魔法使いの覚悟(2)
現場に置かれていたショベルアームの重機。
黎斗が制御機器を解体してみると、回路や基盤が増設されていた。
ただでさえ素人目には複雑な制御機構の中で、それはずいぶんと巧妙にカモフラージュされていたようだ。
……しかし、だからといって仮にも鑑識が見落とすほどのものか?
「ドローンとかに使う市販の遠隔制御基盤だ。簡単な駆動制御なら確かに充分だな。有線式に改造されてるけど、操作を確実にするためか? あの廃材置き場に捨てられてるケーブルの長さなら、そこの柱まで充分届くだろうぜ」
黎斗は手品師がトランプをさばくかのごとく、無数の工具を鮮やかに操りながら、施された細工を解説していく。
向こうでは、廃材の山から電子ケーブルを引きずり出していた紫が声を上げた。
「夏輝お嬢様ぁ! ケーブル回収しました! でも、それ以外、リモコンとかは見当たらないです!」
さすがにその辺の露骨な部品は犯人が回収していったのだろう。だが、ならばなぜケーブルは現場に放置したのか?
重機の細工もそうだ。あるいは解除取り外しが容易ではなかったにしても、放置することで物的証拠を残す危険性には比べるべくもないはずだ。
それとも、犯人はわざとヒントを残していったのだろうか?
予想した犯人像から鑑みれば、ありそうな話ではある。
結論として──。
あの鉄骨落下は上階に積まれた鉄骨材を束ねていたワイヤーに重機のアームを引っかけ、遠隔操作することで引き落としたのだろう。
人為的に起こした落下なら、予知も予測も必要ない。犯人は倒壊の範囲を逸れて安全圏にいたのだから、巻き込まれる危険もない。
被害者を呼び出し、狙って鉄骨を落として圧殺したという単純な仕組みが、魔法使いの告発状を絡めたために歪んで見えてしまった。
そもそも一連の告発状事件は、予告があるから未来の罪の告知に思えるのであり、本当に被害者が罪を犯すはずだったのかは、対象が死んでしまった以上わかりはしない。
この犯人はそこにつけ込んだのだろう。
ここで起きたのは、未来の罪を予告する形に見せかけた、ただの殺人事件。
歪められた情報と、異能力という先入観に流され過ぎていた。
ただ、見たまま、ありのままに判断すれば、それだけで解けることだったのだ。
そうすることができなかったのは、見たまま、ありのままの推測は、早々に否定されていたからに他ならない。そんな細工の痕跡はないのだと、科学捜査によって結論づけられていたからだ。
……ならば、犯人が何者なのかは、おのずと割り出せること。
「こうなっては、他の事故現場の調査内容もあてにはなりませんね」
果たしてどこまでが、あるいはどこからが殺人事件なのか?
否……それこそが希望的観測というものか。
雨を避けて移動したホール内。
厳しい表情で黙り込んでいる夏輝に、黎斗は焦れた様子で問い質した。
「おい、要するに、こういうことだろ? 犯人は、現場の鑑識結果を意図的にねじ曲げてたって」
「はい、犯人はおそらく、あの太めの鑑識員です」
左近勇馬。
夏輝の導き出した結論に、黎斗はキッと目の色を変える。
すぐさま駆け出そうとしたダッフルコートの襟首を、紫がガッシリとつかんで引き戻した。
「どーこに行くですか解体マン」
「解体マ……そのヒーローシリーズやめろ! つーか、犯人がわかったんだから、叩きのめしに行くに決まってるだろ!」
「……バカなことを……」
黎斗の血気盛んな剣幕に、夏輝はスッと双眸を細める。
「シドちゃん、しっかりアリスちゃんを抑えていてください」
「うぉう……了解であります」
夏輝の冷ややかな指示ならぬ命令に、紫は迅速にすみやかに解体魔を羽交い絞めにする。
「うあ! 何しやがる! 放しやがれ怪力女!」
「にゃははは♪ 放すわけないじゃないですか。見てくださいよ、あのお嬢様のゴッドハンドな
ヤケクソ気味な笑声を上げてギリリと拘束を強める紫。
その忠臣ぶりに、歩み寄る夏輝はニッコリと。
