8章 魔法使いの覚悟

魔法使いの覚悟(1)


 オフィス街の一画に虚ろにたたずむ鉄骨むき出しのビル。

 一週間前と変わらぬその姿は、一週間前以上に澱んだ空気に満ち満ちていた。それは、ここが一連の事件の現場であるという心象よりも、物理的な静けさこそが原因だろう。

 閉鎖された建設現場に作業の喧騒はなく、作業員の姿も見当たらない。


「施工主の都合で、工事は見合わせているそうですよ。あ、一応断っておきますけど、九条家が横車入れたわけじゃないですから、ご安心を♪」


 紫の解説に、腕組みしてビルを見上げる黎斗は「安心?」と怪訝そうに問い返す。


「いえいえ、ガサツなアリスマンはともかく、繊細な夏輝お嬢様は、そういうとこ気になると思いまして」

「……おたく、その呼び方、定着させようとしてないか?」

「えー? イヤなんですか? 〝ちゃん〟づけで呼ぶよりいいでしょう? ヒーローみたいで漢らしいですし、アリスマン」

「漢らしさじゃおたくに負けるぜ、どっかの破壊神みたいな名字しやがって」

「何おう! あなたこそ人のことをおたくおたくって……オマエだって、ゲームオタだろうに!」

「そっちほどマニアックじゃねっての……つーか、後半の妙に感極まったイントネーションは何だよ!?」


「……あの、そろそろいいですか?」


 放っておくと永遠に続きそうなやり取りに、夏輝は冷ややかに割って入る。


「失礼しました! 今開けます!」


 ビシッと迅速に謝罪する紫。

 入り口のダイヤル式南京錠を開けるために、事前に確認してきた番号メモを取り出した瞬間──。


 ガシャン! と、音を立ててバラバラに砕け散る南京錠。


「開いたぞ」


 シレッと告げつつ、黎斗は手にした数十の工具を器用に操り仕舞い込む。

 紫はヒクリと頬を震わせた。


「な、何してんですか解体魔ァーッ!!」

「いや、解体魔だから解体したんだよ」

「そうじゃないでしょぉ! 番号わかってるのに、なしてわざわざ壊すですか!?」

「わざわざ番号そろえる方が手間だろ!」

「どこのボンバーキング!? 壊さなくて済むものを壊すんじゃありません!」


 口論しながらも、一応は鉄柵扉を押し開けて夏輝をエスコートするふたり。


「……入り口は、こちらで見張っておきます」


 苦笑しながらの申し出は運転手の黒服。

 黎斗が鍵を壊してしまったので、すぐには再施錠できないのだ。


「どうも」


 夏輝は黒服に一礼しつつ、未だに言い争うふたりの方に向き直った。


「そのくらいで黙りなさい。蹴り潰しますよ」


 低い警告に、黎斗と紫は「「う……」」と呻きを重ねて押し黙った。


「アリスちゃんは無闇に解体するのはやめなさい。シドちゃんはもう少し冷静に構えなさい。色々と迷惑ですし、様々に見苦しいです」


 静かな叱責は、だが、無表情ではない。うっすらと笑みを象った夏輝の口許はこの上もなく冷ややかに、まるで実際に気温が下がったかのごとき錯覚をふたりの背筋に走らせた。


「わ、悪かったよ……」

「あぅ、申し訳ありませんでした……」


 怖気に駆られながらの謝罪に、夏輝は「よろしい」と首肯。

 そのまま先陣に立って、ビルの中──あの鉄骨落下の現場へと向かって行く。後に続く小兵ふたりは互いに身を寄せるように、


「あのババアといい。九条家の女は何であんなオッカネーんだよ……」

「ですよネー……約一名除いて、みんな覇王色です」


 ボソボソと囁きあう姿は、仲が良いのか悪いのか──。

 夏輝はやれやれと小さい笑声をもらしながら、やがて目的の落下現場に隣接したホールでゆるりと立ち止まった。

 まだ外装加工がされていない床部。組み敷かれたコンクリート板が大きなマス目を描き、壁面は耐熱防音材がむき出しになっている。


 以前にも見た光景――それを今、改めて観る。


 吹き抜け……というより、まだ上階の床や天井が未完成なだけなのだろう。北側に面した部分には壁はなく、裏手の庭と直接つながっている。そういう造りなのか、上階と同じく未完成なだけなのか…………それは、以前に訪れた時とほぼ同様。


