魔法使いの覚悟(4)
左近勇馬の笑声が、高らかに響いている。
燃え上がる炎の海を睥睨し、感極まったそれはまさに哄笑。ここぞ我が一世一代の晴れ舞台であると、ポケットの中で握っていた遠隔装置を取り出して眼下の炎に放り捨てた。
仕掛けは、この火炎で終わりだった。
もっと入念に綿密に罠を張ろうとしていたが、予想以上に夏輝たちがここにくるのが早かったため、ここまでが限界だった。
しかし、それでも充分すぎるだろう。設置した手製の小型焼夷爆弾は八個。火炎はホール全体を充分以上に覆い尽くした。あの一瞬で、この火炎の量から逃れられるわけもない。
現実の炎は、映画のように障害物に遮られはしない。柱や重機の陰などに隠れようとも、火炎は洪水に同じく容易に伝い流れて隠れた全てを焼き払う。
唯一の望みとしては、まだ壁もない開けたホールであること。何とか屋外へ逃げきれたなら、外は雨だ。生存率は跳ね上がるだろう。
……が、それこそ机上の空論である。
あわや三階部に立つ足下にまで高く舞い上がった火炎の勢いに、左近自身も息を呑む。これだけの炎にあぶられながら屋外へなど……その途中で焼け死ぬのが道理。
「さあ、この火炎の海をどう切り抜けて、俺を捕まえてくれるのかな? 探偵少女……」
それは皮肉や挑発ではない、本気の期待。
左近はここで朝凪夏輝が無事に切り抜けて、自分を追い詰めてくることを真実期待している。それでこその名探偵。犯罪怪人のライバル足るに相応しい主役というものだ。だからこそ、左近も犯罪怪人として本気で罠を張ったのだ。
だが……やはり、腑抜けた今の彼女では役者不足だったのか──。
燃え種のない鉄筋造りのホールである。焼夷爆弾の燃料は早々に消費され、燃え上がった火炎が急速に衰えて消えていく。
見下ろす左近が、落胆の吐息をこぼしそうになった時だった。
「………………何?」
果たして、探偵少女が期待に応えてくれたのか? 炎が晴れたホール……そこには、誰の焼死体も転がってはいない。
否、それ以前の問題である。
一階フロアそのものが消えていた。
床を構成する数十枚のフロアパネル。それが丸ごと陥落し、地下フロアに落ち込んでいるのである。
「フロアの床をブチ抜いて……上昇風と高低差で火炎を逃れたのか」
予想以上に高く舞い上がった炎の意味はこれだったかと理解する。
四角いパネルが散乱するその中央には、身を伏せた夏輝と紫の姿。ふたりを守るように覆いかぶせられたコートは解体魔のもの。少しでも熱気を防ぐための処置だろうが、咄嗟に良くやったもの。
だが、問題なのは、どうやって床を破壊したのかだ。
紫の怪力? 否、フロアパネルに大きな破損は見当たらない。まるでパネルの一枚一枚が、その接続を解体されて自壊したかのごときあり様なのはいったい……!?
カン! と、耳障りに響いたのは金属を踏みつける音。
「オマエの仕業なのか? ……解体魔!」
思えば、初めて戦慄を込めてその名を呼びながら、左近は金属音の方を睨みつけた。
左近の立つ鉄骨梁の先、そこには同じく梁の上に立つ黎斗の姿。
口にくわえていた一本きりの工作ナイフを手に取り、左近を睨み返す。
石柱に突き立てられた無数の工具、それらを足場に上ってきたのか。あきれた身軽さだが、その姿は決して無事ではない。衣服は焼け焦げ、全身に軽くはない火傷を負い、長い金髪はその先端に今なお火が点いている。
黎斗は無言のまま、長髪の首元から先を切り詰めた。切り離された髪はホールに渦巻く風にあおられ、金色の流線を煌めかせて舞い散っていく。
「おい、答えろ! オマエがフロアを解体したのかと訊いてるんだ!!」
焦りの色濃い左近に、黎斗はどこまでもシレッとした態度のまま首肯した。
「今さら、なにを驚いてんだ? オレは解体魔だぜ」
物体の構造を見抜く異能で、何でも一瞬で解体する。
だからこその、解体〝魔〟――。
黎斗の冷静な宣言に、左近は心底わけがわからぬと頬を引き攣らせた。
「解体? 解体って、オマエ……あれは溶接ボルトと鉄筋芯材で床下から接合されていたんだぞ!? 溶けて一体化したボルトをどうやって抜いたって言うんだ! フロア全体を、あの一瞬で……!」
「技術と、知識と、経験の応用だよ。少なくとも、朝凪夏輝はそう逆算していたぜ。おたくらだって、今までずっとそう分析評価してくれてたろうが」
皮肉もたっぷりと言い放ち、黎斗は足下を……自身が立つ鉄骨梁を睨みつける。
見開かれた瞳の虹彩が輝いたように見えたのは錯覚であるはずだ。
屈み込んだ黎斗の手が、何かをつかみ上げた。何かはわからない。何も見えない。けれど、解体魔は何かをつかみ取り──。
それを斬り裂くかのように、手にした工作ナイフを一閃する。
見えない呪縛が砕け散る甲高い音が鳴り響いた。
それはきっと幻聴で、錯覚で、しかし、その後に続いた現象はまぎれもない現実だった。
黎斗の足下、鉄骨梁と外壁とを連結していた十二本のボルトが抜け落ちる。
それはボルト自らがそう望んで動いたかのように、あるいは、ボルトが接続部品としての束縛を解かれたかのように、何の抵抗も摩擦も感じさせず、すり抜けるように落ちていく。
「技術と知識……ハハ、冗談だろ…………こんなもの、これこそ、魔法や超能力じゃなくて何だと言うんだ!?」
目の前に展開する現実に、左近は乾いた笑声を上げて激しく頭を振った。
「さあな、そういう難しい理屈は松雪に訊け。オレは最初から、異能の解体魔だと名乗ってる」
黎斗は吐き捨てながら、仕上げとばかりに鉄骨を蹴りつける。
支えを失い、ガクンと斜めに傾いた鉄骨梁。それは壁をガリガリと削りながら、左近の立つ側が階下へ落ちていく。
左近を下方に、黎斗を上方に、急角度の滑り台のごとき様相は、自然、乗せたものを滑り落とさせる。
左近は滑り落ちまいと抗おうとして、だが、無様にしがみつくことこそ滑稽だと開き直ったのだろう。
そのまま滑落し、勢いに投げ出されるまま、階下に散らばったパネルの一枚に身体を強かに打ちつけて着地した。
「……くッ、何て無様さだ……!」
低い呻きをこぼして身を起こした左近は、目の前に立つ気配を感じて顔を上げる。
朝凪夏輝。
立ち尽くす彼女の姿は、超然というには、苦悩に揺れていた。
「この未来は、予測できませんでしたか?」
静かな問い。応じる左近は、この期に及んでなお不敵に笑って頷いた。
「はは、手厳しいな……でも、いいさ。俺にしては上々の幕引きだ。しょせんオレはケチな小者だったってことだ……」
相変わらず芝居がかった仕種で肩をすくめた左近。
夏輝は一瞬、その双眸を泣きそうに歪めて唇を噛んだ。
「やっぱり、あなたは……」
「ふん……哀れみや同情ならいらないよ。俺はクールなキミが好きなんだ。イジケたままの探偵少女に捕まるのはゴメンだぜ」
微笑は最後まで不敵なままに、自称〝魔法使い〟の怪人は浅い溜め息を吐いた。
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