「そう、そのまま、ほんのわずかにも、抵抗ができないように……」
笑声も艶やかに、夏輝は黎斗に迫る。
ゾワリと背筋を駆け抜けた畏怖とともに黎斗の脳裡によみがえるのは、初見の日、凄まじい蹴撃で意識を断絶された拭いがたき
「う、うぅ、あぁ……ッ! やるならひと思いにやりやがれぇーッ!」
「……? 何か、勘違いをしていますね……」
夏輝は首をかしげながら、黎斗の懐に手を入れ、彼のスマートフォンを拝借した。
「これ、電話をかけるにはどうするんですか?」
タッチパネルを適当に操作しながら問いかけてくるポニーテールに、寸前まで驚天動地だった黎斗たちはガックリと項垂れた。
「……番号押してから通話パネルにタッチでかかるよ……」
ケータイ借りたいならそう言えよな──と、肚の底から脱力した黎斗の説明に「わかりました」と無邪気な微笑を返す夏輝。
「ワァオ、お嬢様ったら超天然……」
呻く紫を完全スルーして、夏輝は目的の電話番号を入力……しようとしたのだが、肝心の番号を思い出せずに固まってしまった。
「……えーと」
「あ、どこに掛けたいんですか? わたし、大概のTEL番は暗記してますよ♪ 特にピザ屋さんとラーメン屋さんは市内全店網羅してます」
「それは頼もしいですね。でも大丈夫です、思い出しました」
夏輝が手早く番号を打ち込む。
数回のコール音の後に響いたのは、低く厳つい応答。
『もしもし、椰子木だが』
「どうも、朝凪夏輝です」
『おう、何だポニ子。今忙しいから用件は手短にしろよ』
「わかりました。例の鉄骨落下現場、左近勇馬以外の鑑識員は検証内容を検めなかったのですか?」
言われた通りに簡潔に問いかければ、椰子木は『……ったく』とイラ立たしげに舌打ちして呻いた。
『あの現場の鑑識作業は、左近が仕切り、左近がまとめた。知ってるかもしれんが、ヤツはそのスジでは相当名の知れた、国外からも引き抜きがきてるほどの麒麟児さんだ。ついでに言や、オメエさんと同じく高貴な家柄の御子息でな、他の鑑識員はアイツの太鼓持ち。実質、うちの管轄の現場検証は左近が掌握してるも同然だ』
「そんなバカな話があるのですか……?」
『まったくその通りだが、テメエが言うなよ小娘。ともかく、左近は性格はチョイと難アリだが、鑑識としての腕は抜群だった。基本、アイツに任しとけば現場検証は上手く回ってたからな、今までは誰も文句言やあしなかったのさ』
椰子木の微妙に意味深な言い回しに、夏輝は事態を察して了解する。
「鉄骨の落下は、現場の重機を遠隔操作した人為的な細工です。証拠も、細工がそのまま重機に残っていたので明白です。それと、落下場所に残っていた足跡は後から刻まれた擬装工作でした」
『落下現場を調べたのか……』
「はい、施工主の都合で工事は中断していたので、作業の邪魔にはなっていません」
『ああ、そりゃハマが手ぇ回してんだよ。現場保存のためにな。っつっても、そう何日も保たねえだろうがな』
椰子木は不本意そうに説明を続ける。
彼と羽間里は、足跡の工作はもちろん、重機の細工についても最初から確信に近い疑いを持って捜査に当たっていたのだという。というのも、もともと彼らは、あの鉄骨落下現場の検証結果に疑念を感じていたそうだ。
理由は、事件当日の夏輝の指摘。
椰子木はあの日、夏輝が金属支柱のキズから第三者の存在を読み取ったところを見ていたのだ。
しかし、左近の検証では、第三者の痕跡は鉄骨が落下した付近にしか刻まれていない。夏輝と左近、それぞれが異なる痕跡を指摘した。ならば、現場には容疑者が複数人いたのか? 否だ、それこそそんな痕跡は指摘されていない。
ならば、いずれかの検証結果が間違っているということだろう。
その疑念に、だが、椰子木と羽間里は、特に迷うこともなく左近の検証結果に疑いを向けた。
『当然だろ? 鉄骨の雨の中を歩いて逃げたなんてバカげた話、普通はあるわけねえんだよ』
ならば、そのような検証結果が出た理由は何なのか?
