魔法使いの覚悟(3)
オルゴール調の音色ながら軽快なリズムで流れる着信メロディ。
「むう、〝Ⅰ〟の魔女の洞窟ですか、つくづくゲーオタですね解体魔」
紫が感歎の声をもらす。まあ、いずれゲームの音楽なのだろうが、夏輝にはわからなかった。
液晶画面に視線を向ければ、そこに表示された着信相手の名は──。
「左近勇馬……」
読み上げた夏輝に、他のふたりも思わず身構える。
夏輝は意を決して通話パネルに触れた。
「もしもし」
『おや……? その声は、朝凪さんだね。良かった。黎斗に取り次いでもらおうと思ってたんだ』
相変わらず芝居がかった口調で語りかけてきた左近勇馬。
『どうだい? 魔法使いの正体はつかめたかな?』
「さあ、どうでしょう? ところで、左近さんは今ご自宅ですか?」
『そうだよ。今日は非番でね。朝も早くからプライベートパーティーの準備さ。ここしばらくは忙しかったから、親しい仲間だけでパーッとハメを外そうと思ってね。でも、以外に準備に手間取って、さっきようやく一段落ついたところだよ』
暢気な返答。
本当に自宅にいるのか、それともしらばっくれているのか、耳をすました夏輝の聴覚には、少なくとも喧騒の類は届いてこない。なら、屋内にいる可能性は高い。
現在、左近宅には椰子木たちが向かっているはず。
その時間稼ぎにせよ、確かな居場所を探り出すにせよ、会話を引き延ばすのが上策であろう。
(さて、どう会話をつなぐか……)
思案に空いた会話の空隙に、左近はクスリと小さな笑声をこぼした。
『なるほど、キミは本当に素直な人なんだねぇ……』
それはバカにしているのではなく、本当に感心しているような声音。
『まあ、無理もないか。人より大量に正確に痕跡情報を得られるキミは、あくまでその痕跡を組み立てるだけで、洞察しているわけではない。それとも、しているつもりではあるのかな? けど、できていないよ。だってほら、現に今も、読み取った痕跡を疑おうともしていない』
「どういう意味です?」
何か嘘をついているのか? もしや罠でも仕掛けているとか? しかし、少なくともこのホール内には何の痕跡も残っていない。清掃され、整理された作業の痕跡があるだけで──。
そこで夏輝はようやく気づいた。
清掃されたがゆえに消えている痕跡。
……では、その清掃をしたのは誰だ?
『ふふ、相手は痕跡を逆算して事象を読み取る異能者――それがわかっているんだから、やるでしょうよ。痕跡の清掃は徹底的に』
「つまり、あなたはこのホールになにか細工をしたのですね」
『さあね、逆算できるものならやってみるといい。ただ、気をつけなよ。俺はキミと違って……』
「……とても嘘つきだからね!」
笑声まじりの宣言は嬉々として、ホール全体に反響する。その高らかな声は、電話の向こうではなく、頭上から降って響いた。
見上げれば、吹き抜け状態の三階部、内壁も床もロクにない鉄骨むき出しの梁に立って、スマートフォン片手にこちらを見下ろしている男の姿。
左近勇馬。
「テメェ……、ずっとそこから見てたのか!」
敵意もあらわに睨み上げた黎斗。
対する左近は短い笑声を返す。
スマートフォンを懐に収め、両手をズボンのポケットに差し入れて仁王立ちした彼の姿は、さも高みから見下す悪の黒幕のように。
「正規のルートに侵入の痕跡がないからと油断したね。塀は乗りこえればいいし、作業用の足場は至るところに組まれている。三ヶ月前、キミは異能に頼り過ぎて失敗したんだろうに。過去の教訓がぜんぜん活かされていないねぇ探偵少女」
芝居がかった仕種で右手を差し上げ、パチンと指を鳴らす。
乾いた響きに応じたのは、凶暴な駆動音。夏輝たちの後方で項垂れていた重機が、突然にエンジンを唸らせて動き出したのだ。
横薙ぎに振り放たれたショベルアーム。それが夏輝を薙ぎ払う寸前、飛び込んだ黎斗が彼女を突き飛ばした。
ギリギリで助かった夏輝、だが、振りきられたアームは身代わりとばかりに黎斗を打ち払う。冗談のような勢いで吹き飛ばされた彼は、支柱に激しく叩きつけられた。
「アリスちゃん!?」
夏輝の悲鳴。
駆け出そうとした彼女を阻むように、否、圧殺する勢いで再度迫る重機のアーム。停止していた時には小さくすら見えたボディが、アームを振り上げている今はあまりにも圧倒的だった。
「こんのぉぉぉぉーッ!」
紫が重機に対し、その華奢な腕を振り上げて迎え撃つ。