 現場保存のためか、単に工事中断のためか、未だ鉄骨が散乱したままの裏庭に、夏輝はゆっくりと歩み寄る。

 現場の状態は、経過時間を考えれば、ずいぶんと事件当時のままで保たれているのだろうが、それでも、連日の雨天のせいもあって痕跡の劣化は著しい。

 屈み込んだ夏輝は、濡れた地面を軽く指先で撫でつつ、意識を研ぎ澄ます。

 痕跡の逆算――。

 だが、読み取れたのはここしばらくの雨による変化のみ。左近が言っていた第三者の痕跡すら読み取れなかった。


「やはり、ダメですか……」


 捜査員や工事関係者の足跡はいくらでも残っている。だが、手がかりとなる痕跡ではないようで、夏輝の脳裏には降り注ぐ鉄骨材の中を歩き去る犯人の情報などは、全く想起される気配がない。


「…………いえ、そんなはずはありませんね」


 その不審に気がついた夏輝は、目を見開いて周囲を注視した。

 黎斗のPCで見た事件情報には何とあった?

 現場には、鉄骨が降る中を歩き去る第三者の足跡が残っていたと、靴のサイズや種類まで記されていた。そして、その足跡はすぐそこの地面に確かに残っている。


 鉄骨材に抉られ盛り上がった土に、側面を押しつける形で残る足跡。

 それに伴う同種の靴跡は、そこにも、あっちにも、以前に見た事件情報の通りに確かに残っている。雨でかなり劣化しているものの、目視でもわかるくらいにはハッキリと残っている。

 だが、夏輝の逆算には、それが立ち去る第三者の痕跡とは読み取れないのだ。


 なぜならこれは、だからだ。


 足跡のひとつ、鉄骨に半分隠れたものを注視する。

 これが本当に落下前に刻まれたものならば、鉄骨の下に残り半分の痕跡が残っているはずだ。

 夏輝は鉄骨をどかそうとしてみるが、その重量は当然ながら女ひとりの腕力でどうにかなるものではない。というより、生身の筋力でどうこうという次元ではないだろう。

 なにか梃になるものや、支えの台座がなければ無理そうだ。


(下から地面ごと足跡を掘り出す……いえ、それも道具なしには難しそうですね)


「あのぉ……お嬢様? その鉄骨をどければよろしいんですか? なら、わたしがどけますよ」


 午後ティーでも買ってきましょうか? みたいな軽いノリの紫に、夏輝は一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 困惑する夏輝を傍らに、紫は大きく深呼吸をしてから、鉄骨材に両手をかける。


「危ないですから、ちょっと避けててくださいぃねッ! ……ッと!」


 そのまま、まさに重い荷物を持ち上げる所作で、重厚な鉄骨材を抱え上げると、数メートルほど脇の地面に下ろしてのけた。


「うあぁ、泥だらけになっちゃいましたねぇ」


 情けない声を上げて衣服の土を拭い落としている紫。

 真っ赤に上気した顔。梅雨の小雨の中で吐き出した吐息が、真冬のそれのごとく真っ白に煙る。吐息だけではない、その全身からも、降る小雨を打ち消すように白い水蒸気が立ち上っている。

 まるで過熱したエンジンが冷却排気しているかのようだった。


「あなた、異能者なのですか?」

「いえいえそんな大袈裟な。わたしはちょーっと力持ちなだけのお姉さんですよー♪」


 揺れるツインテールの後ろから、黎斗がウンザリと呟く。


「いや、こういうのはもう力持ちとは言わんだろ……」

「えー、世界にはジェット機を引っ張るような力自慢もいるんですから、鉄骨ぐらいで驚かないでください。わたしは……まあ、ちょっと生まれつき骨格とか消化器官とかがアレなだけです」