一番最初に考えつくのは、検証した者が嘘をついているというパターンだ。それは、左近の鑑識としての腕が確かなのだから、なおのこと。
それと疑ってみるまでもなく、左近の鑑識内容には独断専行が多すぎる。検証内容に手を加えるのは、それほど困難ではない。
さらに一連の告発状絡みの案件に、左近は明らかに私的な執着がある。
そこで椰子木自身が現場を検め直してみれば、足跡の不自然さや、遠隔操作の可能性を示唆する要素はあるものの、左近を犯人と決定づける証拠を見つけ出すには到れなかった。
『現場の指紋とかはもちろん、足跡も改めてこっそり調べ直したがな、ダメだった。やっこさんは、そういう部分だけは徹底的に隠滅工作してやがんだよ』
決定的証拠がない以上、仮に左近を問い詰めてもシラを切られればそれまでである。そもそも動機がさっぱりわからない。
何よりも左近が警察関係者であることが、捜査の進捗を妨げた。
VIPである左近を、疑わしいというだけで容疑者にはできない。表立って動いたり、鑑識員を使えば、左近に疑いを向けていることが周囲に知れてしまう。知られれば、社会秩序と対面を重んじるお役所方針にもとづく超法規的措置により、事件の捜査そのものをストップされかねない。
そんな中で起こったあの銃撃事件。
現場の検証に当たった左近の、露骨に奇妙な反応。
だから羽間里は、あえて夏輝を現場に引き入れて、左近に揺さぶりをかけたのだ。
結果として心証は真っ黒。
だが、あくまで心証。まだ物的な証拠があるわけではない。
水面下での遠回しな調査では、有力な手がかりが得られないまま、手をこまねいていた椰子木たち。
だが、今日になってひとつの目撃情報が得られたのだという。事件の早朝、鉄骨落下の現場付近にて左近を見た者がいたとのこと。
最低限の大義名分を得たところで、さてどうしたものかと考えているところに、夏輝からの電話がかかってきたというわけだ。
「でしたら、こうして物的証拠も見つかりました。今ならちゃんと彼に捜査の矛先を向けられるのではありませんか?」
夏輝の指摘に、だが、椰子木は途方もなく脱力した溜め息を返す。
『普通だったらな。だが……言ったろう。左近勇馬はVIPだ。しかも警察機構にとってはこの上もなく致命的なポジションのな。仮に犯行を立証できたとしても、その罪の事実自体を揉み消されちまう可能性がある。警察庁長官の息子が計画殺人犯だなんざ、不祥事どころか社会問題になりかねんからな。
だから、まあ、オレら公僕にとって、もともとこのヤマは手に負えねえ。せいぜいヤツが墓穴を掘るのを祈って網を張るしかできねえのさ』
悔しげに呻く椰子木。
権力や立場を笠にルールをねじ曲げるのが大嫌いな彼だ。明らかに疑わしい左近を、表立って追及できないのが堪えがたいのだろう。
だから、夏輝は静かに意志を固めて問う。
「もし、それらの権力的な枷が消えれば、左近勇馬を検挙する自信はありますか?」
『あ?』
「あなたは、左近勇馬がVIPだから手をこまねいているのでしょう。でしたら、そのシガラミを取り除いて差し上げます」
『……どういう意味だ?』
「わかりませんか? わたしは今、九条夏輝として話しているのです。その名においてあなたたちの捜査行動と結果を保証すると言っている。それとも〝左近〟とは〝九条〟よりも上の家名なのですか?」
冷然と問い質せば、電話の向こうでは疲れた笑声が上がった。
『ははは……まったく、ますますあのババアに似てきやがったな。心配すんな、オメエらより傲慢な家名なんざ、この国にはねえだろうよ』
「でしたら、何の問題もありません」
『……ガキが権力を振りかざすたぁ感心はしねえが、まあ、もとはオレらが不甲斐ないのが原因だ。だから、ありがとよ。すぐに
「わかっています。それでは、気をつけて」
『おう』
力強い返事とともに、通話は切られた。
良く響く椰子木の声は、傍にいた黎斗たちにも充分に聴き取れていたのだろう。
「……オレたちはいかないのかよ」
「犯罪者との対面は、警察の役目です」
不満そうにぼやく黎斗に、夏輝はキッパリと首肯を返す。
ここで夏輝たちが割り込んでは、過去の過ちを繰り返すことになりかねない。
ただ、左近勇馬が犯人だとしたら、わからないことがひとつ。
それは椰子木らも指摘していた疑念。
すなわち、動機だ。彼はなぜこんなことをしでかしたのか?
「結局、あの電線とかも、全部左近の仕掛けだったのか?」
ポツリともらした黎斗の疑念に、考え込んでいた夏輝は静かに吐息をこぼしつつ応じようと──。
瞬間、彼女の手の中のスマートフォンが、着信を告げた。
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