鉄骨束を容易に引き落としたアームの出力を、紫は真っ向から受け止めた。四肢の筋肉が盛り上がり、ダブついていた衣服の遊びを埋めて膨張する。
重機を押し戻さん勢いに、見下ろす左近は口笛を鳴らした。
「スゴいスゴい、大したパワーだ。その異能力〝ライカンスロープ・シンドローム〟だっけ? 代謝機能異常促進による筋力暴走症。常から栄養補給が必要な代わりに、代謝燃焼による凄まじい瞬発力を発揮できる。ただし、あくまで異常瞬発力だから、長くは持たないらしいねえ」
したり顔の解説通りに、紫の四肢がビキリと鈍い軋みを上げた。
膨張していた筋肉が急速にしぼんでもとに戻る。そのまま血の汗を浮かせて膝を突いた彼女は、迫る圧力に逃げることもままならぬまま。
今にも押し潰されるというその時、ガギキンッ! と、重く高い金属音を立ててショベルアームから次々とボルトが抜け飛んだ。
支えを失ったアームは関節部から折れ、さらに左右の装甲と油圧駆動を司る中心部とにバラけて崩れ落ちる。
関節機構そのものを解体された重機は、ただ、モーター音だけを虚しく響かせて──。
そのボディの上、踏みつける姿勢で立つ解体魔の姿。無数の工具を両手に構えて、頭上の敵を睨み上げる。
「おやおや元気なもんだ。全身に仕込んでる工具が盾になったのかな?」
不敵に笑う左近。
黎斗は口の端から垂れた血を袖口で拭いつつ、足下の黄色いボディを蹴りつける。
「制御盤を有線操作に改造してたのは、無線操作が活きているのを擬装するためか?」
「わざわざ改造しているのだから、もとの機能は使わないって? それは単なるオマエらの思い込みだろ? 俺としては、備わっている機能は有意義に使わせてもらうだけ……なんて言うと、ずいぶんと無粋だねぇ。せっかく〝魔法使い〟を名乗っているんだ。ここは魔法で操った的な口上にするべきだったかな?」
「タヌキ野郎ッ!」
左近が再度指を鳴らすのに先んじて、黎斗は手にした工具の一本を足下の配線に投げつけ、断ち切った。駆動音が止み、回ろうとしたキャタピラが車体を動かす前に沈黙する。
「残念、油断したところを轢き殺してやろうと思っていたのに」
「残念だ? そういう顔にゃ見えねえぞ」
薄笑う左近の姿は、残念どころか〝むしろそうでなくては〟と、期待と歓喜に震えているかに見える。
黎斗は舌打ちしながら、倒れた紫を見やる。
そして、腰を抜かしたようにへたり込んだままの夏輝を睨んで咆えた。
「おい! 何やってんだよ!」
鋭い叱咤に、夏輝はビクリと顔を上げる。見返してきた彼女の、その戸惑いに揺れた双眸に、黎斗はなおイラ立ちを強く叫ぶ。
「おたく、聞いてなかったのか? アイツは確かに呼んだぞ。知っていて、理解した上で、わざと呼んだ!」
不敵な嘲りと挑発を込めて、左近は禁句を告げたではないか。
探偵少女──と。
「その名で呼んだら、蹴り潰すんだろうが! だったらさっさと立ちやがれ!」
黎斗の檄に、夏輝はその切れ長の眼が丸く見えるほどに見開いて……そして、すぐに深い溜め息を吐く。
「……人を、無法者のように言わないでください。……ですが、確かにそうですね。〝やられたらやり返せ〟と、九条先生にも教わっています。相応の報いは与えるべきでしょう……」
紫を抱え起こしながら、夏輝はことさらにゆるりと頭上を仰ぎ見た。
睨むでもなく、ただ、視線をそちらに向けただけ。
それでもそこに確かにこもる冷ややかな敵意に、左近はヒクリと頬を引き攣らせた。
「ハハ、怖いな。それが本来のキミなのかな?」
乾いた笑声は虚勢よりも、やはり期待に満ち満ちている。
三階層の高みから見下ろす余裕の様は、追い詰められた犯罪者のものではない。
実際、この位置関係では左近をどうこうするのは難しい。
それに彼がこのホール内にどんな仕掛けを施しているか知れぬ以上、夏輝たちはウカツに動くことすらできない。反して、左近の方は侵入に用いたルートですぐにでも逃走は可能だろう。
だが、それでもその犯行を見破られた以上、犯罪者として追い詰められている事実は変わらないはずなのだ。
権力の行使も同様、確かに夏輝はまだ九条家に連絡を取っていないが、ここで彼女らをどうこうすれば、それがすなわち九条家を敵に回すことになるのだから、犯罪者としての左近は間違いなく詰んでいる。
(……なのに、あの余裕は何なのですか?)