「……アレって何だよ」

「アレはアレです。詳しいことは今度加々見先生に訊いてください。わたしは肉体派なので小難しい説明はできないんです。いやー、本気で動くとお腹空きますねぇ……モグモグ……」


 いつもの倍速でビーフジャーキーを頬張る紫。

 あからさまにトボケているが、今はそれを究明している場合でもない。


 鉄骨が除去されて、あらわになった地面。

 そこにはやはり、あるべきはずの残り半分の足跡の、その痕跡が全く刻まれていなかった。

 降ってきた鉄骨によってとかではない。少なくとも、夏輝の逆算に、あったはずの足跡が押し潰された経緯は読み取れない。

 しかし、鑑識はこれが鉄骨が降る最中に刻まれたものだと結論づけた。鉄骨を除去してみることすらもせずに……だ。


「あ…………」


 そう疑念に思ったのをキッカケに、夏輝は、自分がとんでもなくマヌケな〝事実の見落とし〟をしていたことに気がついた。


 最初にきた時に読み取った痕跡と、後に得た情報との明らかな矛盾。


 あの時はまだ、事件を解明する気はもちろん、関わる気も皆無だったから完全に失念していた。

 ホール側の金属支柱。

 最初にきた時に、夏輝はそこに殴りつけた痕跡を見つけた。そうすることで、犯人が被害者の注意をそらしたのだと確かに読み取った。

 しかし、この鉄骨の散乱位置と、あの支柱の位置は距離にして約十メートルほど。

 つまり、明確に距離が離れている。

 鑑識は現場の痕跡から、無傷で立ち去った者がいると調べ上げた。

 だが、夏輝の逆算にはそんな痕跡は読み取れていない。

 正確には、鉄骨材の落下位置には落下前の痕跡はなく、落下後に足跡を刻んだ痕跡があるだけなのだ。

 つまり犯人は、はじめからあの金属支柱の位置――鉄骨の落下に巻き込まれない位置に立っていたということ。


「廃材置き場に……」


 連想のままに思い出した……否、夏輝の場合は連想されたからこそ思い出したというべきだろう。あの時に意識に流れ込んできた周辺情報。

 現場の隅に駐められたトラック、その荷台に盛られた廃材の山。その積み重なる廃材の中に、蛇のようにトグロを巻いた細いケーブルが埋もれていたはずだ。

 破損しているわけでも錆びて傷んでいるわけでもない、真新しい電子ケーブルの束。まだまだ使える資材が、いや、そもそも電子ケーブルなどがなぜこの現場に捨てられているのか? 未だ機械設備どころか、土台の骨組みすら完全に組まれていないのに。


「お嬢様、あんまりそのへんイジると危ないですよ」

「動かないでください!」


 紫が心配そうに駆け寄ってくるのを、夏輝は鋭く制止する。


「うあ! スミマセン! またわたし何かやっちゃいましたぁッ!?」

「あ……いえ、そういうわけではなく……」


 今は痕跡を――現場の状態を乱されたくない。

 夏輝は周囲を見渡しながら、弓彦の助言と忠告を反芻する。


 ――警察には難しいが、夏輝ならすぐに解ける。


 それは逆算ならば解けるという意味かと思っていたが、どうやらそうではない。

 この事件は警察にとっては難しい──つまり、警察が調べればすぐに解けるという意味だったのだ。


 ビルの横、疲れて首を落としたキリンのように放置されたショベルアームの重機。

 鑑識の検査によれば、何の細工もなされていなかったという黄色いボディを指差して、夏輝は叫ぶ。


「アリスちゃん、その重機を調べてください! 起動装置や駆動系回りに、細工した痕跡が残っているはずです!」


 黎斗が重機の制御機材を検める姿を睨みながら、夏輝は逆算の消耗に乱れた動悸を懸命に抑え込みつつ、声のない呻きをこぼす。


 結局、全ては見たままに単純な仕掛けの事件だったのだ。


 そう確信しつつ──。

 夏輝は何ともやりきれない面持ちで、乾いた溜め息を吐いた。

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