ、それこそ戒めを解かれたように、たちまちバラバラになっちまうんだよ。……だからさ、オレが観てるのはきっと物体の構造でも欠陥でもなく、それを束縛している〝枷〟なんだろうな」
それが超常の作用であるのかは定かではない。
結局は、研ぎ澄まされた感覚と技術がもたらす常識外の早業であるのかもしれない。それこそ、厳密なところは科学的に測定し考察した上でも結論は出ていない。
ただ、黎斗が様々なものを高速解体しているのは事実であり、その仕業が常識から逸脱して見えるのも事実。ならばそれは、世間にとっては魔法や超能力と変わりはしないのだろう。
普通という社会に相容れぬ異形の才。
菜那静が〝異能〟と示したもの。
解体魔こと有栖川黎斗は、何やら感慨深そうに、己の両の手を……その手首を見つめながら、ポツリと切り出した。
「……前からさ、おたくに言おうと思ってたことがあるんだ……」
いかにも何気ない風を装っているのが丸わかりな、不器用な笑顔。
「おたくを見てると、時々……観えるんだよ。おたくの身体に重そうに絡みついてる〝黒い鎖〟が……」
まるで朝凪夏輝を絡め封じる縛鎖のように、彼女の全身に絡みついている黒い影。物体を戒め固める拘束の縛鎖と同じもの。
黎斗の言葉に、夏輝は「ああ……」と、何だか得心したように、小さく微笑みをかしげた。
(……それはきっと、わたしが自分でつけた枷だから……)
静かに胸裡にこぼした囁きは、深く心の底に沈み込むように──。
振り返れば通りの先、降りしきる雨の流線の向こうから、レインコートの少女が恨めしげに夏輝を睨みつけていた。
※
護送するパトカーの中は重苦しい沈黙に満ちていた。
左近は己の腕に嵌められた手錠をジッと眺めていたが、やがて沈黙に耐えかねたかのように、両脇に座した刑事と、次いで運転席でハンドルを取る制服警官、そして最後に助手席に座した椰子木の仏頂面を見つめて、苦笑する。
「そういえば、令状って用意してないですよね?」
この短時間では、用意できるわけもない。
「ま、現行犯に令状も何もないかな」
我ながら、この期に及んで良くも平然と軽口を叩けるものだとあきれながら──。
そんな左近に、椰子木は振り返らぬまま静かに告げる。
「明日にも、
抑揚のない声音は、努めて感情を殺したゆえだろうか?
あるいは、同僚の罪に少しは胸を痛めてくれているというなら、左近としては身にあまることである。
左近は、椰子木のことを嫌いではなかった。
今時珍しいほどの無頼な風貌と、それに反した内面の実直さは、犯罪怪人と名探偵の頭脳戦を彩る刑事役として、実に望ましい逸材だ。
まあ、それも全て今さらのことだな──と、左近は薄ら笑いながら独りごちる。
「……ようやく、理解できましたよ」
そう、ずっと疑問だった。どうして自分だけが、予告された罪を実行できた上で生き延びているのか?
ずっとわからなかったそれが、やっと理解できたのだ。
そう、そういうことなのだ。
だからこそ魔法使いは、左近の犯罪を見逃したのだ。
「多分、魔法使いにとっては、俺が殺したヤツも標的で、俺がこうして捕まることまでをふくめた裁きだったんだ。それが一番最善だから、そうなった」
ブツブツとふくみ笑う左近に、両脇の刑事が不審げな眼光を向ける。
突然、車体が大きく揺れた。
眼前の交差点、信号無視して飛び出してきた車輌を避けるため、運転していた警官が急ハンドルを切ったのだ。
たちまちバランスを崩した車輌。
上下の感覚が失せる。ブレーキ音とクラクションの多重奏の中で、激しい衝撃が、いく度も車体を打ちつける。
路面をそれて横転する車内。
皆が戦慄に染まる中で、左近だけは高らかに笑う。
「大丈夫ですよ皆さん! 大丈夫、死ぬのは罪を犯した俺だけだ!」
左近が六月二十四日に受けたメール。
〝――2016年7月1日の殺人を、〝魔法使い〟は赦さない――〟
そう、左近が起こした事件は、七月一日、あの鉄骨落下の一件のみ。
彼は元々起きていた告発状の事件に便乗した模倣犯であり、そして、彼自身も告発状を受け取った被害者であった。
しょせん左近はケチな小物──真犯人にはかなうべくもなかったのだ。
路脇に打ちつけられてようやく制止した車体。
無惨に逆さまになったそれから、椰子木らが何とか這い出してくる。だが、左近だけはひしゃげたシートに胴体を押し潰されていて──。
その死に顔は、おぞましいほどに安らかな笑みを浮かべていた。
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