その疑念は、だから、彼に対して抱いていたそもそもの疑念につながって帰結する。
わからないことは、ひとつだけなのだ。
動機──。
左近勇馬が事件を起こした、その動機である。
「なぜ、あなたは魔法使いを騙って人を殺したのですか?」
怨恨、金銭、私情のもつれ……そんなありきたりな理由ではない。
そういうドロドロとした世俗的な殺意が、あの左近という男の中に展開しているようには思えない。むしろもっと純粋で、無邪気な……端的に言えば、幼稚な想いに満ちている気がする。
それは私見ではあるが、確信に近いものだった。
なぜなら彼は〝魔法使い〟という呼称に、確かな憧憬を抱いている。
かつての愚かな夏輝のように――。
「あなたの目的は、いったい何です?」
「俺はね、犯罪者になりたかったんだ」
夏輝の問いに、左近は微かにも動じる気配なく、むしろ楽しげに笑声を上げた。
「もちろん、ただの犯罪者じゃない。怪盗ルパンや怪人二十面相のような、フィクションに語られる大犯罪者だ。複雑怪奇な事件で世間を翻弄し、恐怖させる……そんな稀代の大犯罪者――犯罪怪人とでも呼ぶべき存在に、俺は憧れた」
そのために様々なことを学んだ。幸い、人よりも遥かに裕福な境遇に生まれた彼は、望みさえすればたいていの知識も技術も学ぶことができた。
そのための才能も、彼は人並み以上に備えていた。
「でもね、朝凪さん。人より多くを学べたから、逆に人より早く思い知ったよ。稀代の犯罪怪人……そんなものは物語の中にだけ存在を許される絵空事だとね」
それは良心の呵責や、道徳感を得て社会正義をわきまえたというわけではない。
現実の犯罪は、決して華麗で謎めいた鮮やかなものではないと失望しただけだ。
「せめて、わずかにでも知能犯と呼べる犯罪者の出現に期待しながら、世の犯罪や事件に少しでも身近に接していける職についたつもりだった」
現場対応や捜査方針のしがらみに振り回される刑事よりも、直に調査検証そのものに当たれる鑑識を選んだのだが……やはり、現実には変わりない。遭遇するのはそれこそケチな犯罪事案ばかり。
「……だからさ、そんな中で出会った朝凪さんの姿は、衝撃だったよ」
まばゆい憧憬に心焦がれるように、左近は声音を震わせた。
探偵少女、朝凪夏輝。
卓越した閃きと推理で、颯爽と事件を解き明かす美しい少女。
まさに絵空事である。
そんな絵空事のような、けれど確かに実在する名探偵。
そんな彼女の推理を翻弄し、世間を騒がせる大犯罪者になりたいと、左近は再び願うようになった。
だからこそ、探偵行為から身を引いた夏輝を誰よりも歯痒く思い。同時に、そんな彼女を引き戻すことに使命感にも似た浪漫を抱いた。
「正直、殺す相手なんて誰でも良かったよ。重要なのは仕掛けとシチュエーションだからね。結果、世間は見事に惑い踊ってくれた。けれど……」
左近は眼下の黎斗を睨んで吐息をこぼす。
「キミは、正直言って目障りだったよ黎斗。彼女のそばをチョロチョロと小癪にかき回して……まあ、単純に朝凪さんに馴れ馴れしくしているのが妬ましかった」
「……ずいぶんと、
夏輝は無表情のままに指摘する。
もとより芝居がかった男だが、それにしても今の左近は舞台で吟じる歌劇役者もかくやに、自身の言動に酔い痴れている。
「ハハ! 何言ってるんだい朝凪さん! 事件の最後、追い詰められた犯罪者はそうあるべきだろうに!」
そう、今、このやり取りこそが、描いた犯罪劇の終演。
犯罪怪人たる左近勇馬の見せ場なのだと。
「事件のクライマックスに、犯人は己の動機を情念たっぷりに唱え、そして、最後の悪足掻きを見せるのさ」
掲げた右手、ことさらに溜めを作った指先がパチンと音を鳴らした。
夏輝の聴覚に微かに聞こえた、無数の電子音と、嗅覚を衝いた異臭。
直後に鳴り響いた爆発音。
薄暗いホールは、一瞬で真っ赤な爆炎にあおられた。
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